TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe哲学の3本柱としての「存在論」「認識論」「価値論」/もう挫折しない 「最後の哲学入門」戸谷洋志さん対談135:55 10月15日 3,590再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次哲学入門の常識を覆す新提案戸谷洋志が語る哲学の三大テーマAI問題で考える「存在論・認識論」思考を阻害する「べき論」の正体変化の時代に問われる「自分哲学」AI文字起こし(β版) # お品書き あらきる行きのブックカフェ 10月15日版になります。 さて、今日はですね、本編は、 今日からなんですけど、 とやひるしさん、 哲学者のとやひるしさんを迎えして、 フライヤーブックキャンプでやっていただくね、 哲学シリーズ、 こちらのキャンプの話になります。 哲学の三本柱、 これについてね、 紐解いていく講座になりますので、 ぜひ皆さん興味を持っていただければと思います。 今日の一曲は、 マテキですね、 モーツァルトのマテキ。 そして、 コメント返しは、 先週の、 球闘室メンバーとの対談の 2日目ということで、 最後までお付き合いください。 # 初めのあいさつ 皆さんおはようございます。 10月15日、木曜日の朝になりました。 さあ、今日からですね、僕は浦保に行ってまいります。 2泊3日。 天気良さそうでね、良かったですけれども。 久しぶりだな、浦保行くの。 またね、成長の地図を持って浦保に向かいたいと思います。 はい、ということで今日も頑張ってまいりましょう。 それでは本編スタートです。 # 久しぶりの戸谷さんcampです! それでは、今日は新しいゲストをお迎えした対談になります。 立命館大学純教授の豊弘さんになります。よろしくお願いします。 豊さん、ご無沙汰しております。 ご無沙汰してます。ここに呼んでいただけるのも数年ぶりな気もしていて、めちゃめちゃ嬉しいです。 なんかちょっと久しぶりに思い受けしてませんでしたが、100分で名著とかまた出られていたのを拝見したりとか。 ありがとうございます。今年の2月ですかね、カール・アスパースという哲学者の哲学入門という本の至難役で100分で名著出ておりました。 あれもまためちゃくちゃ良い放送で。 ありがとうございます。 僕はジムで走りながら聞いて拝見して、汗かきながらいいこと言っとるわみたいな。 結構、アスパースの哲学の中でも限界状況とかそういう難解な概念がいろいろあるんですけど、 今回100分で名著を引き受けするにあたって、改めて彼の辞伝とかを読んでみると、結構彼が持っていた持病とか、彼自身の身体の話っていうのが哲学にも反映してるんだなということが分かってきたので、 今回はそういうところを中心的に取り上げさせてもらいましたかね。 あれもどうなんですか。2回ですよね、出られたのがね。最初がハイデガーでしたっけ。 はい、ハイデガーですね。ハイデガーの存在と時間で。 結構ハイデガーの存在と時間の方は、みんな1回挑戦したけど、なんか挫折したみたいな。 本の典型みたいなやつだったので、なるべく分かりやすく分かりやすくというか、有名な概念を解きほぐしていくみたいなところに注力したんですけど、 ヤスパースの場合には、哲学入門というタイトルではあるのでキャッチーではあったんですけど、そこまで有名かって言われるとそうでも、 有名なんですけど、哲学入門が有名かって言われるとそうでもなかったので、結構ヤスパースの中心概念は紹介しつつも、 僕が面白いと思ったところを中心的にご紹介させていただいたかなと思いますね。 どうですか、NHK。注目される番組ですけれども、2回出られて反響とか変化はありましたか。 そうですね、正直全然慣れないなっていうところが正直あって、やっぱり台本がしっかりある中で、同時に即興的な対話も、 井上さんとかとしつつ、それでもあらかじめ用意された、VTRとかってあらかじめ用意されているので、そういうところの構成はしっかり守りながらも、 でも、やっぱりこう、何ですかね、対話しているとすごく思うんですけど、台本通りに対話しているのと、急に即興的に対話しているのって、 視聴者にとっても全然見え方が違ってくるなと思っていて、番組の評判を見ていても、私が台本を読んでいるところはグダグダしてて聞いてられないみたいな感想があったりしていて、 収録は実際1時間近く1回につき収録していて、半分くらいカットされてるんですけど、やっぱり、そうなんですよ。頑張って喋ったところもバッサリ行かれてたりとかするんですけど、 でも、やっぱり即興で話して熱が出て盛り上がったところが使われてたりするなと思うので、やっぱり即興での対話っていうのは、そういう意味ですごく魅力があるんだなというところを改めて気づかされましたかね。 なるほど。そして今回お越しいただいたのは、トラさんがまたフライヤー・ブックキャンプで講座を開いていただくということで、タイトルがですね、もう挫折しない最後の哲学入門。 存在論・認識論・価値論から紐解く哲学の基本というタイトルなんですけど、すごいタイトル来ましたね。 去年ですね、NHK出版さんから哲学の始まりっていう本を出させていただいて、それは私の中では、哲学の入門書をこれで終わらせるぐらいのスムーズに書いたんですけど、 普段もですね、結構哲学の入門書っていろいろなタイプがあると思うんですけど、大きく分けて三つのタイプに分かれるなと思っていて、一つは名言集みたいな、一応入門書っていうたてつけにはなってるんだけど、 ニーチェのいい感じのフレーズが出て、共感して終わりみたいな、そういう共感することを目的にしたタイプの入門書と、それとは別に二つ目に辞典タイプというか、 例えば、ハイデガーで言えば、現存在とは自分自身を気遣う存在であるみたいな、あんまり説明になってないというか、それを聞いて何も分からないだろうというような説明がつらつらと書かれているようなタイプの辞典タイプの本というのもあって、 これはこれで有効なんですけど、ただテクニカルタームをテクニカルタームで、つまり専門用語を専門用語で説明できるだけになってしまうので、これも本当の意味で入門になってないよなというふうにも思うんですよね。 私の印象だと、市場にあふれている哲学入門書って、8割がこの二タイプのうちどちらかだなと思っていて、なかなか自分の学生に、僕今は立命館大学の先端総合学術研究科という領域横断的な研究科にいて、 結構哲学がもともと専門ではない学生が、哲学について学びたいですというふうに言ってくるケースがすごく多くて、そういう時に、とりあえず最初にこれ読んどいてっていう本がなかなかないなっていうのが結構長年課題だったんですよね。 3つ目のタイプ、さっきの分類でいくと、3つ目のタイプとして、読者と対話しながら、それこそ読者に対して問いかけ、読者がそれに応答し、その応答から哲学の世界へと誘われていくような、読者自身に考えさせるようなタイプの哲学の入門書っていうのは、 もうあると思うんですけど、だし実際、優れた本もたくさんあることは分かっているんですけど、それでもなかなか手頃で、短くて扱いやすい難易度でっていうものっていうと、なかなかないなというふうに思っていて、そうであれば自分で書いてしまおうと思って、書いてみたのが哲学の始まりだったんですね。 なんですけど、本である必要も正直必ずしもないのかなというふうに思っていて、本だからこそたくさん情報を載せられるっていうのはあるんですけど、やっぱり大事なのは対話ですよね。読者との対話、あるいは授業で言えば学生との対話、その対話の中で自分で考えを深めていくっていうところが、哲学にはどうしても必要になってくるので、 今回のセミナーでは、そういうセミナーというか講座では、そういう参加者の方と対話しながら、実際自分で考えながら哲学を学んでいくっていうことを是非ご提供したいなと思っております。 なるほど、なるほど。そこで今回3つのキーワードなんですけど、存在論、認識論、価値論、この3つを哲学の三大テーマとして取り上げられていますけれども、この整理自体は元々その哲学の共通認識としてあるんですか?それとも豊さんのオリジナルなんですか? これは、ほぼ共通認識だと言っていいと思います。ただ、3つじゃなくて4つになる人もいるし、あとは、例えば存在論ってなっているところは刑事上学にする人もいると思いますね。 あるいは価値論になっているところは倫理学になる人もいると思いますが、つまり理学を排除してしまうということになると思うんですけど、だから私の定義でいくと、存在論というのは何であるか、何であるか、何々とは何かという問題に関わる分野で、認識論というのはいかに知るか、どのように知るかということを考える分野で、 価値論というのは何々、何が望ましいのか、広く言うと何が望ましいのかということで、その望ましさには道徳的な望ましさと美的な望ましさがあって、道徳的な望ましさの方には我々はどのように行為するべきなのかという問いが立ち、美的な望ましさの方は美しさとは何か、あるいは醜さとは何かということが問われてくる。 そういったような形で哲学の問いを大きく分析化していくことができるだろうと考えていますし、それは結構哲学のアカデミックな領域においてもおおむね共有されている分類かなと思います。 例えば仮に人工知能の問題を手に取って考えてみると、人工知能とは何かというのが存在論になりますよね。例えばGPTは人工知能なのか、あるいは電卓は人工知能なのか、違いがあるとしたら何か、そういったことが存在論になってきます。 一方で人工知能を私たちはいかに認識するのか。例えばチャットGPTを最近話題になっているんですけど、チャットGPTと本当にお友達になっている人というのが現れ始めていたり、チャットGPTと恋人になっている人というのが現れていたりするんですけど、そういう人たちがどのようにチャットGPTを認識しているのか、そういったようなことが認識論の問題できます。 だから存在論と認識論ってそういうところでは少し違うレベルになってくるわけですね。と同時に、じゃあ人工知能をどのように使うべきなのか、あるいは人工知能をこういうふうに使う人は間違ってるんじゃないかとか、そうしたべき論の問題っていうのが価値の領域になってくる。 だから価値論の問題になってくるので、例えば人工知能に関する哲学を考えるっていうふうになってくると、この存在論、認識論、価値論の3つの観点からそれぞれ違った問いを立てていくことができるので、そういった意味で哲学的に考えるということは、この3つの観点を学んでいくということに等しいのかなと思っております。 えー、そうか。めちゃくちゃ勉強になりました。 ありがとうございます。 確かに、なんかその3つを、なんかちょっとやっぱり行ったり来たり、その実際のビジネスの現場でも、深く考えるって、なんかその3つをいろいろ考えてるみたいな感じありますよね。 なんか、その社内で当たり前になっているキーワードが、ん?とか、例えば負荷価値をもっと高めないとダメだよね、とか言ったとき、そもそも負荷価値って何?って誰も疑ってないみたいな。 なんか、どこまで行ったら負荷価値になるの?とかね。なんか、そんなこと疑っても意味ないでしょ?みたいな、なんかそういう領域に対して問いを立てるみたいな作法が、なんかね、多分今で言う存在論的な問いになるのかもしれないですよね。 何々とは何かみたいな。 そうですね。実際に私たちが社会の中で直面する課題っていうのは、あの、大体この3つの領域が全部こう一緒くたになってるというか、混濁してしまってるというか、まあでも混濁していいと思うんですよ。 実際の課題っていうのは、そんな簡単にきれいに切り分けられるものではないので、ただ、整理して考えていくと、あの、まあその、例えば実際の社会課題に直面したときに私たちが陥る混乱も、もう少し扱いやすくなるというか、考えやすくなる側面はあるかなと思いますし、 あともう一つ大きなメリットとしては、大体存在論、認識論、価値論で、代表的な理論っていうのがやっぱりあるんですよね。例えば、存在論だったらプラトンとかアリストテレスとか、あるいはハイデカとかの考え方っていうのが、結構その物事を今考える上でも、 大体あの、なんかこう、皆さんと例えば僕哲学対話とかしてるので、そういう哲学の専門的な理論をご存知ではない方と対話していても、大体存在論になると、この人はプラトン派だなーとか、この人はアリストテレス派だなーとか、あるいはこの人はハイデカ派だなーっていうのが大体わかってきて、 そうすると、例えば自分の考え方とか、あるいは別の考え方っていうのが、想定しやすくなるっていう側面もあるかなと思いますし、認識論とか価値論でもやっぱりそうで、価値論の特に道徳に関する話っていうのは、やっぱり理論的な方がすごく効いてきて、 小売主義なのか、関東主義なのか、特倫理なのか、そういう専門用語はついてるんですけど、大体みんなこのパターンで考えるよねっていうのが、過去の哲学史の代表的な理論でカバー、ある程度はできると思うんですよね。 そういうその理論と紐づけて考えていくことで、自分とは違った考え方についても想像が及ぶようになるっていうのも、結構哲学的な思考のメリットなのかなと思いますね。 なるほどね。確かに。地球環境問題とかね、そういう話とかって、結構この3つがひっくるめて起きていて、確かに価値論みたいなところも結構ありますよね。 そうなんですよね。だからなんか結構、例えば、最近それこそドナルド・トランプさんとかが地球温暖化が起きてないとかっていうふうにおっしゃって、大変な論争を巻き起こしてるわけなんですけど、 あれも価値論の問題と認識論の問題が多分混同されていて、一方では、あれは存在論なのかな。これ全領域関わってきますね。だから一方では、そもそも地球温暖化は起きてないと言っている人もいると。 地球温暖化は存在しないと言っているから、存在論的なレベルで議論してるんだけど、それとは別に、地球温暖化はまだ測定されてないというか、地球温暖化を実証する手段はないみたいなことを言ってる人もいて、だから今、例えば地球温暖化はあるって言ってる人たちのデータは熱像だっていうふうに言ってる人もいて、この人は認識論のレベルで議論してるんですよね。 それとは別に、地球温暖化に対応すべきだとか、地球温暖化を加速させるような行動をしてはいけないとか、こうしてはいけない、するべきだって言ってる人は価値論のレベルで議論していて、この3つのレベルが混同されたまま論争が起こってしまっている。 そうするとやっぱり話が噛み合わなくなってくるので、結局収集がつかなくなって、分断していってしまうっていうことが結構至るところで起きているのかなと思いますね。地球温暖化問題とかはそれが非常に顕著に分かりやすく現れてきている問題なのかなと思いますね。 あと、組織内でよくありがちな人間関係のいざこざとか、あの人とうまくいかないとか、こういうことを伝えてるのに全然分かってもらえないとか、そういうお題のときに、認識論をちょっとでも深掘ったことがあると、ものの捉え方が違うようになるという感覚があるんですけれども。 あまり私の見方っていうのは、あなたも同じものを見てますよねっていう、なんかそういう見方から逃れられない人っているじゃないですか。私が見てる赤とあなたの赤は一緒ですよねみたいな、そういうことを疑ったことがないみたいな、そういう人って結構その他者と向き合うとき苦労するなっていう感覚もあったりするんですけど、その辺どうですか。 そうおっしゃる通りですね。認識論の基本的な前提って、私たちの認識が私たちの主観的な条件によって左右されているというか、つまり同じものを見ていても人によって違った見方をするっていうところがやっぱり出発点なんですよね。 もしもそういう、ちょっと堅苦しい言い方ですけど、主観的な条件というものがなかったら存在論だけでいいので、ものがある。ところがそのものの見え方は人によって違っているからこそ、じゃあ私たちがそれをどのように認識しているのかということが問題になってくるわけですよね。 ただ、じゃあものの見え方が違うからといって、みんな人それぞれですよねみたいな、人によってものの見方は違いますよねっていうだけだと、話が終わってしまうというか、じゃあ我々はものを正しく認識することは誰もできないということで終わってしまうので、みんなものの見方は違う中で、それでも共通認識にできる部分はどこなのか。 あるいは、じゃあ相手が私とは違うものの見方をするんだとしても、私はどのように相手のものの見方を知れるのかとか。 例えば、荒木さんは私とは違ったものの見方をしてるんだけど、荒木さんはこういうふうにものを見てるんだなと思う、これも私の見方になっちゃうわけですよね。ややこしいことなんですけど。 荒木さんはこういうものの見方をしてるんだなという、私のこの解釈をそのまま受け取ることも非常に危険で、この見方もまた私の見方だと思っておかないといけないし、また荒木さんがこれが私の考え方なんだと思っている、その考え方もまた荒木さんの考え方なんだということをわかっていないといけないしっていう、非常に複雑な関係の中で、 自己理解・他者理解の区別っていうのは生成してくると思うんですよね。だからそのややこい構造というか複雑さみたいなものを整理していく上で、結構認識論は有効だったりするのかなと思いますね。 なんとなく今思ったんですけど、ビジネス現場でその認識論だとか、あとは存在論も価値論もそうなんですけど、それを塞ぐ二文字の日本語があるような気がしていて、それがべき、べきって言葉。べき論みたいなね。 なんかこう考えるべきとか、これはこうであるべきみたいな、結構だからその時間が限られてリソースが限られた中で、もういちいちめんどくさいこと考えられないっていう状態で、こうすべきっていうべきを上から貼るとショートカットできるみたいな感覚ってやっぱあって、なんかこれがいっぱいこのシールがいろんなところ貼られてる感覚ありますよね。 そうですね。それこそ、例えばプラトンとかっていうのは、まさにそういう発想をしていた哲学者だったと思うんですけど、つまりこの世界の根源には全のイデアっていう、世界がどうあるべきかを全部決めている。 僕は学生に説明するときは天国にあるんだよって言ってるんですけど、厳密には天国ではなくて、この世界を超越したどこかにあるんですけど、この地上に存在するすべての不確かなものっていうのは、その全のイデア、つまりこの世界がどうあるべきかを定めている設計図みたいなものに基づいて生まれてきている不完全なものに過ぎないんだっていうふうにプラトンは考えていて、 我々は自分の考えで、自分の思い込みで振る舞おうとすると、みんなバラバラな行動をしてしまう。それによって何を成し遂げようとしても不完全なものになってしまうし、周りの人と協調することもできない。 どうやって周りの人と協調していくかというと、それはこの全のイデアという、普遍的に人間はこうあるべしみたいなべき論によって自分を正していかないといけないんだっていうふうにプラトンは考えていて、結構こういう考え方って、イデア論みたいな強烈な考え方ではないにしても、 西洋の哲学を貫いて、現在まで影響を持っている考え方だったりするのかなと思います。ただ、その一方で、今回の講座でここまでの話はしないかもしれないんですけど、やっぱり国基地の状況って変わってきていて、 つまり、特に20世紀以降、産業革命以降っていうんですかね、つまり人々の移動とか、あるいは物の移動とかが加速していって、テクノロジーもすごい速度で進歩していって、社会の在り方が急激に変化していくようになっていると思うんですよね。 だから、それこそ私は大学で学生に対して、レポートでAI使っちゃダメだよとか、レポートでこういうことしちゃダメだよとかって、いろいろべき論を語ってるわけなんですけど、そのAIの使い方っていうのも本当に年ごとというか月ごとに変わっていくというか、ものすごい速度で変わっていくんですよね。 もう今、大学でも学生にAI使っちゃダメなんて言ってる人は多分いなくて、教員でも。もうAIをいかに使いながら学んでいくかっていうことを前提に授業をしていて、松本さんもそうじゃないかなと思ってるんですけど、日ごとにべきがアップデートされていくっていうか、日ごとにべきが更新されていって、更新していかないと社会の変化に対応できなくもなってきている。 そういう中で、しかしその一方でそうやって状況に変動されながら、べきをコロコロ変えていくと、自分のやってきたことと趣味一貫しなくなってくるっていうか、結局自分の信念とか、自分の思いってどこにあるんだっけっていうことが分からなくなっていくようにも思っていて。 だからそういうふうに変化が激しい時代だからこそ、自分がどういう旗を立てているのかっていうことを考えていく必要が改めて求められているのかなと思うんですよね。 僕は例えば自分で本を書いたりするんですけど、やっぱり本を書くときには基本的にはAIで文章を出力しないようにしてて、叩き台であっても出力しないようにしてて、そこまでの厳しいことを周りの人には求めないんですけど僕は。 だし、AIで生成された文章にも味があっていいなと最近思うようになってきてるんですけど、やっぱり書くということは自分の心から出てくるものであるべきであるみたいな、一応信念が僕には、信条みたいなものが僕にはあって。 それは想像性とは何かとか、書くとはどういうことかみたいなことに対する自分なりの哲学に基づいているのかなと思うんですよね。そういう自分なりの哲学というか、書くことについてはもちろん人によって考え方が違っていいと思うんですけど、 考え方が違う中でも自分の哲学、自分の思いみたいなものっていうのを求められたり言語化していかなければならなかったりする時代なのかなと思うので、そういった意味でも哲学的な思考が何かの役に立ったらいいなとは思ってますね。 はい。ありがとうございます。ということで、今日はここまでにさせていただいて、明日はこういった議論を踏まえて、これをどういうふうに口座に落としていくかという話を具体的に聞いてみたいと思います。 はい。ということで、初日、豊さんゲスト会でした。どうもありがとうございました。 ありがとうございました。 # 今日の一曲/モーツァルト「魔笛」 さあ今日は、久しぶりのクラシックですけれども、モーツァルトのマテキというね、オペラの曲目をお伝えしたいと思います。 初演が1791年ですね。ウィーンで演奏されましたけれども、ちょっとね、これを語る背景としては、 今、ミュージカルでマドモアゼル・モーツァルトというですね、音楽座という劇団がやっているミュージカルを見まして、 タイトルの通りモーツァルトなんですよね。何かの漫画だったと思うんですけれども、モーツァルトが実は女だったという、そういうストーリーの 漫画をミュージカルにしたものなんですけれども、一方でですね、その辺はかなりちょっとアレンジが効いてるんですけれども、 一方でですね、モーツァルトの生涯はね、しっかり追っていて、そしてですね、モーツァルトの曲目もふんだんに使っている、そんなミュージカルなんですけれども、 最後ね、晩年にマテキが出てくるわけですよ。 モーツァルトがですね、自分の四季を意識しながら書き上げたオペラ曲だというふうに言われておりまして、 それが出てきて、マテキかと思って、そういえばちゃんと聞いたことなかったなぁというところで、今回改めて聞いてみたんですけれども、めちゃくちゃ良かった。 特にですね、このオーバーチャーという女曲、最初に聴くのがこのオーバーチャーなんですけれども、非常に良い曲で、 そして、 復讐の炎は地獄のように我が心に燃え、というですね、夜の城のアリア第2番という曲目があるんですけれども、これはね、びっくりしましたね、本当に。 まあすごく有名な曲なんですけれども、本当ね、歌い手が人間離れしてるんですよ。 本当に超絶技巧で、 まあ、母が娘にザラストロの殺害を迫る激しい復讐心を歌い上げるという曲なんですけれども、 ちょっとね、これは、いろんなバージョンがあると思うんですけれども、びっくりしました。 すごいなオペラって思いましたね。 まあ、かのごとくですね、マテキ、非常に素晴らしいオペラだと思うんですけれども、 僕は見たことなくて、今度ね、U-NEXTでマテキのオペラがオンエアされているので、時間があった時にこれ見たいなというふうに思いました。 マドモアゼル・モーツァルトはね、もうちょっと今見れないんですけど、 そこからのマテキということで、今日の一曲はモーツァルトのマテキをお届けしました。 # 頂いたコメントへのお返し コメント返しは、給頭室対談の2日目になります。 北村直文さん、人は物事を単純な因果で結びたがります。 腰痛の例え、わかります。幹部だけに意識を向け、自分の経験談を当てはめる。 よくあることです。単純化してしまうのは、それが楽なのでしょう。 単純な因果関係を作ってしまえば、認知的負荷が少ないのかもしれません。 とはいえ、本質は単純ではありません。 過去、背景、関係性、あらゆるものが関係し、今見ている姿になっています。 物語を因果として結びつけたくなった時に立ち止まる。 時間がかかるとは思えないものの、実は本質までの距離が短くなるのかもしれません。 単純な方が楽だから、認知的負荷が少なくて。 だから単純であってほしいんだよね、世の中。 自称パターン・構造の因果をつなぐ。改めて、メモりたい言葉です。 私が日々関わる現場では、ビジネスなのに真摯に関わるワーディングが複数出てきます。 それは親会社向けの資料の中にあり、親に対して神的なものを見ているのか、組織のメンタルモデルまで考えたいと思いました。 面白い。真摯に関わるワーディング、例えばどういうものなの? すごいな、面白い。そして、神的なものを見ている。面白いですね。 ちょっとメンタルモデルを知りたい。 かつけいさん、子供との微妙な距離感にとても共感しました。 例えば息子たちが歯磨きをしないとダダをこねている時に、優しく説明してもダメ、 突き放して歯磨きしなくてもパパは困らないから好きにしていいよと言ってもダメとなって八方塞がりになることがあります。 その時の最適解が未だ分かりませんが、子供たちの不快感に共感するところから始めてみるといいのかなとヒントになりました。 はい、そうですね。 確かにこの最適解が分からないけどね。 この距離感って本当に難しいですよね。間の話だからね。 あきらんさん、組織においてそもそも論や問題の本質に迫る行為は中途半端な役職で年齢がある程度重ねているととても注意がいる行為なのかなと感じております。 出し方の感覚も養っていきたいですね。 本当にそうだね。 すごいこの辺の注意の使い方って僕も分からないです。 最適解は本当に分からない。 そのセンスが重要ですね。 はい、ということでコメント返しは以上となります。いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ さあということで今日はですね 豊さんとの 哲学シリーズ第1弾ということでしたけれど、明日ですねまたこれのキャンプをどうやってやるのかという話をお届けしていきたいと思います。 哲学に興味がある人ぜひ来てください。それでは今日はここまでごきげんよう。 もっと見る #哲学 #flierbookcamp 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:471.お品書き00:342.初めのあいさつ27:343.久しぶりの戸谷さんcampです!https://booklabo.flierinc.com/camp/261114003:374.今日の一曲/モーツァルト「魔笛」03:045.頂いたコメントへのお返し00:226.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう あきらん10月20日「成長の地図」でいえば、成長って、そもそも何なの(存在論)を考えるために、成長という現象に様々な見方ができることを提示(認識論)され、これから私たちにどんな成長が望ましいのか(価値論)の考察を求められる読書体験だったように思います。私は認識論的成長感という言葉に、心が救われる気持ちになりましたが、具体的にどう落としていくか、私にフィットする価値を見つけ直していこうと思っています。返信 きたむらなおふみ10月18日他人と自分、「同じ景色を見ている」と錯覚してしまうことが実際あります。「見ている景色は違う」。せめて頭に浮かぶなら「べき」論として相手を縛る発言は減るのかもしれません。哲学には本質を掴むイメージがあり、哲学的になればなるほど同じ思考に傾くのかと思いきや、そんなこともなさそうです。哲学を学び腑に落ちるからこそ、見ているものの景色が違うと気付けるのでしょうか。私は感情を乱された際、自分の正しさを主張しがちです。「あなたはそう思うのですね」と、余裕を持って考えられれば、建設的なのだと思います。返信 タカイク10月16日3つのキーワードのうち、少なくとも認識論と価値論は、基本的に人によって異なるのだろうと思います。そう考えると、これらの差異をどう顕在させるかが、組織における他者との間のハレーションの大きさを左右しそうです。事前に認識論と価値論を語り、ベネフィットの配分を関係者ですり合わせておくことが根回しなのかなと連想しました。1返信 荒巻 泰造10月15日「そもそも論」を口にする人は、みんなで入ったレストランで突然「そもそも、なぜお腹が空くんだろう?(存在論)」とか「この味って、自分の勘違いじゃないかな?(認識論)」と言い出す、ちょっと浮いた存在かもしれません周りが「細かいことはいいから、早く食べようよ!(価値論)」と盛り上がっている時に、根本的な疑問を投げかけるのですから、少し煙たがられてしまうのも無理はありません前提を疑うことを大切にするその浮いた人こそが、実は組織が間違った方向に進むのを防ぐ、大事な毒味役になってくれているのでしょう返信
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私は認識論的成長感という言葉に、心が救われる気持ちになりましたが、具体的にどう落としていくか、私にフィットする価値を見つけ直していこうと思っています。
哲学には本質を掴むイメージがあり、哲学的になればなるほど同じ思考に傾くのかと思いきや、そんなこともなさそうです。哲学を学び腑に落ちるからこそ、見ているものの景色が違うと気付けるのでしょうか。
私は感情を乱された際、自分の正しさを主張しがちです。「あなたはそう思うのですね」と、余裕を持って考えられれば、建設的なのだと思います。
そう考えると、これらの差異をどう顕在させるかが、組織における他者との間のハレーションの大きさを左右しそうです。事前に認識論と価値論を語り、ベネフィットの配分を関係者ですり合わせておくことが根回しなのかなと連想しました。
周りが「細かいことはいいから、早く食べようよ!(価値論)」と盛り上がっている時に、根本的な疑問を投げかけるのですから、少し煙たがられてしまうのも無理はありません
前提を疑うことを大切にするその浮いた人こそが、実は組織が間違った方向に進むのを防ぐ、大事な毒味役になってくれているのでしょう