TOPトーククリエイター水谷アスの気づきのタネまきチャンネル本人の気持ちを尊重したい09:51 2時間前 22再生 問題を報告する 再生する シェアする 今週のトークテーマ面白そうなので話してみました。AI目次子供の学びは「親の意思」が軸なのか褒められなくなると失われた学習意欲「勉強で将来困らない」という疑問必要な時に学ぶ知識の有用性子供が「やりたい」と思う環境づくりAI文字起こし(β版) # やや毒です こんにちは、水谷アスです。今日も来てくださってありがとうございます。 今日はですね、Voicyのトークテーマで、 勉強しろと言うか見守るかっていうのが、 ウィークリーテーマとして上がっていて、 ちょっと面白いなと思ったので、それをお話ししてみようかと思うんですけど、 これなんか、そもそも論なんですけど、 勉強しろっていうか見守るかっていうのは、 もう完全に親を軸に置いている考え方だなと思って、 勉強しろと言うにしても、見守るにしても、 私は子供に対して勉強してほしいという意思表示というか、 意思を持っているからその判断というのが生まれるんだよねと思っていて、 最近、子供と自分は別の人生を生きている、別の生き物であるという概念をね、 すごい大事にしているんですよね。 概念っていう言い方でいいのかな。 だから、勉強したいと思うならするでしょみたいな。 したいって言うなら手伝うよみたいな感じなんですよね、私は。 学びたいことがあるなら、その学びたいことに対して、 自分ができることがあればお手伝いするかもしれないみたいな。 私は子供が勉強してくれたらいいなとは思っているけど、 それはやっぱり本人が楽しく学んでいることが大前提だし、 なぜそれを学びたいのかっていうのも、 なんか自分で分かっているっていうこともすごい大事だと思うんですよね。 学校に行かないとっていうか、勉強ができないと将来困るからっていうのは、 すごい私は漠然としていると思うんですよ。 だって、将来困るってなんだろうみたいな。 私自身がすごく勉強熱心な子供だったんですよね。 子供の頃から勉強した方がいいって言われて、 みんなが大人が勉強した方がいいって言うならした方がいいんだみたいな。 勉強すると大体大人って褒めてくれるんですよ。 成績良かったら大体嫌な顔する大人なんていないんですよね。 100点取れば大体の大人はすごい偉いねって言ってくれるわけで、 子供としては簡単に褒めてもらう手段として勉強するっていうのは一つの手段だったっていうか、 私あんまり人に褒められるタイプの子供ではなかったので、 あんまり愛想も良くないし不器用だし、なんか容量悪いしっていうことで、 できないこと多いな、お前本当できないなみたいなこと言われること多い子だったので、 なんかテストで100点取るっていうのは確実に褒めてもらえる一つの手段だったんですよね。 だから勉強してたっていうのがすごいあって、 何のために勉強してたかって言ったら私は大人に褒めてもらうために勉強してたと思います。 勉強自体は楽しかったというよりはね。 でもなんかみんな人って慣れっていうのは怖いもので、 当たり前になってくると褒めてくれなくなるんですよね。 中学生くらいになってくるとあんまり褒めてくれなくなる。 褒めてくれなくなってくるとやる気がなくなるっていうことで、 やる気がなくなると100点取れなくなっていくわけですよ。 中学校くらいになると小学校の紙っぺらの簡単なテストと比べると、 やっぱ中学校の定期テストってやつはもっと難しいので、 本当簡単に100点なんか取れないものではあるんだけど、 だから100点なんか取れなくなっていくんだけど、そうするとやっぱ褒めてもらえなくなっていくし、 それでいてずーっとその100点とか90点とか取ってた子が60点とか取ろうもんなら、 逆にこう言われるわけですよね。 そうすると余計にモチベーションって下がっていくわけじゃないですか。 やりたくないな。だって頑張ったってもう褒めてくれないのに、 頑張らなかった時だけ罵倒されるんじゃもうやってられないよみたいになってて、 次第にあんまり勉強に対するモチベーションってやつがあんまり持てなくなっていったっていうのはすごいあって、 小学校の時は本当に勉強楽しかったんですよね。 勉強したら下だけ結果が出て、結果が出れば出ただけ褒めてもらえるみたいな世界がそこにはあったので、 小学校の時はやったんだけど、中学高校といったらなんかね、ちょっとどんどん下がってきましたね。 大学になると今度は大学の成績っていうのが県庁に単位というものに変化していくっていうか、 きちんと単位取らないと最終的に卒業できないみたいな、 だから本当に頑張るのは自分のためっていうのが明確だったので、 大学になるとまたすごい頑張るようになるんですけど私。 でもなんかね、中学校高校はすごい中だるみしてたっていうか、 だれてたなというふうに思ってます。 でもまぁなんだかんだで、 頑張って勉強もしてきたし、学校も行ったし、最終的に大学にも行ってるみたいな学歴を持っている私としては、 勉強しておけば将来困らないっていうその根拠が本当に私はわかんなくて、 だってめっちゃ困ったからね私、めっちゃ社会に出て困ったので、 勉強ができるということが社会においてどれだけ役に立つかって言ったらそんなに役に立たないんですよね。 成績良かったとしても、なんかびっくりするほど役に立たないですね。 だからって学ばなきゃよかったとは思わないんですよ。 学ばなきゃよかったとは思わないけど、 学んだことが社会生活でどれだけ生きたかって言うとそんなに生きてないんですよね。 だからたまに勉強の大事さを解いている人で、 三角関数が理解できないのは好きにしたらいいけど、 三角関数を理解している人がいるから世界が回っていることを知るために勉強するんだみたいなことを言ってる人がいて、 それもわからんではないんですよ。 私建築の仕事をしていた時期があって、 それこそサインコサインタンジェントで数値を出すっていう仕事もしたことがあって、 三角関数ここで使うんだみたいに感動したことがあるんですよ。 サインコサインタンジェントを使うんだみたいな、 そういった思ったこととかはすごいあって、 建築の世界では数学の公式とかは使わないとやれないこととかいっぱいあるんですよね。 だから勉強が本当に全く無意味だったとは言わないし、 学校で習った知識が仕事の中でわーってなった瞬間はあるんですよね。 でも社会に出た頃には三角関数なんて忘れてたんですよ私は。 大学時代三角関数に触れないしね。 中学高校で触れてたけど大学時代は触れてないし、 だからあんまり忘れちゃってて、結局そこから改めて勉強し直すっていう時間が発生して、 勉強し直してようやくまた使えるようになったっていうのがあるので、 なんていうのかな、それ学生時代にやってあったから理解が早いっていうこともそんなにないと思うんですよ私は。 その時必要になったから学んで、その時必要になったから得ても全然間に合っただろうなっていう感じは私はすごいあります。 建築の世界はね、ちょっと私自身もあんまり数学能じゃなかったというか向いてなかったのに頑張っていたのでわかんないんですけど、 学生時代に三角関数めっちゃ得意だったから建築めっちゃ楽しいっていう人もいるかもしれないんで、 それは本当にわかんないんだけど、だからね、その勉強するか見守るかっていう話なんですけど、 勉強させるか見守るかっていうトークテーマなんだけど、 もうなんていうのかな、親が決めることじゃないよねっていうね、トークテーマの意味あるこれ。 なんか私面白いなと思ってしゃべりだしたけど、結局のところ、勉強しろって言うにしても見守るって言うにしても、 勉強してほしいという親の心は透かせてはいけない、子供に伝えてはいけないというか。 で、なんかその宿題とかね、いろいろ家庭学習とかって学校に行くとすごい出てくるから余計にそうなんですよね。 宿題しなさいよとか家庭学習やったのかいとか、夏休みとかだと宿題やったのかいみたいな声かけをするかしないかみたいな話になってくると思うんだけど、 そもそも楽しいならやるし楽しくないならやんないし、なんか本人にやる理由があるなら絶対やるんですよね。 だから言うか言わないかじゃないと思うんですよ。 言われてやるような勉強なら頭になんか入んないと思うんですよね、私は個人的にそう思ってる。 勉強とはちょっと違った話なんですけど、うちの下の子がもういろんなものをいろんなとこに置きっぱなしにしてすぐ物をなくすんですよ。 私自身も結構その傾向はすごいあるんだけど、なんぼ言っても片付けないんですよね。 言っても言っても片付けない。でもそれってやっぱり本人が何とかしようと思ってないからに尽きるんですよね。 しつこく言ったからって直んないんですよ。 めっちゃ怒られて、怒られるかもしれないから頑張るみたいなことはあるかもしれないけど、 その恐怖でどうにか動かすっていうのは、その恐怖の存在がいなくなった時点でまたすぐ崩れると思うんですね。 例えば一人暮らししたらまた部屋が荒れ出すとか、そういうことってすごいあると思っているので、 しつこく言うことって私は効果的だとは思ってない。 私自身もそこら辺に物を置いてなくすことよくあるので、私自身は何とかしようって思うから工夫するんですよね。 鍵はここに置くと心に決めるみたいな感じで、絶対の定位置を作るとか。 でもそれは私が決めて、私がやってるからできるんであって、 子供にここを定位置とするからここにこれを戻しなさいよって私が決めても子供はやらないんですよ。 でも子供がここに置こうって決めると子供は置くんですよ。 だから自分で決めなきゃダメで、勉強しろって言おうが見守ろうが、本人がやりたいと思ってりゃやるし、 本人がやりたくないと思ってりゃやらないわけで、だから勉強しろっていうか見守るかっていうよりは、 本当にやって欲しいんだったら、やりたくなるような環境とか声かけとか姿勢を見せないことには絶対やらんだろうみたいな。 だから勉強しろっていうか見守るかっていうトークテーマ自体が面白いなと思ったら、 もう大人が子供をどう動かすかっていう観点しかないこのトークテーマがそもそも面白いなと思ったんですよね。 子供の気持ちを全く考えていないトークテーマだなと思って。 大人がどうしたいかしか考えてないですよね。 なんか私はそれがいろんな意味で面白いなと思いました。 私はそういう考えは今は持ってなくて。 でもやっぱ世間はそういうことを気にするし、どうすればいいかって悩んでるし、 それがトークテーマに選ばれる程度には皆さん思うことなんだろうなと思って。 ちょっとトークテーマとしては異質な放送になっているとは思うんですけど、 私はそういうふうに思って今回この放送を撮ってみました。 ということで本日の話は以上になります。 最後まで聞いてくださってありがとうございました。 それではまた。 もっと見る #勉強しろと言うか見守るか 水谷アスの気づきのタネまきチャンネルプレミアム放送配信中!09:511.やや毒ですコメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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