TOPハウツー・学習歴史土方歳三資料館チャンネル【285】2月23日は浪士組が入京した日🌟07:55 2025年2月23日 316再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次162年前、浪士組が京都へ520キロ、16日間の長旅三条大橋を渡り、京の都へ新徳寺での集会と運命の分かれ道新選組結成への第一歩AI文字起こし(β版) # はじめに みなさんこんにちは。ひじかた年蔵資料館のひじかたです。 今日は2月23日、162年前の文久3年、1863年に、老子組のメンバーが京都に到着した日になります。 そこで今日は、後の新選組メンバーたちが初めて京都に、初めの一歩を踏み入れた日ということで、そのことについてお話ししてみたいと思います。 ゆるっと聞いていてください。 # さし向かう 心は清き 水鏡(豊玉)京のまちを初めて見た歳三さんの心持ちはどんなだったでしょうね。 この老子組ですけれども、もともと将軍家持が京都に昇るその時の将軍敬語のために、 腕の立つ老子たちを広く一般から募集しまして、その募集で合格したメンバーたちということになります。 江戸の小石川の電通院というところを出発しまして、16日かけて2月8日出発して、2月23日に到着しております。 ルートは中専道を通って京に着くまで、大体520キロ以上ある道のりになります。 それを16日で踏破したということで、1日に30キロから40キロは進まないといけない計算になるんですよね。 平たく16で割ると32.5キロなんですけれども、それはですね、宿の都合ですとか、宿場の様子なんかでですね、 天候もあったでしょうし、多く進める日もあれば、そんなに進めない日もありますので、 ならして大体30キロから40キロは進んでいたということで、フルマラソンを毎日走るみたいなことになりますよね。 すごい昔の人体力があったんだなというふうに思います。 当時、江戸から京都に向かうには、東海道と中専道2つのルートがありました。 中専道の方が距離も長くて、長野県の辺りなどは、かなり山道のようなところを抜けますので、 道も険しく、大変なルートではあるんですけれども、中専道が選定されております。 東海道というのは、途中の三重のところでですね、船に乗らなければいけないんですね。 で、その船待ちをしなければならないというのがネックになっております。 大人数240名近くで移動しておりますので、その船待ちがないということで、中専道を選んだのかもしれません。 確実に先に進めますからね。 この老子組に応募したのが、支援官のメンバー、天然力浸流でお稽古をしていたメンバーになります。 近藤勲、肘方俊三、井上玄三郎、山波恵介、沖田宗治、長倉新八、東道平介、原田佐之介、これらのメンバーが参加したわけなんですけれども、 最初の募集では、だいたい50名くらい集まればいいかなということで予定したそうなんですけれども、 5倍近い応募が殺到してしまったということで、大変な移動となったというような展末があったそうです。 前日、2月22日は京都の手前の大津塾で宿泊し、そして23日、京都入りを果たしました。 京都に入るときは、中専道から来ても東海道から来ても、その手前の追い分けのところで道が合流いたしますので、三条大橋を渡って京の町に入るということになるんですね。 都市蔵さんたち、16日かけて京の都に初めて着いて、きらびやかな様子、みやびやかな様子を目にして、どんなことを思ったのかな、とても感慨深かったのではないかなというふうに想像いたします。 都市蔵はですね、出発の直前に苦習を取りまとめております。 自分の画号が宝玉豊かな玉と書いて宝玉と読むんですけれども、宝玉という画号で俳句を読んでおりまして、その自分の玉時代に読みためた句を取りまとめまして、作品集、宝玉北集という冊子を出発前に編んでおります。 その中には表題の句が一句だけ別句扱いで冒頭に載せてあるんですけれども、 「さし向かう心は清き水鏡」という一句が載せられておりまして、京都に出発する前の神妙な趣が伺える句となっています。 長旅を終えて今日の街に初めて入った都市蔵さん、何を思ったんでしょうね。 23日はですね、その老子組のメンバーは三条大橋から三部村に向かいまして、三部の新徳寺で集会を開きます。 三部は最初の老子組の拠点、遁所となるわけなんですね。 この三部村の人が老子組の面々を受け入れてくれたために、到着早々に老子組のメンバーは、 自分たちは上位をするからまた江戸に戻るぞと言って大半が今日を離れてしまうんですけれども、 近藤勲さんたちは今日の敬語をするんだと言って残ることができたんですね。 そして残った近藤勲さんたちは、自分たちにもきちんとしたお役目が必要だということで、 京都守護職、藍津藩主松平片森校に願いを出して、そしてですね、お預かりとして、 今日の治安維持を図る市中身回りなどのお役目をいただくこととなっていきます。 今日2月23日は、としそうさんにとっては本当に次に何があるかわからないけれども、 とにかく自分はこの京都という憧れの地にやってきたんだっていう希望だとか、 ワクワクでいっぱいだったんじゃないかなというふうに想像しております。 最初にこの今日に着いたときは、予定していた将軍の敬語のお役目を終えたら、 もう自分たちは江戸に帰るっていうような予定になっておりましたので、 2ヶ月ぐらいで帰京するようなつもりだったんではないでしょうかね。 まさか自分たちが今日に残って、半年後には新選組という大名をいただいて、 そして今日の治安維持のために活躍するとは思ってもみなかったんではないでしょうか。 今日は後の新選組の最初の一歩を踏み出した日といえます。 みなさんは近藤さんや沖田さんや井上さんや豊洲さんは、 一体どんな心持ちだったのかなと思われますか。 最後にお知らせです。 ひじかた豊洲資料館のXアカウントで、ひじかた豊洲をつなぐプロジェクト実行委員会からの、 実行委員会立ち上げのお知らせのポストを本日させていただきました。 これから詳細が発表されるクラウドファンディング開始に向けまして、 少しずつひじかた豊洲をつなぐプロジェクト実行委員会からの発信をお伝えしてまいります。 ひじかた豊洲の遺品を未来へ残すためのクラウドファンディング挑戦となります。 ぜひXアカウントをフォローして、いいねやリポストを押していただけますと、とても励みになります。 応援をどうぞよろしくお願いいたします。 それではまたこのひじかた豊洲資料館チャンネルでお会いしましょう。さようなら。 もっと見る #土方歳三 #新選組 #はじまりの一歩 土方歳三資料館チャンネルプレミアム放送配信中!00:321.はじめに07:232.さし向かう 心は清き 水鏡(豊玉)京のまちを初めて見た歳三さんの心持ちはどんなだったでしょうね。コメント感想・質問・応援メッセージを書こう しんはー2025年2月28日黒谷さんの山門に上がらせていただける時季に見ることができる、あの入京の峠道を実際に歩けたのが良い思い出です。現在では四条沿いが繁華街となっていますが、当時は三条が商業の中心だったそうで、歳三さんたちも〝華の都〟の雰囲気を感じて高揚したのではないでしょうか。とはいえ、当時より少し前の古地図を見ると、〝繁華街〟の三条から外れれば、田圃の中に集落が。今で言うテンションダダ下がりだったかもしれないな、などと、まだまだ平和だった頃の若い彼らを想像してしまいます😂1返信 土方愛(土方歳三資料館)2025年3月1日しんはーさん、確かに。壬生村も田んぼで壬生菜を育てていたのどかな風景だったようですものね。でも、江戸からの長旅を終えてゴール、は嬉しかったことでしょうね。1
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現在では四条沿いが繁華街となっていますが、当時は三条が商業の中心だったそうで、
歳三さんたちも〝華の都〟の雰囲気を感じて高揚したのではないでしょうか。
とはいえ、当時より少し前の古地図を見ると、〝繁華街〟の三条から外れれば、田圃の中に集落が。
今で言うテンションダダ下がりだったかもしれないな、などと、まだまだ平和だった頃の若い彼らを想像してしまいます😂
壬生村も田んぼで壬生菜を育てていたのどかな風景だったようですものね。でも、江戸からの長旅を終えてゴール、は嬉しかったことでしょうね。