TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第668話 「百日の祝」生後百日、もう一度祝った理由11:54 10月19日 73再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次平安時代の「百日の祝」その真意とは医療が未発達な時代の「日々の重み」「百日の祝」から「お食い初め」へ「できた」だけではない継続の価値誰かと分かち合う「日々の歩み」AI文字起こし(β版) # 今日はどんな日? 日々気づきでおり、佐藤美奈子です。 今日もお聞きいただきありがとうございます。 このチャンネルでは、毎朝、平安の行事、季節の移ろい、 当時の人の暮らし、そして衣のこと、その日の暦を一つお話ししています。 千年前の営みが、今の暮らしや仕事にどう繋がっているのか、 毎朝一つお届けしています。 はい、今日は10月19日です。 今日は、月に何度かお届けしている 平安の一生の続きをお話ししたいと思います。 10月4日には、赤ん坊が生まれて、 50日目に行われた、イカの祝いをご紹介しました。 まだ食べることのできない赤ん坊の口元へ餅を運んで、 これから健やかに育つことを願うお祝いでしたね。 実は平安の貴族たちは、その50日後にももう一度お祝いをしていました。 生まれて100日目の桃花の祝いです。 こちらでも、お餅を用意して赤ん坊の口に含ませる真似をしました。 50日目に祝ったのに、100日目にもまた祝っているわけです。 なぜ同じようなことを繰り返したのでしょうか。 私はその理由を考えていると、 昔の人たちが一日一日をどのような思いで過ごしていたのか、 少し見えてくるような気がするのです。 ご視聴ありがとうございました。 # いまの「お食い初め」へ 平安時代の貴族の家では、赤ん坊が生まれると様々なお祝いが行われました。 生後三日目、五日目、七日目、九日目、こうして既数の日の夜に人々が集まって祝うことを、産やしないと言います。 そのお話も以前しましたよね。生まれて間もない子を囲んで、親族や親しい人たちがその無事と成長を願いました。 そして五十日のお祝いがあって、さらに百日のお祝いへと続いていきます。 こうして並べてみると、あることに気づきませんか。 三日、五日、七日、九日、五十日、そして百日、どれも生まれてからの日数を数えていますよね。 今の私たちは一年ごとの誕生日をお祝いしますよね。 けれど生まれたばかりの赤ん坊にとって、一年という時間はまだずいぶん遠いものだったんでしょうね、その時代は。 まして、医療の整っていなかった時代です。 無事に生まれてもその子が健やかに育つとは限らない時代だったわけです。 だからこそ三日目を迎えたことも、七日目を越えたことも大切な節目だったのだと思います。 そして五十日、その先の百日、少しずつ日を重ねてここまで育ってくれた、そのことを周りの大人たちが喜んで確かめ合ったわけですね。 百日の祝いに用意された餅にも、これから食べ物に恵まれて丈夫に育って欲しいという願いが込められていました。 まだ実際に食べられるわけではありません。 それでもこれから先の長い人生を思い描いて、食べるという営みを、祝いの形で先取りしたものでしょう。 こうした習わしは時代とともに少しずつ姿を変えて、今のお食い初めへと受け継がれていきます。 生後百日頃に祝い膳を用意して、食べる真似をして、一生食べ物に困らないようにと願う。 千年前とは料理も作法も違いますが、こう思う気持ちはよく似ていますよね。 私はこの百日という数が、なんだか愛おしく感じられます。 百日後に何ができるようになるかを祝ったのではなくて、百日という時間を無事に過ごしてきた。 それだけでも祝う理由になったのですからね。 そして、この積み重ねてきた時間を認めるという感覚は、教える仕事の中でも大切にしたいことの一つです。 きつけ合い問答の講習では、時効生の皆さんがそれぞれの暮らしの中から、時間を作ってお稽古場へいらっしゃいます。 お仕事がある方もいれば、ご家庭の用事を抱えていらっしゃる方もいます。 決められた日にいつも同じように通うことは簡単そうで、案外難しいですよね。 皆さん本当に熱心に通っていただいております。 そしてせっかくお稽古にいらしても、思うように手が動かない日もあります。 以前できたところでまた迷ってしまうとか、何度やっても形が決まらないとか、 そんな時、受講生の方がご自身のことを少し残念そうに話されることがあるんです。 けれど私は一回のお稽古だけでその方の歩みを決めたくはないんですね。 今日うまくできなかったとしても、その方は今日もお稽古場へいらしてくださったわけです。 所属を広げて自分の手で触れて考えながらもう一度やってみた。 その時間は消えない。 エモン堂には何度も繰り返さなければ身につかない技がありまして、前回と同じようなことをしているように見えても、全く同じ一回というものはないんですよね。 その日の体の調子も違えば、手に伝わる感覚も違います。 うまくいく日もあれば、思うように進まない日もあります。 それでも一回、また一回と重ねていくわけです。 教える側にいるとその積み重ねをつい、上達したかどうかで測りたくなることがありますけれども、 私は時にはその方が今日もここへいらしたということを大切に受け取りたい、そういうふうに思っています。 技術の習得にはもちろん目標があります。できるようにならなければならないことだってもちろんあります。 ですが、そこへ至るまでには何も変わっていないように感じられる時間もあります。 振り返ってみると、その日々が後から大きな支えになっていることがあります。 まあ、焦ってはいけないですよね。 やっぱり確実に一日一日一回一回過ごしてきて、表向きは変わっていないように見えても、やっぱり回数を重ねる、日数を重ねていくということで、やっぱり確実にその方は成長しています。 私自身もそうして学んできました。 師匠のもとへ通って同じ噂を繰り返して、わかったと思ったことをまた最初から確かめるわけです。そんな時間を長く長く重ねてきました。 今は教える立場におりますけれども、私もまだその途中にいるんだよなと今でも思っています。 できたことだけを数えるのではなくて続けてきた日々にも静かに目を向ける。 百日のお祝いの話を聞くと私は、そんな稽古場の時間を思い出します。 桃花のお祝いというのは何か特別なことができるようになった日ではありません。 百日を迎えるまでその子が生きてきたことを周りの人たちが喜ぶ日です。 私はそこに昔の人たちの温かな眼差しを感じます。 私たちは大人になるにつれて何かができたことを喜ぶようになりますよね。 例えば試験に合格した、百点取ったとか、あとは大人になっても仕事を成し遂げたとか、新しい技を身につけたとか、もちろんどれも大切な節目ですけれども、 その成果が現れるまでには何も起きなかったように見える日もたくさんありました。 特別な出来事はなく昨日と同じことをして一日を終える、そういう日を私たちはあまり数えませんよね。 でもその一日がなければ次の日もないし、その日がなければ試験にも受からなかったわけですよね。 百日を迎えられたのは、そこまでの日々を重ねてきたからです。 そう考えると、数えるという行為にも少し違った意味が生まれてきます。 何年続けてきたのか、毎回何回通ってきたのか、何度同じことを繰り返したのか、 それは誰かと比べるための数字ではなくて、自分が歩んできた時間を振り返るための目印なのだと思います。 そして平安の人たちはその節目を一人では迎えませんでした。 人を集めて祝いの席を設けたんです。 もしかすると子供が育ってきた時間を周りの人たちも一緒に喜びたかったのでしょうね。 私はそこも素敵だと思います。 自分では気付かない歩みを誰かが覚えていてくれる。 自分にとっては何でもない一日が、誰かにとっては嬉しい一日だったかもしれない。 桃花の祝いには、そんな優しさも込められていたのではないでしょうか。 # 長く続けていることは何ですか? 今日は、平安の桃花の祝いのお話でした。 生後五十日を祝った後、さらに五十日を重ねて、百日目にも人々が集まって、その子の成長を喜びました。 何かができた日だけではなくて、ここまで来られた日を祝う。 そういう節目が、昔の暮らしにはあったんですね。 今、皆さんが長く続けていることは何でしょうか。 お仕事でも、お稽古でも、日々の小さな習慣でも良いと思います。 もし、思い浮かぶものがあったら、今日までにどれくらいの時間を重ねてきたのか、少し数えてみて下さい。 その一つ一つに、ご自身の過ごしてきた日々があるのでしょう。 私は、数えてみると、今日のボイシーは六百六十八回目です。 ご自身で過ごしてきた日々がある、そう私にも過ごしてきた日々がありました。 今日もまた、その一日ですよね。 それではまた、ごきげんよう。 もっと見る #二十四節気 #七十二候 #節目 #衣と暦 #百日の祝 #産養 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ01:521.今日はどんな日?08:492.いまの「お食い初め」へ01:153.長く続けていることは何ですか?コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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