TOPトーク声優・アナウンサーエノキドノリコの世界一周ラジオベルリンの壁やユダヤ人のための記念碑13:25 8月4日 498再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次分断の記憶:ベルリン「C見聞所」の衝撃「壁は永遠ではない」自由への想いブランデンブルク門とMJ伝説の舞台裏記憶の石碑:心に迫るユダヤ人記念空間平和への歩み:記憶し続けることの意味AI文字起こし(β版) # ベルリンの壁やチェックポイントチャーリー 世界一周ラジオ、柳田成子です。 私は今ドイツのベルリン市内を歩いています。 今日はベルリンのチェックポイントチャーリーに今来ているんですけれども、 ここは冷戦時代、東ベルリンと西ベルリンを分けていた国境見聞所です。 チャーリーという名前はナトのアルファベットの呼び方でCを表す言葉、 つまりC見聞所という意味です。 ベルリンの壁が築かれた1961年以降、 この場所は外国人や外交官、そして連合国軍関係者が 東西を行き来するために重要な出入り口だったそうです。 1961年10月にはこの場所でアメリカ軍とソ連軍の戦車が向かい合って 一触即発の状態となった。 世界が核戦争寸前まで緊張した出来事として歴史に刻まれています。 この見聞所に来ますと大きな写真が掲げられています。 看板の形をしているんですけれども、東側を向いている兵士の写真、 そして西側を向いている兵士の写真、 2人の兵士の写真は実在した兵士なんだそうです。 アメリカ側、つまり西ベルリン側を向いているのはアメリカ陸軍の兵士の写真、 そして東ベルリン側を向いているのはソ連軍の兵士なのだそうです。 戦時代の東西対立を象徴する看板は作品と言ってもいいのではないでしょうか。 ここ実際に立ってみると不思議なくらい普通の交差点です。 車が走って人が行き交ってカフェやお土産物屋さんも並んでいます。 監視小屋は復元されています。 今皆さんが監視小屋の前で順番に並んで写真を撮っていますけれども、 You are leaving the American sector. ここからアメリカ占領地区を離れますという看板がありまして、 ほんの40年ほど前まではこの場所を自由に越えることができなかった家族や友人が引き裂かれていました。 壁はコンクリートでできていて、本当に分断されていたのは物理的な土地ではなくて、 人と人との繋がりだったかもしれません。 以前私は当時5歳の娘と一緒に世界一周の旅で、 イスラエルとパレシナの分離駅も訪れました。 世界には今も様々な壁が存在しています。 だからこそ、ベルリンの壁が崩壊した歴史、 私も学生時代にその様子をテレビで見ましたけれども、 壁は永遠ではないという希望も私たちに教えてくれています。 でもあの時は、壁が壊れる意味というのが分かっていなかった気がしますね。 旅先で改めてこうして歴史に触れて、 自分が年齢を重ねているからだとも思うんですけれども、 理解が深まっているところもあって、 自由に国境を越えられること、 人と出会えることは決して当たり前ではないのだというふうに実感しています。 # ブランデンブルク門、そしてマイケルジャクソンが宿泊したホテル ベルリンの今の日中の気温は20度から25度ぐらいですね。とっても過ごしやすいです。 今はベルリンを代表するランドマーク、ブランデンブルク門にやってきました。 1791年に完成したこの門なんですけれども、高さは26メートルあるそうです。 もともとここにあったプロイセン王国の外戦門として建設されました。 ただその後、歴史の中では意味が大きく変わっていきます。 第二次世界大戦で大きな被害を受けて、戦後はここ、東西ベルリンの境界の近くに位置しているので、 冷戦時代は分裂の象徴となっていたものなのだそうです。 その後、1989年、ベルリンの壁が崩壊した後は、たくさんの人々がこの門の前に集まって、 自由と統一の象徴へとこの門の意味合いが変わっていったそうです。 この門、ブランデンブルク門のすぐそばに、ベルリン一有名なホテルがあります。 1907年創業のホテルで、ホテルアドロン・ケンピンスキー名門ホテルです。 各国の王族や国家の首脳、そして映画スターなど、世界中の著名人が宿泊してきました。 40代くらいの方には記憶があるかもしれないのですが、 マイケル・ジャクソンが宿泊したホテルの4階のバルコニーのところから姿を見せて、 当時まだ1歳にならなかった息子を抱えて身を乗り出すように披露したのが、 このホテルなんだそうです。 今、ホテルのロビーの中に入ってきました。 落ち着いた雰囲気、日本の帝国ホテルのような重厚感があります。 まずお花が飾られていて、真ん中の部分に来ると天井にステンドグラスがあります。 中にマイケルグッズが販売されているなんて聞いたりしたのですが、一切置かれていませんね。 宝石だったり絵画だったりホテルグッズだったり販売しているところのお店はいくつかあるのですが、 天井もあまり高くなく、もう少し、あ、ワンちゃんもいる。 ドイツはレストランもホテルもペットフレンドリーですね。 # 虐殺されたユダヤ人のための記念碑 ベルリンの中、ドイツの中にはその歴史から過去の負の遺産、 負の出来事を振り返る場所がたくさんあります。 その一つ、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑に今来ています。 ブランデンブルクモンのすぐ近くに広がっているコンクリートの石碑。 2711基あるそうなんですけれども、ここには説明の看板も十字架も像もありません。 ただ灰色の石碑が、ただただ静かに並んでいます。 この中を歩き始めると、最初は腰ほどの高さだった石碑が少しずつ高くなっていって、 その道はまた地面は緩やかに沈んでいきます。 気がつくと周囲は、景色は全然見えなくなって、自分がどこにいるのかも、本当に不安になる感覚が出てきます。 自分自身の足跡も、またこの石碑のところで、半径で耳に届いてくるんですけれども、 自分の足跡の音さえも不安に感じる。不安、孤独、圧迫感。 そんなことを考えるために作られた空間なのかもしれません。 第二次世界大戦中、ナチスドイツによって、およそ600万人のユダヤ人の命が奪われたとされています。 この記念碑は、その犠牲者を追悼するとともに、なぜこんなことが起きてしまったのか、というのを問い続ける場所でもあります。 本当に、先ほどまでは日差しが見えていて、日が届いていた場所から一気に影となって、自分自身がどこにいるかの差もわからなくなるんですよね。 この石碑なんですけれども、幅が、高さは本当に変わります。 幅は0.95メートル、1メートルないくらい、そして長さが2.38メートルなんだそうです。 高さは20センチくらいのものもあれば、5メートルくらいのものまであって、石碑同士の間隔は同間隔に置かれているんですけれども、 1メートルくらい、大人一人が歩けるくらいの幅で、ずらっと2700基以上が並んでいます。 不思議ですね。 アメリカの建築家がこの場所を作ったそうなんですけれども、あえて明確な意味を与えずに訪れた人がそれぞれ感じて考えることを大切にしたデザインなんだそうです。 地下に続いている道もありますね。下に資料館があるようです。 犠牲になった人々のお名前だとか、家族の手紙だとか、実際の人生が紹介されています。 マナちゃん、ここ迷わなかった? 迷わなかった。 迷わなかった? でも、どう感じた?ここを歩いてみて。 えー、なんか、ちょっと走り回って迷子になりそう。 走り回ってましたか。 そう、なんか、今ここはさ、日差しがあって、人が見えて、街が見えるじゃない。 でも、少し歩みを進めていくと、私の身長よりもこの石碑がどんどん高くなって。 あと、ママ、なんか階段の場所があって。 そうそう、階段の場所、あの下に。 あそこに出てきた。 あー、そっか。 あの下を降りていくと、そのユダヤ人の方をお祈りするような場所になっているそうよ。 そうなんだ。 うん。 これ、24時間この場所は空いているんだって。 だから、昼間今は歩いているから、時折日差しが見えてくるけれども、 でも、夜とか朝早くとか歩いていると、どこに光があるのかっていうのも見えなくなるから、ちょっと怖いような感覚もあるね。 うん。 見て、道が、本当に地面がこう少し隆起していたり、上っていったり、下り坂になって。 あと、この石碑自体が高い、低いだけの違いだけで、こんな大きな場所を使って作品を、そして私たちが歴史を感じる、考える場所になっているんですね。 ああ。 なんか、ベルリンの街を歩いていると、未来へ向かう柿と、歴史を忘れないという強い意志が共存しているように感じます。 この記念碑、過去を閉じ込めるような場所ではなくて、記憶し続けること、考え続けることが、平和への一つの大切な歩みなんだと、 静かに語りかけてくれる場所だというふうに感じています。 いや、ベルリンを訪れた方は、私12年前に訪れているんですが、この場所のことを知りませんでしたが、ぜひベルリンを訪れる方がいらっしゃいましたら、ここに来てほしいと思います。 # さいごに 今回もお付きくださりありがとうございました。 皆さんからのコメントも楽しく大切に読ませていただいています。 コメントありがとうございます。 それではまた聞いてください。 えのきどなりこでした。 もっと見るエノキドノリコの世界一周ラジオ榎戸 教子(旅人)04:061.ベルリンの壁やチェックポイントチャーリー03:242.ブランデンブルク門、そしてマイケルジャクソンが宿泊したホテル05:423.虐殺されたユダヤ人のための記念碑00:154.さいごにコメント感想・質問・応援メッセージを書こう Masaru☆彡8月6日つづきまだ地球に線がなかった時代に、自分の足(気持ちと体力)で歩いて地球を旅していったルーシーの旅のように…。これからの旅は、いろんなモノコトにとらわれず今あるテクノロジーを手にしながら新しい情報の発信もおねがいしま〜す🌍いつも世界の いろんな景色をありがとうございます🌱1返信 Masaru☆彡8月6日地球の地に線を引く人間、地だけでなく海にも空にも線を引き、その境界を1ミリでも越えたら、その付近を通過しただけでもニュース速報が流れます!便利すぎるテクノロジー(武器等も含め)が進むにつれ、国境という壁が高くなっているように感じます!!3年前の世界一周の旅、教子さんマノちゃんお二人の旅は、テクノロジーに頼り過ぎず(髪を短くしたり、水が足りなかったり…)地球をシンプルに旅しているように素敵だなって思いながら聴いていました、旅先からのVoicyを♪つづく2返信 MATSU8月5日お疲れ様です。ベルリンの壁🧱で連想するのは石ノ森氏「サイボーグ009亅の004の最初の話ですかね、マニアックですみません🙏で明日日本は8/6広島原爆の日で今「原爆ドーム亅をどう保存していくかが問題に成ってます。1返信
スウェーデン・北欧最古の大学があるウプサラより 13分・9月4日・ 300再生AI目次植物学者リンネ、分類学の原点探訪ウプサラ大学図書館、1500年前の聖書400年前の医学の学び、解剖学講堂スウェーデン滞在、心に残る豊かさとは旅は続く!スウェーデンからサンタ村へ
世界遺産のスウェーデン・ゴットランド島にて 15分・9月1日・ 309再生AI目次ゴットランド島北部へ自転車旅北欧ランチの驚きと絶景カフェ雨上がりのビスビーと歴史の道世界遺産に泊まる特別な体験娘と振り返るゴットランド島
世界遺産のスウェーデンVisbyで日本語に出会う 16分・8月30日・ 403再生AI目次世界遺産Visby 中世都市の魅力自転車で訪ねるVisbyの絶景と夕日Visby観光案内所で日本語との出会い剣道と相撲が結ぶ日本との絆予期せぬ出来事と旅の温かい結び
オスロ大聖堂、そしてオスロ空港へ 8分・8月28日・ 214再生AI目次オスロ大聖堂の歴史と再建色鮮やかな天井とムンクの光クリスチャン4世が見守る街オスロ空港1200円のおにぎり北欧高物価と生活コストの現実
まののせかいいっしゅうラジオ、オスロ 9分・8月27日・ 755再生AI目次オスロの旅、期待と出発の瞬間グネグネ遊具!オスロ公園の驚きマザー・テレサが示す、寄付の真価ムンクの「叫び」全制覇への挑戦オスロの鐘が告げる、街の息吹
ノルウェー・オスロのムンクミュージアムへ 7分・8月25日・ 337再生AI目次夜のオスロ、トラムで体感する街の鼓動ムンク美術館へ、過去と現在が交錯する旅ムンク『叫び』が放つ、揺れ動く色彩の力『叫び』が揺らす世界、背景に宿るメッセージ一枚の絵が映す、見る側の変化と時間の流れ
ノルウェー・ベルゲンを歩く 10分・8月23日・ 265再生AI目次ベルゲン、歴史を刻む世界遺産ブリッゲン中世北欧の商業を支えたハンザ同盟バスが船に?フィヨルドの国驚きの移動夕日に染まるフィヨルドと豊かな車窓北海ダイブ断念?フラムへの期待
フィヨルドの絶景、プレケストーレンへ 8分・8月20日・ 362再生AI目次フィヨルド絶景へ!早朝の挑戦旅を諦めない!体力が語る哲学早朝登山が紡ぐ、静寂と新たな顔絶景到達!心満たすコーヒーとパン再訪で発見!プレケストーレンの魅力
ノルウェーに到着、さっそく絶景へ 8分・8月17日・ 401再生AI目次60カ国目ノルウェー、絶景フィヨルドの旅スタヴァンゲル、リーセフィヨルドへの挑戦プレーケストーレン、断崖600mの衝撃柵なき絶景!足がすくむリーセフィヨルド絶景の後は湖へ、カヌー初挑戦の結末
スウェーデンの400年前の船と対面 13分・8月15日・ 275再生AI目次「幻の戦艦」ヴァーサ号の悲劇設計ミスと王の命令が生む教訓400年前の船が奇跡の保存絢爛な装飾と隠されたライオンスウェーデン・ストックホルムに心惹かれ
まだ地球に線がなかった時代に、自分の足(気持ちと体力)で歩いて地球を旅していったルーシーの旅のように…。
これからの旅は、いろんなモノコトにとらわれず今あるテクノロジーを手にしながら新しい情報の発信もおねがいしま〜す🌍
いつも世界の いろんな景色をありがとうございます🌱
地だけでなく海にも空にも線を引き、その境界を1ミリでも越えたら、その付近を通過しただけでもニュース速報が流れます!
便利すぎるテクノロジー(武器等も含め)が進むにつれ、国境という壁が高くなっているように感じます!!
3年前の世界一周の旅、
教子さんマノちゃんお二人の旅は、テクノロジーに頼り過ぎず(髪を短くしたり、水が足りなかったり…)地球をシンプルに旅しているように素敵だなって思いながら聴いていました、旅先からのVoicyを♪
つづく