TOPハウツー・学習歴史聞き流す歴史チャンネル/Podcastヴェルサイユ宮殿で成立したドイツ帝国【世界史】#18014:13 2024年3月8日 145再生 問題を報告する 再生する シェアする #歴史#世界史#ウェストファリア条約#ビスマルクAI目次中世ドイツの諸連邦と新生ローマ帝国の姿とは?三十年戦争とウエストファリア条約の影響とは?ナポレオン支配とドイツ民族意識の覚醒とは?三月革命とドイツ統一への動き、オーストリアとプロイセンの対立とは?ビスマルクと普仏戦争、ベルサイユ宮殿でのドイツ帝国成立の経緯とは?AI文字起こし(β版) # マオです。今回は、ベルサイユ宮殿で成立したドイツ帝国というタイトルでお届けをしていきます。 もともと、中世以来のドイツはどういったものだったのかというところからお話ができればと思うんですけれども、 当時は、新生ローマ帝国が諸連邦を束ねているというような状態でした。 どういうことかというと、新生ローマ帝国というまとまりがあって、 その中に、いろいろ小さい諸連邦がたくさんあったという状況なんですよね。 イメージでいうと、江戸時代の日本が感覚的には近いのかなと、 ちょっと語弊があったら申し訳ないですけど、イメージとしては近しいものがあって、 江戸時代の日本って、いろんな何々藩というような形で、 日本国内でたくさんの藩があるけれども、それぞれの藩はそれぞれの法律があって、 それぞれの藩には大名がいて、その大名が藩を支配しているという、 言ってしまえば藩が国のようなイメージなんですけれども、 でもその藩たちをまとめている江戸幕府がいるみたいな。 その藩たちのトップが江戸幕府みたいな。 そういったイメージなんですけど、それと似ているような感じですね。 それぞれの連邦が国ではあるようなイメージなんですけど、 それらをまとめているのが新生ローマ帝国というような状況でした。 当時のローマ帝国の行程は、度重なる遠征ですね。 特にイタリアは多かったそうなんですけど、遠征ですとか、 あとは遠征まで行かなくても他国に干渉したりとか、 そういったことばっかりに気を取られていて、 国内の統一をないがしろにしていたんですよね。 なのでなかなかドイツという一つのまとまりという状況ではなかったというようなところです。 そんな中ですね、1648年に宗教戦争である三十年戦争というのが起こりまして、 この三十年戦争を簡単に説明させてもらうと、 カトリックとプロテスタントですね。 キリスト教の中に大きな派閥が二つありますけれども、 カトリックとプロテスタントのそれぞれの人々が、 自分たちの方が正しいんだというのを主張し合って戦争をするというのがこの三十年戦争で、 その結果こういうふうに和解しましょうというような形で条約が結ばれるんですよね。 それがウエストファリア条約というものなんですよ。 この三十年戦争がカトリック側の国とプロテスタント側の国が当時あったので、 それぞれの国同士で戦争になっていたり、それがいろんな地域を巻き込んでいって大戦争だったんですよね。 なのでこういった形で条約が結ばれて戦争が終わるという結末だったんですけれども、 このウエストファリア条約でですね、ドイツの諸連邦の独立というものが認められて、 新生ローマ帝国というのは事実上解体することになりました。 だからさっきの例えで言うと、日本で言ったらそれぞれの藩が独立というものを勝ち取って、 江戸幕府が事実上解体みたいな、そんなイメージですね。 そういった状況だったんですけれども、そんな中ですね、ナポレオンが登場してくるんですよね。 これによってですね、大きく変化をするきっかけを得ます。 1806年にナポレオンはですね、すごく戦争が強くて、フランスの軍人なんですけど、 ナポレオンがすごく強くて、ドイツ諸連邦を屈服させていくんですよね。倒していくんですよ。 その結果ですね、先ほどは事実上の解体でしたけど、完全に新生ローマ帝国というものは消滅してしまいまして、 フランスの支配下に入ってしまうみたいな、そういった状況でした。 そのナポレオンの政治化も始まっていくことになるんですけれども、 このナポレオンの支配下で行われた自由主義改革というものが、ドイツの民族意識を呼び覚ますことになるんですよね。 言ってしまえばナポレオンはフランスの人ですから、そのナポレオンに指示をされて、 言うことを聞かなきゃいけないという状況が生まれるわけですよ、ドイツの人たちからしたら。 それはちょっと納得ができないわけですよ。自分たちがナポレオンに負けたけれども、納得がいくものではないですよね。 そんな中で、もともと新生ローマ帝国の時代の時は諸連邦でバラバラだったけれども、 ここはドイツという一つの国としてまとまっていくべきなんじゃないかみたいな、そういった民族意識が少しずつ生まれていくというようなところです。 その統一の機運というものがすごく高まっていくという出来事もございまして、 1848年にドイツで三月革命というものが発生するんですね。 この三月革命って何かというと、もともとフランスで二月革命というのがあって、 これがドイツに波及していって、ドイツでは三月革命と呼ばれているんですけど、 この革命によって特にまた統一の機運が高まっていくんですね。 ドイツ一つになろうよという気持ちが高まっていってというところもあったんですが、 その統一しましょうという風になっていく中で、隣の国にオーストリアという国があるんですね。 当時はすごく存在感がある国で非常に強い国だったんですけど、 このオーストリアが統一を主導していくか、 あとはプロイセンというドイツの一部なんですけど、 このプロイセンが統一を主導していくかどうするというところの中で大熱が生まれるわけなんですよ。 オーストリアも言ってしまえば隣の国と言っちゃいましたけど、 一部この時ドイツなんですよね。 今はカッチリオーストリアという国とドイツという国で分かれていますけど、 この時ってオーストリアの一部が言ってしまえばシンセイローマ帝国の一部だったので、 オーストリアが一つにまとめるか、プロイセンが一つにまとめるかというところで争って、 その結果そこの二つで争っていたら結局一つにならなきゃいけないのに争っていますから、 このままじゃ統一ができませんねというところで、その革命の勢いが加工していくというようなところで、 なかなか一つになりきれないという状況が続いていくんですね。 そんな中、ディスマルクという人物が登場するんですよ。 彼は先ほど出てきたプロイセンの人物で、プロイセンの首相になるんですね。 1862年に首相になりまして、彼は福国強兵策をとると。 とにかく強くなければならないと。 明治政府の時の日本も福国強兵とやっていましたけど、同じですよね。 ディスマルクが言ったのは隣の国であるフランスこそがドイツ統一の最大の敵だと考えるんですよね。 その考えも一理あるかなと思うんですけど、 もともとフランスで起こっていた革命がドイツに波及してきてみたいなところとか、 あとはナポレオンに新生ローマ帝国がごちゃごちゃにされたりとか、 そういうようなところでいろいろとフランスには迷惑をかけられているみたいなところもあるので、 そういったところでフランスこそが敵だというように定めて。 1870年にディスマルクは当時のフランスの皇帝だったナポレオン三世を挑発して不服戦争を起こすんですね。 普通の風がプロイセンを指していますので、プロイセンとフランスの戦争ですね。 ディスマルクの頭の中にはフランスを倒してその後ドイツを統一したいというシナリオが出来上がっていたので、 本当に綿密に準備をしていたわけですよ。 どうやったらフランスを倒せるかという、こういう風に攻めていって、 この段階でこういう風な敵が出てきたらこういう風に反撃してみたいな、 本当に緻密にプランを練っていたことで、プロイセンはフランスに勝利するんですね。勝ちまして。 翌年ですね、ベルサイユ宮殿、フランスのベルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言されるというようなところでございます。 だからベルサイユ宮殿で成立したドイツ帝国というのは、ちょっとタイトルの冒頭で申し上げましたけど、 フランスのベルサイユ宮殿でなんで他国のドイツ帝国が成立するんだという、ちょっと不思議な話だなと思っていたと思うんですけど、 そういうことだったんですよね。 フランスに勝って条約を結ぶ中で、その中でドイツ帝国というのが成立が宣言されるというか認められるというか、 ディスマルクが後にドイツを一つにしていくきっかけを作るわけで、 というところで、なんでフランスでドイツが生まれたんだというのは、歴史があるかというところでございます。 ということでいかがだったでしょうか。 それでは、はい。 雑談時間なんですけれども、 そうですね、最近貸しつけを買いまして、結構いいやつを買いまして、つけてるんですけど、 それまで質度がすごく低くて、肌がカサカサみたいなところがあったんですけど、 つけてね、1日中最近ずっとつけてるんで、すごく質度があって快適だなというところですね。 質度ってどうなんですかね。何パーセントぐらいが一番適しているパーセンテージなのかがちょっとよくわかってなくて、 今見たら質度が70パーセントぐらいあるんですけど、ちょっとやりすぎなのかなと思ってるんですけど、どうなんですかね。 そういうのが詳しい人がいらっしゃったら教えていただければと思います。 自分で調べろって話だと思うんですけどね。 っていう感想でした。 次回ですね、 先進資本主義の国が帝国主義に変わった理由とは、というタイトルでお届けをしていきます。 要は帝国主義ですね。皆さんご存知のワードかなと思うんですけど、 その帝国主義に何でなっていったのかという根本のところですね。 そこをお話しができればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。 このチャンネルでは、元高校教師が気軽に楽しく学校の勉強に触れてほしいという思いでしゃべっておりますので、次回の放送もぜひ聞きに来てください。 それでは今回は以上になります。最後まで聞いていただいてありがとうございました。 バイバーイ。 もっと見る聞き流す歴史チャンネル/Podcastまお14:131.ヴェルサイユ宮殿で成立したドイツ帝国【世界史】#180https://podcasters.spotify.com/pod/show/kiku_rekishi/episodes/180-e2giuvkコメント感想・質問・応援メッセージを書こう ゲム5月8日もう少しBGMの音量を小さくしていただけると、聞きやすいです1返信 まお7月31日ご指摘ありがとうございます!今後の放送で小さくしてみますね!
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今後の放送で小さくしてみますね!