#292 役にたたなくてもいい場所は、教養を身につける場所だった
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中洲昼スナ「役にたたなくてもいい場所」は、実は教養を身につける場所なのです。めちゃくちゃ逆説的。
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AIによって人間は知識を外付けできるようになりました。これで、教養の意味はすっかり変わったと思うのです。そのことを理解する助けになってくださったのが、編集工学を実践する太田剛さんです。
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太田さんは、松岡正剛さんが率いる編集工学研究所で23年間働き、テーマパークの長期構想から企業のコンセプトづくり、システム開発まで、編集工学を応用した仕事をたくさん手がけてこられてきました。いまは角川武蔵野ミュージアムのエグゼクティブプロデューサーを務めながら、全国で図書館をつくっています。慶應義塾大学では19年間教えています。
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その太田さんがよくやるワークショップに、「お菓子なわたし」があります。私も何度も受けているのですが、隣の人と組んで、自分をお菓子にたとえて自己紹介するというものです。
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たとえば
「私は金平糖です。とげとげしていて、昔はさわると痛いと言われていました。でも、口に入れるとゆっくり溶けて、甘くなる。時間をかけて角がとれていく。しかも色とりどりで、同じ形はひとつもありません」
こんな感じです。
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【頭の中のリストこそが教養】
この自己紹介で大事なのは、答えそのものより、そのとき頭の中で何が起きているか、です。
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まず私たちは自分を分解しています。編集工学では、対象に近づく方法は三つしかありません。
①要素(自分を構成するもの)
②機能(自分は何をする存在か)
③属性(自分はどこに属しているか)。
そうやって取り出した自分を、今度は頭の中の「お菓子のリスト」と照らし合わせて、どれにしようかと探していく。
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太田さんいわく、このリストこそが教養なのだと。普段からコンビニのお菓子の棚をよく眺めている人は、リストが豊かになる。甘いものに興味のない人は、リストが薄くなる。いきなり「お菓子にたとえて」と言われて、誰かが答えを渡してくれるわけではありません。リストは、自分で持っているしかないのです。
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役に立つかどうかわからないけれど、普段からいろいろなものをよく見て、知っている。その積み重ねが、いざというときの引き出しになる。教養とは、そういうものなのだと教えてくれました。
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【仮に決めて、寄せていく】
もう一つ大事な要素が「仮決め」です。自分にぴったり合うお菓子など、ありません。だから、まずは仮に決める。そして、お菓子と自分の違いにこだわるのではなく、お菓子のほうに自分を寄せていく。太田さんは自分を歌舞伎揚げにたとえて、一見固そうだけれど、打ち解けるとやわらかい、とおっしゃっていました。
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これは仕事も同じ。自分に完璧に合う仕事なんて、まずありません。自分に合う仕事を探すのではなく、仕事に自分を寄せていく。これをジョブ・クラフティングと言ったりもしますが、それもまた編集なのです。
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【分類ではなく、文脈で】
太田さんがつくる図書館は、日本十進分類法を使いません。料理、歴史、医療、福祉といったジャンルで本をまとめるのが、一般的な図書館の並べ方だと思います。太田さんがそれを使わないのは、分類が知のつながりを切ってしまうから。分類法が生まれたのは、長い人間の歴史から見ればごく最近のこと。それ以前の人たちは、つながりや文脈、物語で世界を見ていたのです。
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太田さんが手がけた、宮崎県椎葉村のカテリエや、熊本県南関町の南関町図書館〈このみch-i〉もそうですが、本棚そのものが、一つの物語になっています。〈このみch-i〉では、入り口にまず南関の風土のコーナーがあり、熊本、九州、邪馬台国を経て日本へ。東洋の思想からシルクロードを渡って、オリエンタリズムへと広がっていく。目的の本を探しに来たのに、思いがけない本に出会ってしまう。偶然の出会い、セレンディピティが起きるつくりになっているのです。
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これはAIの時代だからこそだ、と言います。人間の頭は、連想、類推、推論で言葉とイメージをつないでいきます。マジカルバナナのようなものですね。AIもこのあたりまではできるようになってきた。でも人間には、空想したり、妄想したり、幻想したりする力がある。その源になる引き出しを豊かにしておくことが、これからますます大事になっていくのではないでしょうか。
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【すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる】
だからこそ駆逐しなければいけないのが、タイパ、コスパという言葉です。教養や知識は、時間をかけて熟していくものだからです。
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太田さんに紹介していただいて読んだのが、荒俣宏さんの『すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる』(プレジデント社)です。この言葉は、かつて慶應義塾の塾長を務めた小泉信三氏のものとしても知られています。すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。裏を返せば、すぐには役に立たないことこそが、生涯にわたって役に立つ。いまのリベラルアーツの考え方にもつながっています。
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荒俣さんは、「無理」「無茶」「無駄」こそが人生を面白くするのだと本の中で書いています。関心を広げるには、宝探しのつもりでいろいろなものに触れること、とりわけ誰も手をつけないようなものにこそ、大きな宝が隠れていることが多いのだそうです。お菓子のリストの話と、ぴたりと重なるような気がします。
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【役に立たないものが、命を救う】
最近、昼スナでは、お客さんが自分の好きなものをテーマにしたイベントをたくさん開いてくれています。美術館や博物館を語る会など、それぞれの「好き」を漏らしてもらっているのですが、そんな話を太田さんにしていたら、贈与論の話をしてくれました。
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贈与論は、フランスの人類学者マルセル・モースが著した研究に始まる考え方です。モースは太平洋の島々などの社会を調べ、人と人とのあいだで交わされる贈り物が、単なるモノのやりとりではなく、贈る、受け取る、お返しをするという義務を通して、関係そのものをつくり、社会を支えていることを明らかにしました。市場の損得勘定では測れない価値が、社会の根っこにあるということです。最近は資本主義の行き詰まりを背景に改めて注目されています。
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太田さんが紹介してくれたのは、そうした人類学の研究で注目された、移動しながら暮らすある部族の話でした。移動する人たちですから、持ち運べる数は当然限られるのに、一見役に立たないものを手放さずに持ち歩いている。そして部族がピンチに陥ったとき、その役に立たないものが部族を救う。何を持ち、何を捨てるかの取捨選択に、命がかかっているのだと。教養もそれに似ていて、役に立たないものばかり持っているようでいて、いつか自分の命を救うのだ、と。
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昼スナで「役にたたなくてもいい場所」と名づけてやろうとしていることが、いつか自分を助け、命を救ってくれる教養なのだと、太田さんに説明していただいたような気がして、とてもうれしかったのです。
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【漏れは他者への貢献でもある】
私が「漏れてほしい」と言っているのには、理由があります。その人の興味や関心から何かを知ること、探求すること。その行為そのものに、オリジナリティがあるからです。
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私たちは身体を持っていて、いろいろなことを体験し、いろいろな感情を味わいます。知識だけではなく、それが自分の中にたまって、世界に一つだけの情報になっていく。その情報を持って、仕事でも人間関係でも、編集しながら生きている。これは、AIにはできません。AIは常に平均値や中央値をとるものだからです。私たちは、すごく偏った情報を持っている。だからこそ、それを編集すると、世界に一つしかない面白いものが生まれるのです。
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だから、自分の「好き」は大事にしたい。好きなこと、興味のあることをどんどん漏らしてもらうことが、実は他者へのものすごい貢献になっている。そう確信しています。
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この感覚は、私のファーストキャリアである書籍やテレビの編集の仕事から来ているのだと思います。その経験がずっと私を助けてくれていて、私独自の世界の見方をつくってくれた。そして、そのプラットフォームとして、いまの昼スナがあるのだと感じています。
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何かに興味があっても、つい「これって何の役に立つの?」「仕事に役立つの?」と、自分の興味や関心を軽く扱ったり、押さえつけたりしてしまうことは、よくあると思います。でもこれからは、いやいや、これは教養なのだ、人生を助け、命を救ってくれるものなのだと思えたら、楽しいですよね。そのためにお金や時間を使うことを、自分に許せるのではないでしょうか。
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AIによって人間は知識を外付けできるようになりました。これで、教養の意味はすっかり変わったと思うのです。そのことを理解する助けになってくださったのが、編集工学を実践する太田剛さんです。
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太田さんは、松岡正剛さんが率いる編集工学研究所で23年間働き、テーマパークの長期構想から企業のコンセプトづくり、システム開発まで、編集工学を応用した仕事をたくさん手がけてこられてきました。いまは角川武蔵野ミュージアムのエグゼクティブプロデューサーを務めながら、全国で図書館をつくっています。慶應義塾大学では19年間教えています。
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その太田さんがよくやるワークショップに、「お菓子なわたし」があります。私も何度も受けているのですが、隣の人と組んで、自分をお菓子にたとえて自己紹介するというものです。
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たとえば
「私は金平糖です。とげとげしていて、昔はさわると痛いと言われていました。でも、口に入れるとゆっくり溶けて、甘くなる。時間をかけて角がとれていく。しかも色とりどりで、同じ形はひとつもありません」
こんな感じです。
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【頭の中のリストこそが教養】
この自己紹介で大事なのは、答えそのものより、そのとき頭の中で何が起きているか、です。
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まず私たちは自分を分解しています。編集工学では、対象に近づく方法は三つしかありません。
①要素(自分を構成するもの)
②機能(自分は何をする存在か)
③属性(自分はどこに属しているか)。
そうやって取り出した自分を、今度は頭の中の「お菓子のリスト」と照らし合わせて、どれにしようかと探していく。
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太田さんいわく、このリストこそが教養なのだと。普段からコンビニのお菓子の棚をよく眺めている人は、リストが豊かになる。甘いものに興味のない人は、リストが薄くなる。いきなり「お菓子にたとえて」と言われて、誰かが答えを渡してくれるわけではありません。リストは、自分で持っているしかないのです。
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役に立つかどうかわからないけれど、普段からいろいろなものをよく見て、知っている。その積み重ねが、いざというときの引き出しになる。教養とは、そういうものなのだと教えてくれました。
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【仮に決めて、寄せていく】
もう一つ大事な要素が「仮決め」です。自分にぴったり合うお菓子など、ありません。だから、まずは仮に決める。そして、お菓子と自分の違いにこだわるのではなく、お菓子のほうに自分を寄せていく。太田さんは自分を歌舞伎揚げにたとえて、一見固そうだけれど、打ち解けるとやわらかい、とおっしゃっていました。
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これは仕事も同じ。自分に完璧に合う仕事なんて、まずありません。自分に合う仕事を探すのではなく、仕事に自分を寄せていく。これをジョブ・クラフティングと言ったりもしますが、それもまた編集なのです。
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【分類ではなく、文脈で】
太田さんがつくる図書館は、日本十進分類法を使いません。料理、歴史、医療、福祉といったジャンルで本をまとめるのが、一般的な図書館の並べ方だと思います。太田さんがそれを使わないのは、分類が知のつながりを切ってしまうから。分類法が生まれたのは、長い人間の歴史から見ればごく最近のこと。それ以前の人たちは、つながりや文脈、物語で世界を見ていたのです。
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太田さんが手がけた、宮崎県椎葉村のカテリエや、熊本県南関町の南関町図書館〈このみch-i〉もそうですが、本棚そのものが、一つの物語になっています。〈このみch-i〉では、入り口にまず南関の風土のコーナーがあり、熊本、九州、邪馬台国を経て日本へ。東洋の思想からシルクロードを渡って、オリエンタリズムへと広がっていく。目的の本を探しに来たのに、思いがけない本に出会ってしまう。偶然の出会い、セレンディピティが起きるつくりになっているのです。
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これはAIの時代だからこそだ、と言います。人間の頭は、連想、類推、推論で言葉とイメージをつないでいきます。マジカルバナナのようなものですね。AIもこのあたりまではできるようになってきた。でも人間には、空想したり、妄想したり、幻想したりする力がある。その源になる引き出しを豊かにしておくことが、これからますます大事になっていくのではないでしょうか。
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【すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる】
だからこそ駆逐しなければいけないのが、タイパ、コスパという言葉です。教養や知識は、時間をかけて熟していくものだからです。
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太田さんに紹介していただいて読んだのが、荒俣宏さんの『すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる』(プレジデント社)です。この言葉は、かつて慶應義塾の塾長を務めた小泉信三氏のものとしても知られています。すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。裏を返せば、すぐには役に立たないことこそが、生涯にわたって役に立つ。いまのリベラルアーツの考え方にもつながっています。
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荒俣さんは、「無理」「無茶」「無駄」こそが人生を面白くするのだと本の中で書いています。関心を広げるには、宝探しのつもりでいろいろなものに触れること、とりわけ誰も手をつけないようなものにこそ、大きな宝が隠れていることが多いのだそうです。お菓子のリストの話と、ぴたりと重なるような気がします。
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【役に立たないものが、命を救う】
最近、昼スナでは、お客さんが自分の好きなものをテーマにしたイベントをたくさん開いてくれています。美術館や博物館を語る会など、それぞれの「好き」を漏らしてもらっているのですが、そんな話を太田さんにしていたら、贈与論の話をしてくれました。
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贈与論は、フランスの人類学者マルセル・モースが著した研究に始まる考え方です。モースは太平洋の島々などの社会を調べ、人と人とのあいだで交わされる贈り物が、単なるモノのやりとりではなく、贈る、受け取る、お返しをするという義務を通して、関係そのものをつくり、社会を支えていることを明らかにしました。市場の損得勘定では測れない価値が、社会の根っこにあるということです。最近は資本主義の行き詰まりを背景に改めて注目されています。
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太田さんが紹介してくれたのは、そうした人類学の研究で注目された、移動しながら暮らすある部族の話でした。移動する人たちですから、持ち運べる数は当然限られるのに、一見役に立たないものを手放さずに持ち歩いている。そして部族がピンチに陥ったとき、その役に立たないものが部族を救う。何を持ち、何を捨てるかの取捨選択に、命がかかっているのだと。教養もそれに似ていて、役に立たないものばかり持っているようでいて、いつか自分の命を救うのだ、と。
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昼スナで「役にたたなくてもいい場所」と名づけてやろうとしていることが、いつか自分を助け、命を救ってくれる教養なのだと、太田さんに説明していただいたような気がして、とてもうれしかったのです。
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【漏れは他者への貢献でもある】
私が「漏れてほしい」と言っているのには、理由があります。その人の興味や関心から何かを知ること、探求すること。その行為そのものに、オリジナリティがあるからです。
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私たちは身体を持っていて、いろいろなことを体験し、いろいろな感情を味わいます。知識だけではなく、それが自分の中にたまって、世界に一つだけの情報になっていく。その情報を持って、仕事でも人間関係でも、編集しながら生きている。これは、AIにはできません。AIは常に平均値や中央値をとるものだからです。私たちは、すごく偏った情報を持っている。だからこそ、それを編集すると、世界に一つしかない面白いものが生まれるのです。
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だから、自分の「好き」は大事にしたい。好きなこと、興味のあることをどんどん漏らしてもらうことが、実は他者へのものすごい貢献になっている。そう確信しています。
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この感覚は、私のファーストキャリアである書籍やテレビの編集の仕事から来ているのだと思います。その経験がずっと私を助けてくれていて、私独自の世界の見方をつくってくれた。そして、そのプラットフォームとして、いまの昼スナがあるのだと感じています。
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何かに興味があっても、つい「これって何の役に立つの?」「仕事に役立つの?」と、自分の興味や関心を軽く扱ったり、押さえつけたりしてしまうことは、よくあると思います。でもこれからは、いやいや、これは教養なのだ、人生を助け、命を救ってくれるものなのだと思えたら、楽しいですよね。そのためにお金や時間を使うことを、自分に許せるのではないでしょうか。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 09:042.
自分を分解し、仮に決めて、寄せていく
- 02:483.
漏れは他者への貢献でもある
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