TOPハウツー・学習歴史土方歳三資料館チャンネル【346】2月8日のちの新選組メンバー、京都に向け江戸を出立08:51 2月8日 246再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次新選組前身「浪士組」発案の裏側新選組幹部たちの江戸出立準備16日間の長旅、京への過酷な道のり後の新選組を築く幹部たちの初期編成京都へ向かう旅が秘めた大きな意味AI文字起こし(β版) # はじめに ・263年→163年前です!間違えました🙇 みなさん、こんにちは。ひじかた都市蔵資料館のひじかたです。 今日は2月の8日、今から263年前に新選組の元となる老子組が結成されて、江戸の伝追尾を出発して京都に向かったその記念すべき新選組の第一歩の日となります。 今日は、その老子組ってなんで結成されたのか、そしてその旅の始まりまでの様子などをお伝えしていこうかと思います。 みなさんも聞いたことがある新選組の近藤勲、ひじかた都市蔵といった名前も出てまいります。 ゆるっと聞いていてください。 # なぜ浪士組が発案されたのか?参加したメンバーは?江戸から京都まで約530k、16日間に及ぶ旅のはじまりなどをお話しています。 老子組が電通院を出発したのは、文久3年、2月8日、1863年ですから、今から263年前のことになります。 江戸から京都までというのが、だいたい530キロくらいの道のりになりますので、それだけの長い道のりを徒歩で16日かけて踏破したという長い長い旅でした。 そもそもですね、老子組ってどうして企画された、どうして結成されたのかというお話をしていこうかと思います。 文久3年、1863年にもともと第十四代将軍の家持公の御上落が決まっていたんですね。 ただし、その頃の京都や大阪というのは、いろいろな国から集まってきた諸国の老子たちが天柱という名の殺戮を繰り返しておりまして、そういったことで町の治安が非常に良くなかったんですね。 将軍様がいらっしゃるのに、これではいかんということになりまして、そこで幕府公認の下、広く一般から老子を募集して、京都の町の治安維持活動を行って、将軍がお越しになっても良いように町を整えようというふうに提案しましたのが、 ではの組、庄内の合志でした清川八郎でした。これが文久2年の12月8日には、前年の暮れですね、老子組結成案というのが幕府で正式に決定されています。 で、その後かなりバタバタというふうに募集がかけられたんだとは思いますが、その老子募集に応じたのが、天然利伸流4代目宗教を継いでいた近藤勇先生率いる師英館という道場の門人メンバーでした。もちろんその中に、都市総裁も入っていたわけです。 12月の8日に老子組が結成、正式決定となっておりまして、そこから1ヶ月もしないうち1月の15日には近藤勇さん、都市総裁さんは親戚にですね、部符を借りに行ったりして部符を集めているんですね。ということは出発の準備をもう始めております。 かなりバタバタと決まった、そして志同じくみんなが一つになって準備をしていたんだろうなというふうに思われます。 これはですね、他にも少し資料がありまして、親戚の町田の小野寺村というところの名主さん、小島家ですけれども、そちらの門所にですね、近藤勇さんが書いたお手紙を移したという資料が残っておりまして、そこには誰が、この多摩近辺の誰が老子組に参加予定かというのが書き連ねてあるんですね。 その中に、部首石田村からは肘方俊三、そして部首の日野塾からは井上玄三郎、他にもね、あの名前書いてありますけれども、もらったところだけ申し上げております。 そして江戸の市衛館道場のある場所ですね、そこからは山南圭介さん、そして沖田壮司、近藤勇、道場主ですよね、の名前が書いてありますので、 よくね、俊三さんは親戚の佐藤家によく出入りをしていて、日野塾の方にもほぼ住んでいたというようなことをおっしゃるガイドさんとかね、作家さんとかいらっしゃるんですけれども、 当時のいろいろな記録を見ますと、俊三はあくまでこの石田村の出身、そして井上玄三郎さんは日野塾の出身、そして出稽古に来ていた近藤勇先生は市衛館道場の出というふうに、 執事がこういうふうに皆の認識の間ではっきりしていたということがわかりますので、他にもね、親戚の中では佐藤家のほかにも婚姻にしていた親戚、近田家ですとか平家ですとか、あとはその小野寺の方の橋本家ですとか何家もありましたので、 佐藤家もとても距離的にも近かったので、近しい親戚の一つということに過ぎないのかなというふうに申し添えておきます。 そしてですね、そういった志のあるメンバー、市衛館メンバーが集まって、彼らはですね、集合をここにしてくださいという指定のあった、現在の文京区小石川にあります伝通院というお寺に集まります。 そのお寺の境内に集合して、2月の8日に出発の前に、2月の5日にはこの旅の道中の心得と旅の組の編成、かなりの大人数でしたので、そういった道中の心得と旅の組編成を言い渡されて、 そしてその後8日に出発して、中千道途中通りまして、16日間の旅を終えて、2月の23日は京都に着くという、約530キロにも及ぶ旅をしております。 具体的なその市衛館メンバー、どんなメンバーがね、旅の仲間にはいたかと言いますと、近藤勲先生をはじめ、先ほども申し上げました山並圭介、喜次方俊三、長倉新八、沖田草治、東藤平介、原田佐之介、井上健三郎、他にも皆さんが知っているような大使のメンバーの名前もありますけれども、 芹澤鴨さんの一派も一緒の旅をしております。ニトロウシたちですね。そういった名前を聞いていても、これってもう後の新選組の編成の中での1番隊から10番隊の組長たち、つまりもうこの幹部メンバーだということがわかります。 新選組の幹部たちって、ほとんどこの時の初期の老子組募集に応じた上落組の面々なんですね。 その後、京都に行って新選組という組織になって、それから大体200人以上くらいですかね、最大規模の時は。大きな組になったんですけれども、組織が大きくなっても、この重要な役っていうのは、最初の今日の治安維持に努めて、将軍の役に立って、天使様の役に立ちたいっていう最初の志を共有したメンバーたちが務めているということになります。 それだけこの最初の上落の旅っていうのは、近藤勲先生始め、この支援官メンバーたちには、とても思い出深いものだったのではないでしょうか。 今日は、2月8日、京に向けて出発した近藤勲、肘方俊三、井上玄三郎、沖田宗次ら、後の新選組メンバーの旅の始まりについてお話ししました。 道中の旅の様子だとか、京都についてからのことは、またこの後続編にてお話ししていきます。 ぜひこの肘方俊三資料館チャンネルをフォローして、更新の通知を受け取ってください。 また、いいねやコメントもお待ちしております。 それではまたこの肘方俊三資料館チャンネルでお会いしましょう。さようなら。 もっと見る #土方歳三 #新選組 #近藤勇 #浪士組 #清河八郎 #試衛館 土方歳三資料館チャンネルプレミアム放送配信中!00:421.はじめに ・263年→163年前です!間違えました🙇08:092.なぜ浪士組が発案されたのか?参加したメンバーは?江戸から京都まで約530k、16日間に及ぶ旅のはじまりなどをお話しています。コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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