TOPハウツー・学習歴史土方歳三資料館チャンネル【320】道南特集⑥開陽丸沈没〜その時榎本武揚と土方歳三は?江差町小峰学芸員インタビュー20:49 2025年8月12日 398再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次江差町、開陽丸沈没の謎に迫る土方歳三と榎本武揚、その時何を?海底調査で発見された3万点の遺物学芸員の挑戦、海洋丸の未来は?江差町の魅力、歴史とグルメを満喫AI文字起こし(β版) # はじめに みなさんこんにちは。ひじかた年相資料館のひじかたです。 8月にお送りしております東南インタビュー特集ですけれども、本日最後のインタビューとなります。 本日は江差市町教育委員会の小峰学芸員様にお話をお伺いしました。 江差市といえば海洋丸が沈んだ港町です。 海洋丸青少年センターというところで、今復元された海洋丸が公開されております。 その海洋丸の海中での調査も行っているという小峰学芸員様。 いろいろ貴重なお話をお伺いしました。 それでは次のチャプターからどうぞ。 # 松前城攻略成功後、江差まで陣をすすめた土方軍。江差での開陽丸沈没の顛末などを聞きました! はい、ではですね、あの今日は海洋丸記念館に来ております、海洋丸青少年センターですけれども、そちらでですねエサ市町教育委員会の学芸員の小峰様より、 海洋丸についてですとか、函館戦争についてですとか、またエサ市の街の魅力などについてお伺いしていきたいと思います。 小峰さん、初めましてどうぞよろしくお願いいたします。 はい、よろしくお願いします。エサ市町教育委員会の小峰です。 はい、えっとですね、まず最初になんですけれども、この海洋丸が明治元年の函館戦争の時ですね、江の本艦隊としてエサ市のところにやってまいりますけれども、 その海洋丸、こちらで沈没してしまいますよね。その御縁もあってですね、引き上げられて、そしてあのこちらで展示も今されているということなんですけれども、その海洋丸の歴史について教えていただけないでしょうか。 海洋丸は江戸時代の終わり頃に江戸幕府がオランダに発注して作られた軍艦です。 大体3年ほどかけて船の形だったり装備を行いまして、その後日本に開港してくることになります。 本来、フェリーがやってきたことによって開国した日本が解剖強化のために作った船だったんですけれども、海洋丸が日本にやってきた頃には国内の情勢が大きく変わっていた時期だったんですね。 よく後に明治維新軍だったり、新政府軍と言われるような倒幕を望む人たちの勢力が大きくなってきた頃でした。 その中で海洋丸が帰ってきて、母親戦争が始まっていくことになるんですけど、海洋丸は旧幕府軍、江戸幕府軍の船として航海をしていくことになります。 ありがとうございます。 海洋丸ですけれども、こちらに函館戦争の檻にやってまいりますよね。 その時に沈んでしまうと思うんですけれども、その辺りをお支配いただけますか。 函館戦争は母親戦争の中の一つの北海道の東南エリアが戦場となった戦争になります。 その際に旧幕府軍の海洋丸が江戸地にやってくるわけなんですけれども、その時に函館戦争が始まって、五稜郭をまず旧幕府軍は抑えて、 その後、東南の拠点となっていた江差市と松前を攻めていくという中で、海洋丸は陸上部隊の援軍としてこの江差市にやってくることになります。 やってきた当日の夜に天候が急変して暴風雪に遭ってしまう。 その時に座礁して数日間かけて沈没していくというような船になります。 この陸の方で都市総和の五稜郭軍として、松前を制圧してそのまま斬刀狩りみたいな形で江差市の方まで攻めてくると思うんですけれども、 その時にもう江差市に入る前に海洋丸は江差市についていた? そうですね。陸上部隊が江差市に到着するよりも前に海洋丸は到着をしていました。 さらに陸上部隊が江差市に到着した頃にはもうすでに座礁して沈没を始めていたんですね。 そうなんですね。もうすぐに沈没してしまうわけじゃなくて何日間かけて沈んでいくのを知りながらも、 ひじかた軍の兵たちも入ってくるっていう。 入ってきた時に礁状を確認するというような。 結構ショックなことですね。 そうだったと思います。 そうだったんですか。 逸話が残っていて、もうちょっと誠しやかに言われていて、本当にそうなわけはないだろうなと思いながらも立派な末がありますよね。 今は共同資料館として使っている旧檜山西軍薬所というところの前に嘆きの末と言われる末がありまして、沈みゆく海洋丸を見ながらひじかたとしぞうが叩いて曲がったというような伝説が江差市の人たちには伝わっています。 その末の曲がり具合がぴったりだし、そしてその末の前に立つと確かに海岸がよく見えるので、きっと沈んでいる様子もよくわかっただろうなというところで、そういう逸話が生まれたのかなというふうに思うんですけれども、本当に当時もよく見えていたんでしょうか。 はい。軍薬所その末がある標高としては17メートルの標高でして、そこからすぐに江差市は海岸線に急激に標高が低くなるので、当時もその場所から海岸線、海の方を見ることができたというのは間違いないですね。 はい。本当に榎本さんにとっては海洋丸って浸水式の時から自分の人生を共にしてきた感だったと思うので、すごくショックだったと思うんですね。 そして、旧幕府軍に関しても海洋丸の力、最新鋭の巻だったということで、すごく信頼を置いていた巻がなくなったということは、すごく資金にも影響したと思うんですけれど、その沈んでしまった海洋丸がまた再び引き上げられたという経緯がありますよね。 はい。過去の経過を見てみると、沈んだ後にすぐに榎本軍が海洋丸に載っていた火薬などを引き上げて輸送船に偽装するというような作業を行っているというような記録もあったりします。 その後、明治時代が始まってから、金属教室のために海洋丸に載っていた金属を回収するというような引き上げも試みられている記録が残っています。 そこから大体沈没から100年以上が経った昭和40年代に入ると、エサ志向の開発の計画が上がりまして、確かこの辺りに海洋丸沈んでたよねというような認識がエサ志の人にはあったので、一度海底の調査というのは行われているんですね。 でも大体20点ほどの遺物、海洋丸のものが見つかって引き上げて、もうこれ以上は残っていないという判断で、今防波堤を作ることになったんです。 ただ防波堤が作られた後も、当時教育委員会の教育長だった石橋富次郎という人が、やっぱりまだ海底に海洋丸のものが残っているんじゃないかということで、しかもそれが遺跡になるんじゃないかというような認識の中で、もう一度海底を調査したところ、 多くの大砲だったり船体の一部と思われる木材というものが発見されたんですね。その翌年の昭和50年からは、国内で初めての試みとなる海底の発掘調査というものが行われました。 その発掘調査では大体約3万3千点の遺物を引き上げまして、武器だったり船体の一部、船具だったり生活用品だったりという様々なものが引き上げられています。 海底考古学でしたっけ? すごいですね。3万3千点のボリューム感がすごいボリュームだなというふうに思いますけれども、大変な発見というか大変な作業だったんでしょうね。 そうですね。先ほども紹介しましたように国内では初めての試みだったということで、発掘の作業も試行錯誤であったり、 海底にものが100年以上あったということでそのもの、遺物自体に塩分が含まれてしまうんですね。 それを引き上げてそのままにしておくと劣化が進行してしまうので、まず塩を抜く作業、脱塩処理というような作業をした後、 劣化が進行しにくくなるような薬品を塗布する保存処理というような工程もありました。 そういった保存化学という学問でも海底から引き上げられたものの学問というのも初めての試みでした。 なるほど。次のチャプターでその続きも聞いてみたいと思います。 # 小峰学芸員さまは、海に潜って調査も重ねられています。本当に学芸員の仕事って幅広いですね! そしてその膨大な数の引き上げられた文化遺産にもなるわけですよね。 戦争の遺物とか海洋丸の遺物を、現在は復元された海洋丸で展示されているかと思うんですけれども、その復元自体もものすごいプロジェクトですね。 そうですね。この船の形をした展示施設を作って、今展示をしているんですけれども、33,000点のうち一部を展示しています。 この船の形の施設もオランダに残っていた海洋丸の設計図を元にして実寸大で復元をしています。 実寸大なのですね。 中身は大分展示しやすいように、公開しやすいようにアレンジはしているんですけれども、大きさとしては同じ大きさで作っています。 そうなんですね。この江差市の街を訪れて、海岸線で私たちも車で近づいてきたら、一番に目に入ったのがオレンジ色の屋根と船なんですけれども、やっぱりシンボル的な感じになっていますよね、江差市で。 開館してどれくらいになりますか? 平成2年に開館をしたので、大体35年ほど経っています。 きっと多くの方が訪れていらっしゃるんでしょうね。 そうですね。何万人か分かりますか? 累計。 たくさんの方が訪れてきていただいて。 国民芸学芸員様は、現在異物の調査なんかもされていて、実際に海にも潜られたって私は伺ったんですけれども、本当ですか? そうですね。 実は昭和50年代の発掘調査で遺跡になっている場所、その海底に今も海洋丸の船体の一部が海底で保存されているんですね。 海底で保存されているんですね。 大体18メートル×12メートルほどの大きさなんですけれども、昭和50年代当時では引き上げも困難で、脱縁処理・保存処理も大変だ。 さらに保管するスペースが確保できないということで、引き上げるより海底で保存した方が物を残しておける、放生に残しておけるという判断で、同性の網をかけて保存をしたんですね。 初めて聞きました。その展示はちょっと見れないですもんね。 なので、今まさに私が実際に潜って調査しているのは、保存状況を確認することと、写真を撮影して3Dモデルを作るというような取り組みをしています。 18メートル×12メートルを一度にモデルを作るのはちょっと大変なので、一部ずつ撮影をしてモデルを作って、パッチワークのようにつなぎ合わせて、 数年後、数十年後には海底にある船体の一部がどういうような状況でどのくらいの大きさなのかっていうのを、誰もが見ることができるようにするという取り組みを行っています。 すごいですね。でも私すごいふに落ちたのは、引き上げられたシャフトの一部とかが展示されていると思うんですね。 船体の外の部分に、引き上げて曲がったようなシャフトが展示されてあると思うんですけれど、あれは全部を引き上げた後に、あの一部分を展示しているわけじゃなくて、あれは引き上げられたけれども、他に引き上げられなかったものがあるんですね。 一応、引き上げられるものは全て引き上げたというふうにしていますが、もしかしたらまだ優しくを近海にはあるのかもしれませんが、ちょっとよく分かっていない。 今私たちがやっている調査としては、その船体をしっかり洪水に残していくために、保存をしていくというような取り組みの中で行っている調査です。 すごい今日、新しくそのお話を聞いて、すごいことに取り組まれているんだなというふうに思いました。 貴重なお話ありがとうございます。 そして、この海洋丸なんですけれども、来年一時休館されるというお話を伺っているんですけれども、これは何のための休館で、その後どういったことを目指していらっしゃるんでしょうか。 そうですね、今年の10月末まで営業しまして、11月から休館に入ります。 その理由としては、この今管理棟で使っているオレンジ色の屋根の施設を道の駅に作り替えるというような計画がありまして、 実は船の電気系統だったりっていうのは、この管理棟の方から供給をしているので、建替えにあたって電気棟が使えないというところで、一時休館というような形になります。 再開はどれくらいやったんですか。 再開はちょっと今のところ未定なんですけれども、そういった全体的な計画の中で、この船の中のリニューアルもしていきたいなというような話も出てきています。 なんかいろいろ楽しみになる話題がいっぱいあるんだよね。 はい、この辺り一帯海洋丸のリニューアルを予定しています。ただ、ちょっと時期は未定なんですけど。 じゃあ、今の姿の海洋丸展示を見ようと思ったら、秋までに来ないといけないんですね。 そうですね、10月末までに見に来ていただければと思います。 他にも江差市町の魅力だったりだとかありますか。おすすめポイント。 グルメはこれがあるよとか、お土産はこれを買っていってとか、景色はこれがきれいとか。 やっぱり海洋丸が江差市に来た理由、目的としては、当時江戸時代、北前船の貢献で栄えていた港町、経済の中心地だったので、 そういった港町だったり、松下の家というものが今でもこの江差市に残っていたりします。 そういった国の重要文化財になっている旧中村家住宅というのも展示施設として公開していますし、 当時から使っている、当時のメインストリート、イニシエ街道というところも、 当時の情景が、雰囲気が味わえるような作りになっているので、 そういった北前船の貢献というものを感じていただければなと思います。 最近は、日本遺産の認定で活用、授業ということで、日清料理に関するグルメだったりというところも力を入れているので、 そういうところも注目していただければと思います。 これからに向けて、すごく魅力が爆発していきそうな江差市の街ですね。 新選組ファンの人も、一度は道南巡りしてみたいという人がすごく多くてですね。 江差市も、あ、海洋丸の場所だよね、皆さんご存知なので、皆さんきっと訪れたいと思うんですが、 休館前にぜひ一度、そして何年かしたら休館後にもまた一度江差市に訪れてほしいですね。 今日は本当に貴重なお話ありがとうございました。 ありがとうございました。 # インタビューを終えて はい、いかがでしたでしょうか。 道南特集最後のインタビューでしたけれども、 皆さま、道南をレンタカー旅行する際には、 大体ですね、1日は函館出発して松前城を訪ねて、 松前城を見た後に江左市に向かわれるかと思います。 江左市の港町に近づきますと、 原寸大で復元されている海峡丸と、 青少年記念センターのオレンジの屋根が、 非常によく目に入ってくるかと思うんですけれども、 その海峡丸に関して貴重なお話を数々伺いました。 また、学芸員さんで潜水士の資格まで取られて、 今は海底の調査まで行っているということで、 私は学芸員さんの仕事って本当に幅広いなというふうに思いました。 歴史も本当に高校から始まって、 縄文が専門ですという方もいれば、 中世の文章をたくさん読んでますという方もいらっしゃいますし、 近世の江戸関係の幕末が専門ですという学芸員さんもいらっしゃいますし、 本当に学芸員さん幅広いですね。 あとは自然科学ですとか、いろんな分野ありますもんね。 そして海峡丸記念館が今年の秋11月から一時休館に入るということで、 また改装してパワーアップされてすごく魅力的になって、 数年後に戻っていらっしゃるんだと思いますけれども、 ぜひぜひ現在の展示も体験展示ですごく面白いですから、 この夏道南に旅行に行こうかなと思っている際は、 餌市町を訪れてみてはいかがでしょうか。 最後まで聞いてくださりありがとうございます。 またひじかたとしそうしおかんチャンネル聞きにいらしてくださいね。 それではまた。さようなら。 もっと見る #江差 #開陽丸 #水中考古学 土方歳三資料館チャンネルプレミアム放送配信中!00:451.はじめに09:582.松前城攻略成功後、江差まで陣をすすめた土方軍。江差での開陽丸沈没の顛末などを聞きました!08:063.小峰学芸員さまは、海に潜って調査も重ねられています。本当に学芸員の仕事って幅広いですね!02:014.インタビューを終えてコメント感想・質問・応援メッセージを書こう しんはー2025年8月12日開陽丸の展示は2回ほど拝見しましたが、今回の小峰学芸員さまのお話を伺ってもう一度じっくり見てみたくなりました。潜水士の資格は、取るのもなかなかハードだと聞いたことがあります。危険と隣り合わせの海中調査、サラリと語られていらっしゃいますが、石橋先生や小峰学芸員さまはじめ、研究者の方々の情熱と、地道な努力を継続される静かなエネルギーに改めて圧倒される思いです。2返信 土方愛(土方歳三資料館)2025年8月13日しんはーさん、こんにちは。学芸員さんも専門分野により、活動内容が大きく異なることを実感しました。海中でのデータを積み上げ、多くの人に3D開陽丸を公開しようと地道に努力されておられる姿に、私も感動いたしました。開陽丸、これからも応援したいですね!2
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潜水士の資格は、取るのもなかなかハードだと聞いたことがあります。危険と隣り合わせの海中調査、サラリと語られていらっしゃいますが、石橋先生や小峰学芸員さまはじめ、研究者の方々の情熱と、地道な努力を継続される静かなエネルギーに改めて圧倒される思いです。
学芸員さんも専門分野により、活動内容が大きく異なることを実感しました。海中でのデータを積み上げ、多くの人に3D開陽丸を公開しようと地道に努力されておられる姿に、私も感動いたしました。開陽丸、これからも応援したいですね!