TOPハウツー・学習歴史【にちにち気づきだより】第686話 蹴鞠には勝ち負けが無い⁈12:55 一昨日 76再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次蹴鞠に隠された「勝ち負け」を超えた真髄平安貴族が愛した蹴鞠の技と美意識「次」を繋ぐ日本の伝統に見る協調の精神おふくあげから学ぶ相手への繊細な心配り仕事や日々に活かす「渡し方」の極意とはAI文字起こし(β版) # 今日はどんな日? 日々気づき手より佐藤美奈子です。今日もお聞きいただきありがとうございます。 このチャンネルでは毎朝、平安の行事、季節の移ろい、当時の人の暮らし、そして衣のこと、その日の暦を一つお話ししています。 千年前の営みが今の暮らしや仕事にどう繋がっているのか、毎朝一つお届けしています。 はい、今日は平安時代の人々が楽しんでいた、ある休儀のお話をします。 平安、そして休儀といえば多分皆さん、パッと思い浮かぶと思います。そうです、けまりです。 色鮮やかな装束を身につけた人々が輪になって、まりを蹴り上げる姿をご覧になったことがあるでしょうか。 まりを地面に落とさないように何人かで蹴り続ける遊びです。 実はこのけまりには私たちが今親しんでいる多くの休儀とは大きく違うところがあります。 実は勝ち負けがないわけです。相手を任すのではなく、みんなでまりを蹴り続けることを楽しみます。 そして上手な人というのは、ただ高く蹴れる人ではなくて、次の人が蹴りやすいまりを渡せる人なんですね。 今日はそのお話をしてみたいと思います。 東京道場に保管されているけまりを、この画像も添付してお届けしていきます。 # 蹴鞠から学ぶこと はいこちらのチャプターにはマリ小族と言われる衣とケマリの写真、別の写真を載せておきました。 これをご覧いただきながらお聞きになるとよりわかると思います。ケマリは中国から日本へ伝わったとされる旧技です。 平安時代には宮廷で親しまれて、やがて作法や技を備えた芸能として発達していきました。 まずマリそのものを見ていきましょう。 マリは鹿の皮を2枚合わせて作られています。 古くから縫い合わせるために馬の皮を用いられてもいました。 直径はおよそ20センチほどです。 現在のボールのように空気を入れて膨らませるのではありません。 皮を加工して軽く弾むように仕上げるんですね。 そして蹴り方にも決まりがあります。 マリを蹴るのは右足です。 膝を伸ばしてつま先に近いところで地面に落ちてくるマリを蹴り上げます。 ただ自由に足を動かせば良いというわけではなくて、姿勢や足の運び方にも細やかな作法があるんだそうです。 さて、蹴りをする庭にも特徴があります。 マリ庭と呼ばれる場所には四隅に木が植えられています。 桜、柳、楓、松、この4本をかかりの木と呼びます。 四季を思わせる木々に囲まれてマリを蹴るわけです。 しかもこの木はただ庭を美しく飾るためのものではありません。 この4本は蹴る場所の目印になってマリを上げる高さの目安にもなるんだそうです。 マリが枝に触れて思いがけない方向へ動くこともあります。 そのようなマリにも姿勢を崩さず優雅に応じる。 そこにも蹴りの難しさと面白さがあります。 そして蹴りにはもう一つ大切な考え方があります。 マリを自分だけで蹴り続けるのではないということです。 他の人へ渡してみんなで続けていきます。 相手が受けにくいところを蹴ってしまえば、そこでマリが落ちてしまうかもしれませんよね。 ですから相手の位置や動きをよく見て蹴りやすいところへ返します。 アリ、ヤ、オ、そんな掛け声をかけながらマリを繋いでいくわけです。 勝ち負けはありません。 けれども技の上手下手がないわけではなくて、いかに美しくそして相手が続けやすいように蹴るか、そこに技の見せ所があるんだそうです。 平安時代の終わり頃には、藤原の成道という蹴りの名人もいました。 2000日かけてマリを蹴ったという伝承が残るほど熱心だった人です。 それほどまでに一つの技を磨き続ける人もいたんですね。 現在でも京都の下鎌神社などで蹴りが披露されていますね。 所属姿の人々が声を掛け合いながら、マリを蹴り上げる姿を見ると、勝敗を決める球技とはまた違う楽しみが感じられます。 そしてこう広がるお袖とか、そういうものも美しいですね。 私はこの次の人が続けやすいように渡すという考え方に、 門道の仕事ととても通じるものを感じています。 # 相手あっての自分 自由に人への福あげでは、二人のエモンジャが息を合わせて、一枚ずつ衣を重ねていきますが、 二人とも決められた所作を正しく行うことが必要です。 これは、いわゆる型というものがあるからです。 でも、私はそれだけでは十分ではないと思っているので、 お稽古でもプラスして、私の経験とかもプラスしてお話をしますが、 自分が一つの動作を終えた時に、次の人がどのように手を動かすのかとか、 その次の人がどのようにやってもらった方が、多分仕上がりが良くなるんだ、 ということを前も後ろもエモンジャ達は分かっているので、 そこに手を持っていく、そこに取りやすくしておく、 そこまで考えておくことが大切なわけです。 例えば衣を重ねる時、自分の側の布を整えることに気を取られていると、 反対側、後ろにいるエモンジャなんかが、次の動作をしにくくなることが多々あります、どうしても。 自分の手元だけを見ていればきちんとできているかもしれませんけれども、 おふくあげというものはそこで終わりではありません。 どんどん次へつながって、完成の美しい姿というのも想像しながらやっていきますから、 衣の収まり方だけではなくて、相手の手も自分の手も、 どこに行けばその美しさに届くのかということを分かっている。 そして前の人は後ろのために、後ろの人は前のためにどうあるべきかということを常に考えているので、 次に何をしようとしているのかも、お互いに分かって行動しているということになります。 必要なところで支えて、次の方が無理なく動けるように整えておく。 本当に小さな違いなんですけれども、自分の仕上がりばかり集中してしまうと、 二人の動きというものはもう噛み合わなくて、お方様にも失礼になるし、仕上がりも本当によくありません。 特にお方様の姿勢や安全に関わることだったり、確認が必要なことは、 おふくあげをする前に文者同士、話し合っておくとか、 共通認識というものをちゃんと持っておくということが必要になってきます。 ただ、その上で相手が動きやすいように心を配るということが大前提で、 技だけではなくて動きやすい技をしているかということがとても大事です。 そのコンビネーションがうまくいくと、 おのずと来ているお方様にも、二人の恵文者のお互いの思いやりというか、 配慮というものが手から伝わってきて安心をしていただける。 そういうものが恵文道のおふくあげということになります。 自己生産の方は、本当に初めのうちは十二単位なんて日頃やるようなものではありませんので、 どうしても襟合わせをきれいにしようとか、紐をしっかり結ぼうということに躍起になってしまって、 お方様をすごくぐらつかせちゃったりとか、 リズムのことも考えずに自分の直したいという欲望を押し進めてしまいがちなんですけれども、 やっぱりそこはここまでできたから終わりではなくて、 ここまで整えたら次は後ろの方が動きやすいように、 どうなっているか、ちゃんと私はできているだろうかということを考えてみるということが必要になってきます。 本当に先ほどの毛丸の話と一緒で、ただ自分がかっこよくではなくて、 かっこよければこうしたことはありませんけれども、 かっこよくありつつ次の人へ向けて的確な位置に的確な丸を渡す、 私たちも的確な位置に的確な衣を落ち着かせるというか、 そういう共通点がやはり見えてきます。 二人で行うおふくあげというのは、そうしたすごく深い学びがたくさんあります。 自分が目立つための技ではないので、毛丸をかっこよくやっているのでは調和が取れないわけですよね。 でもこのおふくあげ二人の意気があっていれば、この仕上がりも良いなという空気が流れるし、 まずはもうお方様が安心するということですね。 その心配りがあってこそ全体が美しく整う、それが獲物道の動きです。 # おわりに はい、けまりでは自分がどれほど上手にまりを蹴っても、次の人が受け取らなければ、そこで続かなくなってしまいます。 ですから相手が蹴りやすいところへ返すことが一番大切です。 私はこの考え方がとても良いなと思っています。 自分の技を磨くことと相手のことを考えることが別々じゃなくて一つになっている。 自分の技は相手あっての技。 相手を見るからこそ上手に渡せるようになる。 もう自分一人の世界ではないということですよね。 そしてみんなで続けられるからこそその技が生きてくる。 仕事でも似てますね。自分の役割をきちんと果たして。 それも大切ですけれども、その仕事を受け取る人が困っていないか、 次の人が無理なく続けられる状態になっているか、引き継ぎができているかとか、 そこまで目を向けると仕事の仕方が少し変わってくるかもしれませんね。 また、けまりには勝ち負けはありませんが、まりを落とさずに続けるという目標というものがあります。 誰かを任すのではなくて一緒に続けることを目指す。 そして続いた時の喜びをみんなで分かち合う。 そこにもこの遊びが長く受け継がれてきた魅力を感じています。 はい、今日は平安の人々が楽しんだけまりのお話でした。 勝ち負けがなくて相手が蹴りやすいまりを渡すことを大切にする遊びです。 自分が上手にできることではなくて、次の人が続けやすいようにすること。 今日、誰かに仕事や何かを渡す場面があったら、そのことを少し思い出してみてください。 そうだそうだ、けまりはそうだったなと思い出していただければ嬉しいです。 昔の人々がまりを繋いだように、私たちも日々の小さな心配りを繋いでいけたらと思います。 それではまた。ごきげんよう。 もっと見る #思いやり #平安時代 #蹴鞠 #懸の木 【にちにち気づきだより】さとうみなこ/十二単着付け師01:421.今日はどんな日?04:012.蹴鞠から学ぶこと05:033.相手あっての自分02:114.おわりにコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
第687話 立冬『つばき』と読むのに、山茶花が咲く 15分・18時間前・ 58再生AI目次立冬に秘められた植物の謎「つばき」が指す花の意外な正体着物文様で楽しむ季節の先取り術自然観察が深める文様理解の鍵古い言葉に隠された季節の真実とは
第686話 蹴鞠には勝ち負けが無い⁈ 13分・一昨日・ 76再生AI目次蹴鞠に隠された「勝ち負け」を超えた真髄平安貴族が愛した蹴鞠の技と美意識「次」を繋ぐ日本の伝統に見る協調の精神おふくあげから学ぶ相手への繊細な心配り仕事や日々に活かす「渡し方」の極意とは
第685話 牡蠣の季節に、昔の人の知恵を思う 10分・11月5日・ 57再生AI目次平安京へ届く牡蠣と保存の知恵冷蔵技術なき時代の工夫とは珍味コノワタに宿る昔の知恵伝統技を活かす臨機応変な思考不便から生まれた工夫の奥深さ
第684話 平安の一生⑤血の繋がりを超えて、続いていく縁 14分・11月4日・ 108再生AI目次平安貴族の子育て、その知られざる担い手とは源氏物語に学ぶ血縁を超えた絆の秘密七五三の源流と貴族の子供の成長儀式師匠と弟子の関係性が教えてくれる縁の形離れてわかる長く続く縁と学びの真髄
第683話 文をもって化する【文化の日】 17分・11月3日・ 89再生AI目次「文化の日」真の意味と「文」の源流平安の教養が語る「力ではない美」の追求着付けに学ぶ「早さ」と「美しさ」の真髄「見えない余白」がプロの技を深める知恵と技を次代へ、文化継承の価値
第682話 【もみじ】変化を楽しむ秋 14分・11月2日・ 51再生AI目次「もみじ」の意外な語源、動詞「もみつ」とは万葉集から平安へ、紅葉表記の変遷の謎完成形ではない「移ろい」の中の美しさ体験がもたらす、物の見方を変える喜び学びを豊かにする「途中経過」の楽しみ方
第681話 亥の子と炉開き 13分・11月1日・ 68再生AI目次旧暦10月の「亥の子」冬の火始めの儀平安貴族も愛した亥の子餅の謎火を制す?亥の日に火を使う古の知恵信頼を生む「ひと手間」〜仕事の流儀古の行事から学ぶ「使い始め」の心構え
第680話 冬隣〜美しい10月でした 14分・10月31日・ 94再生AI目次冬隣: 冬の気配と10月の締めくくり暦の視点: 移ろいゆく季節に見出す価値稽古場: 予定外の状況が育む深い学び足りない: 不足の中にこそ宿る真の美とは?神無月尽: 今あるものを見つめる古人の知恵
第679話 冬の大根は、なぜ甘くなるのでしょう 15分・10月30日・ 92再生AI目次冬野菜が甘くなる不思議な仕組み寒さに備える植物の生存戦略平安時代の食卓を彩る冬の恵み学びの「加減」を見極める指導の難しさ成長に必要な「ちょうど良い」環境とは