621.秋の山を詠んだ万葉集・古今和歌集・新古今和歌集の歌
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水曜は季節の和歌俳句です。
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万葉集、読人しらず〈春は萌(も)え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも〉、古今和歌集、紀淑望〈紅葉せぬ常盤の山は吹く風の音にや秋を聞きわたるらむ〉、新古今和歌集、後鳥羽上皇〈さびしさはみ山の秋の朝ぐもり霧にしをるる槇のした露〉
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間もなく10/29(日)PM、裕泉堂歌会の第二回です。オンライン(zoom)での参加、録画参加も可能です。
コメント

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「まだらに見ゆる」山の様子は色とりどりできれいだなと思います。
『枕草子』ものづくしのように「寂しいもの。深山の秋の朝ぐもり。霧にしをるる真木の下露」と読むか
「寂しさとは、深山の秋の朝ぐもりの場面で露にしをるる真木の下露」と読むかで古来議論されてきたそうですが、
私は丸谷才一に従い、
「寂しさとは、深山の秋の朝ぐもり。霧にしをるる真木の下露。また、前者の条件下において起きる後者はなおいっそう心に沁みる」
と両者を重ねて読むのが、新古今時代の歌の詠み方を考えても妥当ではないか、と考えます。
万葉仮名もありますが。
平安時代でも、「もみぢ」を「錦」に見立てたり「千々に染む」と表したりするのは、
それが紅や黄の、濃いもの、薄いもの、様々な「もみぢ」を想定していたからだそうで。
たしかに、現代の「もみじ」から連想される「紅葉」、真っ赤なだけの「もみぢ」を見て「錦」に喩えるのは、ちょっと難しいですものね。