TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#659 人生を考える...「智慧」を会得すること15:13 10月15日 165再生 問題を報告する 再生する シェアする 知るとはどういうことか?考えるとはどういうことか?少していねいに考えます。AI目次私たちが普段認識する「知」の限界専門的・抽象的な「知」と日常経験のギャップ目的達成を追求するAIと「テクネ」の役割不明確な人生の目的と「テクネ」の限界「どう生きるか」を問う「智慧」の重要性AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。山梨県の甲州寺、武田信玄公の母大寺、衛林寺の留宿を務めております古川周券と申します。 きょうもどうぞよろしくお願いいたします。 # 「知」「知恵」「智慧」 今日は人生を考えるということで、知恵を得得することという話をしたいと思います。 私たちが物を考え、物を知る、そういう時に知的な作業について考える時には、例えば知とか知恵という言葉を使います。 知というのは知るということですよね。物を知るという意味でのことです。 それから知恵。今日のこのタイトルは、難しい方の、サトシという方の、サトイフという方の英を使っていますけれども、 恵という字の方の知恵があります。 それからこのタイトルに使っている、ちょっと難しい方の知恵というのがあります。 こんな風にして字が分かれて使い分けられるのは、一つは人に知るということを言っても、考えると言っても、 どんなことをするのかということによって、実は大きな違いがある。 私たちは普段からいろんなことを考えて、いろんなことに対応して、頭を使って、知恵を使っているわけですから、 私たちも知恵についてはよく知っているって、自分はいちいち教えてもらわなくたって考えられるって思い込んでいるんですよね。 むしろ、私たちが習わなければならないことというのは、めんどくさくて複雑で、新しくて身にならない、習ったことのない概念、 あるいはとても高度に抽象的で組み合わせが難しくて、専門的で難しい、コミュニティで難しい、 そういうものについては学ばなければならないけど、それ以外のことについては、いちいち学ぶ必要はないよねって思いがちですよね。 確かに、例えば学校で学問をやるって、いろんな難しいことを勉強するわけですよね。専門的なことを勉強するって。 そうすると、私たちだったら、一般によく言われるのは理科系の勉強なんですよ。数学とか科学ですよね。物理学とか。 そういうものを学ぶときには、やっぱり抽象的なものを扱うって。私たちは普通、日常生活の中で頭扱うときには、目で見たり、耳で聞いたりって、数えたりって、 あるいは経験からある程度類推できることを扱うことがほとんどですよね。そういう経験値的な世界に私たちは生きてますけれども、 例えば高度に専門的なことになってくると、例えば自分で計算をしたりやっていても、何が行われているかっていうのを、 見たり聞いたりとか数えたりとかっていう、日常の経験の延長には想像ができないようなことっていっぱい起きてくるわけですよね。 そういう高度な計算式みたいなこと、これは高度というよりはむしろ抽象的っていうことなんですよ。 自分たちが見たり聞いたりしている世界の中で、でも経験的にこうだよって結果は知ってるけど、その裏側でどんなプロセスが動いているのかって、 それを精密に精密に予測するためには、どういう角度から見て、どういうふうに考えればいいかっていうのは、すごく磨き抜かれた計算というのが行われるわけですね。 例えばボールを投げるって、それがどんなふうなカーブを描いて、何秒後にどれくらい伸びてどこに落ちるかって、 それは私たちは見て経験するわけですよ。大体予想してボールを投げると当たるって。 ゴルフでもそうだけど、何メーター先のホールにゴルフボールをパターンでパンと打って入るって。 経験的に分かっていることだけど、でもどれくらいの速さで、どれくらいの角度で、どんなふうに叩くと、どういうふうにカーブを描いて穴に入るかって。 ボールを投げるときどんな角度で何秒に入るかって、きちっと計算、正確にしようと思ったら、かなり高度なものが必要で、 その計算のプロセスというのは、やっている過程を見たら、私たちは何が行われるかって想像がつかないんですよ。 そんなふうにして、抽象的なものを扱うときには、まだまだかならないよねって思うんだけど、 でも結果として私たちは、その結果を共有しているわけですよ。ものすごい難しい計算式を使って、宇宙に向かって飛び出していくって。 時速何キロ以上のスピードがないと、重力を逃さないと大気圏から出ることができませんよねとか、めんどくさい計算がいっぱいあるわけですよね。 だからそういうめんどくさい計算をいっぱいやるってことを考えたときに、計算はプロがやるからめんどくさいって。 それ以外のことは、結果的には私たちの経験している世界に帰ってきているんだから、いちいち学ばなくてもいいよねって。 めんどくさいことはプロに任せて、普通の地、普通の州ってことは、別に二次元の経験の延長でもいいじゃないかって、どうしても私たちは思いがちになるんです。 だから、一生懸命学問させて学ばせるべきものは、そういう抽象的で専門的で純粋な経験の累積からでは想像ができないようなことを扱う抽象的な概念を扱うトレーニングがすべきだから、理科系教育が必要だ、理系の教育が必要だってなっていくわけです。 それは一面から言うと間違いじゃないです。そういうことが必要なんですよ。 でも、反対に取って返す刀で考えると、じゃあ私たちが見たり聞いたり、自分で経験して、だいたい想像がついて、こうだよねって。 結果については、途中のプロセスは難しくても、結果については、いいか悪いか、正しかったかどうかなんて、自分で経験すればわかるよねって思うようなことについては、そんなに専門的に一生懸命勉強しなくてもいいよねって思われがちですよね。 文化系の学問って言われるのは、そういうものだと思われがちなんですよ。文学もそうだし、文法もそうですよね。 文化系の学問っていろいろあるじゃないですか。法律もそうだし、社会もそうだし、経済っていうのは理科系のものが多いんだけど、入り口のところは自然言語のものもあるから。 そうすると、私たちの経験的な言葉、自然言語を使って、言葉を使って説明できるものって、だいたい類似性ができるし、想像がつくから、そういうものは別にいちいち、そんなに高度な勉強しなくてもいいよねって、やっぱり社会は思いもがちになるんですけど、本当にそうかってことなんです。 # 智慧とは? 例えば、AIとの関係から考えるべきことというのは、こういう問題があるんです。 一つは、例えば、私たちが知恵とか知識という時に、この一つの目的がはっきりしていて、こうしたい、ああしたいという目的がはっきりしていて、 まあ、こういうことを達成すべきだということが非常に細やかに、クリアーに、明確に決まっている時に、それを実現する手段はどうしたらいいかって。 その時に、例えば、数学を使う。物理学を使う。いろいろあるじゃないですか。知恵を駆使して目的を実現する。 そういうふうに使う目的がはっきりしている。ゴール、着地点が非常に明確な時に、どうしたらいいかということを、頭使って想像にして、 それは、自然言語を使ったり、数学を使ったり、いろいろするんだけど、どんなことをしてもいいから、目的達成を100%、最も効果的に、最小の努力で、最大の成果として実現する知恵というのがあるんですね。 そういうために、知恵を使う。そういう知恵のあり方のことを、アリストテレスという哲学者の言い方を借りるならば、テクネというんですね。 テクネは、こういうことをしたいというのがあったら、それを実現する知恵です。今の社会の中で求められている知恵って、基本的にテクネなんですよね。 AIもテクネですよね。要するに世界中、そういうのを実現するためにどうしたらいいかということについて、いろんな規則研究から応用まで、いろんな知識の集大成があるんです。 それを、こういうのを実現するための知識が欲しいですよ、というのを、昔のコンピューターは数学的なことをしないとできなかったんだけど、今は曖昧な日常言語であっても、 何をしたいか、どんな意味かということを的確に予想して、数学と自然言語を駆使して、その目的達成の地というものの答えを出してくれるようなものとして、AIがすごくあるわけですね。 私もバリバリヘビーユーザーとしてAIを使っていますけれども、そういう目的がはっきりしているときにどうしたらいいかということを、非常にクリアーに明確に正しい知恵を与えてくれるのが、このAIですよね。 これはテクネという知の在り方なんですよ。でも、じゃあ、まずこれは目的がはっきりしている、着地点がはっきりしている場合だけど、どうしたらいいかわからない場合、目的がはっきりしない場合、 着地点がはっきりしない場合はどうしたらいいか。例えば、人生の意味。私はどんな人生を送りたいのかな、どんな人になりたいのかな、どう生きることがいいことなんだろうか。 このときにお金を最大限に稼ぐのが一番いい人生なんだと言うならば、お金を一番稼ぐ方法、自分の持っている能力や立場を考えて、一番こういうふうに振る舞った方がお金を稼ぐことができるよ、可能性が高まるよという、そういうテクネとしてAIを活用するんだったら、賃金、給料を最大限にする、どうしたらいいかということはわかるかもしれない。 だけど、幸せってお金だけじゃないよね。友達を大事にする、家族を大事にする、生き甲斐を大事にするって、実は目的をきちっと定義できない場合、どうしたらいいか。 テクネの威力というのは、目的、自分がどうしたいかということをどれだけクリアーに、どれだけ明確に定義できるかということにかかっているんですよ。 でも、そもそもどうしたらいいかわからないとき、どうしたらいいかわからないとき、手探りで経験しながらどう生きたいかどうしたいかということを求めている過程においては、AI的な知識、つまりテクネはあんまり役に立たないんです。 そういうときにはテクネを活かそうと思ったら、まず遠い将来のことや遠い大目的はとりあえず棚上げしておいて、大体にしておいて、身近なところでわかるところから一個一個詰めていくというやり方は一番有効ですよね。 そういうふうに使えばAIもうまく機能するし、テクネって有効なんです。でも、最終的に何をしたいかみたいな意味付け、そういうものはテクネの先にはないですよね。 むしろそういう目的がわかってテクネが生きるのであって、小さな小さなテクネが積み重なってからといってゴールは見えてこないんですよ。 似たようなケースとして、例えばAさんとBさん、世界観や考え方や人生観が全く違うAさんとBさんが一緒に生きていかないとならない、一緒に協力して事態を打開したかならないときにどうしたらいいか。 Aさんは自分のやりたいことを実現するためにテクネを駆使してこうすべき、ああすべきと理屈を込めるわけですよ。Bさんは目的が全く違うんですよ。 Aさんは例えばお金儲けが一番いいと思っている。Bさんは人間が一番大事って、名誉が一番大事とか思っているとするじゃないですか。 AさんとBさんはそれぞれ自分の最適化を求めるために最も合理的な、最も素晴らしい論を立てるんだけど、そもそも目的が違っていたらAさんとBさんって大喧嘩しますよね。 非常に高度な議論が展開されるんだけど結論が出ません。だから結論を求めて、こうしたい、ああしたいって目的自体を探していくときに、 そのテクネ的な知恵っていうのは手助けにはなるけど答えは当たってくれないんです。だから知恵っていうときに、 その私たちがテクネで得られる知恵とそのテクネでは得られない知恵っていうのを明確に意識して生きるってことが大事です。 そうすると最終に戻れますよね。私たちが学ぶべきことって、実は高度に抽象的な知識を求めるばかりではないんですよ。 高度に抽象的な知識を求めることによってテクネが得られるとしても、どうしたいんですかって、どう生きたいんですかって、 同じ成果でもAさんはがっかりする。でもBさんは喜ばないってあるじゃないですか。 失敗しても、失敗してもですよ。予想外なことが起きて失敗しても、Aさんは予想が狂っちゃった。 想定できないような事態が起きたから、これは失敗だって頭抱える。でもBさんは、いやそうかもしれないけど、 そういうふうに不安定な中で生きることが人間じゃないの?なんて思ったら、前へ進もうって思うかもしれないじゃないですか。 実は日常生活の中で価値観とか美意識とか生きがいとか、自分の心の中で人間が生きる上で好き嫌いも含めてですよ。 いろんな感情やそういうものも含めて、どんなふうに生きたいかって、目標、目的、 そういうものを考えていく知恵っていうのはテクネと違うから。だからAIは使ってもいいんだけど、 テクネの権限であるAIは使ってもいいんだけど、それは所詮道具ですから。 そういうのを駆使していろんな知識を得た。その上で、じゃああなたはどう生きたいですかって。 どう生きたいかってこと。目的となっていくような、着地となっていくようなものを求める知恵っていうのが本当の知恵だから。 やっぱり知識と知恵。私は知と知と知と知恵と知恵っていうふうに三つに分けたんだけど、 その日常生活の中でどう生きたいか、どうしたいか、どういうふうに生きることが尊いことなのか、 どう生きることが理想的で素晴らしいと思うのかって、これは理科系の学問と違いますよ。やっぱり。 これが決まった上で理科系の学問を生かすことができるけど、いくら理科系の学問をいじっていても、 感覚とか感情とかそういったものをまだまだ今の段階で将来はできるようになるかもしれないけど、今の段階でも扱えないんですよ。 そうすると、どっかで若者が世界旅行をして何か知識を得るとかって、そういうことも必要ともしてませんよね。 だから何が私たちは知ることができて、何がまだ知ることができないか、何をAIに尋ねておくて、何を尋ねてもあんまり良い成果が得られないのか。 やっぱりそこのところを明確に知識を得ることが必要。 残念ながら今そういう知恵っていうのは、残念ながらですよ。残念ながら文化系と言われてるんですよ。 そういうものは文化系と呼ばざるを得ないということは、ある意味ではまだまだ理科系の知識が不十分ということですよ。 本来なら理科系の知識がどう生きるべきかって、悲しいってどういうことなの、嬉しいってどういうことなの、不安ってどういうことなの、絶望ってどういうことなのって、 それを数学的な記述を使って、そうだよねって言えるような記述を得て初めて文化系、理科系の境界線が消えるんです。 でもそれが分かれているということは、まだまだ日常生活の中で私たちが自然言語というのを、この言葉を駆使して考えるべき課題がいっぱいあるということですね。 それを忘れてはならないということなんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして 誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #人生を考える #智慧を会得する 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:161.初めのあいさつ06:122.「知」「知恵」「智慧」08:373.智慧とは?00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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