トラックドライバーに憧れてアメリカ留学、弁護士事務所代表の冨田有吾さん(ハリウッド在住)④
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冨田さんは31歳で合格しました。両親に弁護士になると宣言して、すでに10年以上の月日が流れていました。
ご本人の努力はもちろん、奥さんや日本のご家族の支えがあって実現できたのだと思います。
全く余談ですが、私の叔父は日本で毎年司法試験を受け続け、たしか冨田さんが合格した31歳で諦めて役所に就職しました。
役所では法律に詳しいので重宝されて、気後れなんて微塵もなく、むしろ天狗になるくらいで、仕事に趣味に人生を謳歌していました。
冨田さんのように夢や目標を諦めず、実現できる人は一部だけど、叔父の生き様を見ていると、夢に破れてもさっさと気持ちを切り替えて、人生を充実させることはいくらだってできるし、その人の人生はその人が主役。悲観している時間が勿体無いと、その後の叔父の生き様を見て勉強しました。
話は冨田さんに戻りますが、働いていた事務所の解散も、コロナで国際間の人の往来がストップしたことも、どちらも絶体絶命のピンチでしたが、それをチャンスに変え、人としても事業としても成長発展を遂げました。
みなさんはどうしてだと思いますか。
ご本人の努力はもちろん、奥さんや日本のご家族の支えがあって実現できたのだと思います。
全く余談ですが、私の叔父は日本で毎年司法試験を受け続け、たしか冨田さんが合格した31歳で諦めて役所に就職しました。
役所では法律に詳しいので重宝されて、気後れなんて微塵もなく、むしろ天狗になるくらいで、仕事に趣味に人生を謳歌していました。
冨田さんのように夢や目標を諦めず、実現できる人は一部だけど、叔父の生き様を見ていると、夢に破れてもさっさと気持ちを切り替えて、人生を充実させることはいくらだってできるし、その人の人生はその人が主役。悲観している時間が勿体無いと、その後の叔父の生き様を見て勉強しました。
話は冨田さんに戻りますが、働いていた事務所の解散も、コロナで国際間の人の往来がストップしたことも、どちらも絶体絶命のピンチでしたが、それをチャンスに変え、人としても事業としても成長発展を遂げました。
みなさんはどうしてだと思いますか。
込山洋一の「みんなの海外生活」
込山洋一 /「ライトハウス」発行人
- 00:181.
チャプター 1
- 09:482.
チャプター 2
- 03:463.
チャプター 3
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