TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第653話 平安の一生【五十日の祝】15:27 10月4日 74再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次平安「五十日の祝い」の真実餅が示す赤ん坊の未来とは?紫式部日記にも登場する祝宴現代の「育成」に通じる先見性儀式が固める大人の「覚悟」AI文字起こし(β版) # 今日はどんな日? 日々気づきでおり、佐藤美奈子です。 今日もお聞きいただきありがとうございます。 このチャンネルでは、毎朝、平安の行事、季節の移ろい、当時の人の暮らし、そして衣のこと、その日の暦を一つお話ししています。 千年前の営みが、今の暮らしや仕事にどう繋がっているのか、毎朝一つお届けしています。 おはようございます。10月4日になりました。 私どものエモノ東京道場では、2日、3日、今日の4日と3日間、消息展を行っております。 そして、ミニ体験会も行っておりまして、連日、ご予約の方でとても楽しい日々を過ごしております。 昨日の3日は、学生さんが多くいらっしゃって、大学の方で意外と和文化のことですとか、 着物サークルに入っていらっしゃる男性の大学生の方とか、とても爽やかな時間、爽やかなお話ができたというか、 本当に若い男性が2組、ちょうど同じような時期にご予約いただいたのですが、男性所属も多く飾っておりましたので、しっかりとご覧になっていましたね。 とても興味深いご質問もたくさんいただきまして、お話ができました。 そして、このチャンネルでは、月に2、3度にわたって平安の一生というお話をしています。 平安の人がどのように生まれて育って、大人になって、やがて老いて、見送られていったのか。 一人の人生を1年かけて少しずつ巡っていくというシリーズです。 ですから、来年に向けても定期的にその一生についてお話をしますが、9月には誕生と名付けのお話をしまして、その時もいろいろご感想をいただきました。 今日はその先へ進みます。 赤ん坊が9月は生まれましたので、50日目ということで、平安の時代にはこの日に小さなお祝いがあったので、そのお話をします。 文字でいうと50日の祝いと書いて、読み方はイカの祝いと読みます。 生後50日、まだ寝返りもできないような小さな赤ん坊を囲んで行われたお祝いです。 では、一体何を祝ったのでしょうか。 今日はそこからお話をしていきます。 # 少し先を信じる 以下の祝いでは、お餅を用意します。 赤ちゃん、そして餅と聞くと、 あ、もしかしてというふうに思われる方もいらっしゃると思いますが、 やっぱり餅というのは、成長している赤ん坊には切っても切れないアイテムなんですね。 親や祖父母が、その餅をほんの少し赤ん坊の口元へ運びます。 ここで考えてみると、少し不思議ですよね。 日本の今の現代のお祝いでも100日とか、そういうお祝いもありますけれども、 1550日の赤ん坊が餅を食べられませんよね。 ですから、まだお乳を飲んでいるような時期ですけれども、 お餅を口に触れさせるという儀式というか行事というか、そういうことをします。 この行事の目的は、食べさせることではなくて、 むしろこの子はこれから穀物を食べて生きていく人ですというふうに、 周りの大人たちが先に決めてあげるというか、そういう意味合いがあったようです。 本人はまだ何もできないわけで、その意味さえも分かっていないんですが、 大人たちはその子の少し先の姿を見ているわけです。 そして、まだできないことをできるようになる日よりも、先に祝ってしまうということになります。 紫式部日記にも、以下の祝いの場面が出てきます。 中宮正史が生んだ若宮の祝いです。 中宮正史、またはよくテレビとか映画なんかでは秋子さんと呼んだりしますけれども、 藤原道長の娘ですね。一条天皇の妃になられた方です。 藤原道長が餅を若宮の口元へ運んで、午前には多くの人が集まって、宴というのは夜まで続きます。 紫式部はその賑わいを少し離れたところから見ているわけです。立場上、そうですね。 そして、この習わしにつながるものは、今も残っています。 そうです。お食い染めですね。 時期は、生後100日ほどになって、お食い染めって今はしますけれども、 まだ食べられない赤ん坊の前に食事を整えて、食べるという行為を先に経験させる。 これ、今もその当時も同じですね。 できるようになったから祝うのではなくて、まだできない。 けれど、あなたはこうしてこれから生きていく人なんですよと、先に未来を渡していく。 こういうふうな行事なんです。 私はこの順番がとてもいいなと思います。 私の仕事に置き換えてみても、考えてみれば、教える仕事にもとてもよく似た瞬間というのがあります。 教える仕事を日々していますけれども、 学びに来てくださった方に、そろそろ私の助言はなしにして、最初から最後まで通しで一人でやってみましょう、みたいな感じのお伝えをする瞬間というのがあります。 コツコツコツコツ学んでこられて、私から見て、もう私の助言はなしでも、本当にやっていけると、見た時にどうぞやってくださいというふうに言う時あります。 もちろん、その時点で何もかも完璧にできるというわけではないですけれども、迷うこともあるし、手が止まることだってありますが、 こちらから見れば、まだお伝えしたいことがいくらでもあるんです。 以前の私は、もう少し上手になってから任せようとか、もっと間違えなくなってから次へ進んでもらおうとか、そういうふうに考えていた時期もあったんですけれども、 それではいつまでも、教えてもらう人、教えてもらうのが当たり前になってしまっては、その方の成長が止まってしまうので、 どこかで教える側が先に手を離さなければいけないことというのが、そういう時期ってやはり来ます。 私も一歩引く、手を引く、遠くから見るとか、そういうことで離さなきゃいけない。 親離れ、子離れみたいなもので、親である私が子離れをしなきゃいけない、そういうふうな時もあります。 ですから今は少し早いかなと思うくらいのところで、ちょっとやってみてくださいっていう感じで役割を渡すというか、そういうこともします。 ドキッとびっくりされる方もいるんですが、ちょっと覚えてないですけどどうでしょうかって言いながらも、やっぱりしっかりやっていかれますね。 例えば次は、私の場合は次はご自分が誰かに伝えるつもりでやってみましょうとか、そういう感じでお伝えすることもあります。 この人体、ボディーが本当にお客様であったとすればどうするかを考えてやってみましょう。そんな感じですよね。 今日はここをお任せしますとか、そういうふうなお伝えの仕方をすると不思議なぐらいその方の表情が変わるということがあります。 自分のために覚えていたことを、今度は誰かのために教え方を確かめ始めるんですよね。 道具の置き方を見たり、次に使う人の動きを考えてあげたり、どう言えば伝わるのか、言葉まで選び始めてくださるんです。 同じ技をしているのに立つ場所が変わると、見えるものまで変わってくる。もちろん任せる側にも私側にも覚悟は要りますし、失敗するかもしれない。 それを現場の時にそういうことをすることもあります。あえてここまではあなたがやってねっていうふうに渡してしまうこともあります。 いつもよりも時間がかかるかもしれない。見ていればついつい私の方も手を出したくなることもあるかもしれない。 それでもやはり少し待つということをよく私も話をしますが、少し待つこととか私が手を引くということはとてもその方にとっては大事だし、そういう現場で強くなっていってほしいというふうに思います。 その人が自分の手で考える時間を奪わないっていうのも私の役目ですね。 そしてあなただったらここにちゃんと立っていけますよとか、そういうふうに本人よりも少し先に私が信じてあげるということがとても大事ですね。 いやーまだまだ、いやーまだまだって言ってたらずっとまだまだその方がちゃんともう一人立ちできるのにまだまだまだって言ってらっしゃる先輩いますよ。 それはねちょっとどうかなって私も思います。 するとその言葉に本当に追いつくように人というものは育っていくものなんですよね。 この認めてあげるということはすべて出来上がった人に合格というふうに出すことではないです。 まだ育っている途中の人に先にあなたの居場所というかあなたが立つべき場所というふうに渡してあげてその先まで見守ってあげることかなと思います。 以下の祝いもきっと同じですね。 赤ん坊はまだ餅を食べることはまあできないわけで、お乳を飲んでるわけで、それでも大人たちは餅を用意して人を集めてその子の口元へ運ぶわけです。 食べられるようになったからこちらへどうぞではなくて、いつか食べられるようになるあなたの席をもう大人たちは用意をしていますよということなのかもしれません。 私はこれはもう赤ん坊の覚悟ではなく周りの大人の覚悟を形にした行事なんじゃないかなと思います。 この子をこれからここで育てていくという覚悟です。 穀物を食べて体を育ててこの家この社会の中で生きていく人として迎える、もう赤ん坊ではない、その未来を先に引き受ける大人がですね。 だから人を集めてちゃんとお祝いをしてあげるんですよね。 自分の胸の内で思っているだけなら忘れてしまうこともありますけれども、餅を用意してお祝いの席を設けて人々の前で形にしてしまえばその日のことは残ります。 お祝いごとには本人を祝うだけではなくて周りの人の心を決める役目もあるのかもしれません。 # おわりに これは本当に教えることもよく似ていて、この人ならもう大丈夫と確信できる日を待っていたら、その日はなかなか来ないものですけれども、むしろその少し前にきちんとその人のための席を空けておいて、ここで一緒にやりましょうと、そんな感じで伝える。 そうすると、その人がまだ自分自身を信じきれていない時に、周りが先に信じてあげるということで、初めてその方自身の心も体も育っていくものがあるのではないかなと思いました。 10月4日、今日は平安の以下の祝いのお話でした。 まだ食べられない赤ん坊に餅を口元へ運ぶ儀式です。 できるようになる日を待たずに、その子の未来を先に祝ってあげる。 千年前の人たちはそんなお祝いの仕方をしていました。 もし今身近に次の段階へ進もうとしている方がいらっしゃったら、その方が完璧になるまで待つのではなくて、ほんの少し先に席を用意してみてはいかがでしょうか。 人は自分のために用意された場所を見つけた時は、そこに向かって育ち始めることがあります。 今日は子どもの成長の話から始まりましたけれども、その子の祝いだけじゃなくて、周りにきちんと宣言をするということも大事ですね。 成人式も同じようなことだと思います。 その人にとっては喜ばしいことですが、周りの人たちも、あの人はちゃんと大人になったんだと認めてもらうための儀式でもありますもんね。 儀式といえばちょっと先の予定ですけれども、来週あたりに来年年明けからの様々なスケジュールが決まり始めているのでお伝えできるかなと思います。 セルリアンタワー農学堂の公演も実は2年前に一度お休みに入りましたけれども、来年2月に久々の復活公演をする予定となりました。 実は来年度から、来年度になりますね、来年度からはエモンド東京道場が25周年イヤーに入っていくということもありまして、周年企画として様々な行事を今考えておりますので、どうぞ発表を楽しみにお待ちください。 それではまたごきげんよう。 もっと見る #二十四節気 #七十二候 #お食い初め #平安儀式 #衣と暦 #五十日の祝 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ02:531.今日はどんな日?09:452.少し先を信じる02:503.おわりにコメント感想・質問・応援メッセージを書こう みー10月5日さとう先生、配信ありがとうございます。旧暦もありますから、現代だと二回目(10月19日)の重陽の節句がお祝い出来ますね🌼1返信 さとうみなこ10月5日そうですね!二度美味しい😋
第672話 霜降〜露と霜の違いは? 11分・一昨日・ 37再生AI目次梅雨と霜、その形成メカニズムの差二十四節気に刻まれた秋の深まり暦が示す日付と各地の季節のずれ十二単が教える変化の美しさとは日々の小さな変化に気づく心の豊かさ
第671話 平安京はなぜ、東へ広がったのか? 15分・10月22日・ 45再生AI目次平安京建都の日に振り返る歴史設計図通りの都にならなかった理由理想と現実の間で都はどう変化したか守るべきものと変えるべきもの見極め世代を越え育まれた古都の姿とは
第670話 清少納言は、なぜ御簾を上げたのか。 13分・10月21日・ 66再生AI目次平安貴族を魅了した白詩文集の世界紫式部を悩ませた漢詩の学びと女性清少納言が御簾を上げた、その真意言葉なき対話を生む共通認識の力知を分かち合う教養が繋ぐ人と人
第669話 神様の留守を守る「恵比寿さま」 13分・10月20日・ 79再生AI目次カンナ月に出雲に残る神様とは?商売繁盛を司る恵比寿さまの役割目立たぬ場所を守る「留守神」への感謝「べったら市」が今に伝える恵比寿講日常を支える「見えない貢献」の価値
第668話 「百日の祝」生後百日、もう一度祝った理由 12分・10月19日・ 78再生AI目次平安時代の「百日の祝」その真意とは医療が未発達な時代の「日々の重み」「百日の祝」から「お食い初め」へ「できた」だけではない継続の価値誰かと分かち合う「日々の歩み」
第667話 虫の声と、言葉にしない「寂しさ」 12分・10月18日・ 79再生AI目次暦と虫の声 古代のキリギリスとは和歌が紡ぐ独り眠る夜の情景「衣片しき」に秘められた寂しさ言葉なき感情を察する仕事の視点現代社会と日本語の余白の美
第666話 新米を、まず神さまへ 13分・10月17日・ 78再生AI目次「新米をまず神様へ」平安の智慧稲作と「衣」に宿る感謝の祈り「良いものをまず誰かのため」仕事術自分の喜びより先に「誰かを想う」「いただきます」千年の感謝と恵み
第665話 琵琶の音から、弾く人が見えてくる 13分・10月16日・ 81再生AI目次平安貴族の琵琶:女性も奏でた優雅な音色源氏物語に学ぶ、技は「かきあわせ」に宿る姿見えぬ琵琶の音に込められた心のあり方着付けの心:最初の所作に表れるプロの技小さな変化を見抜く、聴き手の感性とは
第664話 菊の節句は九月、菊が咲くのは十月? 15分・10月15日・ 90再生AI目次菊の節句と開花時期の不思議なずれ新暦と旧暦が変えた行事の風景重陽の節句が現代で薄れた理由暦と現実の季節感を繋ぐ工夫とは伝統継承と日々の暮らしの調和