TOPライフスタイル子育て対話の本棚(旧:特別支援の本棚)#1314 居場所がなかった頃の話し17:31 8月26日 600再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次優しさゆえに失う自分の居場所新天地を求め金魚の糞と化した日々育児とインクルーシブ教育の苦悩役割を演じ作り上げた幻の居場所何者でもない私でいられる場所の探求AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます、沙織です。このチャンネルは日々の暮らしや子育て、障害児育児やシングルマザーの経験を通して感じたことをお話ししています。 今日はですね、ボイシーさんのデイリーハッシュタグ企画だったかな、ウィークリーハッシュタグ企画だったかの中に、私の居場所っていうのがありましたので、こちらをお借りしてお話をしていこうと思います。 皆さんには、ここにいると安心するなと思う、自分がいるべき場所っていうものがありますでしょうか。 私のボイシーを聞いてくださっているリスナーの方々の中にはですね、やっぱり子育てをしているお母さんだとか、働きながら主婦をしている方、あとは教育だとか福祉の現場で働いている方が多いなって感じています。 そういう方々って実はみんな、自分の居場所を作ることよりも誰かの居場所を作る側に回ってしまうことが多いんじゃないかなって思います。 例えばですけれども、家庭の中では子供の居場所がちゃんとあるかなっていうことを考えたりだとか、教育の現場だと生徒さんの居場所を考えたりだとか、福祉の現場だと利用者さんの居場所を考えたりだとかね、 日々忙しくこの子が安心できる場所はどこだろうって考えたり、この人がこの人とらしくいれる場所はどこだろうって考えて、そんなことを一生懸命考えてしまう。 要はですね、優しさからくる現象だと思うんですけれども、そうやって誰かの居場所を作ることに一生懸命になってしまうと、自分の居場所を作ることを後回しにしてしまう方が多いんじゃないかなって思います。 自分の居場所はどこですか?あなたの居場所はどこですか?って聞かれたら、なかなかここかなって答えられる方ってどれぐらいいるんでしょうかね。 なぜそんなことを思うのかというと、今の私っていうのは、ここが私の居場所だっていうことが結構はっきり言えるんですよね。 でも若い頃の私とかね、すごく若い頃の私だとか、30代で子育て中の私っていうのは、きっと自分の居場所っていうものが他者の居場所を作る側、プロデュースする側に丸まることで、 なんとなくプロデューサーとしてそこに無理やり居場所を置いていたりしたことがあったりだとか、それ以外にも私の居場所ってここじゃない。 もっと楽しいところに行けば、居場所が生まれるみたいな幻想を抱いてしまった時期は結構長かったなぁと思うんです。 だからそう迷宮入りした時期があるから、今はっきり自分の居場所がわかっているってそういうことが言いたいんじゃなくて、これからもまた自分の肩書きだとかフェイスだとか、 生き方が変わってくる中で、居場所って問い直し続けないといけないなって思ってるし、その居場所を場所だけって思っていた部分があったから、それを今後も問い直したいなって思う中で、 そう、問い直し続けたいなっていう思いがある中で、ちょっと今日は居場所についてお話をしていきたいと思います。 もしよかったら聞いていてください。 # 居場所がなかった頃の話し 居場所の話をするにあたって、私自身のこれまでのことをお話をしておくと、 20代の私っていうのは、すごいね、好奇心旺盛だったと思います。 で、実際に好奇心旺盛だったかどうかっていうのは、ちょっとよく今振り返ってみるとわからなくて、 それはなぜかというと、なんか海外に行きたいなと思ったらお金を貯めてフラッと行ってしまったりだとか、 なんかやりたいことがあるって思ったら、ついその手の情報を集めて、 その場所に一人でもポンと行ってしまったりするような気質の人だったんですよね、私は。 今こうやって年老いて考えてみると、もちろんね、それがやりたかったっていうのもあるし、 そういうものに興味関心があったっていうものもあるし、経験が欲しかったっていうのもあると思うんだけど、 だけど当時の私は、自分の居場所みたいなものが見つけられてなくて、 なんか新しい場所に行けば新しい私に出会えるんじゃないか、新しい自分の居場所を見つけられるんじゃないかみたいな、 自分の足が地に着地してないから、なんかそういうふうに思って行動を起こしていたところもあるんじゃないかなって思うんですよね。 そんな状態のまま私は30代に突入するんですよね。 30代に何が起こったのかというと、30代に私は結婚をして子供を産みます。 その結婚と同時に私は専業主婦になるんですよね。 当時私と同世代の人たちが若い時っていうのは専業主婦になりたいという声もまだまだすごく多かったんですけども、 でも実際になる人は少なくて、ほんと一握りの女性たちで。 私は専業主婦になったんですけども、でもそれは望んでなったわけじゃないんですよね。 なぜかというと、当時の旦那さんが元夫が転勤族だったということもあるので、それについて行ったりですとか、 すぐ子供もできたんですよね。 その中で子供が障害の判定を受けてしまって、 病院だとか福祉現場だとか、障害手続だとか、幼稚園だとかバタバタしていたら全然働くことができなかった。 そのまま専業主婦であり続けるんですけれども、 その専業主婦っていうのが世間の憧れとは違って、すごく私にとっては苦しかったんですよね。 何が苦しかったかというと、精神状態が苦しかったですね。 端的にどんな状態が苦しいのかというと、金魚の糞みたいな気分になったんです。 常に自分が何をしているのかということが言えなくて、 例えば、誰々さんの奥さんなんですねってこう言われると、 そうです、誰々の妻ですっていうしかなくて、 誰々のお母さんなんですねって言われると、 そうです、この子の母親ですって説明する機会しかなくなってきて、 誰かの私なんですよ。いつも紹介するときは誰かの私。 だから金魚の糞って表現が悪いんですけど、そんな気がしてしまっていたんです。 今実際に専業主婦をされている方がそうだとは私は絶対言わないです。 ただ当時の私はそんな気分を抱えていた。 それはなぜかというと、やっぱり稼ぎ出せていない自分がダメだって 勝手に自分で思い込んでいたんですよ。 これ本心としてフォローを入れておくと、 専業主婦をしながらパートナーの労働を支えるとか、 育児をするとか、家庭を回すとか、そういったケア労働は報酬が出ないですけれども、 すごい労働ですよ。報酬も評価も出ないのに、 それをし続けるってすごいことだと思っています。 でも当時、現役でそれをしていた私にはそれに気づくことができず、 すごく苦しくなってしまっていたんですね。 本題の通りですけど、どんどん自分の居場所がわからなくなっていた状態でした。 当時はそのことを考える余裕もなかったんですけども、 なんとなく居場所がなくなっている気がしている私は、 そのことがすごい苦しくなってしまっていました。 今度は娘たちが幼稚園に上がると、娘と息子が幼稚園に上がると、 当時社会的にも手探りだったインクルーシブ教育導入の幼稚園だったので、 その中でインクルーシブという概念が微妙だったんですよ。 全ての子が一緒にいる中で、個別配慮をしながらみんなが同じことをしていくという概念がインクルーシブ。 その子がその子でありながら力を発揮できる環境を作ることがインクルーシブかな、 なんてぼんやりした考えで私は幼稚園に飛び込んでいたんですけれども、 でもやっぱりマンパワープロ不足だったりとか、みんなの知識不足だったりして、 お母さん、今日は娘さんと息子さんちょっと参加できないもんだから休まれていいですよとか、 遠足行けそうにないですね、休まれていいですよとか提案されることがたくさんあったんですよね。 それはもちろん意地悪とかじゃなくて本当に当時の優しさから来るものでした。 こうやって私たちは幼稚園に所属している子どもたちだし、 私は母親なのにまた場所を削られていくような感覚があったんですよね。 それ以外にも放課後とか放縁後、夕方の幼稚園の様子でみんなは公園で遊べるんだけども、 うちの子どもだけ公園で遊んで帰ることができなかったりとかする。 それは娘ができなかったということでしたね。娘がそこにいたくなかった。 うちだけもうさっさと帰っていく、そういうことがあって続くと、 どんどん専業主婦以上に自分の居場所が削られていく感覚が私にはありました。 そんなふうに精神的に迷宮入りした私が、 どうやって自分の居場所、自分の存在意義、 居場所ということを今回存在意義ということに似て非なるものなんですけども、 置き換えようと私が必死で抵抗して、自分でどうやって居場所を得ようとしたかというと、 役割を果たすことで居場所を得ようとし始めたんですよね。 どういうことかというと、母親として世間の目から見てのちゃんとしていることだったりだとか、 子どものために動ける母親であることを定義付けて一生懸命頑張ることだったりだとか、 周囲に迷惑をかけないことで自分の居場所を得ようとしたりだったとか、 とにかく役割を果たすことで何とか自分の居場所を確保するようになってしまったんです。 要は他人の目を気にして動くことで、私だってここにいていいんだよね、 みたいな感じでポジションを作り上げる行動をし始めたんですよね。 そんな毎日が楽しいかって言われたら、今振り返ると楽しいわけがないです。 でも当時はそうやってポジションを作ることで、私はここにいてもいい、 これがきっと楽しいことなんだ、みたいな幻覚を抱いていたんじゃないかなって、 今振り返るからなんとなく記憶としてそんなふうに思っています。 でもですね、私今自分の居場所はここだって言えるって言ったんじゃないですか。 そんな落ち着いた状態の私が振り返って思うのは、 そんな私が思う居場所っていうのはですね、 自分が役に立っていなくても、自分が肩書上何者でなくても、 そこにいていいと思える場所こそが自分にとっての居場所なんじゃないかって思います。 もっと言うと、当時私が欲しかったものっていうのは、 場所じゃなくて、役に立っていなくても、何者になっていなくても、 そこにいていい時間だったのかもしれないなって思うんですよね。 20代の頃と30代の頃は全然違う居場所の探し方ではあるんですけれども、 そして全然違う精神状態での居場所の探し方ではあるんですけれども、 私が欲しかったのは、何者でなくても、自分が役立っていなくても、 そこにいられる時間、そういう時間がたくさん欲しかったんじゃないかなって思います。 そういう時間を細切れでもいいから、たくさん作ることで、 ただの私でもいていい場所みたいなものが生まれてくるんじゃないかなって思います。 例えばね、肩書をとってみればいいんですよね。 母親でない私とか、支援者でない私とか、 労働者でない私とか、妻じゃない私、 そういう肩書をとってみて、 そこで残ってくる私が存在できる場所みたいなものが、 本当は欲しかったんじゃないかなと思います。 ちょっとチャプター変えますね。 # チャプター 3 今はそんな風に断言しているんですけれども、これから先の人生っていうのはね、今持っている肩書きっていうのはどんどん色濃さが薄れていくと思うんですよね。 母親だとか、今の労働環境だとか、今の家族の関係だとか、どんどんまた形がね、すごくこれから40代後半から、きっと60代70代ぐらいにかけて変わっていくと思います。 このまま肩書きがほとんどなくなるかもしれないし、新たな肩書きを得るかもしれない。 そして、社会環境も早い中で、自分自身の思考も変わっていくかもしれない。 で、その中でね、また迷宮入りすると思うんですよね。 私の居場所ってどこだっけ?みたいなことを何回も思うかもしれない。 でもそんな時もやっぱり忘れたくないのは、20代30代の頃の私みたいに、居場所がないなと思って必死に役割を果たすことで居場所を得ようとするのではなく、 さらには自分に合う場所を探さなきゃと思って焦ったりするのでもなく、 どんな時も、例えば一人でいる時間も、何も生み出していない時間も、 あと誰かの話を聞いている時間も、そして自分が誰かに話を聞いてもらっている時間でも、 私は私でいいとか、私はここは頑張らなくていいとか、そういうふうに思える小さな時間をたくさん生み出して、 自分の居場所の在り方みたいなのを問い続けていけたらいいなぁなんて今は思っている次第です。 なのでちょっとまとめておくと、私の居場所ってどこだろう?みたいなテーマを相談に考えるといいんですけれども、 最近私が機嫌よくいられたのはどんな時間だったのかな?という時間のことを考えてみるのもいいなって思うんです。 そういう時間がたくさん詰まっている場所が、もしかすると今の自分にとって必要な居場所なのかもしれない。 子どものことでもなくて、仕事のことでもなくて、何かつながっている場所でもなくて、 私が私として過ごせている時間がたくさんある場所。 まずはそこをすごく大事にしてみる。 それだけで、今の自分の中のちょうどいい居場所が見つかってくる。 もしくはヒントになるんじゃないかな?なんて思っております。 というわけで、私の居場所のお話でした。 昨日はプレミアム放送をしております。 内容は、障害のある子の親が働けないんじゃなくて、働き続けることができない、 そういう環境がまだまだあるというお話をしております。 これは何かというと、Xの方で発達障害のある子どもを持った親たちが働けないというニュースが出ていて、 それに対して当事者性の高い方が声を上げていらっしゃいました。 私もその声を上げたんですけれども、そうすると、 そういう社会課題に関心がある人たちがリツイートをしてくださって、声が広がっていたんですね。 私がいつも思っている、このXの中では社会課題が広がっていくのに、 リアル社会の中ではそれが全然話題になっていないことなんかがあるなというお話をしていて、 それはなぜだろうかというのを私視点で考えておりますので、そんなお話をしております。 次はお知らせです。 来週にはなるんですけれども、9月2日の夜21時からスキアララジオをしている、 放送している、私と恩次麻里先生で、岡田太郎先生の放送をジャックしに行きます。 事前になったらもうちょっと詳しく周知するんですけど、つい忘れちゃうので、先にお伝えしておきます。 もう一つお知らせです。 少し前もお知らせをしていたんですけれども、オフ会をします。 これはコラボオフ会で、合同オフ会で、 人気ボイシーパーソナリティのCKさんと一緒に都内で11月22日のランチタイムに合同オフ会をします。 まだ場所とか詳細には決まっていないんですけれども、 11月22日ランチタイム、私たちの合同オフ会があるということを、 もしよかったらメモしておいていただくととても嬉しいです。 こちらは私かCKさんのどちらかのプレミアムリスナーになっていることが条件です。 まだ先なんですけど、私すぐアナウンスを忘れちゃったりするので、このあたりでまた一回しておきました。 はい、というわけで今日は水曜日。いい一日にしていきましょう。 そしていい一日となりますように。さようなら。 もっと見る #私の居場所 対話の本棚(旧:特別支援の本棚)プレミアム放送配信中!03:221.初めのあいさつ09:292.居場所がなかった頃の話し04:413.チャプター 3コメント感想・質問・応援メッセージを書こう ヨネヤママサカズ8月26日居場所(拠り所とでも表現した方がいいのでしょうか)を確保すること、私もとても重要だと思っていますできれば、居場所が必要な人を、どこかに繋ぐことができればとも思いますが、なかなか上手くいかずです…そして、バースデードネーションへのご協力ありがとうございます!大変うれしく、感謝しています2返信 土屋綾乃8月26日子育て中は、居場所のことを感じる余裕もないほど必死だったのか…あまり覚えていないのが正直なところです💦私が私でいられる場所…今はちょっと中途半端なところに居る感じです😅2返信 AZ8月26日📕🧑🤝🧑🎶🏃一昨年まで専業主婦で我が子3人の療育を含めた育児に奔走してきた身としては共感の強い放送でした。こうやってマイノリティの立場の意見を発信してくださることに いつも感謝しています💓残暑厳しいですが体調に気を付けてくださいね☕4返信
#1327 sukiyaraラジオvol.7 35分・9月11日・ 302再生AI目次二人の素顔に迫る!質問回答フリートーク愛用リップ公開!NARSとKATEの秘密ポーチの中身公開!意外な常備品とはレジナール効果?劇的肌変化の裏側強みと弱み、自己分析で知る新しい私
#1326 失ったものを数えてしまいがち 9分・9月9日・ 230再生AI目次人生で失ったものを数える心理笹山さんの不当な降格と5年間の苦悩恨まずにいられた笹山さんの境地過去の苦しみを学びとすり替える危うさ今あるものに目を向け恨みを手放す思考
#1324 24時間テレビが可視化した「共生」をめぐる本音 15分・9月7日・ 946再生AI目次"24時間テレビ"で浮上した星野真里氏への論争SNS炎上と「共生」を巡る日本社会の本音インクルーシブ教育の理想と日本の学校現場24時間テレビの描写と障害者像への疑問議論が可視化した「共生」への問いかけ
できれば、居場所が必要な人を、どこかに繋ぐことができればとも思いますが、なかなか上手くいかずです…
そして、バースデードネーションへのご協力ありがとうございます!大変うれしく、感謝しています
私が私でいられる場所…
今はちょっと中途半端なところに居る感じです😅
一昨年まで専業主婦で
我が子3人の療育を含めた育児に奔走してきた身としては
共感の強い放送でした。
こうやってマイノリティの立場の意見を発信してくださることに
いつも感謝しています💓
残暑厳しいですが
体調に気を付けてくださいね☕