419.散る桜の和歌・俳句 〜古今和歌集&新古今和歌集&良寛〜
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タイトルコール ※三月上旬に発行した「裕泉堂だより 第2信」をリンクしています。
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水曜日は季節の和歌・俳句です。紹介した作品の続き→ 素性法師〈花散らす風の宿りは誰か知る我に教へよ行きて恨みむ〉、読人しらず〈散る花を何か恨みむ世の中に我が身も共にあらむものかは〉
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紹介した作品の続き→良寛〈散る桜残る桜も散る桜〉、読人しらず〈待てと言ふに散らでし止まるものならば何を桜に思ひ増さまし〉、式子内親王〈花は散りその色となく眺むればむなしき空に春雨ぞ降る〉
- 01:114.
明日、5/18(木)に三鷹駅前のびのび句会をやっています。日時が合わない方はメール等での投句も可能にしました! そして、4/9(日)21:30-「Voicy生放送withもじざいるさん」を行います。
コメント

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私たちが散る桜に老いや人の命を重ね合わせるのは、桜の和歌を読んで育ってきているからなのでしょうか。古典和歌を知らなければこういった気持ちにならないのか?感性ってどうやって根付くのか…とても気になりました。
という予想は外れましたが、式子内親王もよいですよねえ。
提示して否定することで読者にその残像を残す、「花も紅葉も」と同じ手法ですね。
式子内親王には、俊成歌風と定家歌風のちょうど橋渡しポジションのような雰囲気があります。
定家と同じ手法を用いても、定家ほど読者に突きつける感じがなく、俊成のそれに近い柔らかな印象を与えますね。
宮内卿の和歌もご紹介しますね。
花さそふ比良(ひら)の山風吹きにけり漕ぎ行く舟のあと見ゆるまで
新古今和歌集春下128
「誰か知る」だと「誰が知っているだろうか、いや、知っている人はいない」という反語と聞こえかねないので、
それを受けて「我に教へよ」とするのはチグハグな感じがします。
知っている人はいないと言いながら、知っている人がいる前提で下の句が述べられているようで……。
「風の宿りを知るや誰」だと印象が違うかしら。
「散るからこそ良い」
世の殿方も「男は女を本気で抱きに掛かるが、簡単に抱かれてほしいとは思わない」と言いますしね。
だから簡単に抱かれる朧月夜は永遠のセフレポジション……。
「花も紅葉も」と同じ効果をもたらす手法ですよね。