蓮如上人御一代記聞書に学ぶ(1)〜念仏は“お願い”ではなく、“ありがとう”
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🔶蓮如上人御一代記聞書
1一 勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おおせられそうろう。「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。自力の念仏というは、念仏おおくもうして仏にまいらせ、このもうしたる功徳にて、仏のたすけたまわんずるようにおもうて、となうるなり。他力というは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあずかるなり。そののち念仏もうすは、御たすけありたるありがたさありがたさと、おもうこころをよろこびて、南無阿弥陀仏に自力をくわえざるこころなり。されば、他力とは、他の力というこころなり。この一念、臨終までとおりて往生するなり」と、おおせそうろうなり。
【現代語訳】
勧修寺村の道徳が、 明応二年の元日、 蓮如上人のもとへ新年のご挨拶にうかがったところ、 上人は、 「道徳は今年でいくつになったのか。 道徳よ、 念仏申しなさい。 念仏といっても自力と他力とがある。 自力の念仏というのは、 念仏を数多く称えて仏に差しあげ、 その称えた功徳によって仏が救ってくださるように思って称えるのである。 他力というのは、 弥陀におまかせする信心がおこるそのとき、 ただちにお救いいただくのであり、 その上で申す他力の念仏は、 お救いいただいたことを、 ありがたいことだ、 ありがたいことだと喜んで、 南無阿弥陀仏、 南無阿弥陀仏と申すばかりなのである。 このようなわけで、 他力というのは他の力、 如来の本願のはたらきという意味である。 この信心は臨終まで続き、 浄土に往生するのである」 と仰せになりました。
1一 勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おおせられそうろう。「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。自力の念仏というは、念仏おおくもうして仏にまいらせ、このもうしたる功徳にて、仏のたすけたまわんずるようにおもうて、となうるなり。他力というは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあずかるなり。そののち念仏もうすは、御たすけありたるありがたさありがたさと、おもうこころをよろこびて、南無阿弥陀仏に自力をくわえざるこころなり。されば、他力とは、他の力というこころなり。この一念、臨終までとおりて往生するなり」と、おおせそうろうなり。
【現代語訳】
勧修寺村の道徳が、 明応二年の元日、 蓮如上人のもとへ新年のご挨拶にうかがったところ、 上人は、 「道徳は今年でいくつになったのか。 道徳よ、 念仏申しなさい。 念仏といっても自力と他力とがある。 自力の念仏というのは、 念仏を数多く称えて仏に差しあげ、 その称えた功徳によって仏が救ってくださるように思って称えるのである。 他力というのは、 弥陀におまかせする信心がおこるそのとき、 ただちにお救いいただくのであり、 その上で申す他力の念仏は、 お救いいただいたことを、 ありがたいことだ、 ありがたいことだと喜んで、 南無阿弥陀仏、 南無阿弥陀仏と申すばかりなのである。 このようなわけで、 他力というのは他の力、 如来の本願のはたらきという意味である。 この信心は臨終まで続き、 浄土に往生するのである」 と仰せになりました。
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堂宮淳賢/真宗大谷派(お東)僧侶 教誨師 産業カウンセラー
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南無阿弥陀仏は自力をまじえない心 ブッディ✨
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蓮如上人御一代記聞書 第1条 拝読
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