TOPトーク教師ユーモアは教室を救う!【Voicy10周年記念】2016年の私49:16 10月5日 318再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次教師生活で最も燃えた高学年担任認められた喜びと、残酷な担任発表毎日学級通信300号、情熱の記録暴れん坊「太郎くん」との絆とは?型破りな挑戦、模擬就職面接の成果AI文字起こし(β版) # 2016年の私① 絶対に負けられない戦いがそこにあると言いますけれども、正直負けてもいい戦いなんてあまりないよね、でお馴染み、47歳です。 本日はですね、Voicyのウィークリー&デイリートークテーマに沿ってお話をします。 特別トークテーマ、2016年の私、ということです。 Voicy10周年を記念しての特別トークテーマということでですね、今週は2016年の私なんですけれども、おそらく来週は2017年の私みたいな感じになっていくのかな、そんな感じですね。 さて、2016年、皆さん、自分の2016年のことって思い出せます? 難しいんですよね、結構ね。 こんだけ前だとですね、何の時が2016年で何の時が2017年かっていうのがですね、なかなか振り返りが難しいんですよね。 難しいんですけれども、私、今小学校教員なんで、2016年の時の自分の実践記録みたいなのを読み起こしていたら、 ああそうそう、こんなことがあったなっていうのがですね、ちょっとずつ思い出しましたので、お話ししていきます。 2016年って言うとですね、年度で言うと2016年の4月からの2016年度って考えるとですね、私初めて高学年を担任した年だったんですね。 で、非常にね、今振り返ってみても、この年度の自分が一番燃えていたなと思いますね。 それはね、片肘張っていたと言っても過言ではないんですけれども、ものすごく自分で今振り返っても思うぐらいに熱い指導をしていたし、 いろんなことに時間をかけていましたし、帰りもですね、遅かったですね。 毎日夜9時過ぎまで学校にいましたし、朝はですね、本当に自分でも言いたくないぐらい早く、朝6時半に学校来てましたからね。 だから一番最初に学校に来るので、セキュリティとかのピッピッピって押して入るとかね、あれちゃんといろんな押す順番とかですね、校舎入った後の導線とかを間違えちゃうとですね、警備員が来て怒られちゃうんでね。 そういうのとか気使いながら朝一番に学校に来て、仕事をしてましたね。それで夜は夜9時過ぎまで学校に残っているという非常に不健康極まりない労働生活であったことを覚えていますね。 私はですね、当時品川の小学校に通勤してたんですけれども、出て1時間半近くかかるんですよね。だからね、分かりますよね、朝6時半に学校に到着しているということはですよ。 朝はね、電車の乗り継ぎが意外とうまいタイミングで行くので、70分くらいで学校に着くんですけど、それにしたって早いですよね。6時半に学校に着くと思ったら、朝6時過ぎには家に出てないといけませんからね。帰りなんかは本当に1時間半かかりますから、乗り継ぎがうまいこといかないんでね。 そんな年でしたね。それで当時、初めて5年生を担任したんですが、この5年生というのがもともと3年生の時に担任をしていた学級なんですね。 で、このね、クラス替えしてますから、メンバーはね、2学級、学年2学級しかないので、なんとなくばらつき方としてはですね、3年生の時に受け持った子供が半分くらいいるっていうような感じですかね。 で、この当時は、この学校はこの当時は奇数学年でクラス替えみたいな感じだったんで、3年生で受け持った子供たちが4年生になる時にはメンバーは変わらずで、私がまた受け持つ5年生でクラス替えをしたという、そういう感じですね。 でね、非常に思い入れがある学年集団だったんですよね。で、私が正採用で品川に赴任して初めて受け持った学級なんですね。 正採用として赴任した1年目は算数少人数だったんで、で、その翌年、担任ということですね。担任の仕事自体が初めてではないですね。教員生活1年目は、あの、埼玉県で臨時的に教員で学級担任をしてまして、 で、その次の年に品川に正採用で配付されて、その品川としての1年目が算数少人数担当と。で、翌年に3年生の担任をまた新たにしたということですね。 まあでもね、本当にまずその、この学年集団を3年生で担任した時からですね、なんかね、非常に自分が、あの、あらゆる面で自分なりの努力をしたからだとは思うんですけれども、まあなんかね、本当に充実してたし、学級がうまくいってたなという。 まあ旗から見たらどう、まあわかりませんけれども、非常に学級はね、うまくいってた感じがしたんですよね。それで3年生で担任した時には、まあ終了式は本当に涙のお別れみたいな感じでしたね。 だから、あの、私が当時その勤めてた学校っていうのは、まあその終了式を迎えた段階では、翌年度の自分の人事っていうのはですね、知らされてないんですよ。もしかしたら、あのうちうちでね、あの実は来年でちょっと校長室に呼ばれて、打診されていた方がいらっしゃったのかもしれないんですけども、私は知らされていませんし、多くの教員はですね、知らされてなかったんですね。 だからあわよくば、その持ち上がってね、クラス替えなしでしたから当時、4年生で持ち上がったらいいなあなんて思ってたわけですね。だけどまあ、結局担任できなかったんでね。 で、担任できなくて、どこの学級を受け持ったかっていうと、私が、あの、担長でも記してます学級法会からの請願。で、あの、受け持っていった、前年度ちょっといろいろあった学級を、私が、その子供たちが2年生になるときに受け持ったという経緯がありました。 私がですね、その新2年生を受け持っている間に、私がすごくいい雰囲気で終われた学級の子供たちは4年生であったということなんですよね。 で、これは学級法会からの請願でも記しておりますが、そのなかなか難しい大変な学級を2年生の学級を受け持っている、その教室のすぐ隣の教室が、去年まで私が受け持っていた子供たちっていうね、だから非常にこう複雑な思いでしたよね。 それで、本当はな、自分はあの子供たちを受け持ちたかったのにな、みたいなことを思いながら、その新2年生との激動の日々が1年間過ごしたわけですね。 で、この時ですね、私はですね、校長先生にこんなことも言われていました。 その大変な新2年生を受け持つ時に、これちょっと学級法会からの請願の本でちょっと印忘れたエピソードなんですけれども、私が3年生の学級を4年生に持ち上がりで持ちたいという気持ちはよくわかると。 だから、今回この新2年生を受け持った後に、ご褒美的な感じで、去年まで受け持っていた3年生が5年生になるタイミングで担任できるようにするからぐらいのね、なんかそれにそんなような話をね、された覚えがあるんですよね。 そういうのもあったんで、なかなかに大変な新2年生をなんとか立て直して、で、いよいよ翌年、新5年生になる子どもたち、自分がすごくうまくいってたなという集団を新たに受け持つことになったわけですね。 とは言ってもですね、その当時の私の勤めていた学校は、修了式があった日の午後の会議の時に誰がどこの学級を受け持つっていうのが発表されるんで、本当にね、ギリギリまでドキドキしながらその時間を迎えたっていうことを覚えていますね。 # 2016年の私② なんとなくですね、当時自分が初めてその高学年の担任になったっていうことに対してですね、こんな感情を抱いてたんですよね。 それは何かっていうと、やっと一人前の教員として認められたなっていうような気になってましたね。 大いなる勘違いなんですけどね、それってね。 でもなんか、私本当に、教員になりたての時もそうだし、その正作用として赴任してきてからもですね、 まあなんていうか、私の持って生まれたものっていうのもあるんですけど、なんかちょっとヘッポコな雰囲気をね、職員室で出してますから、 なんとなく周りにいじられやすいタイプなんで、ただまあそれが故にですね、なんかちょっとね、ずけずけとものを私は言われたりとかですね、 若干パワハラめいた発言をされることっていうのが先輩の教員からあったんですよね。 まあこれは別に男性の先生にそう言われるわけじゃないんですけど、ちょっとなんかオツボネ的な雰囲気の先生にすごく強みに当たられたりとかしてたんで、 なんかだから、その上で高学年を受け持つってことになった時に、まあなんかこれ本当に大いなる勘違いなんですけども、 なんか認められたなっていう気に勝手になってましたね。 まあそれと同時になんかすごいプレッシャーもあって、なんか自分がそのね、その5年生の子どもたちを3年生の時にすごくうまくできていたのは、 あくまで中学年の子どもたちだからじゃないかみたいなね、だから高学年を果たして君が受け持つことができるのかいみたいな、 なんかそんな目にさらされているような気にもなってましたね。 というのも、なんか本当に私がですね、3年生受け持ってた時にですね、本当に、すいません、嫌な言い方でしたって、 おつもね的な先生にちくちく、当時よく言われてましたからね、それが学級がうまくいってるのは中学年だからだよみたいなね、 高学年になったらあんたの指導は通用しないよんぐらいの、それに近いようなことをなんかちくちく言われたことがあったので、 当時はね、今に見てろ、今に見てろ、見返してやるみたいな、なんかそういう負の気持ちもね、結構ありましたね。 でね、修行式の日ですね、当時副校長先生がですね、校庭で1年1組誰々先生って子どもたちの前で発表していく場面があるわけなんですけども、 で覚えてるのは、私5年2組だったんですけども、5年2組、高橋亮先生っていった時に、今まで聞いたことがないぐらいの歓声がわーって上がってですね、 でなんかその子どもたちが、主に私が3年生の時に受け持てた子どもたちなんですけども、なんかもうわーって言って隣の子と抱き合って喜んでるみたいなね、なんかそんな感じではありましたよね。 でもね、今思うとですけど、本当にああいう場面はないくていいなって思うようになりましたけども、当時はなんか自分がその3年生の時に受け持てた時の自分の頑張りが認められたっていうような気になってましたね。 もしかしたら心の中でどうだ見たことかみたいな気持ちもね、混じってたかもしれないですね。何分ね、本当に私チクリチクリとおつもり的な先生にね、いろいろ言われてたところがあったんで、どうだ見たことかみたいな気にはなってましたね、多分ね。 っていうのがあったんですけども、一方で本当に当時鮮明に覚えてるのは、さっきも言ったように私がその5年2組として受け持つその学年集団を3年生の時に受け持ってるわけなんですけども、その3年生の時に受け持ったその学級がクラス外なしで4年生に進級してるわけですね。 その4年生で進級した時に私ではない別の教員の方、女性の方がですね、1年間担任したわけですね。その女性の方は別に私にとっておつもり的な先生でもなんでもないんですよ、全然いい人ですけど。 ただ、子供たちからすると、あまりその先生の指導が気に入らなかったのかわかんないですけど、こういう現象が起きていて、1年1組から順に担任発表していくじゃないですか。 で、私が3年生で受け持った子供たちが、もう5年生になる時のね、その時の担任発表の話ですよ。さっきワーって歓声が上がった時の担任発表ですけども。 4年生の時に受け持っていた先生が、3年生だか2年生の担任として、担任2年何組だれだれ先生ってその先生が名前が上がった時に、新5年生の子供たちから歓声が上がったんですよ。 もう一回言いますね。私が3年生の時に受け持っていた学年集団が、4年生になった時に受け持っていた女性の先生。 その先生が翌年、担任発表の時に、2年生だったか3年生だったかの時に名前が呼ばれたら、新5年生になった子供たちからワーって歓声が上がったんですよ。 どういうことかわかりますか。つまり、昨年度まで自分を担任していたその女性の先生が、別の学級の担任になることが確定した時に、歓声が上がったって話です。 つまり、どういうことかというと、自分が自分の担任にならなくてよかったっていう歓声なんですよ。 あれを見た時に、あの時ぐらいから担任発表って本当に嫌だなって。 明日は我が身じゃないですか。その後の5年生って言って、私の名前が呼ばれた時にワーって歓声が上がりましたが、でもよく考えてください。 その子供たちが別の担任、自分の担任にならなくてよかったなっていう歓声を上げてるわけですよ。 こんな残酷なことないじゃないですか。だって自分がいつそういう立場になるかわからないですよね。 そこで歓声を上げたってことは、ネガティブなシチュエーションで歓声を上げたってことは、そういう資質があるということですから、いつ自分がそういう目に合わされるかわからないわけですよね。 そういう意味では本当に怖くなりましたね。 4年生の時に学級が荒れてたのかって言うと、そんなことないんですよ。そんなことないですけど、多分いろんなギャップがあったんだと思うんですよね。 私、3年生で肝ってた時、ほとんどそんなに声を荒げて叱るとか、ビシバシするような指導なんてしてなかったので、 ただその翌年受け持った女性の方は、どっちかっていうとビシバシ行くタイプだったから、そのギャップもあって、ちょっとこの先生怖いみたいな感じになっちゃったかもしれないですね。 でも全然学級が荒れてたとかそんなことじゃないんですね。 だから、新4年生の担任の先生からは、その方が担任してる時はですね、結構こういうことを私に言ってくれてて、 あの子たちが、たかしさんの指導のおかげかわかんないですけど、子どもたちなんか本当に、なんて言ってたかな、喧嘩あんまりしないって言ってたかな。 なんか手があんまかかんないって言ってたかな。なんかわかんないですけど、そういうことを言ってくれてましたね。 今年は本当にトラブルが少なくて、本当にいいわみたいなことを私に言ってくれてたとこはあったんですけど、ただ子どもの中には何かしら思うところがあったんですかね。 担任発表の時にそんな反応するぐらいですからね。 いずれにしても、その場面が私、記憶に鮮明に残ってるんで、以来ですね、少しずつ果たして円溜めのように担任発表をする、あの場面って必要なのだろうかってね、なんとなく思い始めたんですよね。 なんか、ちょっとだから、二律背反ですね。なんかこの年、自分の担任発表の名前呼ばれて嬉しがってた自分と、でも別のネガティブな場面で歓声が上がってるって、両極端なシーンをその短い時間で両方見てますから、なんか複雑な心境になったことをですね、覚えていますね。 # 2016年の私③ まあまあそんな困難があってですね、新年度2016年度5年生、高校初めての高学年担任としての1年間がスタートしたわけですね。 ちょっとこの時点で今私20分も喋ってますね。 最後まで聞いてくれる方がいてどのくらいいるかわかんないですけど。 それでもう私、前年度になかなか難しい2年生を担任した時の、あれは2学期の途中ぐらいからだったかな。 3学期の頭ぐらいから、3学期か、3学期の最初ぐらいからかな。 なんかあの学級通信をですね、出すようになったんですよね。 それでその2年生担任の時には、3学期から学級通信を出して110か120ぐらい出したのかな。 そういうのがあって、新5年生を受け持つことになった時には、 ああもう本当に今年は学級通信を毎日出そうと思って出して、 この年は確か300号に到達したかしてないかぐらいかな。 でもとにかく毎日出してましたね。 先生方によってあれですよね。 学級通信で分量が多いと1日に2号分、3号分として出す人いますよね。 例えばA4サイズ1枚を出したとして、それが仮に例えば56号だとしたら、 もう1枚分出たら57号みたいな感じにしてっていう方いらっしゃいますけども、 私はそういうことは全然しなくて、とにかくその日に出したものはその時の号っていうかね、感じだったので。 だから毎日出したとしたら学校に行った日分の号数しか当然出ない。 中には500号だとか700号だっていうふうに出してる方いらっしゃるんですけども、 私ももしかしたらその分量で区分けして号数出したらもしかしたら500号とかになってたかもわかんないですけど、 とにかく学級通信を最もたくさん出していた年ですね。 だから記録も体力も非常に充実していた年だったと思います。 特にそれも区じゃないんですよね。好きでやってることなんで、学級通信もそうだし、 授業のことをすごく考えるとか、学校に遅くまで残ってっていうのも、 なんか別に自分がブラックな働き方してて嫌だなっていうのかな、 好きでやってることだったんで、そこまで区ではなかったですね。 でも今は全くそういう同じね、さっき言ってた夜9時まで残ってっていう働き方はなかなかもうできないですね。 せいぜい月に1回とか、どうしても間に合わないという時に残るぐらいですかね。 初めての高学年担任が自分が一度3年生の時に受け持ってた子供たちで良かったなとは思いましたね。 これはあくまで教師本位の話ですけれども、3年生の時に培った信頼関係みたいなものが、 5年生になっても生き続けてるところがあったのでね。 あと3年生の時に自分の学級だけじゃなくて、隣の学級も交換授業でね、 私、社会の授業を自分のクラスと隣のクラスで両方教えてましたから、 隣のクラスの子供たちとの関係も非常に良好だったんですよね。 よく私も授業中、バカみたいな話をいっぱいしてましたし、結構授業盛り上げてたんで、 そういう意味では良かったんですけれども。 だから最初はアドバンテージみたいなのがあったから、学級としてはすごくやりやすかったですね。 あとは交換授業が高学年になっても、高学年になった時は一緒に学年を組んでいる先生が社会専門の方だったので、 私は理科を裏の時間にやる感じにしてたんですけれども、非常に良い1年でしたね。 私の教員歴としては15年目なんですけれども、振り返った時に最も自分が輝いてたなという気がしてますね。 いろんなことにチャレンジしてたし、怖いもの知らずだったし、自分はできるって大いなる勘違いをしていた感じでしたね。 あと一緒に学年を組んでいる先生、私の年齢で言うと3つ、4つぐらい上の方なんですけれども、 今は都内の副校長をやってますけれども、その先生と一緒に組めたっていうのが良かったですね。 本当にお力のある方で、私は今まで学年を組んだ先生で、本当に先輩の先生で、本当に素晴らしいというか尊敬できる先生ばかりだったんですよね。 その先生は本当に子どもたちを褒めて伸ばす先生で、きっちり締めるところは締めるっていう方なんですけれども、その先生も非常に人気のある先生だったんですよね。 さっきの担任発表のことですけれども、5年1組でその先生の名前が呼ばれたときにも歓声が上がって、私のときにも歓声が上がって、学年を2クラスとも歓声が上がった学年はその学年だけだったんですよ。 そのぐらい一緒に組んでいる先生も人気もあって、実力もあって、尊敬できる部分もいっぱいあってっていう方だったんで、非常に私も学ぶことがいっぱいありましたね。 その先生のすごいのは、その先生と一緒に5年生、6年生といって持ち上がっていくんですけれども、その先生が5年生を受け持っているときも6年生を受け持っているときも、 朝の時間の過ごし方っていうか、子供たちが男子女子関係なくその先生の事務机に座っていたら、そこにわーって群がるんですよ。大人気っていうかね。 あれすごいなって思いましたね。 その高学年の女子とかもそうですよ。大人ぶたの女子とかでも、その先生の周りに集まって、その先生のことをいじったりとか。 その先生、カエルが嫌いなんですよ。カエルの絵を描いて、その先生に見てて、その先生がやめてよとか言って、そんな感じの先生なんですけど。 よく当時の校長先生が、初任者の先生だったりとか教育実習の先生に言ってた話ですごい印象に残っているんですけど、子供たちとどういう信頼関係を作るとか、子供たちとのコミュニケーションの仕方っていうのは、その先生の朝の様子を見た方がいいよってアドバイスする。 お手本としてね。その朝の様子を見ることが勉強になるよっていう風に校長先生が、初任者の先生とか、その実習生の人によく言ってたぐらいすごかったですね。 うらやましいなと思いましたね。私もどっちかというと子供が来てくれる方でありましたけれども、でもあの朝のあのにはかなわないですね。絶妙に隙があって、別妙に子供を上手に捌くっていうかね、いじるっていうか、私もできない方じゃないんですけど、その先生はすごかったですね。 あとはでも、あいに植えている子がその周りにはいたような感じもしますね。その先生が受け持っていた結構大人びた女の子がいたんですけども、その子がその先生におんぶをせがんだりとかするぐらいなんですよ。考えられないんですよ、私からしたら。 で、私が5年生で受け持っていた子供たちが6年生に進級するときにクラス替えを毎年することが決定したんですね、ちなみに。 だから私が5年に組みとして受け持った子供たち、6年生受け持つときにクラス替えで半分入れ替わるんで、その半分入れ替えたときにその一緒に組んでいた先生のクラスにいた大人びた女性、女の子が私のクラスになったんですけど、みじんも私のところにおんぶせがんとかないですかね。 おんぶせがんでほしいってわけじゃないですよ、だって今そんな時代的にどうかって話ですから。やっぱりすごかったなって思いましたね、そのぐらい子供たちとの通い合いっていうかね、それをもうちょっと覚えてますね。 まあまあそんな感じなんですけど、その先生と一緒に学んでね、時々飲みに行ったりとかね、時々ラーメン食いに行ったりとか、その先生とはしてました。それで今はもう交流があってですね、いい関係を築いてますね。 # 2016年の私④ ちなみにですね、私の短著1作目のですね、子供劇編お笑い芸人のとっておきの言葉っていう短著があってですね、 皆さんこれお聞きになっている方で、お持ちの方はどれだけいらっしゃるかわかんないんですけども、 これは学校現場におけるユーモア対応を1冊の本にまとめたものなんですけども、 その中に登場する本の中で仮名として太郎くんという男の子が出てくるんですけど、 暴言を吐くことでおなじみの太郎くんみたいな感じなんですけど、この太郎くんを私はこの5年生で担任して、 そのまま持ち上がって、クラス外こそありましたがその子をそのまま持ち上がって6年生で担任しているっていう、この年度の子供たちなんですよ。 思い出が私もあるわけですね。 その子が私のクラスにいたので、私は怖かったですね最初は。 一体この子が自分が受け持って自分が背負い切ることができるだろうかっていう思いがありましたね。 これ前、その短調では記してますけれども、あと私の過去の放送、これ第1回目の放送で、 確かその太郎くんの話題が出てますので、太郎くんって一体どんな子なんだっていうのは、第1回目の放送をお聞きいただきたいんですけども、 その子が2年生の時に、その当時私が勤務している学校に転入してきたんですね、2年生の時に。 その振り込みとしては、相手方の学校からは、とにかく大変な暴れん坊で、 学級崩壊の長本人だったみたいな、学年で一番大変だったみたいな振り込みで転入してきてた子だったんですよね。 転入してくる、確か夏休みか何かの時に、聞くじゃないですか、2学期からお世話になりますみたいな感じで、転入の手続きとかしますよね。 夏休みの日職の先生が対応するじゃないですか。 その日、私は仕事で学校に行って職員室にいたんですよね。 転入しますっていうことで、その子のお母さんと妹も一緒にいたかなって言っても、その時は私は顔を見てないんですけども、校長先生が対応してたんですよね、校長室で。 で、私職員してるじゃないですか。 そうすると校長室で鳴り取りが全部聞こえてくるんですよ。 でもね、その聞こえてくるだけで大変な暴れん坊だってことが分かるぐらい、なんかね、すごかったんですよね。 言葉遣いとか、当時2年生ですからしょうがないんでしょうけども、ずっと終始お母さんに怒られてましたね、校長室で。校長先生いる前で。 そんな感じだったんで。 で、3年生の時には、私の隣の学級にその子がいて。 一緒に組んでたベテランの女性の先生が割と上手いことやった。 私はビシバシ系の先生でありましたが、でもあの先生だったから、なんとかうまく抑えてたっていうかね、そんな感じだったんで。 で、私がまた5年生になった時に、その子を受け持つことになったわけで、どうかな、受け持てるかなっていう思いがありましたけれども。 振り返ってみると、私がその子のことをものすごい強い目に叱ったことは多分数え上げるぐらいしかなくて、その子とは非常にいい関係を築けた2年間でしたね、合力で持ちましたけれどもね。 本当、育つではありましたし、授業中暴言がすごいですけど。 ただ、にしても私に向けて直接、私のことに対して暴言を吐くってことはあまりなかったんですよね。 どっちかっていうと、これ短調でも言ってるし、過去の法則でも言ってますけれども、次の時間が算数だからって言って、次算数かよ、このくそ算数が、っていう暴言の吐き方ではあったんで、私に対してこのくそジジイとか言うことがなかったですね。 それはでも、そのぐらいのいい関係は築けてたような感じがするんですよね。 この年は本当に、この5年生としての担任の時は、一度も高学年担任の先例を浴びた記憶がないんですよね。 本当に全てがうまくいった感覚ではありましたね。 宿泊行事の部屋決めとかも、この当時私も好きなもん同士で部屋決めちゃってましたけども、トラブルにならなかったんですよね。 だから運が良かったんですよ。男子も女子も1分半ぐらいでバババババって決まるんですよ。 ちょうどいいメンバーになっているんですよ、どの部屋もね。 男女の仲も非常に良かったですね。放課後よく公園で一緒に遊んでるってことも分かりましたしね。 だからあれが全盛期、本当に嫌だなって自分でも思うんですけど、あの時が学級経営の全盛期だった感じがしちゃうんですよね。 本当はそんなことないと思うんですけどね。でもいろんなことが美化されちゃって、子供たちとの関係も非常に良かったなっていう、そういう1年間でしたね。 だから行事で長縄をやる3分間で何回飛べるかの長縄の行事とかも本当にあの年はですね、私それまで長縄の指導って全く自信なかったんですけども、 私も私なりにいろいろ勉強していろんなステップで子供たちに教えはしたんですが、でも子供たち自体の前向きに頑張る姿勢とかが高かったんですね。 自分の指導のおかげっていう日になってたんですけど、今思うとそうじゃないなって思うんですね。 で、あの時は別に何位とかを競ってるわけじゃない大会ではあるんですけども、でも当時の6年生より非常に良かったんですよね。 本当に嫌な話しますけども、おつぼね的な女性の先生が私にチクチク言ってくる、これは全然念頭が違いましたね。 まあまあまあそんな感じなんですけど、とはの時はですね、研究事業も結構自分から率先して引き受けてやっていましたね、校内研とかね。 あとは、私教研的なのあるじゃないですか、私は区なんで、品川だと品川会って呼ぶんですよね。品川会の会は社会の会で品川会、あ違う品川会じゃない、教育会だな。 教育会っていう会は会議の会なんですけど、いわゆる他の自治体でいう、私教研とか区教研とかそういうのの研究事業とかも率先してやってましたね。 校内研では国語の大蔵寺さんとがんで、氏名なし討論をやりましたね、あの時も。とにかくね、いろいろ迷いがなかったですね。 いろいろ言われたとしても、いや俺は氏名なし討論を研究事業でやりたいんだって言ったりとかね、やってはおりましたね。でもやっぱりいろいろ言われますよね、校内研の協議会ではね。 その本事の狙いを、国語としての狙いを達成するのに果たしてその氏名なし討論をやる必要があるのかとかね、散々言われてましたね。でもね、当時はいやいやでも、自分はこれがどうしてもやりたいなって。 自分の思いをすごい先行してばっかり言いましたね。今となったらですね、おい高橋と、お前のそれはあんまりいいことじゃないぞって言えるんですけどね、当時は本当に無我夢中でしたね。 # 2016年の私⑤ それでですね、確か、私がその5年生を担任している時の、一緒に学年を組んでいる先ほど話題に挙げていた先生が、確か研究主任だったと思うんですよね。 で、いろんな方がですね、私がその氏名なし討論をやったことに対して、何て言うか、さっき言ったようなね、その狙いを達成するのに手段として、本当に氏名なし討論をやる必要があったかとか、散々言われたんですけども、 でも、その研究主任で一緒に学年を組んでいる先生は、本当に私の味方だったですね。 なんかだから、提案性があるっていうことはこういう授業なんですよねっていうことを言ってくれて、だからその薄味っていうか、無難な授業をやって、それを先生方に見せたところで、何も学びないじゃないですかとかって言ってくれて、 だからその梁先生みたいな、ああいう授業こそ研究授業で見たいですよって言ってくれてましたね。だから本当にね、素晴らしい方でしたよ、本当に。 なんかね、その学級内でやることとか、もうとにかくね、全肯定してくれてましたね。 だからね、一緒に高学年を決めた、最初の先生がその先生で本当に良かったなって思いましたね。 だからよくね、本当に、私社の名前が梁なんでね、梁先生のね、やりたいようにやっていいですよって、よく言ってくれてましたね。 だから基本的にね、人は誰かに押し付けられたことをやるよりは、自分で考えて自分で選択してやったことの方がやっぱり身になるんですよね。 自分で責任を取ろうともするし、でも人に押し付けられたものって、なかなかそういう気持ちにはなれないんですよね。 まあまあ、それはでも、その、やりたいようにやっていいですよって言われた側がある程度やりたいことが見えていないと無理な話ですけどね。 これが本当にどうしていいか分からない子に対して、先生に対して好きなようにやっていいですよって言われても、それそれ困るんで、見極めた上で言ってくれてるのかも分からないですけど。 あとは、職員室でその一緒に組んでる先生と雑談するのもすごい好きでですね、よく職員室でゲラゲラ笑ってましたよね、2人で。 今日こんなことありましたよ、教室でとか言って、ガハガハみたいな話を毎日していましたし、その先生と一緒に作った授業で、本当にいまだに、その先生とたまに何かの機会に会うことはあるんですけど、 その話になるのは、5年生で受け持ってたときか6年生のときの話か、ちょっと忘れましたけど、品川って道徳、これ他の局、自治体の出演生から言ったらびっくりされるんですけど、品川って道徳っていう教科ないんですよ。 学活っていう時間もないんですよ。総合っていう時間もないんですよ。すごくないですか。その代わり、品川市民科っていう教科があるんですね。だから市民科の中で総合的なこともやってるし、道徳的なこともやってるし、学活的なこともやってるわけですね。 そんな感じなんですけど、だから他の自治体で言うところの道徳地区公開講座って多分どこの学校もありますよね。道徳地区公開講座ってあると思うんですけど、それが品川だと市民科地区公開講座なんですね。 そのキャリア教育的な教科をやるっていう縛りが多分あったと思うんですけど、それでどういう授業をやるかって言って、一緒に組んでる先生と、ああでもない、こうでもない、これやったら面白そうですねとか言って、そのとき私が出した案が、模擬就職面接っていうのをやったらどうだ、面白そうじゃないですかとか言ったんですよ。 それも面白そうですねとか言って、2人でキャッキャ言いながら授業作ったんですけど、それは今思って結構面白くて、大学生ってエントリーシートとか履歴書とか書くじゃないですか。 エントリーシートとかだから、子供たちにそれに似たようなものを書かせて、趣味が何になるとか、将来どういう仕事に就きたいとか、それをするためにどういうことをやってるかとか、なんとなくエントリーシートとは程遠いかもわかんないですけど、就職するために必要な、面接を受けるために必要な書類を子供たちに書かせて、 それをもとに保護者が来る当日に模擬就職面接するんですけど、それは保護者にあらかじめ募ってですね、面接官をやってもらうことにしたんですよ、面接官を。 で、面接官役の保護者に教室の四方、四か所だか五か所とかに椅子を用意して座ってもらって、面接官やってもらって、順番に面接を受けるっていうね。 それは面接官にエントリーシート的なものをその面接官の保護者に渡して、それで保護者がそれを見ながら、将来何々になりたいって言ってるんですけどとか言って、これになりたいと思ったきっかけは何なんですかとか言って、 そうなるために今日々どんなことを頑張ってますかとか言って、という感じのね、そういうのをやったんですよ。非常に面白かったですね。授業を作っているときも楽しかったし、当日もすごい盛り上がりましたね。 保護者の方もノリノリで面接官やってくれてね。もちろん圧迫面接とかありませんけどね、小学生だからね。それを一緒になって作ったのが、5年生の時にやったんですよね。 だから毎日2人で遅くまで残って、よく付き合ってくれましたね。その先生も早く会えたかっただろうにね。6年生になってまた別の面白い授業を2人で作ったんですけど、それはまた2017年の時の私の時にお話したいと思いますね。 あとは、その年、東京ってちなみに宿泊行事のことをなんとか林間学校とかなんとか移動教室って呼ぶんですけど、5年生の時の宿泊行事で私初めて宿泊行事の全体指導をやらせてもらったんですよね。 あとは、その年、あと他に大きなことやらせてもらったかな。あとは運動会は組体操だったんですけど、それは5、6年生合同でやって、6年生が主担当なんで、運動会はほとんど関係ないですね。 あとは、当時ね、卒業式5年生も出席しますから、5年生に向けての全体指導は私がさせてもらいましたね。他にもなんかいろいろやらせてもらった記憶がありましたね。 そんなところかな。いろいろありましたね。でも本当にいい1年間でしたね。 その1月に二十歳の集いみたいなのがあって、その子たちと再会をしたりとか、その会の何日か前に有志十何人ぐらいが集まって飲み会をしたっていうね、初めてそこに私も行ってっていうことがありました。 今も強い絆がある、そういう学年の子供たちでした。というわけで、何の学びにもならない放送になったかもわかんないですけど、そういう時を過ごしたということです。来週は2017年の私のときに、その子たちが6年生になったときの話をしようと思います。それではさよなら。 もっと見る #2016年の私 ユーモアは教室を救う!あたたたたー(元お笑い芸人の小学校教師)10:001.2016年の私①10:002.2016年の私②10:003.2016年の私③10:004.2016年の私④09:165.2016年の私⑤コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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【Voicy10周年記念】 2018年の私 58分・10月17日・ 500再生AI目次学級崩壊からの生還組との再会と校長の狙い型破りな学級運営術と奇跡の漢字テスト大暴れする子を落ち着かせた電話作戦の全貌「来年も担任に」未成年の主張で起きた奇跡元問題児の成長に教師が涙した”種まき”論
♯227)勝負の神様は細部に宿る 14分・10月16日・ 282再生AI目次岡田監督が語る「勝負の神様は細部に宿る」とは?50%の追跡が勝負を分けた驚きの瞬間コーンのわずかな内側が奪う「運」の正体日常の小さな努力が未来を変える具体例ハロウィン給食と食育の意外な関係
明日(10月16日•金)から入院します。 9分・10月15日・ 124再生AI目次10月16日からの入院!手術計画入院中のVoicy配信継続とコメント返信病室での収録困難?音声返信の壁足の治療進捗と痛みの緩和に向けた期待6年前の事故、その後の苦難と教訓
♯226)ある年のハロウィン給食で驚いた話 17分・10月15日・ 214再生AI目次ハロウィン給食の衝撃!3分の1が手をつけず返却?現代の子供たちはなぜ食べ物を残すのか給食残食問題に寄せられた賛否両論コメント「いじめ」と「信頼関係」を紐解く議論教師に求められる「人間性」の重要性とは