TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」不満、文句が多い人は辛い14:22 2024年12月13日 193再生 問題を報告する 再生する シェアする 仏教では人と比較して、あーだこーだ心の中をこねくり回すことを慢といいます。どんな様子のことなのか聞いてみてください。AI目次仏教用語「慢」の解説「慢」がもたらす苦悩とは?自分と他者の比較をやめる方法ありのままの自分を認める大切さ幸せな生き方への第一歩AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ 僧侶方言の座らない座禅、私は縁通寺住職方言と申します。 豊かな生活を送るための仏教や禅、教育、子育て、人育てについてお話ししています。 # 慢 今日は仏教で言われているマンということについてお話ししようと思います。 マンというのは、我慢のマンの字ですね。 私たちは普段生活の中でこの漢字はよく使うと思うんですけれども、 サンスクリット語のマーナという響きのところから来ているらしいんですね。 これはよく、前にもお話ししたような気もするんですけど、 要するに三毒と言われている遁人地に続くような、 なんていうか、私たちの生活を邪魔する感情というか、 問題を引き起こしているものとして、一応そういうふうに当てている言葉です。 どういうものかというと、自分と他人を比較して優れているとか劣っているとかっていうね、 同じぐらいだとかってことも含めてですけど、 比較して、ああだこうだ自分の中で、なんていうか、やることをマンマンというわけです。 自分が優れているという立場から文句を言ったり、 私なんてとんでもないっていう卑下しすぎることもマンだし、 あの人は私と同じぐらいだなぁなんていうことで、 なんていうのかな、比較してものを見ているっていう様子そのものがやはりマンって言われるわけです。 で、このマンガですね、どうして問題かっていうと、 もちろんこういう生き方をしている人の側にいる人も嫌な気持ちになるわけですね。 時にはバカにされることもあるし、 あなたにもできますよっていうようなことも、いや私にはできませんできませんって言って卑下しすぎて、 その方が引き受けてくれないとかね、いうようなことで困るっていうこともあるかもしれません。 もしくは、その人の価値観で私と一緒だよねなんていうことで、 いつも一緒みたいなことでですね、振り回すなんてこともあるかもしれません。 いずれにしても、もともと情景がない人と人の関係において、そういうものの見方をまずしているってことが問題ですよね。問題を生みやすくなる。 そして、周りにも迷惑かけるし、実を言うとそういうものの見方をしている本人が一番辛いんだと思うんですね。 そして、自分が優れているというような発言をしているとしますね。 そう捉えられるような発言をしている。 そういう方だとしますけれども、 そうだとしても、その裏にはですね、すごい強気なことを言っていてもですね、その裏には自分に自信がないっていうことがあるわけです。 自分が心配でしょうがない。 自信がない。 そういう気持ちの裏返しとして、周りをバカにしたり、下に見下すようなことを言っているというような状態ですよね。 ですから、自分はすごいんだとは言わないにしてもですね、 あいつはいつもこんなことをやってとか、そんなことをやってもどうしようもないとかね、意味がないとかね、 例えばですけど、そうやって周りの人事を不満を言うっていうんですかね、文句ばっかり言って生活している人ってことですね。 これは本当にこう辛いですよね、本人が。 本人が一番辛い。そして周りにいる人も嫌な思いをするというようなことになるわけです。 で、結局ですね、これは自分を認められてないってことなんですよね。 ひげする人も、どちらもですけれども、どっちにしてもね、人と比較するってことは自分自身を認めてないっていうことなんですよ。 自分のありのままの様子を。 で、これ、 ありのままを認められたらですね、こんな楽なことはないんですけど、 それができないでいるわけです。もしかしたら認めるってことが必要だってことすらも知らないかもしれないですね。 そうして生きているのかもしれない。だけどこれはやっぱり本人の問題で、周りのせいにしているので、気づきにくいんですよね。 常にこう、周りが悪いから自分が今こういう思いをしているっていう風なスタンスで物事を見ているから、 問題に気づきにくいんですね。自分の中に問題があるってことがわからないんですね。 で、別に自分を認めなきゃいけないって、例えばそれで気づいたとしてもですね、 自分で認めるっていうことがどういうことなのかっていうこと、自分で自分を認めるってことがどういうことなのかってことがわからないと、 これはなかなか難しいんですね。 で、一つには、やはりプライドが高すぎるってこともあるわけです。 自分で、そうやってなんていうか、自分の能力がないとかできないってことが認められない。 そういうことがあるわけです。受け入れるっていうことの中にはそのプライドが邪魔しているってこともあるわけです。 そういう余計なものをですね、全部取っ払っちゃって、 もともとプライドなんてね、あった方がいいのかない方がいいのかわからないですけど、 私はない方がいいんじゃないって思いますよね、単純に。 ふと悪軽くなりますよね。わからないことわからないって言えるって、こんな自由な人間生活しているのに、 そういうことが言えないっていうことですもんね、プライドがあるってことはね。 だから、そういったものは自分を苦しめるだけだから捨てちゃった方がいいですよね。 で、これ自分を認めるっていうことが必要なんですけど、 その認める、できない自分、できる自分とか、言葉で言うとそういう表現になっちゃうんだけども、 そういうこと抜きにしてあるがまま、そのままを認めている自分が既にあるっていうことに気づかないといけないと思うんですね。 自分がこうありたい、こうでなきゃいけないんじゃないかっていう、理想というか信念というか、 なんかそういうものがあって、それを掲げすぎちゃってですね、それと自分をまず比較しているっていうことで、 認められないが始まっているのかもしれないんですけど、 これはですね、もうね、仏の働きとして、仏様の働きとしてですね、もう認められていると思ってください。 はじめから認められているんです。仏様の、仏様はすべて許してくれます。 こんなこと言うと、仏様っていう存在があって、そういうなんか人間みたいな人がいて、 その人が、よしよし、あなたはそのままでいいですよって言っているようなことを想像する人いるかもしれないけど、そういうことじゃないです。 仏様っていうのは働きです。自然の説理、働き。働きはすべて受け入れてくれてるでしょ。 もう自分が生まれてるっていう時点で、受け入れてるから生まれてるわけじゃないですか。 ですからもう生まれて、この方ですね、受け入れられてない人なんて一人もいないんですよ。すべて受け入れてくださってるというふうに思ってください。 そうすると、自分の存在は、例えば周りに否定されたとしても、嫌な顔されたとしても、間違いなく許されきっている存在だってことを、 ここに安心してもらいたいというふうに思うわけです。 そうするとですね、この満もなくなってくるわけです。プライドもいらないことに気づくわけです。 そして自由な存在になるんです。 自由な存在になると、人は基本的には良いことしようとする 生き方してますから、 だんだんだんだんですね、それが良い方向に歯車が回り出すんですね。 最初、ある程度自分の努力が必要です。最初から認められている、生まれながらに仏と言いつつも、どうしても最初は自分の 働きかけというか、そういうのが必要になってきますので、そこをですね、どういう方向で一歩目を踏み出すかってことはですね、すごく重要になってきます。 # まとめ その一歩目の踏み出し方ここがですねすごく大事なんですね まあ最初は自分自身の心の中を観察するということは必要かもしれません あの自分を知るという意味で自分がどういう考え方 思考の癖みたいなものがあるのかっていうところをよく見てみる必要はあります で そうやって見ているうちにですねわかってくると ああこういう癖があるんだなと自分で勝手にこうこねくり回している自分というのがあるん だなぁと 人をいつも評価してるんだなぁと 比較ばっかりしてるんだな自分の理想と比較したり誰かと比較して上下つけたり そういうことやってんだなってことに気づいたらですね それやる必要ないなと まあそう思えないとまずいけないですし 上下なんてないってことに気づかなきゃいけない どこで気づくかというと自分の五感で学ぶわけです五感で ねあなたの目ん玉は目玉は 人を上下で見ているか 優劣つけて見ているか どうでしょう 目で見た景色 上下ありますか 優劣ありますか好き嫌いありますか ないですよね 全部自分ていう自分の都合というものを立てた時に発生しているだけであってあなたの 目はそんなことを一切言いません ですからその目の働きだけじゃないですけどね五感なんで耳から聞こえた音 鼻で香った香り 舌で味わった味皮膚から感じた感覚すべて 何も文句も言わずに好き嫌い 尊徳優劣何も言わずに全部受け入れているっていう様子に目を向けてもらいたい そこに気づくとですね あの 全て受け入れている自分の様子があると思います そして自分自身というものを受け入れられているということもあると思います そういったところの視点でものごと見ていくとですねその満というのもだんだんだん 消えていくと思います楽になってくると思います 生活が楽になります 自己肯定感なんて言葉もありますけれども自分自身を肯定することもできると思います 肯定というのはまあ認めるっていうね好きとかってことじゃないですね 認めることができると思います自分で受け入れられると余計なプライドはなくなって 楽にですね生きられると思います人のことも否定しないで許せる 素敵な自分になれるんじゃないかと思います もうちょっと言うと最初から素敵な自分であったってことに気づけると 思います もともと自分に備わっている機能ですからその機能に学んで なんていうか取り戻しましょうっていう感じでしょうかね雰囲気で言ったら そんなところでですね今日はお話させていただきました 満という言葉 仏教用語の一つですけどそこからですね ちょっとこう自分自身を振り返っていただいて 気づいてもらえると嬉しいなあというふうに思います これは人にやってもらうことじゃなくて自分で気づいて自分でやる修行だ ですからあのだからこそ救われるわけです 自分でやらなきゃ何も変われないですから一人一人が自分自身のことを自分自身でやる わけですあのそんなつもりでですね あの 見てほしいなぁとねぜひいい人 取り戻しましょうということで 今日はその辺で放送終わりにしたいと思います また次回お会いしましょういいねフォローコメントなどもぜひ宜しくお願い致します それではさよなら もっと見る #禅 #仏教 #お寺 #僧侶 #お坊さん #救い #慢 #文句ばかり言う 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!00:201.初めのあいさつ09:462.慢04:173.まとめコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 矢内正和2024年12月13日自分で自分を認める。難しいです。一歩目。自分を観察すると嫌な癖ばかり目についてしまいます。五感で学ぶ。。。んー、難しいです、、、1返信 邦元2024年12月13日五感に学ぶ。自分自身に学ぶです。難しい事ではないです。初めからできているんだから、そこに気づくことです🫵1
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#1211 マイナスの言葉をプラスに変える力って 1時間3分・9月7日・ 94再生AI目次マイナスの言葉、本当に無意味なのか人を動かす言葉と、心の傷「気合」だけでは足りない言葉の力「まどかの会」が示す、新しい人の繋がり90点でも足りない?子どもの存在価値
一歩目。自分を観察すると嫌な癖ばかり目についてしまいます。
五感で学ぶ。。。
んー、難しいです、、、
難しい事ではないです。初めからできているんだから、そこに気づくことです🫵