TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第654話 【残菊の宴】盛りの菊と残った菊12:16 10月5日 72再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次残菊の宴:平安時代に学ぶ美意識「十日の菊」との比較で際立つ価値とは役目を終えたモノが語る教訓盛りが過ぎた」時の心構えとは古きものに宿る忘れられない物語AI文字起こし(β版) # 今日はどんな日? 日々気づきなより佐藤美奈子です。 今日もお聞きいただきありがとうございます。 このチャンネルでは、毎朝、平安の行事、季節の移ろい、当時の暮らし、そして衣のこと、その日の暦を一つお話ししています。 千年前の営みが、今の暮らしや仕事にどう繋がっているのか、毎朝一つお届けしています。 おはようございます。今日は10月5日となりました。 今年はですね、この12月まで毎月、所属店または体験会をやろうとスタッフと決めて駆け抜けてきましたね。 あの無事、昨日の10月分は終わりまして、 残るは10月末から11月にかけて行われる大きな体験会、所属店はお休みして体験会、それを体験会の最後として、 そして12月に入りましたら、もう年末ということで、神聖な1月を迎える前に白い所属だけを集めた、白い衣という本当にシンプルなタイトルですが、その所属店をやります。 その時も白いコーチ着を着るという身に体験会もありますけれども、年内ちょっとどこか行くような機会が、どこも行くところがないなともしも思いましたら、 渋谷の新鮮のエモンド東京道場の年内12月までやっている所属店などに足を運んでいただけたら嬉しいです。 先月9月の9日に徴用の節句のお話をしましたね。菊の節句ともいいます。菊に真綿をかぶせて翌朝その綿で体をぬぐうわけです。 また菊の酒を飲んだり、そういうこうみやびな行事ですけれども、あれからもう一月近く経ちました。けれども菊はまだ咲いていますよね。 盛りは過ぎましたけれどもまだ咲いている。その先残っている菊をしのんで、もう一度宴を開く。これを残菊の縁といいます。 盛りを祝う宴を9月にやりましたね。その後に盛りを過ぎたものを惜しむ縁を、宴をわざわざもう一度開くわけです。 この念の入れように平安という時代の性格がよく出ているのではないかなと思います。宴好きというか儀式好きというか、全てが儀式で成り立っているといってもいいでしょうね。 似た言葉に、十日の菊というのがあります。朝陽は九月九日です。その翌日十日に咲いた菊のこと、つまり間に合わなかった菊という表現です。 そこから転じて時期を逃したもの、または役に立たなくなったものの例えになりました。十日の菊という言葉。 ついになる言葉があって、六日のあやめだとか、単語の節句は五月五日ですから、六日のあやめはやはり一日遅れです。六日のあやめ、十日の菊、この二つを並べて、遅れて役に立たないものという言い回しになってしまいました。 そうですね、今で言うと何でしょうか。二十六日のクリスマスケーキとか、そういうふうなイメージでしょうかね。 ここがちょっと面白いところで、同じ盛りを過ぎた菊を、片方では、めれる言葉にしているのもあります。それが、懺悔の縁という言葉です。 もう片方では役に立たないものの例えにしましたが、これが十日の菊ですけれども、全く同じことなんですよね。 どちらも本当のこと、それぞれがそれぞれにちゃんと成り立っている、遅れたものは役に立たないし、段取りで言えばそれはもうその通りなんですけれども、それでも惜しむ責はちゃんと設けましょうと。 私はこの両立がなかなかいいなと思います。やっぱり宴かよという感じですけれども、遅れたって大丈夫ですよとは言っていませんが、言っていないところがまたいいんですよね。 遅れたって大丈夫、大丈夫ということではなくて、残肉という言葉で表現をしているし、十日の菊なんてすごくシャレた言葉で言い回しているけれども、本当のところは、まあ、遅れたって大丈夫ですよということになるわけですよね。 役に立たないことを認めた上で、それでもきちんとした責を設ける、そういうふうな扱い方です。 このエモンドーの仕事をしている中で、もう実際のお福あげには使わない小族や道具も出てきます。 もう本当に最初の初期のエモンドー自体をまだ取り入れていなかった時の学校が持っていた、うちの本校が持っていた費用着というものも、本当に疲れては来ているんですけれども、まだまだ残してあります。まさか捨てるなんてしません。残してあります。 衣が、生地自体が弱くなっていたり、糸が弱るんですよね。糸が弱ってくるとほずれてくる。痛みがあったり、今の現場で安心して使うのはちょっと難しいものというのももちろんあります。だからといってすぐに手放さない、手放すことはないです。 現役ではなくなったものには、現役のものとは違う役目があります。うちは特にあります。 長く使われてきた装束には、手をかけられてきた跡というのがありまして、どこが擦れやすいのか、どこに力がかかるのか、どこを丁寧に扱わなければならないのかというふうに、新しい装束を見ているだけではわからないことを古いものは教えてくれることがあります。 この受講される方に見ていただくときも、「これはもう使えないものです。」みたいな感じで、疲れた衣を表現したくはないです。 ただ、ここまで使われてきたものというふうなお伝え方をしたい。このように使うとどうしてもここが一番に弱ってきますねというふうな表現もしています。 だから紐の取り扱いとか力配分に気をつけることで、お客様のお衣装も丁寧に扱うことができますよという表現のために、疲れた衣も残しておくわけです。 盛りが過ぎたからこそ見えるものがあるわけです。もちろん使えないものを無理に現場へ戻すことはしませんけれども、そこはちゃんときちんと区切りをつけます。 お客様に疲れてしまっているものを使うわけではないです。けれども、一線を退いたからといってそのものの値打ちまでなくなるわけではないです。 使うものから私たちに気づかせてくれるもの、教えてくれるものへと昇格していくというか、そんな感じがあります。 薬目が終わったのだと思えば置いておく意味も変わりますよね。たまたま現役ではないだけで、けれどもそのちょっと疲れた衣があるおかげで私も指導の内容が深まっていくわけです。 人の手を渡って時間を重ねてきたものには最後までそのものにしかできない仕事が残っている、そういう値打ちがあるということです。 盛りの時にお祝いをする。 よく恒例はちょうど前回の以下の祝いという中でもあって、成人式もそうだし、例えば40のが、50のが、60のがとか、その40年生きたこと、50年生きたことをお祝いをするという儀式がありますけれども、 難しいのはその後なんですよね、儀式の終わった後。 例えば盛りが過ぎたものをどう扱うか、捨てるか、見ないふりするか、まだいけると言い張って使い続けるか、大抵どれかだと思うんですよね。 でも平安時代は、捨てるか、見ないふりするか、まだいけると言い張るかの次の、過ぎたことを認めた上で責を設けるということをわざわざしたわけです。 # その人にしか出来ないこと 残鶏という名前がそれを表していますね。 残っている菊です。 盛りの菊とは別の名前で読んでいる。 わざわざ読んでいる。残鶏として。 同じものだとは言ってないし、 まあこれは人にも当てはまるものかなと思います。 かつてできたことができなくなる。 私も実際そうだと思います。 かつての勢いがなくなる。 私も本当にそうだと思います。 その時にまだできると言い張るのも、 もう終わりだとひっきり捨てるのも、 どちらもちょっと違うんじゃないかなと思います。 名前を変える。 そして席はきちんと用意しておく。 設けておく。 そのぐらいの扱いがちょうどいいのかなという感じがします。 ですから私も、例えばお着物。 練習でみなさんに使っていただく。 学生たちがたくさん使う。 そうするとその着物というのは本当にくたびれていくんですけれども、 やはりくたびれているところの箇所がそれぞれちゃんとあって、 よくよく見るとまだまだ使えるというところも出てくるんですよね。 そうしたら着物という仕事は終わったけれども、 着物生地のポーチとか着物生地のバッグとか、 よみがえらせることはいくらでもできるけれども、 そのよみがえらせた後のバッグなりポーチを見て、 この着物はああだった、こうだった。 もうたくさんの学生に使ってもらった。 たくさんの受講生さんに練習していただいたという物語がついてきているので、 ああ、やっぱりそのまま私は捨てられないですね。 10月5日、懺悔の縁。 盛りよすぎた菊を惜しむための宴です。 菊はこれから霜が降りるまで咲いています。 もし菊を見かけたらこれは懺悔なのかなと思って見ていただけたらうれしいなと思いました。 それではごきげんよう。 もっと見る #二十四節気 #七十二候 #衣と暦 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ09:551.今日はどんな日?02:222.その人にしか出来ないことコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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