TOPトーククリエイター水谷アスの気づきのタネまきチャンネル大作noteを書いたんです!09:48 一昨日 371再生 問題を報告する 再生する シェアする noteに長い長い記事を書いたのですが、二万文字超えで読むのが大変かと思うのでセルフ要約しました。読みたい方は是非チャプターのリンクから!AI目次炎上から見えた人々の判断基準柏木ひろき氏の「痛みの本質」不登校の親が抱える「くるかづかれ」見えない苦痛を想像する重要性2.5万字ノートに込めたメッセージAI文字起こし(β版) # noteはこちらから こんにちは、水谷アスです。 今日も来てくださってありがとうございます。 今日はですね、ものすごく長いノートを書いたんですけど、 あまりに長いので、多分大半の人が読んでくれないなと思いまして、 せめて放送でそれを要約というかね、セルフ要約したものを話してみようかなと思います。 興味がある方はノートの方も読んでいただければ嬉しいなと思っていて、 そのノートを書いた理由というのはですね、今回いろいろ炎上して、 いろんな方からいろんな意見というか批判というか、そういう言葉をもらったわけですけども、 その中でね、どれくらい私のことを分かろうとしてくれたのかな、みたいな、 ちょっと表面に見えている小さな情報だけで、 全部決めつけてしまっている人の方が多いっていう印象があったんですね。 そんなことない、俺は分かっている、私は分かっている、みたいなことを、 まあ大体の人は言うと思うんですけど、 私ね、正直なところ、一緒に住んでいる夫とか子供たちのことだって、 いくら話してもまだ分からないなって思っているぐらいなんですね。 だって分かってたら絶対喧嘩もしないし、みんなほがらかに、 まあうちはあんまり喧嘩もしないしほがらかに過ごしてはいるんだけど、 なんかできるじゃないですか。一緒に住んでても分からないんですよ。 ネット上のSNSとかに投稿されているそんな一面だけで、 相手のことが一体どれだけ分かるんだろうって、私はずっと思っているんですよね。 だからSNSで流れてくるいろんなものとか見てるけど、 それはやっぱり結局その人の一面でしかなくて、 本当に分かることなんてほとんどないんだろうなって私は思っているんですよね。 でも私に何か言ってくる人っていうのは、みんな全部分かってんだぞ、みたいな。 お前は甘えてるんだとか、甘やかすなとか、楽をするなとか、 そういうような定義で言ってくるんですけど、 分かんないでしょっていうふうに私は思っている。 分かってんだったらそれは何を根拠に分かっているって思っているんだろうとも思っていて、 今回ノートに書いたのはですね、 痛いところから見えるものっていう柏木ひろきさんの本を間に挟んでお話しているんですけど、 例えば私が頭を打ってとても痛がっていたとしても、 誰にもその頭の痛みっていうのは伝わらなくて、 うわ、痛っ、めっちゃぶつけたここの角、みたいな感じで、 痛さをアピールするしかないわけですよね。 でも他の人は痛くないんですよ。私だけが痛い。 だから私は痛いんだぞってことを一生懸命伝え続けるしかなくて、 それでもまたから見ている人で、 頭をそんな強烈に強く打ったことがない人は痛みなんて分からないんですよね。 それと同じで不登校がどんなに辛い辛い辛いって大変だ、 もうしんどかったっていうふうにいくら訴えても、 不登校の親になったことない人っていうのは、 それをやっぱり想像するしかないんですよね。 なったことないからどれくらいしんどいかも全然想像つかない。 柏木ひろきさんの本は、いろんな痛みの辛さについて、 こういう痛みもあるよ、こういう風になったらしんどいよとか、 痛くないとしてもこういう困ったことがあるよとか、 いっぱい書いてくれている本なんですけど、 そういうのを例えに出して、 例えば私がこの本ですごいわーって思ったのは、 くるかづかれって言って、痛みがずっと続いているんだけど、 ふって収まっている瞬間ってあるんですよね。 頭痛持ちの人とか分かると思うんですけど、 ずっと頭が痛い人がふっと痛くない瞬間があったとして、 じゃあその瞬間は楽かって言われると、 あれ今痛くないな、でもまた痛くなるかもっていう風に、 どこかで思っちゃってる部分っていうのがありませんかみたいな、 そういう話なんですよ。 不登校っていうのも、学校にずっと行ってないかと思ったら、 たまに本人が、うちの場合はですけど、 本人が行こうかなって言って行ってくれることがあったんですよ。 でも行ってる間も、すぐ帰りたいって電話が来るんじゃないかなとか、 今日は行ったけど明日は行かないんじゃないかなとか、 そういう疲れをずっと抱えているとかですね。 そういうのを、いろんな痛みを間に入れて語ってくれている本なんですね。 私は不登校の親の痛みを知らない人に、 別れよって言いたいっていうよりは、 こういう痛みを持ってる人がいるって知って欲しいんだよねっていう意味で言ってるんですよね。 どうしても、人の痛みって自分じゃ分かんないし、 自分で感じたことないと想像もできないから、 本当に難しいと思うんですよ、知ることって。 私も体験したことない痛みは絶対分かんないですね。 本文の中で書いたのが、私は女として生まれているので、 男の人って股間をぶつけるとめちゃくちゃ痛いと聞くんですけど、 私は女なので、その痛みを知ることって絶対ないじゃないですか。 でも男の人はめちゃめちゃ痛いって言ってるじゃないですか。 ぶつけたら痛いんだろうなって思うしかないんですね。 想像しかできない。その痛みを知ることは私は決してできないんですよ。 だから、そんなこと言って大げさなとか言わないで、 やっぱり本人がこれだけ痛がってるんだから痛いんだろうなって思える自分でありたいんですね。 みんながそうなってくれたらいいのになと私は思っていて、 分からないことを自覚することが大事なんじゃないかっていうふうに本の中で書かれていて、 私も本当にそう思っていて、 不登校の親がどんだけしんどいかなんて分からない。 分からないけど甘えてるんだろう。分からないけど楽してるんだろうって言い切ってる人が、 少しでも、もしかしたら結構しんどいのかもしれないなって、 どっかで思ってくれたらいいなと思うんですね。 私が発信してることっていうのは、子供が不登校になって6年目の話であって、 本当にしんどかった時のことってあんまり漫画に書いてないんですけど、 それは何でかっていうと、思い出すと辛いからなんですよね。辛いんですよ。 漫画に書くとその場面場面をやっぱり当然思い出しながら書かなきゃいけないので、 具合が悪くなるっていうか、やっぱり当時本当にしんどかったので、どんどん具合が悪くなっちゃうんですよね。 一回か、一緒に学校に行って一緒に授業を受けるっていうのがつき添い登校なんですよ。 子供が不安になりすぎて一人じゃ学校に入れないから、お母さんが一緒なら入れるって言って入っていくんですけど、 親がずっといるっていうのは基本的にあんまり教室の環境的には良くないっていうか、 他の子たち緊張するし先生もなんか意識してるしみたいな感じで、 なんか気まずいんですよね。ここにいていいのかなみたいな感じがあって。 だからなんかもういるだけの存在になっちゃうんですけど。 それがすっごいしんどくて、そのしんどさを書こうかなって思ったんだけど、 どうしてもその時のことを思い出そうとするとしんどくなっちゃって書けないって言って。 あと他にもあるんですよ。だからそういうしんどくて書けないパートが結構あるんですけど、 それを私が見せてないからわかんないんじゃないかっていう風に起こるんじゃなくて、 見えないところにもっとつらいものがあるのかもしれないなっていう想像力を持ってほしくって、 見えるところだけで楽してるっていう風に判断してほしくなくて、 それはあくまで私は不登校の親っていう立場のしんどさとかつらさとかを伝えるために そういう話をしているけれども、別にそれに限ったことじゃないと思うんですよ。 めちゃめちゃ働いてる人だとか、めちゃめちゃ親の介護をしてる人だとか、 いろんな大変さってあるじゃないですか。私親の介護はしたことないので、 親の介護のつらさっていうのはわかんないんですよ。 わかんないけど、結局楽なんだろうっていう風には楽してるんだろうとはやっぱり言いたくないし、 言えないと思うんですよね。知らないからこそ。 だから知らないってことをわかってほしいっていうか、自分も知ってほしいっていう欲求が誰にでもあると思うんですよ。 自分にもだってしんどいことは誰だって抱えてる部分は絶対どっかにあるんですけど、 それが周りに伝わらなくてもどかしいって思ってる人が多いんじゃないかなと思ってて、 自分のしんどさをみんながすごい理解してくれて、常に誰かが寄り添ってくれてるっていう 恵まれた環境にいる人もいると思うんですけど、 おそらくそういう人ってやっぱり人を攻撃しないんじゃないかなっていう風にも思っていて、 自分はこんなにつらいのにっていう。 自分がすごくつらい時に、あなたのつらさなんて大した問題じゃないよみたいな、 甘えてるだけなんじゃないのって言われたらやっぱり悲しいじゃないですか。 そういう時に、私にはわからないけど、あなたはきっとつらいんだねっていう姿勢で接してもらえる方がよくて、 もう人と人がみんなそうであればいいと私は思っていて。 だから不登校のつらさを訴えるためだけの記事じゃないです、私が書いたのは。 不登校のつらさももちろんいっぱい書いてるけど、そうじゃなくて、 わからない人の痛みを外側から勝手に決めつけることってすごく寂しいことだし、 自分がそうされたらやっぱり嫌じゃないかなとか、 だからこそ人の痛みを決めつけずにできたらいいんじゃないかなとか、 それがうまくまとまらなくて、いつの間にか25,000文字を超えるという、 25,000文字をネットで調べたらおよそ40分から1時間はかかりますって書いてあって読むのに、 そんなに時間かけて読んでくれる人ほとんどいないだろうなって思って、 でも私が書きたいことを全部詰め込んだらそういう内容になったっていう話なんですけど、 今回の話は本当その書いたことの一部分でしかないんですけど、 この話したことで興味を持っていただいた方は、 ノートの方をチャプターの方に貼っておきますので、 読んでいただけたら嬉しいなと思っております。 ということで本日のお話は以上になります。 最後まで聞いてくださってありがとうございました。 それではまた。 もっと見る水谷アスの気づきのタネまきチャンネルプレミアム放送配信中!09:481.noteはこちらからhttps://note.com/tetom_note/n/nb4db069f7110コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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