#9 戦争の「負の記憶」は残すべきか?/真実和解委員会という苦渋の選択
12:16
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「消せない傷を抱えたまま、私たちは、どう生きていけば、いいんだろう。」早稲田大学で和平学や紛争解決学を教え、世界各地の平和構築や対話の現場に向き合ってきた上杉勇司がお届けするVoicy番組『上杉勇司の「争わない」生き方~対立をほぐす対話術~』。第9回の放送(戦争の「負の記憶」は残すべきか?/真実和解委員会という苦渋の選択)は、人間の歴史が残してしまった生々しい「悲劇の傷痕」と、それを包み込もうとする「制度の限界」に向き合った、切なくも深く温かい回です。
🎙️ 第9回放送の内容まとめ
1. 朝の7時、心の結び目をふっとほぐす時間
「おはようございます。早稲田大学で和平学や紛争解決学を教えております、上杉勇司です」。
いつもの穏やかな声で始まるこの番組は、日常のちょっとした人間関係のすれ違いから、職場やビジネスの交渉、そして国と国が傷つけ合う世界の複雑な紛争まで、硬く結ばれてしまった対立の糸を一本ずつ優しくほどいていく「対話の知恵」を届けています。毎週月曜日から金曜日の朝7時、通勤・通学の電車の中や、朝の家事をしながらの「ながら聴き」。そこで手に入るのは、誰かを論破するための武器ではありません。自分のなかの過剰な「正しさ」や「頑ななこだわり」をそっと手放し、過ちを繰り返さないためのしなやかな見方です。
第9回となる今回は、大学の講義で学生から寄せられた「重く、鋭く、けれど人間として避けては通れないふたつの問い」に、上杉が正面から向き合っていきます。
2. 街に残る「負の傷痕」は、消すべきか、残すべきか?
最初のテーマは、紛争や戦争が終わったあとの街に、ぽつんと取り残された、銃弾の痕や崩れた建物、そして犠牲者たちの墓地や追悼碑をめぐる問いです。
【学生からの切実な問い】 「街に残る銃弾の痕や墓地などが、かつての敵への憎しみや悲しみを再燃させるのではないかと懸念される一方で、広島の原爆ドームのように、日常の風化を防ぎ、戦争の愚かさや悲劇を伝える教育的遺産として残すべきだという意見もあります。悲劇の記憶や痕跡は、残すべきなのでしょうか、それとも消去していくべきなのでしょうか?」
思わず静かに目をつむり、考え込んでしまうような問いかけです。世界中の被災地や紛争地で、今も人々の心が引き裂かれながら議論されているこの問題には、実は「ふたつの顔」が存在します。
① 憎しみを燃やし続ける「薪(まき)」としての顔
ひとつは、政治家や扇動者が「あのときの屈辱を忘れるな」「やられたらやり返せ」と、人々の心の中にある復讐心や憎悪を煽り立てるための「薪(まき)」として悪用されてしまう危険な側面です。
ここで、韓国出身の歴史学者・林志弦(イム・ジヒョン)氏の著書『犠牲者意識ナショナリズム』を引き合に出します。この本は、自国がいかに悲惨な被害を受けたかばかりを誇張して訴え、自分たちが過去に行った加害の歴史から巧妙に目を背けてしまう現代社会の歪んだ記憶のあり方を暴いた名著です。この「犠牲者意識ナショナリズム」の罠にハマってしまうと、過去の傷跡は相手を非難し、永遠に責め立てるための格好の道具へと変わり、国と国との本当の和解を決定的に阻害してしまいます。これは、遠い国の話ではありません。私たち日本人も無関係ではないのです。 現代の日本人の多くは、直接の「被爆者」ではありません。けれども、政府やメディアが繰り返す「唯一の被爆国」というフレーズに接し続ける中で、私たちの心の中にも知らず知らずのうちに強烈な「被害者としてのストーリー」が植え付けられてはいないでしょうか。
「私たちは哀れな犠牲者なのだ」という被害の物語だけに引きこもってしまうと、かつて我が国がアジアの国々に対して行った侵略や加害の事実に目が向かなくなり、結果として隣国との心の通った和解を遠ざけてしまうのだと、先生は静かに語りかけます。
② 過ちを繰り返さないための「静かな警鐘」としての顔
しかし、負の記憶にはもうひとつの顔があります。 広島の原爆ドームや、ナチスの強制収容所跡であるアウシュビッツのように、「私たちは二度とこんな過ちを繰り返さない」と未来へ誓いを立てるための「消えざる静かな警鐘」、あるいは教育的遺産としての役割です。
では、残すのが正しいのか、それとも消し去るのが正しいのか?
答えは、「痕跡そのものを消すか残すかではなく、その記憶をどのようなストーリーや意味づけとともに、未来へ語り渡すか」という視点の転換です。ここで、日本の歩んできた身近な二つの街の姿が提示されます。
広島の道:傷ついた原爆ドームをそのままの姿で保存し、「悲劇を二度と繰り返さない」という無言の訴えとして残した姿。
長崎の道:崩れ落ちた建物をきれいに取り除き、あたらしく平和を祈る大きな像を建てて未来を見つめた姿。
どちらの街の胸の中にも、「二度とこんな悲劇を起こしてはならない」という強く切ない平和への祈りが宿っています。けれど、過去の傷をそのまま抱えて生きる道と、傷をきれいに拭って新たな祈りを打ち立てる道という、まったく異なるアプローチを選び取ったのです。
「ひろしまの のこすすがたも ながさきの あらたな祈り どちらにも 平和を願う つよい想いが 宿っています」
自分の国の被害ばかりを声高に叫んで誰かを責めるのではなく、「自分だって傷つける側にも、傷つく側にもなり得るのだ」という教訓として相手の痛みへ想像力を広げていくこと。負の記憶を相手への「憎しみ」ではなく、みんなで生きる「平和への誓い」へと書き換えていくことこそが、私たちが向き合うべき本当の課題なのです。
3. 「綺麗ごと」の制度が抱える限界と、埋まらない個人の傷口
番組の後半では、学生からの「甘さ」を突いた、息をのむほど鋭い批判的コメントが取り上げられます。
【学生からの痛烈な批判】 「先生の講義や著書では、南アフリカや東ティモールで行われた『真実和解委員会』を和平の一定の成果として描いています。しかし、そうした制度は公聴会で被害者にトラウマを再体験させたり、真実を話せば許されるという加害者の責任免除への不満を生むなど、国家による『統治装置・政治的妥協』としての側面が強くあります。そうした制度の限界や負の側面への批判的掘り下げが控えめなのではないでしょうか?」
言葉を失うほど、見事な批判です。アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後の南アフリカや、激しい独立紛争を経た東ティモールなどで設置された「真実和解委員会」は、「裁判で罪を裁く代わりに、真実を告白した加害者には恩赦(免責)を与える」という画期的な仕組みとして世界中から称賛されました。しかし、現場の実態は決して「綺麗ごとで心が救われる魔法の仕組み」などでは、ありませんでした。家族を無惨に殺された被害者からすれば、「本当のことを白状したからといって、なぜ加害者が刑務所にも行かずにのうのうと罪を免れるのか」という深い怒りと不満が残ります。さらに、大勢の人が見守る公開の場で凄惨な被害体験を語らされたことで、せっかく封印していた心のトラウマが再び開いて苦しむ人々が後を絶たなかったのです。東ティモールの現地で和解の話し合いを傍聴したときの記憶を呼び起こします。 夫を亡くした一人の女性が、ぽつりと漏らした言葉がいまも耳から離れないと言います。
「国は『和解しよう』と言うけれど、私たちの生活の支えは何もない」
国が新しい一歩を踏み出し、これ以上の血が流れるのを防ぐために政治的につくった「大人の約束(国家の都合)」。 そして、愛する家族を失い、今日の食べ物にも困っている個人が求める「生きるための直接的な手助け」。 このふたつの間には、どうしても埋まることのない、冷たく深いすれ違いが存在していたのです。身近な「あしなが育英会」の問いかけから考えることで、この重いテーマを遠い外国の話で終わらせず、私たちの身近なくらしの中へと引き戻します。交通事故などで大切な親を突然奪われてしまった子どもたちへ、進学の奨学金を届ける「あしなが育英会」という活動があります。事故を起こした加害者の法的責任を裁判で追及し、罰を与えることはもちろん社会的に大切です。けれど、裁判で責任を追及したからといって、残された子どもたちの明日のご飯や、これからの学びの費用が自動的に生み出されるわけではありません。ルールや法律をつくって決着をつけること。目の前で打ちひしがれている人の日々のくらしを温かく支えること。もし自分が傷ついた当事者だったとしたら、あるいは傷ついた誰かを支える立場だったとしたら、どんな手助けがいちばん心に届くのか。「制度による解決」と「個人によりそう手助け」の違いを、私たち自身の日常の問いとして投げかけます。
4. 過剰な「正しさ」を手放し、しなやかに生きるための処方箋
第9回の放送が教えてくれるのは、「どちらかひとつが100%正しい」という単純な二元論からは何も生まれないという事実です。負の記憶を消し去るか、残すか。制度で割り切るか、個人の感情に寄り添い続けるか。
世の中の複雑な問題や人間関係のもつれは、正解のないグラデーションの中にあります。 「自分こそが絶対的に正しい被害者だ」という過剰な正しさに閉じこもってしまうと、相手の痛みに思いを馳せる想像力が失われていきます。だからこそ、朝の数分間、自分の頭と心をやわらかくほぐす時間が現代を生きる私たちには必要なのです。
5. エンディングと次回への期待
放送の締めくくりには、著書『どうすれば争いを止められるのか―17歳からの紛争解決学』や『紛争地の歩き方』『和平学入門』の紹介とともに、リスナーの日常に寄り添う温かいメッセージが贈られます。
争わず 心をほぐす 対話術 今日からできる 毎朝一緒に
そして次回(第10回)の予告として、衝撃的なエピソードが明かされます。 なんと、衆議院第一議員会館にて現職の国会議員たちとともに参加した、「台湾有事で日本はどう対処すべきか」というリアルなシミュレーションゲームの体験談が語られるとのこと。日常の人間関係のヒントから、国家の緊迫した安全保障の裏側までを行き来するこの番組から、ますます目が離せません。
🎙️ 第9回放送の内容まとめ
1. 朝の7時、心の結び目をふっとほぐす時間
「おはようございます。早稲田大学で和平学や紛争解決学を教えております、上杉勇司です」。
いつもの穏やかな声で始まるこの番組は、日常のちょっとした人間関係のすれ違いから、職場やビジネスの交渉、そして国と国が傷つけ合う世界の複雑な紛争まで、硬く結ばれてしまった対立の糸を一本ずつ優しくほどいていく「対話の知恵」を届けています。毎週月曜日から金曜日の朝7時、通勤・通学の電車の中や、朝の家事をしながらの「ながら聴き」。そこで手に入るのは、誰かを論破するための武器ではありません。自分のなかの過剰な「正しさ」や「頑ななこだわり」をそっと手放し、過ちを繰り返さないためのしなやかな見方です。
第9回となる今回は、大学の講義で学生から寄せられた「重く、鋭く、けれど人間として避けては通れないふたつの問い」に、上杉が正面から向き合っていきます。
2. 街に残る「負の傷痕」は、消すべきか、残すべきか?
最初のテーマは、紛争や戦争が終わったあとの街に、ぽつんと取り残された、銃弾の痕や崩れた建物、そして犠牲者たちの墓地や追悼碑をめぐる問いです。
【学生からの切実な問い】 「街に残る銃弾の痕や墓地などが、かつての敵への憎しみや悲しみを再燃させるのではないかと懸念される一方で、広島の原爆ドームのように、日常の風化を防ぎ、戦争の愚かさや悲劇を伝える教育的遺産として残すべきだという意見もあります。悲劇の記憶や痕跡は、残すべきなのでしょうか、それとも消去していくべきなのでしょうか?」
思わず静かに目をつむり、考え込んでしまうような問いかけです。世界中の被災地や紛争地で、今も人々の心が引き裂かれながら議論されているこの問題には、実は「ふたつの顔」が存在します。
① 憎しみを燃やし続ける「薪(まき)」としての顔
ひとつは、政治家や扇動者が「あのときの屈辱を忘れるな」「やられたらやり返せ」と、人々の心の中にある復讐心や憎悪を煽り立てるための「薪(まき)」として悪用されてしまう危険な側面です。
ここで、韓国出身の歴史学者・林志弦(イム・ジヒョン)氏の著書『犠牲者意識ナショナリズム』を引き合に出します。この本は、自国がいかに悲惨な被害を受けたかばかりを誇張して訴え、自分たちが過去に行った加害の歴史から巧妙に目を背けてしまう現代社会の歪んだ記憶のあり方を暴いた名著です。この「犠牲者意識ナショナリズム」の罠にハマってしまうと、過去の傷跡は相手を非難し、永遠に責め立てるための格好の道具へと変わり、国と国との本当の和解を決定的に阻害してしまいます。これは、遠い国の話ではありません。私たち日本人も無関係ではないのです。 現代の日本人の多くは、直接の「被爆者」ではありません。けれども、政府やメディアが繰り返す「唯一の被爆国」というフレーズに接し続ける中で、私たちの心の中にも知らず知らずのうちに強烈な「被害者としてのストーリー」が植え付けられてはいないでしょうか。
「私たちは哀れな犠牲者なのだ」という被害の物語だけに引きこもってしまうと、かつて我が国がアジアの国々に対して行った侵略や加害の事実に目が向かなくなり、結果として隣国との心の通った和解を遠ざけてしまうのだと、先生は静かに語りかけます。
② 過ちを繰り返さないための「静かな警鐘」としての顔
しかし、負の記憶にはもうひとつの顔があります。 広島の原爆ドームや、ナチスの強制収容所跡であるアウシュビッツのように、「私たちは二度とこんな過ちを繰り返さない」と未来へ誓いを立てるための「消えざる静かな警鐘」、あるいは教育的遺産としての役割です。
では、残すのが正しいのか、それとも消し去るのが正しいのか?
答えは、「痕跡そのものを消すか残すかではなく、その記憶をどのようなストーリーや意味づけとともに、未来へ語り渡すか」という視点の転換です。ここで、日本の歩んできた身近な二つの街の姿が提示されます。
広島の道:傷ついた原爆ドームをそのままの姿で保存し、「悲劇を二度と繰り返さない」という無言の訴えとして残した姿。
長崎の道:崩れ落ちた建物をきれいに取り除き、あたらしく平和を祈る大きな像を建てて未来を見つめた姿。
どちらの街の胸の中にも、「二度とこんな悲劇を起こしてはならない」という強く切ない平和への祈りが宿っています。けれど、過去の傷をそのまま抱えて生きる道と、傷をきれいに拭って新たな祈りを打ち立てる道という、まったく異なるアプローチを選び取ったのです。
「ひろしまの のこすすがたも ながさきの あらたな祈り どちらにも 平和を願う つよい想いが 宿っています」
自分の国の被害ばかりを声高に叫んで誰かを責めるのではなく、「自分だって傷つける側にも、傷つく側にもなり得るのだ」という教訓として相手の痛みへ想像力を広げていくこと。負の記憶を相手への「憎しみ」ではなく、みんなで生きる「平和への誓い」へと書き換えていくことこそが、私たちが向き合うべき本当の課題なのです。
3. 「綺麗ごと」の制度が抱える限界と、埋まらない個人の傷口
番組の後半では、学生からの「甘さ」を突いた、息をのむほど鋭い批判的コメントが取り上げられます。
【学生からの痛烈な批判】 「先生の講義や著書では、南アフリカや東ティモールで行われた『真実和解委員会』を和平の一定の成果として描いています。しかし、そうした制度は公聴会で被害者にトラウマを再体験させたり、真実を話せば許されるという加害者の責任免除への不満を生むなど、国家による『統治装置・政治的妥協』としての側面が強くあります。そうした制度の限界や負の側面への批判的掘り下げが控えめなのではないでしょうか?」
言葉を失うほど、見事な批判です。アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後の南アフリカや、激しい独立紛争を経た東ティモールなどで設置された「真実和解委員会」は、「裁判で罪を裁く代わりに、真実を告白した加害者には恩赦(免責)を与える」という画期的な仕組みとして世界中から称賛されました。しかし、現場の実態は決して「綺麗ごとで心が救われる魔法の仕組み」などでは、ありませんでした。家族を無惨に殺された被害者からすれば、「本当のことを白状したからといって、なぜ加害者が刑務所にも行かずにのうのうと罪を免れるのか」という深い怒りと不満が残ります。さらに、大勢の人が見守る公開の場で凄惨な被害体験を語らされたことで、せっかく封印していた心のトラウマが再び開いて苦しむ人々が後を絶たなかったのです。東ティモールの現地で和解の話し合いを傍聴したときの記憶を呼び起こします。 夫を亡くした一人の女性が、ぽつりと漏らした言葉がいまも耳から離れないと言います。
「国は『和解しよう』と言うけれど、私たちの生活の支えは何もない」
国が新しい一歩を踏み出し、これ以上の血が流れるのを防ぐために政治的につくった「大人の約束(国家の都合)」。 そして、愛する家族を失い、今日の食べ物にも困っている個人が求める「生きるための直接的な手助け」。 このふたつの間には、どうしても埋まることのない、冷たく深いすれ違いが存在していたのです。身近な「あしなが育英会」の問いかけから考えることで、この重いテーマを遠い外国の話で終わらせず、私たちの身近なくらしの中へと引き戻します。交通事故などで大切な親を突然奪われてしまった子どもたちへ、進学の奨学金を届ける「あしなが育英会」という活動があります。事故を起こした加害者の法的責任を裁判で追及し、罰を与えることはもちろん社会的に大切です。けれど、裁判で責任を追及したからといって、残された子どもたちの明日のご飯や、これからの学びの費用が自動的に生み出されるわけではありません。ルールや法律をつくって決着をつけること。目の前で打ちひしがれている人の日々のくらしを温かく支えること。もし自分が傷ついた当事者だったとしたら、あるいは傷ついた誰かを支える立場だったとしたら、どんな手助けがいちばん心に届くのか。「制度による解決」と「個人によりそう手助け」の違いを、私たち自身の日常の問いとして投げかけます。
4. 過剰な「正しさ」を手放し、しなやかに生きるための処方箋
第9回の放送が教えてくれるのは、「どちらかひとつが100%正しい」という単純な二元論からは何も生まれないという事実です。負の記憶を消し去るか、残すか。制度で割り切るか、個人の感情に寄り添い続けるか。
世の中の複雑な問題や人間関係のもつれは、正解のないグラデーションの中にあります。 「自分こそが絶対的に正しい被害者だ」という過剰な正しさに閉じこもってしまうと、相手の痛みに思いを馳せる想像力が失われていきます。だからこそ、朝の数分間、自分の頭と心をやわらかくほぐす時間が現代を生きる私たちには必要なのです。
5. エンディングと次回への期待
放送の締めくくりには、著書『どうすれば争いを止められるのか―17歳からの紛争解決学』や『紛争地の歩き方』『和平学入門』の紹介とともに、リスナーの日常に寄り添う温かいメッセージが贈られます。
争わず 心をほぐす 対話術 今日からできる 毎朝一緒に
そして次回(第10回)の予告として、衝撃的なエピソードが明かされます。 なんと、衆議院第一議員会館にて現職の国会議員たちとともに参加した、「台湾有事で日本はどう対処すべきか」というリアルなシミュレーションゲームの体験談が語られるとのこと。日常の人間関係のヒントから、国家の緊迫した安全保障の裏側までを行き来するこの番組から、ますます目が離せません。
上杉勇司の「争わない」生き方〜対立をほぐす対話術〜
プレミアム放送配信中!
- 01:441.
戦争の「負の記憶」は残すべきか?
- 05:182.
戦争の痕跡・負の記憶を残すことの正否
- 03:29
- 01:474.
まとめ・次回予告
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