TOPトーククリエイター水谷アスの気づきのタネまきチャンネル#186 【読書】『この人は、手足がないのに何でこんな幸せそうに笑ってるの?』19:35 2024年2月24日 661再生 問題を報告する 再生する シェアする 乙武洋匡さん「五体不満足」 https://amzn.to/3OZIYBv読んで感じたことを話しています。20年以上前の本なのに、障害をどのように捉えるかについての本質って変わってないんだな、と。もっと読むAI目次幸せな笑顔の秘訣とは?「特徴」を「特長」に変える力発達障害と向き合うヒント個性と使命の発見自分らしさを受け入れる大切さAI文字起こし(β版) # 自分に無いことが『特徴』ではなく『特長』であると言える自信 おはようございます。水谷アスです。 このチャンネルは、何かと変わり者と言われてきた私の頭の中を言語化することで、 聞いてくださった方に新しい価値観の芽が芽吹くようなお話ができたらいいなと思いながら放送しております。 今日のお話は、音武博太田さんの五体不満足を読んでのお話をしてみたいなと思っているんですけども、 タイトルにした言葉がですね、うちの娘が私がこの本を読んでいる時に私に尋ねてきた言葉だったんですよね。 この五体不満足の表紙は、両手足がない音武博太田さんが電動車椅子に乗っても、 すごい笑顔でこちらをニコッと見ている写真が表紙になっているんですけど、 それを見た時、やっぱり子供はびっくりしたんですね。 何この人って、手とか足がないじゃんみたいなことを言ってびっくりしてたんですよ。 下の子が、この人は両手足がないでしょ。だからかわいそうでしょ。 なのに、どうしてこの人はこんなに幸せそうに笑っているの?というふうに聞いてきたんですよ。 それで私はね、この本を読む前だったらこの質問ね、たぶん上手に答えられなかったと思うんですね。 これはまあ、あくまでも本の書籍の表紙だからいい笑顔を作ったんじゃないかとかね、 なんかそういうようなことを下手したら言ったかもしれないんですけど、 この本をね、もう結構8割ぐらい読んでからその質問されたので、私はそれに対して答えられる言葉っていうのがあって、 その言葉っていうのが、この人はこの手足がないことを自分で不幸だと思っていないからじゃないかなっていうようなことをね、私が言ったんですよね。 本当にそういうふうに思わせてくれるような内容だったんですよ。 で、その下の子がね、そんなわけないじゃんみたいにね、やっぱり言ったんですよ。 手と足なかったら絶対大変じゃん、もう悲しいじゃん、かわいそうじゃんみたいに言うんだけど、そうじゃないんだよって。 この本を読むとそういう気持ちになるんですよね。 それでなんとなくなんですけど、その子供がね、本当に純粋に疑問に思ってこうやって聞いてきた、 その手足がないのになんで幸せそうに笑えるのって聞くってことは、 あの旗から見ると手足がないことっていうのは不幸なことに見えるっていうことではあって、 でもそれをそうじゃないって覆せる発信みたいなものってすごく大きいなというふうに思ったんですよね。 で、この本ってもう結構前に出たされた本で、何年前だっけ、1998年って書いてますね。 に書いてる本なので、もう本当に20年以上前なんですけど、今読んでも全然、 というか20年経っても、20年以上経ってもこの価値観が変わっていなかったんだなと残念に思うぐらいですね。 すごい今の現代にめちゃくちゃ必要なことがいっぱい書いてあって、 特にその私みたいに発達障害というものを持って、その障害を持った人生とか、 そういうのに向き合う人とか、もしくはその発達障害のある子供を育てている親御さんとかは、 ぜひこれね、読んだことないなら一度読んでみてほしいなと私は思っております。 障害っていうものが、あくまでも自分の時空次第で全然不幸じゃないものになるのかもしれないなっていう可能性というか希望のようなものを私は感じました。 それでやっぱり乙武さんもこの最後の祭りの方でね、障害者を作り出すのはあくまで環境であるようなことは言っていて、 これってもう今、障害がある人と一緒に過ごす中ですごく大事なこととして今もずっと言われていることなので、 やっぱりそれって昔からずっと変わらない事実なんだなというふうに思います。 ちょっと前の回でね、この乙武さんの本の話をちらっとしたんですけど、 その分かりやすい障害と分かりにくい障害だったら分かりやすい障害の人の方がいっぱい配慮されて、 いろいろみんなに分かってもらえるから、分かりにくい障害には分かりにくい障害の苦しさみたいのがあるよねっていうような話をね、ちらっとしたんですけど、 乙武さんはやっぱりね、分かりやすい障害だったゆえに、やっぱりその周りの人からの配慮を受けられる機会は絶対的に多かったとは思うんですよね。 だって明らかに手と足がなくて車椅子に乗ってたら困っていることが何かっていうのは、もう見たらある程度は分かるじゃないですか。 段差があったら登れないだろうなとか、階段は登れないだろうなとか、トイレ行くの大変だろうなとか、 最低限手足がないことで想像できる困り感みたいなものって想像しやすくて、だからこそ、結構その小さい頃の思い出とかは周りの人がいっぱい助けてくれたりはしているんですよね。 その経験こそが乙武さんに、そういう僕だからこそできることがあるんじゃないかっていうふうに思わせてくれていることを考えると、 なんかそれはすごいことだなというふうに私は思ったんですよね。 この乙武さんが途中で書いていることで、私すごいなって思ったことが、徳長っていう言葉についてのことだったんですけど、 徳長ってね、徳の後ろに長がつくときに、長っていう字に、何だろう、行人弁にグチャグチャとね、こういろいろ書いてる難しい方の特徴じゃなくて、 特徴の長が長いっていう字になっている方の特徴っていう言葉があるんですよね。 この特徴の長いっていう字のことは、むしろ自分の身体的な特徴から見られる長所のことを言うらしいんですよ。 僕は、両手足がないことが特徴ですっていうことを文章で書くときに、乙武さんはその言葉を知ってからは特徴の長は長いっていう字で書いているっていうことを書いてて、 両手足がないことが僕の長所なんですっていうふうに断言できていたんですよね。 それってなんかすごいですよね。だから他の人からすると、うちの子供の世間をまだ全然知らない、生まれて6年しか経っていないような子供でさえ、 手足がない日のはすごい不幸でかわいそうなことだっていう価値観みたいなのがなんとなくある中で、 本人がその特徴、自分の長所を手足がないことであるって言えているっていうのはものすごい強いというか、 そうであることによって周りにもそう感じさせないようになっていったっていうのが、この本を読んでいると伝わってくるんですよね。 なんか当たり前のように水泳とかやるし、バスケもやるし、生徒会もやるし、なんかいろんな活動をしていくんですよ。 結局大抵の人というか、発達障害とかもそうですけど、自分には発達障害があるからどうせ無理だみたいなことを、障害を言い訳みたいにしちゃう人っていうのはめちゃくちゃいる中で、 手足がないのにバスケやろうとか、そういうふうに思うっていうことがもうすごいなと思って。 だからそれは、両手足がないこと、その特徴、自分の長所であるっていうふうに自分が認識していたからに他ならないよねっていうふうに私は思っていて。 だからこの発達障害も、障害を自分の特徴であると、そういうふうに断言できるようになってしまうと、 だから何かがないことが不幸だっていうね、そういう価値観みたいのが当たり前になってるけど、むしろそのないときに、あなたはそれがないんだ、私はこっちがないよみたいな感じで。 下手したらないものが自分の長所であって、あることはそれはそれで誰かを助けるためにあるものだっていう考え方も一つなのかなというふうに思ったりしたんですよね。 それでこの音竹さんが、自分が障害があることをはっきりと自覚した時期っていうのがめちゃくちゃ遅いらしいんですよね。 大学生ぐらいのときに、あれ僕って障害者だったんだみたいなことに気がつくって言ってて、自分には手足がないっていう認識はあるけど、手足がないイコール障害者だとは思ってなかったって言って、 自分が障害者だって気がついたときに、じゃあ僕は障害者代表としてやれることがあるんじゃないかっていう自分の使命みたいなものに突然気がつくんですよね。 明日から僕はそういう活動をしていこうって思った瞬間に、障害福祉に関わる人との人脈が繋がったりとかしていったっていうようなことが書いてあって、 私もそういえば、この作家活動みたいなのを始めているのって、結局自分の発達障害を自覚して、自認して、私はこういう人間なんだって分かってからが、すごいいろんなことが一気に動いているようなとこがあるんですよね。 この本の中で、人々はみんな一人一人違うんだから、一人一人は持っている使命も全部違うはずだっていうことが書いてて、 その使命に気づくのが早い人もいれば、きっと死ぬ間際の人もいるのかもしれないけど、使命に気づいてからは、人生が使命に向けて動かせてくれるというか、自分をそっちに導いてくれるようなことを書いてて、 もしあるんだとしたら、私の使命って自分が自分の発達障害に気がついて、それを発信活動していこうみたいな本に行ったんだとしたら、これも実は何かに導かれてのものなのかなって思ったら、ちょっと痺れるようなものがありました。 ということで、おとたけさんが心のバリアフリーという活動をするに至った時の一文をちょっと読んでみます。 僕がバリアフリーを目指す活動を始めるようになったのは、僕には僕にしかできないことがあるという思いからだった。しかし、それは僕だけに課せられたものではない。誰にもその人にしかできないことがあるはずなのだ。 自分の役割に若いうちに気づく人もいれば、歳を重ねていくうちに気づく人もいるだろう。中には、死を迎える時になって、ああ、自分の役割とはあのことだったんだと気づく人もいるはずだ。 僕の場合、障害というわかりやすい目印だったために、自分の役割に気づいたのがたまたま早かったのだろう。それに気づく時期は、人によって様々なのかもしれない。だが、必ず誰しもがその役割を持っているのだ。 それもそのはずだ。日本中、いや世界中を見渡したところで、自分と全く同じ人間などいるわけがない。たった一人しかいない人間であれば、その人にしかできないことがあって当然なのだ。 そうであるなら、僕らはもっと自分自身を大切にしなければならない。誇りを持たなければならない。今の子供たちはすぐに、どうせ俺なんて成績が悪いし、どうせ私なんて美人じゃないし、といった、どうせ自分なんてという言葉を口にする。 しかし、もしも彼らが、自分は一人しかいないかけがえのない存在なんだと、自分を誇りに思えるようになれば、どうせ自分なんてという、自ら人生をつまらなくするような言葉は口にしなくなるだろう。 そして、自分の存在を認められるようになれば、自然に目の前にいる相手の相手らしさも認めることができるようになるはずだ。自分もたった一人の自分であるように、この人もたった一人しかいない大切な存在なんだと。 という一文でした。はい、ちょっと次のチャプターに分けます。 # 電子書籍最新4巻はこちらから読めます ということで、マツビの方のちょっと一文を読み上げさせていただきました。 皆さんどう感じたでしょうか。 なんかね、なんとなく自分なんてって考えちゃう人もいるし、 自分の子供がその障害を持ってしまったことにすごい不幸を感じることもあるかなというふうに思うんですけど、 でもそうじゃなくて、なんか本当みんな違ってみんないいってね、もう本当当たり前のようにいろんな人が言っている言葉ではあるけど、 その真意みたいなことをきちんと理解して受け入れてる人ってどれだけいるんだろうなって思うんですよね。 みんな違うことが本当に良いことかどうかっていうのを、なんかあんまり理解してない人って多いよねと思ってて。 だから自分にあるものが相手にない時に勝手に不幸だと決めつけちゃってるところって本当にあると思うんですよ。 でもそれってあくまでこっちの価値観をあっちに当てはめてるだけで、向こうが不幸だと思ってるとは限らないのに、 なんか勝手に不幸だと思ってしまうっていうのはね、あんまり良くないなと思ってて。 だから今回この表紙を見て子供がそうやって聞いてきたことに、 私が手足がないことをこの人は不幸だと思ってないからこうやって幸せそうに笑ってるんだよって答えられたっていうのは、 なんかすごい良いことを教えられたような気持ちになったんですよね。 なんかその手足がないって可哀想だよねって本当だよねみたいな感じで、そこにその価値観の上乗せをしないですんだというか、 手足がないから不幸っていうのは勝手な思い込みかもしれないよっていうことを、 小さなうちにその本人の心にどれくらい残るかわかんないけど伝えられたのって私すごい良かったなというふうに思ったりしています。 この本とはまた別ですけど、吉武晋介さんの絵本で見えるとか見えないとかっていう絵本あるんですけど、 そちら読んだことある方いますかね。なんかその見えるとか見えないとかで不幸を決めちゃってるかもしれないけど、 それって思い込みかもねみたいな、なんかそういうようなことを吉武晋介武士みたいな感じで伝えてるんですけど、 目が3つある星っていうか宇宙人みたいなところに日本人というか人間が遊びに行って、 君目2個しかないの?みんな目3個あんのに君目2個しかないの?可哀想みたいに言われるわけですよ。 でも目2個がむしろこっちとしては普通だから全然それに不幸を感じてないけど、 目3つの宇宙人は目2つの日本人というか地球人を可哀想だって言ったりね。 なんかそういうような話だったはず。私も手元にないので今すごい記憶を探りながら言ってます。 なんか足がいっぱいあるタコみたいな宇宙人が足2本しかないの少なくね?みたいな風に言ってきたりとかね。 でもその人が持っている普通はあくまでもそれが普通で、周りが数多かったとしてもその人自身が持っているものはそれなんですよね。 結局その手足がないとか指が少ないとか目が片っぽ見えないとかそういうのがもしあったとしても、 それはあくまでその人の普通で周りと例え違って自分一人がそうだとしても結局その人はその人のそれが特徴なんですよね結局ね。 ということは結局発達障害のあれができないこれができないとかこれが苦手だこれがちょっと難しいみたいな なんかそういうなんか他の人から見て不利に見えるようなことっていうのもその人にとってはもう生まれつきのすごい当たり前のことなんですよね。 私もだから昔から自分があまりに当たり前すぎて気がつかなかったんですよ自分がそんな障害って呼ばれるものを持っているっていうことには本当に気がつかなかった。 だから診断がついてほっとしたと同時にあれ私障害者だったんだみたいなショックみたいのを受けた瞬間っていうのもやっぱりあったんですよね。 今まで漠然と他の人ができて自分ができないのは何でなんだろうなっていうただそれだけだったものに名前がついた瞬間に安心したとともに不安にもなったっていうところがあって でもその不安感をみんなが感じなくていいような発信をしていけばいいんじゃないかっていうふうに思って今私はこの発信活動っていうことで このねわかりづらい発達障害っていうものがこういうものですよとかこういう対処すると楽になることもあるよみたいなことをね こうやってボイシーで話したり漫画にしたり文章にしたりしながらなんか読んでくれた人がそうやって気づいてくれた時にすごい嬉しいのって ひょっとしたらやっぱりだから私のその使命の一つだったのかもななんてねそんなようなねちょっと不思議な感じですけどそういうふうに感じることがあります。 でこの話をしている時にちょうどねXにあの歩き方私歩き方を改善したっていう漫画を以前書いたことがあって ASDの人が高確率で持っている確率があるっていうそのDCDっていう強調性発達障害っていうのがあって 2つ以上の動作を複合することが難しい脳の持ち主みたいななんかそういうのがDCDって呼ばれるんですね だから自転車とかねあの縄跳びとかね手で縄を回しながらジャンプをするっていうその何とかをしながら何とかをするっていう動作を ちょっと苦手とする人がそういうものだったりするんですけど実は歩行っていう動きって 右足を動かす左足を動かすっていう一つ一つの動作かと思いきや実はそのつま先に力を入れるとかお尻で引き上げるみたいな なんか結構な複雑な動作が複合して歩くっていう動作になっているんですよね なので私DCDを持っているからなのか何なのかASDの人はDCDを持っている確率が高いからなのか何なのか ASDの人ってちょっと歩き方に癖が多い人がなんか癖がある人が多いらしいんですよ で私はずっと歩き方変だってちっちゃい時から言われててでも何が変かは教えてくれないんですよ なんかあなたの歩き方変だよねみたいな遠くから来たらすぐ歩き方でわかるぷぷみたいな感じですごいバカにされてたんですよ でも何が変なのって聞いてもなんだかわかんないけど変って言うんですよねみんな それってすごい嫌なんですよねなんだかわかんないけど変なことだけは自覚するっていう でも変だって言われてもそれを直しようがないんですよね だって何が変なのか向こうも言語化できないし私も何が変なのかわかんないから でもたまたまそのASDの娘を育てる中で娘の歩き方っていうのが私がよく言われたすり足でペタペタした変な足音がする歩き方っていうのが 娘めっちゃペタペタ言わせて歩いてたからこれかっていうことに娘によって私気づくことができたんですよね 何がどうしてこうなるのかっていうことを私はすごい考えて DCDとの関連性も考えて筋肉をうまく使えてないんじゃないかっていう方に発想が行って ということは私はASDであることを自覚しDCDであることも自覚して 娘がASDを持っていて私がそのASDの子供を育てているっていう環境があったから 今この自分の歩き方のおかしさに気が付くことができたんですよね ということで何が変なのかを自覚した上でそれを改善してみたら 見事に一般的な歩き方というものにたどり着くことができたんですよ その漫画を入れた電子書籍この間まとめたので そのリンクについでにこちらのチャプターにURL貼っておくので ぜひ読んでみていただきたいなと思うんですけども 歩き方を改善した漫画っていうのをXに上げたらそこそこ3000いいねぐらいまで伸びたんですけど その中で私もずっと小さい頃から歩き方が変だって言われてきたけど 自分で何が変なのか分からなかった でもこの漫画のおかげで私が変だって言われることこれだって分かった だって私もこういう歩き方してるしそしてここらへんの筋肉使ってないし でもどうやって直したらいいかも分からなかったけど この漫画のおかげで直せそうな気がしますみたいな そういう反応が結構あったんですね 私の発信のおかげでその発達検査を受けて自分が発達障害だって分かって 自分の行きやすい道を見つけることができましたみたいなコメントとかも いくつかいただいたりもしたことがあって だから私にとってこの発信活動は確実に誰かの役にも立てているし 私にとってみればそれを発信できる立場にあるっていう 障害があるしかも子どもにも障害があるっていう状態が 私の特徴というか長所というかメリットに今はなっているんですね 私自身が当事者としていろいろ困ってきた経験があるからこそ 子どもにはできるだけ同じ困り感を味わわせないように やっぱり思いやることもできるわけで やっぱり自分を知るということなんだなというふうに思いますね だから私自身はそうやって自分の障害っていうものを分かって 自分自身のできないところもひっくりめて これが私なんだって認められるようになったからこそ 子どもにちょっとできないことがあっても この子はこれが苦手なんだねあんまりできないんだねっていうのも 結構素直に認められるようになったし 本当に太竹さんのさっき読んだ文章の通りですよね 自分自身を認めてあげることで 他者を認めることができるようになるっていうのは 本当にその通りだなというふうに思っております でもねその自分を認めるっていうのが じゃあ自分を認めましょうって言われたからって そんなすんなり誰もができるわけじゃないので 私の発信とかの中で それこそ歩き方が変だって言われた人が こういうふうにしたら直せるんだって気づいて 直すことができたら なんかできることになることもあるとか 変えたい部分は変えられるし 変えなくていいところはそのままでもいいんだっていう その自分自身を認めるきっかけみたいなものに 自分の発信もなっていけたらいいなと そんなようなことを改めて思わせてもらえる本でした 今回はちょっと読んで思いが強すぎて チャプター2本分お話ししてしまって 長くなってしまったんですけれども 最後まで聞いてくださった皆様ありがとうございました もし今回のお話 誰かの気づきの種のようなものになっていれたら 嬉しいなと思っております もし何か感じることがあれば ぜひコメントで感想などいただけたら 嬉しいなと思います それでは最後まで聞いていただきありがとうございました 最後まで聞いてくださった皆様の空気が 今日も良いものでありますように それではまた明日 もしお時間ありましたら聞きに来てください もっと見る #乙武洋匡 #障害 #障害者 #五体不満足 #偉人に学んだこと 水谷アスの気づきのタネまきチャンネルプレミアム放送配信中!09:591.自分に無いことが『特徴』ではなく『特長』であると言える自信09:372.電子書籍最新4巻はこちらから読めますhttps://amzn.to/49WqQR7コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する