471.学を絶てば憂い無し〜なぜ老子は学問をやめようと説いたか〜
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月曜日は中国古典の名言です。 ※リンクは過去の老子の放送「102.外に出ずに籠っている方が真理への近道? 『老子』47章「戸を出でずして天下を知る」」です。
- 08:423.
本日取り上げるのは老子の言葉、「学を絶てば憂い無し」です。
- 00:324.
6月以降の催しを画像にまとめています。火曜日は個性豊かな古典の書き手です。
コメント

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最初は『こっちとこっち真逆の意見だけど、どっちが正しいの?!』や『これが正しいのなら、今までの私は一体なんだったんだろう…』と混乱することもありました。
しかしそれだけの量の情報を得ると、本質のようなものが分かるようになり、行動に繋がり、それが自分の中に落とし込まれて身につくようになりました。
DIKWモデルの「データ→情報→知識→知恵のピラミッド図」のような感じです。
って言って、私もまだまだ《学びて思わざれば則ち罔し》の状態なんですけどね。
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中途半端な学びが逆に世の中の見方を歪めたりする。これは目から鱗。
学ぶとは、一本調子でただ行えば良いものではないんですね。
なので、一旦学んだものが180℃違ってくる事もあります。10年ぶりに働いていますが、10年前とは、まるで違う世界になっていたので、最初は、とにかく最新の事を学ぶ事に必死でしたが、落ち着いてくると、やっぱり本質は、10年前と変わっておらず、目の前の対象者を観察する事に尽きる。という気持ちになっています。学び続ける事は大事ですが、本質を見失ってはいけない。という事かなと感じました(^^)
わたしの仕事も10年経つとそれまで当たり前で正しかったものが、まるっきり間違えだった😱ということが多々あります。
自分の知識のアップデートが追いつきません💦
本質は変わっていない、のは確かなのですけどね☺️
わぁ!コメントありがとうございます😊
本当に日々変わっていって、びっくりですよね(^◇^;)
子ども達は、もっともっと早いスピードで価値観などが変わっていく世界で生きていくと思うので、そんな中でも自分は見失わずに生きてほしいなと思います。
知識と本質の塩梅ですかね〜無知も、頭でっかちもつまらない。
ある程度の所で、天才バカボンのパパじゃないですが、「これでいいのだ〜」と人生を楽しむ為の適当さも必要かなと思います。
なので、一休和尚や、良寛さんなど登り詰めて一点に到達するのではなく、広く見渡す感じが凄いなと思っています。私のイメージですが。
私は赤ん坊がまっさらな、偏見のない目で世界を見ているとは思わないです。
赤ん坊とは、世界は我がためにあるべきである、そうでない時それは世界のあるべき姿ではないのだからあるべき姿を要求して泣き喚いてよい、という自己中心性の塊だと考えているので。
もちろん赤ん坊から学ぶべきこともたくさんありますが、
赤ん坊でも動物や自然でも、そうしたものを理想化して見る見方には距離を置きたい立場です。
田舎の家族は、“良い人”たちではあるものの、時々「えっ。何時代の人? 」というような差別発言を当たり前のようにします。
新古今和歌の極限まで鍛えられた技巧、京極派和歌の削ぎ落とされ磨かれきった精神性の発露を知った身に、
自己中心性の強すぎる前時代の和歌を無邪気に楽しむことは難しいです。
この人生この肉体の限界まで精神を鍛え、
過去に楽しんでいたものが楽しめなくなることを恐れず、人として美しく生きることを志向し続けたいなあ。