《終戦の日》オードリー・タンさんがおばあさまの自伝のウェブサイトを開設
15:52
505再生
【オードリー・タンさんがおばあさまの自伝のウェブサイトを開設】
(※オードリーさんによるウェブサイトは数ヶ月前に公開されたものであり、終戦の日に合わせてではありません。終戦の日を機に、私が皆さまにご紹介したいと考えました)
今日は終戦の日。オードリー・タンさんの父方の祖母、蔡雅寶(ツァイ・ヤーバオ)さんの自伝『追尋ーー鹿港から眷村への歳月』を、改めて紹介させてください。
ヤーバオさんは、日本統治時代の1934年、 台湾の彰化県・鹿港の名家「蔡家」の四女として生まれた本省人です。
自伝の中では、日本統治時代に日本語の「春子」という名前を与えられ、日本の教育を受けていたものの、日本の敗戦により、小学四年生で失学したこと、
日本統治時代の台湾もアメリカ軍の攻撃に遭っていたので、空襲から逃げるために一家で山の中に逃げ、厳しい暮らしを送られていたこと、
医者志望だったお兄様が、日本の志願軍として南洋諸島へ向かうも、アメリカ軍によって船が襲撃され、命を落としたことなど、
日本統治時代の台湾が戦争に巻き込まれたことによる、幼少期の辛い経験も数多く綴られています。
また、ヤーバオさんは1歳半の時に実のお母様をご病気で亡くし、二番目の継母も肺結核で亡くし、三番目の継母からきつく当たられてご苦労されましたが、自らが幸せになることを諦めず、恋に落ちた外省人の軍人との結婚を選びました。二二八事件の数年後という外省人と本省人の対立が最も激しい時代に、父親や周囲の反対を押し切っての結婚でした。
苦しい暮らしの中でも五人の子どもを設け、裁縫の技術を身に付け、周囲の軍人たちの衣服を修理しながら生活費や子どもたちの学費を稼ぎました。戦時中で小学校も卒業できなかったヤーバオさんは「学びが続けられなかったことが人生で最も遺憾で苦痛だった」と記されており、だからこそ、どんなに生活が苦しくても子どもには一番番良い教育をと考え、金銭を工面されていました。
そうして、長男のタン・グアンホアさんが名門・国立政治大学の政治学部に合格し、大学のキャンパスでリー・ヤーチンさんと出会い、学生結婚することでオードリー・タンさんが誕生します。
タン・グアンホアさんの合格について、ヤーバオさんの自伝には「心の中にあった大きな石をやっと下ろせたような気持ちになりました。息子は私をがっかりさせることなく、私は夫に跡取りを渡すことができた」「夜、ベッドの上でも涙が止まりませんでした」といった文章を読み、ヤーバオさんの想いや、長男であるグアンホアさんがどれだけの重責を背負って大学を受験されたのか、窺い知ることができました。
そんなツァイ・ヤーバオさんの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』は、80歳になったヤーバオさんが、一年かけて一文字一文字手書きで書いたものを、次男の光德さんがパソコンで書き起こす形で作られました。
私がボランティアで翻訳したものは、私のnoteで無料公開していますが、いつかは紙の冊子にしてヤーバオさんにプレゼントしたいと思いながら、もう三年が経過してしまいました。(早く行動しなければ…!)
そんな私を優しくフォローするように、オードリーさんが、『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』のウェブサイトを構築されたのです。(数ヶ月前に公開されたものであり、終戦の日に合わせてではありません。終戦の日を機に、私が皆さまにご紹介したいと考えました)
台湾華語と日本語の二言語切り替えで、年表やマップでヤーバオさんの軌跡が辿れるようなインタラクティブな機能も用意されているではありませんか!
オードリーさんはいったいどのようにして、このサイトを作ったのでしょう。魔法使いのようです。
終戦の日をきっかけに、日本統治時代の台湾がどのような状況であったのか、ヤーバオさんの人生を一緒に知っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。
🔗ツァイ・ヤーバオさんの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』ウェブサイト
https://grandma.audreyt.box/ja/
🔗『オードリー・タンの母が綴る「家族と教育」』 集英社文庫
https://amzn.to/4rntfxu
(※オードリーさんによるウェブサイトは数ヶ月前に公開されたものであり、終戦の日に合わせてではありません。終戦の日を機に、私が皆さまにご紹介したいと考えました)
今日は終戦の日。オードリー・タンさんの父方の祖母、蔡雅寶(ツァイ・ヤーバオ)さんの自伝『追尋ーー鹿港から眷村への歳月』を、改めて紹介させてください。
ヤーバオさんは、日本統治時代の1934年、 台湾の彰化県・鹿港の名家「蔡家」の四女として生まれた本省人です。
自伝の中では、日本統治時代に日本語の「春子」という名前を与えられ、日本の教育を受けていたものの、日本の敗戦により、小学四年生で失学したこと、
日本統治時代の台湾もアメリカ軍の攻撃に遭っていたので、空襲から逃げるために一家で山の中に逃げ、厳しい暮らしを送られていたこと、
医者志望だったお兄様が、日本の志願軍として南洋諸島へ向かうも、アメリカ軍によって船が襲撃され、命を落としたことなど、
日本統治時代の台湾が戦争に巻き込まれたことによる、幼少期の辛い経験も数多く綴られています。
また、ヤーバオさんは1歳半の時に実のお母様をご病気で亡くし、二番目の継母も肺結核で亡くし、三番目の継母からきつく当たられてご苦労されましたが、自らが幸せになることを諦めず、恋に落ちた外省人の軍人との結婚を選びました。二二八事件の数年後という外省人と本省人の対立が最も激しい時代に、父親や周囲の反対を押し切っての結婚でした。
苦しい暮らしの中でも五人の子どもを設け、裁縫の技術を身に付け、周囲の軍人たちの衣服を修理しながら生活費や子どもたちの学費を稼ぎました。戦時中で小学校も卒業できなかったヤーバオさんは「学びが続けられなかったことが人生で最も遺憾で苦痛だった」と記されており、だからこそ、どんなに生活が苦しくても子どもには一番番良い教育をと考え、金銭を工面されていました。
そうして、長男のタン・グアンホアさんが名門・国立政治大学の政治学部に合格し、大学のキャンパスでリー・ヤーチンさんと出会い、学生結婚することでオードリー・タンさんが誕生します。
タン・グアンホアさんの合格について、ヤーバオさんの自伝には「心の中にあった大きな石をやっと下ろせたような気持ちになりました。息子は私をがっかりさせることなく、私は夫に跡取りを渡すことができた」「夜、ベッドの上でも涙が止まりませんでした」といった文章を読み、ヤーバオさんの想いや、長男であるグアンホアさんがどれだけの重責を背負って大学を受験されたのか、窺い知ることができました。
そんなツァイ・ヤーバオさんの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』は、80歳になったヤーバオさんが、一年かけて一文字一文字手書きで書いたものを、次男の光德さんがパソコンで書き起こす形で作られました。
私がボランティアで翻訳したものは、私のnoteで無料公開していますが、いつかは紙の冊子にしてヤーバオさんにプレゼントしたいと思いながら、もう三年が経過してしまいました。(早く行動しなければ…!)
そんな私を優しくフォローするように、オードリーさんが、『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』のウェブサイトを構築されたのです。(数ヶ月前に公開されたものであり、終戦の日に合わせてではありません。終戦の日を機に、私が皆さまにご紹介したいと考えました)
台湾華語と日本語の二言語切り替えで、年表やマップでヤーバオさんの軌跡が辿れるようなインタラクティブな機能も用意されているではありませんか!
オードリーさんはいったいどのようにして、このサイトを作ったのでしょう。魔法使いのようです。
終戦の日をきっかけに、日本統治時代の台湾がどのような状況であったのか、ヤーバオさんの人生を一緒に知っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。
🔗ツァイ・ヤーバオさんの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』ウェブサイト
https://grandma.audreyt.box/ja/
🔗『オードリー・タンの母が綴る「家族と教育」』 集英社文庫
https://amzn.to/4rntfxu
近藤弥生子の、聴く《心跳台湾》
プレミアム放送配信中!
- 15:521.
🔗ツァイ・ヤーバオさんの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』ウェブサイト
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
tutu/ちゅちゅ
8月24日
終戦から81年経つので、こういった戦中、戦後の生きた証は、本当に貴重ですし、後世に残さねば、ですよね。自分の祖父母の話ももっと聞いとけばよかったと思ったりします🥹