#290 借りたものは、本当に返さなくてはならないのか? グレーバー『負債論』読書会レポート(第1章〜第3章)
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デヴィッド・グレーバー『負債論 貨幣と暴力の5000年』の読書会リポートです。
ピケティの『資本とイデオロギー』を読み終えたメンバーによる続編。主催は九州大学大学院法学研究院教授の出水薫先生で、学生さん、教育関係者、公務員など、さまざまなバックグラウンドを持つ方々が参加しています。
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『負債論』は2011年に刊行されました。著者のグレーバーは『ブルシット・ジョブ』で知られるアメリカの人類学者で、2020年に59歳で亡くなっています。本書はリーマンショックの後に書かれたもので、グレーバー自身もウォール街占拠運動(オキュパイ)に関わった活動家でした。住宅ローンや学生ローンから国家の債務危機まで、負債が暮らしを覆い尽くす時代に、負債とはそもそも何なのかを、人類5000年の歴史にさかのぼって問い直した本です。
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全12章と結論からなり、第1章から第7章で負債・貨幣・道徳・暴力の関係を理論的に掘り下げ、第8章以降で人類史を、信用の時代と貴金属の時代が交互に訪れるサイクルとして描き直します。今回読んだのは、第1章から第3章です。
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【第1章 借りたものは、本当に返さなくてはならないのか】
第1章の冒頭に置かれているのは、「借りたものは、本当に返さなくてはならないのか」という問いです。
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きっかけは、あるパーティでの会話でした。長年、第三世界の債務帳消しを求める運動に関わってきたグレーバーは、女性弁護士に、IMFなどの国際機関が貧しい国に債務を負わせ、苦しめてきた経緯を説明していました。ところが相手は最後に、「でも、借りたお金は返さないと」と答えたのです。グレーバーはこの一言に言葉を失います。
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そのとき彼が思い出したのは、マダガスカルで暮らしていたころの光景でした。長くマラリアが出ていなかった地域で、人々は免疫を失っていたところ、債務返済を優先する政策が重なってマラリア対策が削られ、多くの人が命を落としたのです。「借りたものは返す」という道徳は、こうした死までも当然のことにしてしまう。
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暴力に基づく関係を正当化し、道徳で飾るには、負債の言葉で言い換えるのが最も効果的です。そうすれば、悪いのは被害者の側だと見せかけられるから。しかも負債とは何かは実はよく分かっておらず、際限なく解釈できてしまう、そのこと自体が負債の力の土台になっている、とグレーバーは考えます。
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さらに、この常識は経済学の中でさえ成り立ちません。貸す側は、返ってこないリスクを見込んで利息を取っています。必ず返ってくるのなら、利息を取る根拠はありません。借りた金を必ず返さなければならないというのは、標準的な経済理論においてさえ真実ではないのです。
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現実にも、誰が返済を迫られ、誰が免除されるかは力関係で決まっています。軍事大国の借金は、返さなくても責められません。一方でハイチは、奴隷制から独立した代償として、フランスに長く賠償を払わされました。リーマンショックでは、金融機関が公金で救済された一方、個人は返済を迫られ、生活が破綻した人も大勢いました。
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歴史をさかのぼると、ほとんどの社会で人々は、「借りた金を返すのは道徳の問題だ」という考えと、「金貸しは邪悪だ」という考えを同時に抱えてきました。世界宗教の多くは利子を戒め、文学の金貸しは悪役ばかりです。何千年ものあいだ、富める者と貧しい者の争いは、債権者と債務者の争いという形をとってきました。
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では、ただの義務と負債は何が違うのでしょうか。グレーバーの答えは、数字にできるかどうかです。負債は数えられるからこそ、冷たく非人格的なものになります。家を失っても、娘が体を売ることになっても、債権者にとってはささいな話です。カネはカネ、取引は取引だからです。貨幣は道徳を非人道的な算術に変えてしまいます。そして、人間関係を数字に変えていくのは、暴力や暴力による脅しなのです。
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章の最後でグレーバーは、この本が負債の歴史を通して、人間とは何か、私たちは互いに何を負っているのかを問うのだと宣言します。
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【第2章 物々交換の神話】
第2章の冒頭の問いは、「義務と負債を分けるものは何か」です。答えは貨幣であり、だからこそ負債の歴史は貨幣の歴史にもなります。
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貨幣の起源については、誰もが知っている「正解」があります。昔は物々交換をしていたが、欲しいものが一致しないと取引できず不便だった。そこで貨幣が発明され、やがてツケや借金といった信用が生まれた、という物語です。アダム・スミスに始まり、今も経済学の教科書に載っているこの話には、実は根拠がありませんでした。研究者たちが何世紀も探しても、物々交換で成り立つ社会は一つも見つかっていないのです。これは驚きですよね。
人類学者が実際に見てきたのは、分かち合いでした。ある社会では物資が蓄えられ、女性たちの評議会がそれを分配していました。物々交換が行われるのは、見知らぬ人や潜在的な敵とのあいだだけで、騙されたと感じれば本当の戦いに変わりかねない関係でした。
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物々交換が広がったのは、貨幣に慣れた人々が、経済の崩壊などで通貨不足に陥ったときです。古い仕組みどころか、むしろ近代の現象でした。古代メソポタミアでも、銀は主に計算の単位として使われ、人々は日常の取引をツケで済ませ、後でまとめて清算していました。教科書の順番はまったく逆で、最初にあったのは信用だったのです。
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それでもこの物語が語られ続けてきたのは、それが経済学という学問を基礎づけ、「経済」という独立した領域があるという発想そのものを生み出したからです。経済学は、自分が成り立つためにこの物語を必要としていたのです。
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【第3章 原初的負債】
第3章の冒頭の問いは、「貨幣とは、そもそも何なのか」です。
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最初に紹介される信用貨幣論によれば、貨幣はモノではなく、抽象的なものさしです。一枚の紙幣は、実質的には借用証書だといいます。
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次にグレーバーは、なぜ王国は税を取るのかと問います。金銀が自然に貨幣になったのなら、王は金山と銀山を押さえれば済むはずです。それなのに、わざわざ貨幣を配って税として取り戻すのは、それが市場を生み出す一番手っ取り早い方法だからです。兵士に貨幣を配り、全世帯にその一部を税として納めさせれば、国全体が兵士に物資を供給する巨大な機械に変わります。市場はその副産物として生まれました。国家のない社会は、市場も持たない傾向があります。
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では、軍事的な支配を前提にしないなら、私たちはなぜ税金を納めるのでしょうか。
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ここで登場するのが原初的負債論です。人は生まれながらに負債を負っている、という考え方です。神々への負債は祭祀によって、聖賢への負債は聖典を学ぶことによって、祖先への負債は子をもうけることによって、人々への負債はもてなしによって返す。古代インドのヴェーダなどに記されたこの考えをもとに、神々や祖先への負債がやがて国家や社会への負債に引き継がれ、税はその返済にあたる、と説明します。
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グレーバーはこれを丁寧に紹介したうえで、違う、といいます。子をもうけることで祖先への負債を返すというのは、受け取ったものを返すことではなく、次の世代へ手渡すことです。そもそも貸し借りの話になっていません。また、ここで言う「社会」は結局、国民国家のことです。原初的負債論は国家を自然なものとして描くもう一つの神話だ、というのがグレーバーの結論でした。
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【いまこの本を読む意味】
欧米が生み出した社会科学の体系は、私たちのものの見方を大きく規定しています。グレーバーの本に共通する面白さは、その規定を覆していくところにあります。
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社会科学は、自然科学と同じ科学性を目指して、物事を模式化し数量化してきました。その典型が経済学であり、この本の最大の論点もここにあります。それに対して人類学は、二度と起こらない個別具体的な出来事を記述し、そこから意味を引き出そうとします。モデルからはみ出すものをノイズとして排除するのではなく、それこそ無視してはいけないものではないかと問い、そこからねじ込んでいく。これがグレーバーのやり方なのだ、と出水先生はおっしゃいます。
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私たちが当たり前だと思っていることを根本から問い直す本だと思うと、本当にワクワクします。
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【当たり前が覆される驚き】
参加者にとっても、貨幣は物々交換が不便だったから生まれたという話は、どこで習ったかも思い出せないほど自然に身についた常識でした。その常識に根拠がなかったと知った衝撃は大きかったのでした。
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「借りたものは返さなければならない」という感覚も同じです。私たちは学校や家庭で「もらったら返す」と教わり、返済の義務を疑いもしません。でも本来、ツケは厳格な等価交換を求めない、信頼の関係です。その信頼がなぜ債務という言葉にすり替わるのか。これこそがこの本のテーマだというのです。
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こうした話は、今を生きる私たちの現実とつながっています。リーマンショックでは金融機関が国家に救済され、個人は返せと言われ続けました。日本でも90年代のバブル崩壊後、大きな組織の損は補填され、個人の損は補填されていません。アメリカは対外債務を返さなくても責められず、その背景には武力があります。原初的負債論からは、今は神に代わってお金が私たちを縛っている、とも感じます。
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【経済学から離れて、また戻る】
この本は、経済学への壮大な批判である。それでも出水先生は、この批判を読んだ後で経済学を信じ続けてもかまわない、といいます。一度経済学から離れて外を眺め、また戻ってくればいい、と。
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アダム・スミス自身も、『国富論』と『道徳感情論』をセットで読むべきだと言っていました。『国富論』は市場を説明するのに「神の見えざる手」という言葉を使いましたが、『道徳感情論』は、人間の共感を基礎に、道徳的判断や社会の秩序を問うた倫理学の本です。今の社会は市場の力が大きくなりすぎている。だからこそ、この二つの世界を行ったり来たりすることが必要なのだと思います。
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奨学金を借りて大学を卒業した参加者は、遠い国の話ではなく、完全に自分の話として身につまされた、と話しておられました。
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【ピケティ『資本とイデオロギー』から『負債論』へ】
ピケティと『負債論』は、どちらも経済を自然法則のように当たり前のものと考える見方に異を唱えています。格差や市場は、人間の決めたルールや権力、それを正当化する考え方によって作られてきた、という立場です。
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ただ、ピケティは経済学者として、経済学の内側から膨大な統計データを使って主流の議論を修正しようとしました。問うたのは、格差はどのように正当化されてきたのか、です。身分制社会から現代のハイパー資本主義まで、各時代が格差を正当化してきたイデオロギーを分析しました。
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一方のグレーバーは人類学者として、経済学の外側から、交換や貨幣や市場といった土台そのものを疑います。問うているのは、なぜ私たちは借りたものを返すべきだと信じているのか、です。民族誌や宗教の文献、歴史上のエピソードといった個別具体的な事例を積み上げていきます。
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結論の方向も異なります。ピケティは、累進的な資産税や相続税、労働者の経営参画、若者への資金支給など、制度を組み替える具体的な処方箋を示しました。グレーバーは、私たちは互いに何を負っているのかを根本から考え直すよう、ものの見方の転換を迫ります。
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読書会では、ピケティは「ソフトを追加していく感覚」、グレーバーは「OSそのものを切り替える感覚」という言い方で、この違いが共有されていました。ピケティは結論を先に示すので追いやすく、グレーバーは寄り道を重ねて最後に立場が明かされるので読みにくい、という指摘もありました。
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フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 09:192.
物々交換の神話
- 08:453.
経済学から離れて、また戻る
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