コミュニティマーケティングの鉄則「消費的な人格を刺激しない」
25:28
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参考文献:ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~
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引用文
面白いのは、世に「消費者的な人」と「受贈者的な人」とがいるわけではないということだ。事はそれほど単純ではなく、きっとあらゆる人の中に両方の人格が存在し、時と状況によってそれぞれが発現するのだ。
だから、問題になるのはお店がお客さんの中に眠るどちらの人格のスイッチを押すかということ。〈中略〉 一方、くるみ餅を作るということは、(それがいい出来のおやつになるという前提で)
お客さんの中の「受贈者的な人格」スイッチを押すことにつながるかもしれない。
「ああ、いいものを受け取っちゃったな」と感じてもらえたなら、レジで一〇〇〇円を支払うとき、「ああ、一〇〇〇円なんて価値じゃないな。もっと支払ってもいいのにな」とすら感じてもらえるかもしれない。
となれば、そのお客さんはまたお店に来てくれるかもしれないし、まわりに「いいお店があってね」と紹介してくれるかもしれない。
もしくはお店に返ってこなかったとしても、その「受け取った」ことによる「健全な負債感」は、その人をして帰り道に路上のゴミをも拾わせるかもしれないし、電車ではおばあさんに席を譲る気持ちにさせるかもしれない。
つまり、「いいものを受け取る」ことは、その人を次の「贈り主」にすることなのだ。
====
「日本にチップが普及しない理由」交換を不等価にすることで次なる交換を呼び込み、交換を継続させる。
日本でホテルや飲食店を利用する際にチップを支払う習慣がないのは、実はそうした関係を継続させるという隠れた知恵なのではないかと思う。
アメリカやヨーロッパなど、広大な国土/大陸の中で人々がときに移動しながら社会をつくっていく環境の場合、「次、いつ会えるか分からない」状況があるからこそ、一回一回の交換でどちらかが負債を負うことなくきちんと精算していくことへのインセンティブはより強いだろう。そういう意味でチップを払う。
それは「自分は負債を負ってないよ」という関係性の証明だ。
それと比較して日本の場合、限られた国土の中、同じ顔ぶれの中で長期間にわたって関係を構築していく度合いがより強いとすると、むしろ交換をいかに途絶えさせないかという方向での知恵こそが求められる。
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引用文
面白いのは、世に「消費者的な人」と「受贈者的な人」とがいるわけではないということだ。事はそれほど単純ではなく、きっとあらゆる人の中に両方の人格が存在し、時と状況によってそれぞれが発現するのだ。
だから、問題になるのはお店がお客さんの中に眠るどちらの人格のスイッチを押すかということ。〈中略〉 一方、くるみ餅を作るということは、(それがいい出来のおやつになるという前提で)
お客さんの中の「受贈者的な人格」スイッチを押すことにつながるかもしれない。
「ああ、いいものを受け取っちゃったな」と感じてもらえたなら、レジで一〇〇〇円を支払うとき、「ああ、一〇〇〇円なんて価値じゃないな。もっと支払ってもいいのにな」とすら感じてもらえるかもしれない。
となれば、そのお客さんはまたお店に来てくれるかもしれないし、まわりに「いいお店があってね」と紹介してくれるかもしれない。
もしくはお店に返ってこなかったとしても、その「受け取った」ことによる「健全な負債感」は、その人をして帰り道に路上のゴミをも拾わせるかもしれないし、電車ではおばあさんに席を譲る気持ちにさせるかもしれない。
つまり、「いいものを受け取る」ことは、その人を次の「贈り主」にすることなのだ。
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「日本にチップが普及しない理由」交換を不等価にすることで次なる交換を呼び込み、交換を継続させる。
日本でホテルや飲食店を利用する際にチップを支払う習慣がないのは、実はそうした関係を継続させるという隠れた知恵なのではないかと思う。
アメリカやヨーロッパなど、広大な国土/大陸の中で人々がときに移動しながら社会をつくっていく環境の場合、「次、いつ会えるか分からない」状況があるからこそ、一回一回の交換でどちらかが負債を負うことなくきちんと精算していくことへのインセンティブはより強いだろう。そういう意味でチップを払う。
それは「自分は負債を負ってないよ」という関係性の証明だ。
それと比較して日本の場合、限られた国土の中、同じ顔ぶれの中で長期間にわたって関係を構築していく度合いがより強いとすると、むしろ交換をいかに途絶えさせないかという方向での知恵こそが求められる。
AIで仕事をサボるラジオ
しゅうへい
- 25:281.
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