299.『義経記』ほか源義経伝説を綴った人たちの追い求めたもの
12:05
934再生
毎朝古典サプリ〜仕事と人生に効く!〜
プレミアム放送配信中!
- 00:111.
タイトルコール
- 00:332.
火曜日は個性豊かな古典の書き手です。今日は、名前こそ分かりませんが、義経記などの、義経伝説を綴った人たちに想いを馳せてみます。
- 09:553.
歴史そのままを語るのでなく、ドラマチックに伝説化していくとき、そこにどんな心があるんだろう。吉田にとって歴史自体よりも関心のあるテーマです。
- 01:274.
過去回 75.この世を我が世と思った藤原道長が日記『御堂関白記』に綴ったこと を紹介しています!
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
その設定、展開にも描き方のシビアさにも視聴者はショックを受けたのですが、
たいしてドラマを観ていない芸能ライターが「視聴者がその死を惜しんだ政次は、実は死んでいない! 盗賊上がりの龍雲丸たちが活躍して実は……という展開もあるのでは! 」という記事を出すと
Twitter上でファンが一斉に「そういうことじゃねーんだよ💢💢 」キレた、
ということがありました。
「政次がここで死ぬことはわかっていても「政次を死なせないで」と思うのはファンとして自然な気持ちだけど、
たいして思い入れのない奴が「実は生きていたのでは」とか言い出すと「そういうことじゃない」と一致団結できるところ、
このドラマのファンとして、誇らしいです」
というようなことを書いていて、私も同意見でした。
室町時代の御伽草子作者やそれ以降の同様の伝説を望んだ人たちは、また違った精神性だったのですね。
実家から車で少し行ったところにある、島根と山口の県境にも、静御前の墓があります。
鎌倉から京に戻されたあと義経を追った、と考えたいにしてもなんでこんな西に、と突っ込みたくはなります。
都落ちした平家の落ち武者のゆかりというのは理解できますが。
ゆかりの地名はぽつぽつ見えます。
左鐙(さぶみ)町という土地がありますが、このあたりで平家の落ち武者が左の鐙を落としたとかなんとか聞いたことがあります。