TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第678話 十五夜のあと、なぜもう一度月を眺めるのか18:08 10月29日 82再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次十五夜後に訪れる月、その奥深い意味とは日本で生まれた十三夜と「肩見月」の習わし繰り返しが教えてくれる「気づき」の瞬間完璧ではない月が持つ、もう一つの美の形一度の経験では終わらない「再訪」の価値AI文字起こし(β版) # 今日の話しは? 日々気付きだより佐藤美奈子です。今日もお聞きいただきありがとうございます。このチャンネルでは毎朝、平安の行事、季節の移ろい、 当時の人の暮らし、そして頃後のこと、 その日の暦を一つお話ししています。 千年前の営みが今の暮らしや仕事にどうつながっているのか、毎朝一つお届けしています。 今日は十三夜というもう一つのお月見について話をしたいと思います。 実は昨日ですかね、とても雨ばかり続いていたので、昨日の夜はとても空気が綺麗だったからというのもあるんですけれども、 雲の間から見えた月がとても美しくて思わずスマホを向けていました。 なので今日はちょっと月のお話をしたいと思います。 9月には中秋の明月の話をしました。 旧暦8月15日の月を眺める十五夜のお月さまです。 日本にはそのおよそ一月後にもう一度月をめでる習わしがあります。 旧暦の9月13日の十三夜です。 今年は先週の10月23日がその十三夜にあたりました。 この月は後の月と書いて後の月と呼びますけれども、 十五夜の後にもう一度訪れる明月なんですね。 ところでこの十三夜には十五夜とは少し違った美しさがあります。 それは満月ではないということです。 なぜ昔の人たちは少し欠けた月をわざわざめでるようになったのでしょうか。 今日はそのお話をしてみたいと思います。 # 暦のこと はい、中秋の明月をめでる習わしは、中国から日本へ伝わったものです。 一方で、十三夜のお月見は、日本で生まれた風習とされています。 平安時代の西暦919年に、 宇田豊王が月見の園を開いたことに始まるという伝えがあります。 ただし、十三夜をいつ、なぜ祝うようになったのかについては、はっきりしないことも残っています。 それでも、平安の人々が十五夜だけでなく、十三夜の月にも特別な美しさを見出していたことは確かなわけです。 ですから、今でもこの十三夜というのはあるわけですね。 旧暦の十三日の月は、満月に向かってまだ少し欠けている状態ですよね。まんまるではありません。 けれども、その柔らかな輪郭もまた美しいものとして眺めてきたわけです。 私はとてもそこに心を惹かれるんですけれども、満月には満月の美しさがもちろんあります。 まんまるというのはちょっと幸せな気分になりますからね。 そして、まだ見ちきっていない月にもその時だけの美しさがある。 一つの形だけを最も良いものと決めなかったというところがいいなと思います。 十三夜には栗明月だとか豆明月という名前もあります。 栗や枝豆などその頃に収穫されるものをお供えして月を眺めたからです。 十五夜の芋明月に対して十三夜は栗と豆が出てきましたね。 お月見の名前にも秋の実りが現れています。 そしてもう一つ面白い並ばしがあります。 十五夜と十三夜のどちらか一方しか見ないことを肩見月と呼んで縁起が良くないという言い伝えがあるんです。 もちろんこれは昔からの風習で必ず二度とも見なければならないということではありませんけれども、 二つの月を一組として眺めるという考え方には何か心に残るものがあります。 九月に眺めた月と十月に眺める月、同じ空に昇る月ですけれども季節は少し進んで見える姿も違います。 一度目に感じたことが二度目には少し変わっているかもしれません。 私はそのように同じものを繰り返し眺めることがお稽古にも通じているように思います。 # 気づきのはなし お着物の着付けや絵文童のお稽古では、同じ操作、同じ動作を何度も繰り返して学びます。 やはり回数をこなすということは、本当に何よりも大事なことで、 ちょうど一昨日のお稽古でも、そのお話を受講生さんにしました。 本当に数をこなすということは大事ですよね、というお話をみんなでしていたところです。 一度、教わってその場ではできたと思っていても、次のお稽古で同じようにできるとは限りません。 家に帰ってから同じようにできるとも限らないのが、やっぱりこの難しいところで、 反対に、以前は難しく感じたことがある日、突然少し違って見えてくることというのもあります。 私はそこに学ぶことの面白さがあると思っているんですけれども、 例えば衣を美しく整えるための手の動きがあるとして、 初めて学ぶときには、手をどこに置くのかもちょっとわからなかったり、 どの順番で、どの順序で動かすのかもわからないし、 それを覚えることで精一杯、この手順を覚えることで精一杯になることがあります。 皆さんそうだと思います。 ですが、同じことを繰り返すうちに少しずつ余裕が生まれてきます。 気持ちの余裕も出るし、手にも余裕が出てきます。 すると、それまでは自分の手元しか見えていなかった方が、 布の動きとか、あとはお客様の表情にも目を向けられるようになっていくんですね。 なぜここで衣を支えなければいけないのか、 なぜここにこの手を添えなければいけないのか、 なぜこの順番で手を動かすだろうか。 初めてのときというのは、ただ覚えていたことにも少しずつ意味が見えてきて、理屈もわかってくる。 なんでこうするのかということがわかると、自然に手も出てきますね。 私は受講生の方の稽古を見ていて、そうした変化をすごく嬉しく感じます。 以前と同じ所作をしているようでも、その方が見ているものはもう同じではないからです。 それがもう動きに現れているからです。 受講される方は、全く進歩もしないで、すみませんなんて私によくおっしゃる方もいるんですけれども、 いやいやそうじゃなくて、ここができるようになっているじゃないですか、 ここがこのように美しく動けるようになりましたねって言うと、 大変喜んで、私も少しでも進歩しているんでしょうか、みたいな感じで謙遜なさる方いますが、 本当に変化していかれます。 私自身も、例えばいろんな先輩方から教えていただいたことの意味が後になってわかることっていうのも本当にあります。 その場ではね、やっぱりなかなか経験していないことなので、実感がない。 だからあんまり体に染み付いていかないんですけれども、 習った時にきちんと覚えたつもりでいたことが、実際のお仕事とか教える経験を重ねるうちに、 違う深さがどんどん変わってくる、そういうことで理解できるようになっていきますし、 なっていったんだなと本当に感謝しています。 そのたびに学びというのは一度で終わるものではないんだなと思います。 よくこの十二単位の稽古を始めようと思う方とお話をすると、 どのぐらいの時間かければ覚えられますか?ってよく質問されるんですが、 私はね、答えられませんとお答えします。 私が例えばエモンドを25年やっていても、まだまだと思うことも多いですし、 普通の一般的な着物の着付けに関しては、もう本当に30年指導してますけれども、 まだまだ私これだけやっててもやれないことも多いです。 これだけの歴史の深さですから、私が生きてきたこの58年の間で、 こなせるものではないわけですよね。 本当に教える立場になって今は、一度の稽古で全てを分かっていただこうと、 逆にしすぎないことも大切だなと思っています。 あんまりアップアップになっちゃうと、肝心なものも入っていかないので、 じっくり、ゆっくり、本当に基礎工事をしていくぐらいのつもりでやっています。 もちろんその日に学ぶことというのは丁寧に教えます。 今日はこの課題とか、あとは今日これを覚えたくて来ましたというふうにおっしゃる方にはそこまでいきますけれども、 その中でここが今日初めて見えてきたものというのがあるので、 それをきちんと持ち帰っていただくということをします。 次の課題はこれでしたね。 本当は成人式に向けて帯結びを習いに来たんだけれども、 やっぱり長襦袢と補正と長襦袢の基礎のところをもうちょっとやればこの帯結びも生えますね。 じゃあ課題はやっぱり土台作りですねというふうに、 自分のこれからの課題を持ち帰っていただいて、 家で冷静になって、次学ぶのはやっぱり私はこれかなと気づいてほしい。 そんな気持ちでご指導をさせていただいております。 次に同じ所作に向き合った時にまた別のことに気づくかもしれませんし、 お稽古が楽しくなければまた通いたいとも思えないのよと私も師匠からよく言われていますが、 本当に大切なことを教えてくださっています。 ありがたいことです。 佐藤さんが厳しくなれば厳しいと面白くないし、 何かわからないけど楽しかったぐらいがいいのよってよく言ってくれますけども、本当にそうだなと思います。 その言葉を大切にしながら、一度で完全にできるようになることだけが稽古の喜びではないし、 次に来た時に何が見えるようになるのかなということを一緒に楽しみにしながらお稽古をしています。 そんな楽しみを残して帰る日があってもよいかなと思いますね。 十五重の月を眺めた人が一月後にもう一度空を見上げる。 そこには最初の夜とは違った美しさがあります。 私にとってお稽古もまた同じものに何度でも出会い直す時間だと思っています。 # おわりに 13夜のお話で私が一番好きなのは、満月とは違う形の月をもう一つの明月として大切にしてきたことなんです。 丸く満ちた月だけが美しいわけではない。まだ少し欠けている月にも美しさがある、趣がある。だから13夜もみなさんめでるんですよね。 そして15夜と13夜を2度にわたって眺めることで、一月の季節の変化も感じられます。 同じ月を見ているようで、実は同じ夜は二度とないですからね。 私、本当にこの1日2日前の月を見た時に、とても美しくて、あ、そういえば15夜の時もこういうお話をしたので見てたんですよね。 ああ、2度見れたなあと思ったんですけれども、この2度見れるというタイミング、ちょうど最寄りの駅から降りて私の家に着くまでに橋がかかっているんですね。川を通るので。 その橋の上を通った時に、わーっと少し上の方に月が少し雲がかかった状態で明るく見えてきたものに気づけたから良かったんですけれども、 例えば考え事していたり、何かね、イヤホンで何か聞いてたり、スマホ見てたり、そんなことしてたら見てなかった、見ずに家の中に入ってしまってたわけです。 そして家の中に着いてベランダに出た時に、その時の月が同じではないし、もしかしたら雲がかかってしまって見えなかったかもしれないということを思うと、これって本当にご縁だなあと思います。 この2度見れたことは、自分のタイミングもありがたく良かったですし、逆に上を見ようと思う心地だったっていうんでしょうかね、気持ちだった。 ちょっと寂しいことがあったり、辛いことがあったりしたら、空を見てなかったかもしれない。 本当にこのことから完成した姿だけに目を向けなくても良いなということも感じますね。 やっぱり15歳じゃなくて13歳だから良い、この気数というのが良いですよね。 本当に何かを学んでいる途中というのは、まだできないことばかりで、ですけれどもその時点だからこそ気づけることもある。 それがないと今がないですね。今までがあったから今日があるので。 初めて学んだ日の驚きも、本当に20代子ってこんな風に作るんだと思って、ワクワクドキドキしながら作ったのを本当にこの話を皆さんに届けながら思い出しました。 少し慣れてきた頃の発見も楽しかったし、美しく仕上げられるようになった時も嬉しかったし、 長く続けてきたからこそ見えてくるという細かな気遣いとか、そういう心遣いというのも長く続けている人は見えていると思います。 それぞれに違った価値がありますね。もう一つ、肩水着という言葉についても考えてみたいと思います。 昔の人たちは15矢と13矢を二つで一組のように眺めてきました。 私はこれをどちらか一方が欠けているからいけないという意味だけでは受け取れない、受け取りたくないですね。 一度見て終わりじゃなくて季節が移った頃もう一度眺めてみる。人も同じだなと思いますね。 最初には気づかなかったことが見えてくるし、そこにこの風習の楽しさがあるように思います。 何かを知ったと思った時にももう一度そのものに向き合ってみる。 同じ本を読み返すことも、同じ技を稽古することもきっと同じです。 何年か前に読んだ本にもう一回本を開いてみて読むと、やっぱりこの4年間いろんなことがあった自分の変化の中に、違う解釈で読み取れる本だってたくさんあります。 以前とは違う思い出、以前とは違う美しさを見つける。 十三夜の月というのはそんなことを思い出させてくれます。 はい、今日は先週迎えた十三夜、後の月のお話でした。 十五夜に続くもう一つのお月見、栗明月、豆明月という呼び名にも日本の秋の暮らしが感じられますね。 十三夜の夜は過ぎましたが、月は今日も空に昇ります。 今夜晴れていて月が見えたら少し眺めてみてください。 先週の十三夜とも、九月の十五夜とも違う姿をしているはずです。 何度眺めてもその度に新しい美しさに出会える。 そんな月の楽しみ方をこれからも大切にしていきたいと思います。 それではまた。ごきげんよう。 もっと見る #十三夜 #七十二候 #日本の風習 #栗名月 #豆名月 #後の月 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ02:061.今日の話しは?03:032.暦のこと07:163.気づきのはなし05:454.おわりにコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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