TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」自分と他人2人は1人!?一つの存在なの?お坊さんが答えます。12:12 2024年9月4日 149再生 問題を報告する 再生する シェアする 自分とは、禅とは?そんな疑問持ってないですか。AI目次自分とは何か?仏教的視点からの問い自他不二とは?自分と他人の関係性他者への影響、そして共感とは?本当に自分とは何か?大きな疑問を投げかける自分という存在の謎に迫る、新たな視点AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ 僧侶方言の座らない座禅。 今日も聞いていただきましてありがとうございます。今日はですね 自分と他人は 二人なのか、 自分は一人なのか、この辺のことについてお話ししようと思います。皆さんはどう考えていますでしょうか。 自分と他人というふうに考えたら、二人いるというふうに多くの方は 感じているのかなというふうに思うんですが、その辺について 仏教の視点からお話しをしようと思います。 この番組は身近な生活の中の仏教や禅についてお話ししている番組です。 # 自分とは1人の存在なのか 今日は、自分は一人なのか、そして自分と他人といった場合は二人なのか、というね、 何を聞いているんだというような話をしたいと思います。 一般的には、自分と言ったら一人、自分と他人と言ったら二人だ、というのが間違いのない答えなんだと思うんですね。 ですが、仏教では自他不二という言葉があるんですね。自他不二ですね。自分と他人は二つでないということです。 この言葉を聞いて、どういうことだ、というふうに思うんじゃないかな、と。 もしかしたら、一つってことか、というふうに考える人もいるかもしれません。 でも、仏教の言葉とその言葉としては、自他不二としか言ってないんですね。 二つでないということを言っただけであって、一つだとは言ってないんですよね。 ここで一つだ、というふうに捉えてしまうと、これはその言葉を聞きつつ、そこに自分なりの解釈を加えて、本来の意味からずらしてしまっているということになるわけです。 私たちの生活というのは、様々な場面で、そういう憶測みたいなところとか、想像みたいなところで働いて、本当の事実から、真理とか事実からずれてしまうということか、ずれて捉えてしまうということがあると思います。 ですから、例えば、人の話を聞いていて、ただの確認のつもりで話していることが、その人の声の大きさだとか、身振り、手振り、勢い、みたいなところから起こっているんじゃないかな、というふうに感じてしまうことってあると思うんですよね。 例えば、〇〇の会話、3時から始まるんですよね、というのも、普通に3時から始まるんですよね、という確認のつもりで言っているんだけど、聞いている人にとっては、それを起こっているというふうに捉えたりすることってあるじゃないですか。 そういうことも、その本人にしてみたらどうなのかというのは、本人にしか分からないんだけれども、想像みたいなところとか、声の勢いみたいなところとか、声の大きさとかから判断をして、そのように捉えてしまうということで、真実からはずれてくるということはあるんだろうな、というふうに思うんですね。 で、同じようにですね、この自他風にの言葉も、自他風にという響きがあって、その言葉があるだけれども、そこで勝手に一つであると、想像を膨らまして、そういうふうに思い込んでしまうと、またここは変ですよね。自分と他人が一つってことはないじゃないですか。 どうなんでしょうか。一つですかね。そうすると心はつながっているとか、同じことを考えているからとか、そういうことを言うのかもしれません。 私たちっていうのは、一人一人別々の存在でありながら、本当に別々の存在かというと、そうでもないんですよね。大きな命という働きの中で生かされているっていうのが、間違いのない事実としてあるわけです。 感覚として、体があるので、この体が自分っていうふうに思い込んで生きていますけれども、ですから違うような、違う形をした生き物を、別の顔形をした生き物がいると、それを他人と言ったり、別の生き物として見たり、自他っていうものを、自分の体以外のものを他として、別々の存在として見るんです。 だけど、本当に他かというと、自分だと言っているこの体の目で見た景色は、人のことかというと、全部自分自身の目に映った、自分自身の様子そのものであるとも言えるじゃないですか。 音もそうですね。音も人の音か、周りの人が言った音かって、確かにそこから響いてきているんでしょうけど、理屈を言えば。だけど、私の体に響いている時は、人のものなんていう響き方は一切していないっていう響き方をしているんじゃないでしょうか。 そう考えるとですね、考え方の上でも、自分と他人というものはあるのかないのかということですよね。自他不二、二つでない、でも二つっていうふうにも数えられる。 こういう不思議な存在なんだなというふうに思うんですね。 例えば、もっと言っちゃうと、人が悲しい思いをして泣いている姿を見て、やはりそこに影響されて悲しい気持ちになるってことってあると思うんですよ。 映画とか見てて、全く他人の話じゃないですか。作り話だったりすらするわけじゃないですか。でもそれを見て涙したり笑ったりできるっていうのは、やはりそれが、自他がなくなっているんですよね、そこに。 別々の存在でなくなっているんですよね。確実に影響されているんですよ。 私なんかも、何度葬式に出てもですね、やはり遺族の方がですね、別れの場面なんかで涙している姿を見ると、もらい泣きしそうになるんですね。 実際、泣いてしまうことも恥ずかしながらあるんですけど、なんかついついですね、影響されちゃうんですね。 でもそんな中でも笑い話が出てくると、一緒に笑ったりとかも自然とするし、それでいいんだと思うんですね。 いいっていうか、いいも悪いもなくて、それがごくごく自然な姿なんだと思うんです。 私たちっていうのは、本当に別々の存在かっていうところ。ここちょっと疑問を皆さんに投げかけておきたいなというふうに思うんですね。 本当に別々の存在だったら関係ないんだけれども、やはり関係しているんですよね。これは理屈でない何かで。不思議ですけれども。 スピリチュアルの話ではなく、現実としてそういうことが起きると思うんです。 例えば、和言性とかね、和願性とかっていう、笑顔の伏せっていうのがあると思うんですけど、 これも不思議なことで、笑顔で接すると相手も自然と笑顔になるっていうことがあるんですよね。 なんですかね、こういうのって。こういうのは確実に影響してるんですよね。 次のチャプターに行きたいと思います。 # 終わりのあいさつ ここであの ここでというかねこの一人か一人じゃないかっていうねここの投げかけなんですけれども ちょっと皆さんね本当に自分が生まれてですね まあ今自分だと思っているものが生まれて名前をつけられ今まで ね何十年なのか十何年なのか生きてきた 生きていると思うんですけれども 本当にこれが自分であるかどうかっていうところに疑問を持ったことありますか どうでしょう自分っていうのは一体何なのかっていうところ 疑問を持って持ったことありますあるでしょうか あのこの辺ちょっとね本当に 疑問を持って 見てら面白いと思うんですよね 本当にこの体だけが自分なのかってね 不思議といろんなところに影響してるんですよね 影響し合ってるんですよね ですからこの 昔からですねお坊さんが偉いお坊さんがですね 自分がなくなるとかね 落ちきるとかね 新人脱落とか脱落新人とかねそういう言葉を使うんですね 自分っていうものだと思っがあると思って生きていた 自我っていうものが中心とした自分というものがあると思って生きていたけれども 自分というものは最初からなかったんだってことに皆さん気付くんですよ 偉いお坊さんたち皆さん偉いというかね昔からの素子と言われている方々はですね 皆さんそうやって 思うんですよねそこに気づかれるんです自分てなかったって そうするとその自他不二の意味もなんとなく見えてくるんじゃないでしょうかね 本当に自分てないのかなってね疑問に思いませんか 体あるでしょって ねっ そんなところでちょっと疑問を持って持ってた人はですね 何かこう一歩進んでいけるのかもしれません 本当にそうかなまたそれをねちゃんと鵜呑みにしてっていうかね 本当に信じてそれを確かめるっていう純粋さを持つってことも大事かもしれないですね あの 頭ごなしに 否定するっていうのはですね これはまた違う話なのでぜひですねちょっとこの仏教に興味がある人 もしくは興味なくても自分ということに興味がある人 ぜひですねこれを実践しするっていうことが 全であるというところ 難しいっていう言葉で片付けないでやってみてほしいなと思います 決めつけないでもらいたいというふうに思いますねぜひぜひ ちょっとねディープな話ですけれども ここはですね本当に自分は一人なのか そしてじたと言ったら2人になるのかここについて少しね考えていただけたらというふう に思います それでは今日も聞いていただきましてありがとうございますまた次回お会いしましょう いいねフォローそして感想コメントなど お寄せくださいそれではさよなら もっと見る #禅 #仏教 #自分とは #お坊さん 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!00:491.初めのあいさつ07:562.自分とは1人の存在なのか03:293.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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