TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」法事の時一緒にお経を読む?読んでもらう?11:04 2024年8月9日 125再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次法事での読経、一緒に読もう読経は「あげる」ものではない自分自身の修行としての読経読経で得られる心の変化積極的に参加することの大切さAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ 僧侶方言の座らない座禅、私は遠通寺副住職方言と申します。 この番組は身近な生活と仏教、禅についてお話ししている番組です。 # 読経の仕方 最近、お寺の方では樹木草を売り始めました。 最近流行りの樹木草を、ここ3年前ぐらいからずっとお寺の方で販売しています。 この樹木草は永滞供養ですが、お墓の価格を売るわけです。 そうすると、樹木草を購入された方が、時には法事をされたりすることがあります。 別に樹木草の方だけではありませんが、ダントの方も同じです。 法事をするときに、なるべく同じように話すようにしています。 繰り返しで話しています。 法事を1年おきに繰り返し続けて、49日、1週期、3回期と続きます。 またというふうに、なるべく同じように説明をするようにしています。 どんな話をしているかというと、 お経を読む時に、お経の本をみなさんにお配りして、 修正義というお経を読みます。 その時に、一緒に度胸しましょうとなるべく声をかけています。 特にダントの方ではない、樹木草を買われた方は、 それまでのお付き合いがあまりないので、その辺の話を少し丁寧にするようにしています。 話をしまして、どういう話をするかというと、 お経というのは、あげてもらうものではないということをまず言っています。 人にあげてもらうことではないという意味で言っています。 供養というものは、もともと、自分でやらなかったら供養にならないじゃないですか。 要するに、人がご飯を食べても、自分のお腹は膨らまないよねというところで、 供養も同じですよということですね。 供養というこの修行は、自分でやらないと救われないんですよという話なんですよ。 そういう説明を丁寧にしまして、それから始めるようにして、 その話を聞いてスタートすると、比較的声を出してくださる方が多いんですね。 度胸するときに。 そう言っても、読んでくださらない方もいるし、目読されている方もいらっしゃる。 できたら、私は声を出して読んでもらいたいなといつも思っているんです。 なぜかというと、結局この声を出すという行為自体がいいことだというよりも、 出さないことに何か引っかかりがあるんじゃないかと思うんですね。 例えば、恥ずかしいなとか、読めないとかってことであればしょうがないのかもしれないですけど、 ただ自分なりに精いっぱい読んでみるということって大事だと思うんですね。 その度胸をするときには、度胸をする、それになりきる、読んでいること、 そのね、お胸、声を出して、声になりきるというか、 そういうことがですね、大事。 座禅と同じですよね、座禅。 座っていることに、こうなりきる。 ただ、ただ、ひたすらに座るとかってよく言ったりしますけど、 まあそういうことですよね。 それが修行になると。 で、この、なんていうか、恥ずかしいなとか、もし考えているんだとしたら、 そんなものを取っ払ってほしいなというふうに思うし、 もうちょっとケチなことを思っている方もいるのかなってちょっと思っちゃったりするのが、 お金払っているんだからお気をあげてもらう、あげるのが当然だろうというふうに考えると、 お気をあげてもらう、あげるのが当然だろうというふうに考えている方もいらっしゃるかもしれない。 まあそもそもが、その、お伏せというのはお経の、なんていうか、 対価じゃないというかですね、その、買い物しているわけじゃないわけですね。 サービスを買っているわけではなくて、 お伏せというのは不正行をしているわけですよね。 人のためにいいことをしましょうということで不正行をするわけですよね。 この亡くなった方に対するご供養として、これあげるわけじゃないですか。 お釈迦様にお供養して。 で、 それ、そういう行の一つとして、お経もそうだし、 土経ね、土経をすることもそうだし、 お奨行することもそうだし、 お供物を備えることもそうだし、 全部こう、 なんていうか、自分の行なんですよね。 人のことは一切やってないんですよね。 で、 お経をあげるという、私たちも、坊さんもですね、 お経をあげるんですけど、 これも人のためにやっているという感覚じゃなくてですね、 やはり自分自身の修行なんですよね、毎回。 で、 とにかく自分の、人のためにというか、 一生懸命やっていることが人のためになり、 人が喜んでもらう、 人が安心する、 そういうことによってまた自分が幸せになる。 これなんかよくわかんないんですけど、 めぐっていくんですよね、この幸せというのはね。 人のために、 例えば、亡くなった方が好きだったこのお菓子を お供えしようとか言ってするじゃないですか。 で、お経を唱えて供養すると、 自分が救われるんですよね。 なんか気持ちが軽くなるんですよね。 こういうことをした。 お経をあげて、手を合わせてきた。 お寺行って、お経をあげて、 ご本尊様に手を合わせて帰ってきました。 これでも救いになるじゃないですか。 なぜか。 人のためにやっているようでいて、 自分のためになる。 なんか面白いなって。 面白いと言うとあれですけど、 不思議じゃないですか。 当たり前なんですけど、不思議なこと。 理屈じゃ説明できないこと。 そういうことってあると思うんですよね。 ですから、 幸せっていうかね、 幸せですよね。 幸せっていうものは、 どこから来ているのかなと言うと、 結局そういう業、 人のために、 人が喜びそうなことを 率先してやるってことで、 自分自身が幸せになるし、 なぜか、 やらされているとなると、 不幸になるんですね。 そう思うと。 お掃除なんかも、 面白いなと思うのは、 自分から進んでやると、 面白いんですよね。 例えば、お盆が近いですから、 お墓掃除する方も 結構いらっしゃるんじゃないかと思うんですが、 お墓掃除も、 例えば誰かに言われて、 仕方なくやるっていう風な形でやっていると、 面白くないし、 ちょっとご先祖さんのために、 嫌だけど面倒くさいけどやるか、 スタートはそれでもいいかもしれない。 で、やっているうちにですね、 だんだん気持ちが軽くなってきて、 一生懸命やって、 だらだらと汗を流して、 帰ってこれる。 帰ってくる頃には、 なんか分からないけど、 気持ちよく帰ってこれる。 すっきりして、 あ、よかった。 やってよかったなって思えたりして。 不思議ですよね。 人のことなんだけれども、 嬉しい。 そういうことってあるんですよね。 面白いなって思います。 なんか、 そんなようなことで、 私たちの生活っていうのは、 決してですね、 やらされているとかっていう感覚で、 行動しているってことはですね、 本当に自ら自分の首を絞めているようなもんですから、 そういう感覚をもし、 お持ちの方がいたらですね、 ちょっとそんなことで、 そういう気持ちじゃなくて、 まず自分のことだと思って、 やってみる。 もし法事とか、 そういう機会があって、 お経を読むときがあったらですね、 自分ごととして、 できたら大きい声で読めたら、 最高ですよね。 本当に、 ご家庭によってというか、 そういう親戚関係一族で、 みんなで声を出してくださる方って、 いらっしゃるんですよね。 そうするとすごく気持ちが、 なんていうか、 一つにまとまってですね、 いい法要できたなっていう感じになるんですよね。 不思議と。 ぜひですね、 そういう気持ちで声を出してもらえると、 いいなというふうに思います。 ちょっと参考にしてもらえたら、 というふうに思います。 # 終わりのあいさつ 今日は、法師のことから、度胸についての話から、 少し自分自身の胸になる、幸せを、 みんな幸せになりたいと思っていると思うので、 そんなところの話をしてみました。 人に読まされているお胸ではなくて、 自ら進んで、気持ちよく読んでみたら、いいんじゃないかなと思います。 例えば、お寺に行く機会があったら、 お寺の境内の草を1本、2本抜いて帰ってくるとか、 それだけでも違うかもしれないし、 落ち葉が落ちていたら、お墓掃除もいいんですけど、 お寺の掃除をしてから帰ってくるとか、 そんなことをしたら、すごくいい行なんじゃないかなと思います。 私も助かります、とても。 ぜひぜひ、そんなことで、 いいことを探して、率先してやってみるといいんじゃないかなと思います。 大事なことは、決して見返りを期待してはいけないということですね。 こんだけやったのに、自分には何も見返りがないとか、 というのはちょっとせこいですよね。 ケチな感じしますよね。 そういう気持ちは、ちょっと捨てていけるといいんじゃないかなと思います。 それでは今日も聞いていただきましてありがとうございます。 また、いいね、フォロー、コメントなどもぜひお寄せください。 それではまた次回お会いしましょう。さようなら。 もっと見る #幸せ #仏教 #良いこと #法事 #読経 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!00:141.初めのあいさつ09:182.読経の仕方01:343.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう やちょこ2024年8月9日1年前に祖母の3回忌で住職様と一緒に読経させていただきました。父母や叔父は老眼で、あまりお経の本が見えてなかったようです。「是非、皆さんと共に読経したいので眼鏡をご用意ください」と事前に伝えても良いのかな、と感じました。1返信 邦元2024年8月9日コメントしていただきありがとうございます。経本の文字も大きいものに変えていますが、メガネ必要な方には厳しいのかもしれませんね。法事の準備品の中に入れておこうかな。考えておきます。大切なことは、お経を"読まなければならない"ということではなく、一人一人が自らを救う修行をしているということを知っていただくということで、意味のある法事となるということです。やってもらうとか、サービスを買うという感覚の方がいらっしゃるのでお伝えしたかったのです。貴重なご意見ありがとうございました合掌
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経本の文字も大きいものに変えていますが、メガネ必要な方には厳しいのかもしれませんね。法事の準備品の中に入れておこうかな。考えておきます。
大切なことは、お経を"読まなければならない"ということではなく、一人一人が自らを救う修行をしているということを知っていただくということで、意味のある法事となるということです。やってもらうとか、サービスを買うという感覚の方がいらっしゃるのでお伝えしたかったのです。
貴重なご意見ありがとうございました
合掌