TOPハウツー・学習歴史土方歳三資料館チャンネル【336】忠臣蔵ゆかりの寺を訪ねて(京都山科)10:06 2025年11月30日 198再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次京都山科、忠臣蔵ゆかりの地へ大石内蔵助の足跡と赤穂事件赤穂浪士47士、決断と秘策の舞台裏新選組が憧れた「忠義」とは何か?戦勝祈願に散った鎖帷子と人の願いAI文字起こし(β版) # 忠臣蔵ゆかりのお寺、岩屋寺を参詣しました みなさん、こんにちは。ひじかた都市蔵資料館のひじかたです。 今日は京都に行ってまいりまして、紅葉真っ盛りの京都で、今まで行ったことのなかった中心蔵ゆかりのお寺を訪ねましたので、そちらのことをご紹介してみたいと思います。 今度はイサミさん、はじめ新選組の大使たちも憧れた、あこう老子たち、一体どんなお寺なのか、ゆるっと聞いていってください。 # 忠臣蔵は新選組にとってはヒーローでした。仇討も当時はあっぱれの正義とされた時代。近藤土方は、彼らをどう見ていたのでしょうね。 さて、私が訪ねたのは、京都のJR東西線なども通っている便利な駅ですが、山品駅からタクシーで10分、15分くらいですかね、行きました。 3000円かからないくらいだったと思います。 こちらにあります、小高い山の上のお寺で、岩屋寺、岩の屋敷の屋にお寺と書いて岩屋寺さんを訪ねて参りました。 こちらのお寺は別名、大石寺とも呼ばれていまして、そうです。 大石倉之助が、元禄14年、3月14日、1701年ですね、江戸城の松の廊下で、平小助之助に切りかかって殺傷沙汰になって、その後隠居した、その屋敷が建てられていた場所にあるお寺になります。 私は、大石倉之助、または赤尾老子たちの中心蔵の物語といいますと、イコールで神仙組が憧れていた義士たちというイメージしかなかったんですね。 今回はですね、大石倉之助、ゆかりの品々もお寺に展示されているコーナーがありまして、いろいろと見せていただきましたので、よく中心蔵のことがわかりまして、またすごく興味が湧きました。 お寺は、本当にアクセスが京都の市中の中央の方ではないので、アクセスがあまり良くないこともあるのか、とても静かな環境にありまして、落ち着いた中で、今本当に紅葉真っ盛りでしたので、紅葉を眺めることがまずはできました。 境内のところには竹で段々な模様をかたどった柵が置かれていたり、赤尾老子の気配がすごく伺えるような山内になっております。 今回はご住職様にお茶室を特別に開けていただきまして、お茶室の窓から山内の紅葉もみじを見下ろすような景色になるんですけれども、見事な景色だからということで見せていただきまして、すごく素敵でしたね。 お参りをさせていただいた後に、大石倉之助記念館という展示室が2室3室とありまして、見せていただくことができました。 大石倉之助というのは山支那に隠れ住むようにして、主君であった朝野巧みの神がですね、平小助之助に切りかかって、それで朝野家は断絶してしまった。 そして巧みの神も自分のお殿様も切腹させられた。それに反して、平小助之助の方は手迎えしなかったから、もうお咎めなしっていうことで、通常当時の常識ですと喧嘩両成敗ってなるところを一方的に朝野家だけが断絶になったということで、仇討ちの機会を狙っているんですね。 その山支那にいるところに、仇討ちに私も参加したいです、私も納得いかないですっていうような家臣たちがたくさん集まってくるんですが、150名ぐらいそういう同志がいたそうなんですけれども、最初は突っ返すそうなんです。 それでも私参加したいんです、私も気持ち同じなんですって2回来た人だけを残した。それが四十七死なんですけれども、やっぱりその時は中途半端な覚悟で、大勢の同志でいくと情報が漏れたりだとか、やっぱり途中で片手打ちになってしまうことがあるから、 だから人生に人生を重ねて本気度の高い人だけを精鋭部隊を作ったっていうようなことだったりだとか、やっぱり仇討ちにも京都の方から行くわけで、すごい移動とか準備とかにもお金がかかりますよね。 今の値段にするとだいたい8000万円ぐらい目安ですけれども、それぐらいがかかるっていうことで、念入りに準備を進めてそれで喜良邸への打ち入りをしただとか、喜良邸への打ち入りも家臣団をうまく避けて、喜良邸の家臣団と刃を交えているうちにお殿様が逃げてしまわないように、 もう免疫な作戦を立てた上で打ち入りをした話だとか、いろいろ伺いまして、なんかすごく大きなドラマだったんだろうなというふうに思いました。 で、この仇討ちですけれども、最後はね、あのみなさん、喜良浩介之助の首を墓前に捧げて、仇討ちが終わったことを亡き主君に報告するわけですよね。それが品川の宣学寺ですけれども。 で、その後、義士たちは家臣の細川家、松平家、茂利家、水野家の4家に分かれてお預けとなりましたけれども、結局ね、御沙汰が下って、みんな切腹しなさいということで、みなさん宣学寺に葬られるというような天末なんですけれども、 その中にいろんなドラマがあって、その仇討ちになるまでにも約1年半以上ですかね、非常にすごい時が流れていたりだとかして、大変なことだったんだろうなと思いますが、その後も中心蔵の物語っていうのは歌舞伎で演じられたり、物語として江戸時代大変有名になりました。 江戸時代っていうのは裸打ちっていうのが正義なんですよね。今だったらもう暴力として、そんなの認められない殺生沙汰なんていうのはもう絶対に悪だっていうような常識ですけれども、当時はその主君のために忠義を尽くすっていうのがやっぱり善っていう風にされている、正義っていう風にされています。 ですので、それを象徴した出来事だったんでしょうか。江戸時代ではもう大ヒーローになっていました。忠義の象徴ですね。 近藤勲さんたちは、新選組を結成した時に、段奈良羽織を作成していますけれども、その袖にかたどられたギザギザの段奈良模様ですね。これは赤尾老子たちから取ったと言われていますし、この誠の字を掲げたのも忠義を象徴する一文字だったから、 正中の正、正中誠の忠義の誠という字を取って旗印にしたなんていう話も、ちょっとね、諸説はありますけれども伝わっているところでして、間違いなく近藤勲さん、そして豊洲さんも含めてですね、赤尾老子たちは、もう彼らが生まれた頃には150年近く前のね、あの人物ですけど、出来事ですけれども、 もう、赤尾老子たちは彼らの大ヒーローだったっていうことがわかるかと思います。そんなことで、今回、京都山品の岩八さんを訪ねたことで、新選組の大使たちが目指した忠義とはどういうものだったのかっていうことを深く考えさせられました。 そういった精神性がきっと、まあ、現代にまでつながって形を変えながら引き継がれているんだとは思いますが、一つ最後に印象に残った展示品をご紹介いたしますと、大石倉之助の武具なんかたくさん展示してあるわけですけれども、その中に大石倉之助が着想したと呼ばれている鎖肩びらの鎖地っていうのがまとめて3本において展示されていました。 もう少し錆びもきていて、時代を経ているなっていうのを感じさせましたけれども、それ、なんで鎖地だけが展示されているかと言いますと、第二次世界大戦の頃ですね、皆さん出生されるときに、自分の身を守ってくれるように、戦勝祈願として、その鎖地の小さな鉄の輪っかの一つ一つを外して持っていった、持ち去っていったというか、持っていったから、その鎖地も部分的なものになって残っているんです。 っていうような説明を受けまして、ああ、なるほどなって思いましたね。 時代とともに、その時の正義とされるもの、また良し悪しとされるものはだんだんと変わっていきますけれども、根底にある誰かを思う気持ちだとか、自分を支えてくれるだろうっていうような願いだとか、そういった精神性はきっと根本に同じものが引き継がれているんではないかなというふうに感じた岩屋知の訪問でした。 そんなことで、最後まで聞いてくださりありがとうございます。またこのひじかたとしぞう資料館チャンネルに聞きにいらしてくださいね。それではまた。さようなら。 もっと見る #大石内蔵助 #岩屋寺 #新選組 #忠臣蔵 土方歳三資料館チャンネルプレミアム放送配信中!00:281.忠臣蔵ゆかりのお寺、岩屋寺を参詣しましたhttps://map.yahoo.co.jp/v3/place/-4vNDMV41jg?fr=sydd_p-localspot-leisure-header_ls-ttl&from_srv=search_web09:382.忠臣蔵は新選組にとってはヒーローでした。仇討も当時はあっぱれの正義とされた時代。近藤土方は、彼らをどう見ていたのでしょうね。コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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