TOPハウツー・学習テクノロジー世界が広がる🌍ソフトウェア品質㊗️300回放送🎉改めて自己紹介20:26 2025年10月6日 254再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次意外な幼少期?海外生活で得た価値観とは中学時代の挫折経験がもたらした変化とは大学時代、 оркестърでのリーダー経験と学び文系出身エンジニアが直面した苦難と葛藤QAリーダーとして組織作りに懸ける情熱AI文字起こし(β版) # タイトルコール ようこそ、世界が広がるソフトウェア品質へ。 このチャンネルでは、エンジニアリングマネージャー兼QAリーダーのサミーが、 ソフトウェアテストやソフトウェアの品質保証を中心に、日々奮闘していることや考えていることをお話しします。 毎日、お昼の12時30分に配信しています。 ゲストの方やリスナーのあなたと、テストや品質の世界を広げていきます。 # 幼少期〜大学生 こんにちは、サミーです。 気づいたらですね、なんと300放送達成しております。 いつも聞いてくださって本当にありがとうございます。 いつも聞いてくださるあなたがいるから、そしていいねでリアクションしてくださったり、 本当に丁寧にコメントを書いてくださるおかげで、私もこうやって楽しく配信を続けておりますので、 どうぞ引き続き応援、いいね、コメントよろしくお願いします。 ということでですね、今回は改めて自己紹介をしていきたいと思います。 前半と後半に分けてですね、サミーは一体何者なのか、どういう人生を歩んできたのか、つまびらかにしていきます。 前半のこのチャプターでは、幼少期から大学生ぐらいまでですかね、会社に入るまでをお話ししていきます。 そして次のチャプターでは、社会人になってから、会社に入ってからの経験や苦労、どういうふうに考えてきたのかという話をしていきます。 ということでですね、高須生まれは東京なんですけれども、現行がちょうど平成になった時ですかね、数日後ぐらいにおぎわいと生まれたわけです。 あと1日早ければですね、結構いいゾロ目だったんですね。平成元年1月11だったらすごくいいゾロ目だったんで、 なんかどうやら父親がですね、お医者さんに11日にしてもらえませんか、誕生日って言ったらダメですって言われたなんてエピソードもあったりします。 でですね、父親の仕事の関係で0歳の時から5、6歳の時までかな、イギリスに住んでおりました。 0歳の時のパスポートの写真は母親の膝の上に座っている状態でパシャリと撮った写真なんですけど、 ちょっと話しとれちゃうんですけど、なんで子供のパスポートって有効期限5年なのかなってずっと不思議だったんですけど、 ある時ふと気づきまして、用紙姿っていうのがすぐ変わっちゃうからなんでしょうね。 0歳の時のパスポート、もう2歳とかになったら使えないので、 一旦その2歳か3歳の時にまた写真を撮り直したらしいんですけど、 5歳と10歳でもだいぶ顔つきとか変わっちゃって、同じ人かどうか判別しづらいから、 子供のパスポートって5年なんだろうなというふうにある時気づきました。 はい、余談でした。 で、5歳までイギリスにいたということで、幼稚園、ナーサリースクールっていうんですかね、 あと小学校の最初ちょっとだけイギリスで通っておりました。 なかなか日本とは環境が違ったわけでですね、 例えば子供が一人で街中っていうんですか、うろうろ歩いちゃいけない、危ないので歩いちゃいけないというところがあって、 基本習い事とか学校っていうのは両親、母ですかね、主に母が車で送り迎えをしてくれました。 あと自分が日本人っていうところもあって、肌の色違うんですよね。 あと子供の時の体型っていうところも全然違って、 私は当時バレー教室に通ってたんですけれど、その時のビデオを見返してみると、 私だけお腹超ポッコリ、髪の毛も黒いしぽっちゃり系の女の子で、 他の生徒はですね、髪の毛、金髪、そしてスラッとしてる子が多かったように見えます。 当時はそんな、多分ちょっと多少周りの人と違うなとは思ってたかもしれないですけど、 今振り返ってみると、自分と周りの人っていうのはそもそも違うんだとか、 自分と他人というのは、そもそも考え方、バックグラウンド、 全てが異なるという前提でコミュニケーションしようみたいな考え方はすごく大事にしていて、 それはこういう過去の経験っていうのがあったんじゃないかなっていうのをなんとなく感じていたりします。 イギリスで幼稚園行って、小学校ちょうどだけいて、 また日本帰国してきた時にもう一回幼稚園に行くんですよね。 イギリスは小学校が9月から、日本は4月からっていうところで、 たまたまタイミング的にですね、日本帰ってきた時はまだ小学校の入学前みたいなタイミングだったんで、 幼稚園に行くんですけど、そこでめちゃくちゃびっくりしたことがあります。 カルチャーショックを受けたことがあるんですけど、 日本の幼稚園でお話し先生がお話ししてくれるっていうのでみんな座るじゃないですか。 私その時にアグラを書いて座ったんですよ。 そしたら周りのお友達からお父さん座りしてるって言われたんですけど、 その時ものすごいびっくりしたんですよね。 アメリカとかイギリスとか女の子、女性がアグラ書くのって結構普通なんですけれど、 日本だとあまりないじゃないですか。 自分がそれまで当たり前だと思ってたことが全然当たり前じゃないっていうことを指摘をされて、 ものすごくびっくりしたカルチャーショックを受けたっていうのを覚えています。 そんなこんなでいろいろあったんですけれど、 小学校では計算ドリルとかカーチドリルとかクラスで一番最初に終わらせるみたいな感じで、 トトト終わらせる感じのタイプでしたね。 夏休みの宿題も7月中には終わらせて8月は遊んでるみたいな、そういう感じでした。 あとは一輪車がすごく好きでよく乗ってましたね。 鉄棒から工程を横断するみたいな感じで。 あとはポケモンは一番最初の世代なので、 レッドとグリーンとブルーとピカチューバージョン、イエローバージョンをよくやってました。 中学受験しまして中高一貫校の女子校に入ったんですけれど、 この6年間は一番自分の人格を形成したような気がしますね。 中学1年の時に結構個人的な衝撃的なことがありまして、 前期と後期でそれぞれ確か成績が出たと思うんですけれど、 クラス40人ぐらいのクラスで全体の成績が8番だったんです。 一番最初がその中学1年の前期から。 自分としては結構良いなと思って褒めてもらえると思って親に報告したんですけど、 父親に8番なの?1番じゃないの?って言われたんですよね。 それまでの自分はなんとなく勉強してなんとなく中学受験をして、 第一志望に分からず第二志望の中学に入ったんですけど、 その父親の一言で、 あっ、8番じゃいけないんだ。 1番とかもっとより良いってところを目指さないといけないんだっていうことをなんか感じたというか、 今のままじゃいけないってことをすごく実感したんですよね。 なのでその後は割とコツコツと勉強するようになり、 勉強ってやったらやった分だけ点数として結果が出るので、そこも楽しくなっていきました。 確か高校1年ぐらいの時に文系か理系かどっちに進むかっていうのを決めるんですよね。 そこまではどちらの選択も取れるように、 数学も日本史も世界史も科学も広く、そして山を架けずに結構地道に勉強してたかなと思います。 結局高校入ってですね、文系を選んで日本史選択をして受験勉強をスタートしていくわけなんですけど、大学受験ですね。 高校1年の時から早稲田大学に入りたいなと思っていたんですよね。 何でかっていうと、早稲田のオーケストラに入りたかったっていうまさかの理由なんですけど、 オーケストラが好きでトランペットを吹きたかったんですけど、 中学高校は吹奏楽部で、私はユーフォニウムという別の金管楽器をやっておりました。 なので大学入ったらオーケストラに入ってトランペットやりたいなっていうのが夢でした。 その時の目標でした。 第1次部は早稲田の国際教養学部っていう授業が全部英語で、全部かな英語で行われていて、 1年間留学もあるみたいなそういう学部だったんですね。 英語を使って何か仕事したりとか、高校の時は通訳になりたいと思ってたので、 そういう学部を目指してたんですけど、 受験日、当日というか実際の試験中のリスニングのテストを受けた時に絶望しました。 これは絶対ダメだ、落ちたというふうに思いましたね。 いくつか学部は受けていたので、何とか辛うじてですね、教育学部、教育学科に合格しまして、大学ライフが始まります。 大学に入学したのは2007年なんですけど、同級生の著名人は福原愛ちゃんが社会科学部で、 あと同じ教育学部には野球の斉藤悠樹くんがいました。 大学はですね、勉強はほどほどにというんですか、オーケストラのサークルに全力投機をしていました。 結構有名なオーケストラサークルでして、本格的なんですよね。 当時は4学年で300人いて、実力主義の団体だったので、トランペット初心者として入団した私にとってはかなり、 正直ハードな4年間でした。本当社会の祝図みたいな感じでして、組織図もあるし、政治もあるし、人間関係のゴタゴタもあるし。 4年生の時に私は主席奏者というトランペットパートのリーダーっていうんですかね、任命をしていただいたんですけれど、 本来主席奏者っていうのは演奏のトップの人がなるんですよね。 私は明らかに演奏の技術だとトップじゃないんですよね。 これは謙遜じゃなくて事実です。 でもそんな中でもどうトランペットパートを良くしていくかとか、みんなが切磋琢磨して技術を磨き上げていけるかみたいなところを考えながら、 いろいろ自分なりに行動したんですけど、結果として失敗もしましたし、団員が何人か辞めていきました。 でもこの時のリーダーシップというか、チームリーダー、パートリーダーの経験っていうのがものすごくその後の会社でのリーダー経験に役立ちましたし、 周りはみんな中学からトランペットやってましたみたいなばかり、そういう環境の中で諦めずに4年間やり切れたっていうのは自分の強みですし、 そういうふうに諦めずに継続するってことができたのは本当に自分の資産っていうのかな、貴重な経験になりました。 1年生の時は同級生っていうんですかね、サークル105人くらい最初入ったんですよ。 4年生の卒団を卒業するときと同級は20人いなかったと思います。 それだけ厳しい環境の中でよく頑張ったなというふうに思いますね。 # 社会人〜 社会人になったのは2011年の4月からですね。 就職活動についてはですね、残念ながら私は全然うまくいかなくてですね、 今振り返ったらなんで面接落ちまくってたのかよく理由はわかるんですけど、 当時はその理由もわからずとても苦しい思いをしました。 何かく4年生の夏の時にWorks Applicationsのインターンシップを受けまして、 そこでなんとか内定パスをもらえたのでWorksに入社することに決めました。 Works Applicationsはですね、大企業向けのERPパッケージを開発・販売している会社でして、 私はWorksのそのインターンシップの時に初めてプログラミングに出会いました。 Worksもなかなかユニークな会社でしたね。 インターンシップも日当1万円が出るみたいな感じでもうそこからしてユニークでしたし、 入社して最初にやる研修も突破型でですね、 募金の試験とか基本情報の試験とかプログラミングの方もそうですけど、 突破しないと配属されないというそんな研修でしたし、それもユニークですし、 あと開発エンジニアが上流から最後まで全部一人でやるっていうのもすごくユニークで面白いなというふうに今振り返ってみると思いますね。 どういうことかというと、どういうシステムというかどういう機能を作るのかっていう、 今で言うとPRDに近いのかな、こういう機能をどういうユーザーに提供します。 そうするとこういうメリットが出ますっていうところを、社内ではカタログっていうふうに呼んでたんですけど、 そこまで作るところからやるんですよね。 作って実装も自分でやるし、開発者テストまでやって、その後テストチームがいたのでテストチームまでテストして、 そのリリースのチームがまた別になったんでCDに焼いてですね、ユーザー先に届くみたいなそんな感じだったんですけど、 とにかく開発のエンジニアがカタログから作る要求というんですかね、 どういう機能を作るのか、何を実現するのかっていうところから考えて作りきるところまで全部自分でやるっていうのがすごく印象的でした。 私はどうかというと、大学の専攻は教育学部、教育学科でバリバリの文系。 インターンシップの時はなんとかですね、Mockっていうのかな、言語はですね、デルファイト、コボルだったかな、 なんとかそれっぽいものを作って、インターンは乗り切ったんですけど、その入社の時の研修ですよね、 まず4月1日、試験が3つあるので勉強してきてくださいって言われていて、基本情報と、あとボキと、あとジンジュローム系のやつですね、3種類あって、 入社前の数ヶ月、3ヶ月くらいかな、マジ泣きながら基本情報の勉強してました。 4月1日、過労死で超ギリギリ合格点、60点だったか70点だったか、ほんとちょうどピッタリその点数を取って基本情報の試験を受かったんですけど、 落ちてたら多分その後浮かんなかったと思います。 で、勃起の方が全然うまくいかなくてですね、合格点取らないとまた再試、再試、再試ってなるんですけど、ほんと最後の数名まで残るぐらい全然できませんでした。 で、突破型研修の方もですね、確か毎週だったかな、成績順に赤外をするんですよね。 で、同期240ぐらいだと思うんですけど、いつも下から数えた方が早くてですね、そのプログラミングの課題もなかなかできず、最後その突破できたあたりっていうのはそもそも10月ぐらいだったんですね。 4月から研修始めて10月までやっていて、最後の方はですね、下から10万名ぐらいの順位だったと記憶してます。 なんで辞めずに頑張れたかっていうと、一つは父親の言葉で、4月1日の1日目のタイミングで会社辞めたいと思ったんですよ。 で、そんな話を家でしていて、父親にもなんか愚痴というかボロッと言ったんですけど、最初に辞めると辞め癖がついてしまうから、そこは頑張りなさいと、3年ぐらいは頑張りなさいって言われたのがあって、 何十年も仕事をしている父親がいるんだからそうなんだろうというふうに思いまして、なんとか踏ん張ったっていうのもありますし、 あとそのオーケストラサークルでの経験というか、そういう粘りづれさみたいなところも自分の強みとしてはあって、なんとかやり切るぞっていう感じだったのかな。 実際じゃあ4月とかに会社辞めて、次の会社絶対見つかんないなと思ったんで、もうなんかがむしゃらに頑張るしかないみたいな、食らいつくしかないみたいな状況もあったかなというふうに思います。 はい、でまぁ結局ですね、配属されたのはテストチームですね、ジンジローム系の部署のテストチームに配属されました。 その時、最初に明確に上司に言われたのは、なんでテストチームに配属されたかわかるかというふうに聞かれて、わかりませんって言ったんですけど、 プロダクトコードを書く能力がないと判断されたからテストチームなんだぞというふうに明確に言われたのを覚えています。 当時はですね、テストチームの地位、ステタスというのはとても低くてですね、コーディングもできないし、コードリーディングもできないんだけど、 そんな中でも自分がプロダクト開発に貢献できることってないかなというのを考えながら日々仕事をしていたかなというふうに思います。 最初は先輩が作ったテストケースの実行を通して、テストとはなんだろうとか、あとドメインですね、 ジンジローム系だったのでドメインの理解も結構大変というか難しかったりもして、調整とか人事効果とか。 だんだんテストケースを作るようになったりとか、テスト分析をするようになったりとか、テスト計画というものがあるという存在をしてですね、 テスト計画を作るようになったりとか、テスト計画書のフォーマットを揃えることでチームで他の人も同等のレベル間でテスト計画を書けるように作れるようにしようと。 そんな感じでですね、最初の1年くらいからできることの量を増やして、できることの幅を増やしていっておりました。 若い人の最初の1年でかなりストレス耐性はついたのかな?1年でついたのかな? なんか勝手に個人の感覚としては最初の1年間で3年分くらい働いたんじゃないかなっていうくらい働きました。 で、その部署には結果的に3年くらいいましたかね。 で、なんか感覚というか自分の感覚として、そのシステムのことを一番よく知っているのが自分になってしまった。 で、その新人の開発の人からちょっとこの機能の仕様について聞きたいんですけどとかめちゃくちゃ聞かれるようになって、その状態がすごく嫌だったんですよね。 いや、機能を開発しているあなたが一番機能に詳しくなくてどうするの?みたいななんか変な気持ちが湧いてきちゃって、もうこの部署にいるのはやめようと思って、 そこから自己申告で新規プロダクトを作っている部署に自己申告で移動しました。 移動した理由というのが、その新規のプロダクトをでも自分のやってきたこととかっていうのは、なんか実力とか通用するのかっていうところを試してみたかったっていうところが大きかったかなというふうに思います。 で、その面談で移動先の庁長、部長、開発部長みたいな方と面談したんですけど、 その時に言われたのが、まあ新規プロダクトだし、そこまでその品質とかテストチームに期待していることないから好きにやっていいよって言われたんですよ。 私はそれを言われた時に、なんかラッキーというか、なんか期待されてないから、やれるだけチャレンジできていいやっていうふうに思ったことをよく覚えています。 で、移動した先ではですね、品質計画っていうのかな、新しい新規プロダクトとして必要とされる品質の基準というのはどういうところで、 その基準を達成するためにはどういうふうに計測したらよいのかみたいなところ、どういうふうに評価をしたらよいのかっていうのをプランニングしたりとか、 海外事業所のテストチームと連携して、その品質の計測というか基準の計測ができるようにツールを整えたりみたいなことをやっていました。 で、まあいろいろあってですね、また挫折をしてですね、QAエンジニアを一度辞めるという決断をするんですけど、 まあなんか振り返ってみると、その時もまた自己申告で管理部門に移動していたので、 基本的に私はいつも自分の意思で部署を移動しているとかやることを変えているっていうのがなんか一個自分の特徴なのかなというふうに思います。 で、管理部門に移動してからですね、まあちょっと上質っぽいことだったりとか、 原価配付の部分ちょっとやったりとか、出張申請の一時、二次承認やったりとか、 毎月3000人ぐらいのお社員に向けて、えーと、工数入力してくださいってリマインドしたりとか、 財務会計と管理会計をちょっとずつかじったみたいな、まあそんな3年間だったかなと思います。 30歳になったタイミングで、何をやらなかったら一番後悔するかなっていうところで会社を辞めて、 まあホリのビザを取って半年間オーストリアでゆっくりしました。 羽を伸ばしましたね。 で、そのまあ床先でもいろんな人と出会って、いろんな話をして、 自分がやりたいことを軸に行動すればいいんだなっていうところを改めて実感をして、 まあホリの後はマネーファードにQAリーダーとして入社をしました。 2021年ぐらいですかね。 一人目QAとしてその部署にHRですね、また人事労務系の部門に入って、 QA組織の立ち上げ、ロードマップ作ったり採用もやりましたし、 全プロダクトに入れないので、まずはここのプロダクトを注力しますっていうのを絞ってテスト活動をやったりしました。 で、2021年からまあ今2025年ぐらいの4年ぐらい、 振り返ってみると自分の強みっていうのがまあ組織づくりなのかなっていうのが今のところの考えです。 自分のその仕事においての根底にある信念っていうのが、優秀なエンジニアが生き生きと働けるようにするっていうのが自分の心情なんですよね。 そのために一番自分が貢献できるのが、まあたまたまテストだった、品質だったっていうだけなんですよね。 あと自分が仕事において一番こう爆発するというか、何を実現したいのかっていうと、 自分が間に入る誰かと誰かの間に入ることで両者がハッピーになるっていうのが一番自分にとってなんかハッピーなんですよね、働き方として。 卒業生の時はそれは通訳っていう職業になっていましたし、 求人エンジニアっていう職業もいろんなロールの人の間に立って話すことも多かったりするので、 自分のやりたいことと結構マッチしてるかなというふうに感じてます。 エンジニアリングマネージャーも人と人の間に立つっていうところだったり、組織づくりという面でも自分の得意分野を生かせるんじゃないかなと思っていて、全力でチャレンジ中です。 # おわりに 最後までお聞きいただきまして、本当にありがとうございます。 今回は300回の放送を記念して、改めて自分の自己紹介と過去を振り返ってみました。 何か気づきだったり、共感だったり、明日からまた頑張ろうと思えるような内容になっていたら幸いです。 もっと見る #キャリア #自己紹介 #ソフトウェアテスト #QAエンジニア 世界が広がる🌍ソフトウェア品質プレミアム放送配信中!00:201.タイトルコール09:522.幼少期〜大学生09:593.社会人〜00:164.おわりにコメント感想・質問・応援メッセージを書こう りゅーいち2025年11月4日先ほどはありがとうございました!8番でダメだなんて厳しいですね😂😂わたしはクラスで下から2番目な落ちこぼれでした🤣そんな私ですが、見捨てずによろしくお願いします🙇1返信 みずけん2025年10月7日放送300回おめでとうございます!しっかり内容も吟味して毎日放送を続けられていること、大変なこともあるかと思いますが素晴らしいです!海外での生活経験、就職時の挫折、ワーホリでの海外生活、異業種業務への転職など、Sammyさん特有の経験があって、きっとそれらをSammyさんなら強みにしていけるんだと思います!これからもよろしくお願いします!2返信 9時ラー2025年10月6日🐳💨💨💨徘徊中プログラムには、プログラマーの育った文化の違いが反映されるのだろうか?英語脳と日本語脳では、プログラム化に向けた視点、向き合い方にどれほどの違いがあるのだろうか?それは、プログラム品質に関わるだろうか?どうだろう?だとしたらsammyさんは、ユニークな人材かもね🤭では、またね〜👋2返信 おっしょう2025年10月6日放送300回!おめでとうございます!私が昭和62年生まれなので同世代ですね。ポケモンはグリーン⇒ブルー⇒イエロー⇒シルバーとやっていたので共感(^^)自己認識の解像度が高くて凄いなぁ…と。今後のご活躍が益々楽しみです!2返信
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これからもよろしくお願いします!
プログラムには、プログラマーの育った文化の違いが反映されるのだろうか?
英語脳と日本語脳では、プログラム化に向けた視点、向き合い方にどれほどの違いがあるのだろうか?
それは、プログラム品質に関わるだろうか?
どうだろう?だとしたらsammyさんは、ユニークな人材かもね🤭
では、またね〜👋
私が昭和62年生まれなので同世代ですね。
ポケモンはグリーン⇒ブルー⇒イエロー⇒シルバーとやっていたので共感(^^)
自己認識の解像度が高くて凄いなぁ…と。
今後のご活躍が益々楽しみです!