修行の究極のところに差し掛かると、禅の言葉はしばしば逆説的になったり、謎めいたものになったりします。たとえば「無用心の用心」のように...
そうした表現に、どう向き合うべきなのか、どう考えるべきなのか...
AI目次
修行の究極とは?ステージ別の本質
用心を極めた先に待つ「無用心」の境地
修行の壁に直面した時の「新たな道筋」
夢窓国師が示す「勤め」の限界とその先
禅の「二条の道」を捨てる真の奥義とは
AI文字起こし(β版)
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
プレミアム放送配信中!
  1. 00:14
    1.

    初めのあいさつ

  2. 05:08
    2.

    修行や学びはステージによって本質が変わる

  3. 03:22
    3.

    修行の究極のところ

  4. 05:43
    4.

    修行の極意

  5. 00:08
    5.

    終わりのあいさつ

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禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで

恵林寺 古川周賢

山梨県にある、武田信玄菩提寺の住職が、日々の暮らしについて、人生について、仏教・禅・社会について、感じ、考えることを語ります。
音楽一家に生まれ、西洋哲学を学び、その後、一念発起して禅の修行道場に入門。四〇過ぎまで修行僧の暮らしを経験しました。自分自身のアイデンティティに苦しみ、まわり道を重ねて今日に至ります。
学問の世界と修行の世界...対照的な場所に長く身を置き、まわり道を繰り返してきた経験が、皆さんのお役に立つこともあるかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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