TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」#548 【対談】モンテッソーリ教師あきえさん、後半です。教育、子育てについて、ガイド導く教師48:13 2025年4月18日 1,176再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次モンテッソーリ教育の真髄に迫る自己選択とべき思考、その狭間でNICU経験が導いた教育への転換子どもと大人の幸せを願う対話木登りから考える教育の未来AI文字起こし(β版) # 前半はこちらから 皆さんおはようございます。僧侶方言の座らない座禅の時間です。 この番組は救いのある仏教や座禅、教育、子育て、人育てなどについてお話ししている番組です。 私は遠通寺住職方言と申します。 小学校の先生もしております。 今日は 本哲総理教師秋江さんをスペシャルゲストに向かいまして コラボ対談をさせていただきました。 アーカイブをお送りいたします。 教育についてのお話、子育て教育など 様々 話しました。 どんな話になっているのか楽しみにして聴いてみてください。前半が秋江さんのチャンネルで放送されまして、後半が私の方という形になっておりますので つながりで聴いてもらった方がいいかもしれません。もしかすると前半の方から順番に聴いてもらえるといいかなというふうに思います。よろしくお願いいたします。 それではどうぞ # 【対談】モンテッソーリ教師あきえさん 自己選択 べき思考など みなさん、こんばんは。 今日は生放送でスペシャルゲスト、 モンステッソー理教師アキエさんをお迎えしております。 よろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。モンステッソー理教師アキエです。 前半ありがとうございました。 ありがとうございます。後半もよろしくお願いします。 よろしくお願いします。 前半も色々お話を伺わせていただいたんですけど、 後半は私の方からも色々聞かせていただけたらと思っておりますが、 簡単に自己紹介していただいてもよろしいでしょうか。 ありがとうございます。モンステッソー理教師アキエと申します。 私はVoicyではモンステッソー理子育てラジオというのを毎朝放送して、 今6年目かなになります。 元々は公立の幼稚園教諭で、幼稚園の先生として働いていたんですけども、 本当に子どもが尊重されない行事とか日々の生活も大人が中心で、 大人主導の日々だったんですよね。 おかしいなと思いつつも現場で働いていて、 でも今は8歳と3歳になる娘がいるんですけども、 その上の子を産んだ時に1ヶ月早い早産だったんですね。 早産だったのと、あとは胎板が先に剥がれてしまって、 うまく呼吸ができなかったんです。 なので本当に文字通り指を一本も触れることなく、 NICUという新生児集中指導治療室に入って、 保育機に入って治療をしてもらったので、 初めて抱っこできたのが3日後、20日後だったんですね。 本当に初めて抱っこできた時に、 唯一無二ってこういうことを言うんだって、 分かってたんですけど実感して、 でも今まで担任として受け持たせていただいてたお子さんたちも、 各家庭からお預かりしてるすごい大事な子たちっていうのは分かってたんですけど、 本当何にも変えられないんだなっていうことを実感した途端に、 このままこの教育を私は教員として続けられないぞって思っちゃったんですよね。 そう思った時にじゃあどうするってなって、 もう一度教育学とかを学び直す中で、 もともと教育学部に通っていたので、 文字通り教育は知ってたんですけど、 もう一度中で出会って、 これが子どもが尊重されていく教育として解決するヒントになるかもしれないって思いまして、 そこから文字通り教育のディープロマンっていうのがあるんですけど、資格を取得し、 そこからは子どもが尊重される社会を作りたいって思って、 今は配信だったりとか、あとはこういった書籍とか、文字通り教育を学ぶオンラインスクールだったり、 オンラインコミュニティだったり、ベビーブランドだったりといろいろな授業で、 子どもが尊重される社会を実現するために日々活動しておりますということでよろしくお願いします。 よろしくお願いします。ありがとうございます。 今のお子さんの話がかかっていて、僕もちょっと違うんですけど、 自分の娘もNICUに入っていて、それこそ生まれて1ヶ月、何ヶ月かな、 ずっと抱っこなんかできなくて、やっぱりすごいお気持ちわかるなと共感してしまいました。 やっぱりそういう経験があるからなのか、私もそうなのかもしれないんですけど、 教員になったときは結構、それこそ周りの先輩とか、 そういう方たちの指導のもと、教育とかこういうもんだってことで、 頭こなしに押しつけるようなことを一緒にやりながら疑問を感じてたんですね、自分ながら。 だけどやっぱり自分に子供ができて、そうなってくると見方って変わったなって思いますね。 やっぱり保護者の気持ちもわかるようになったっていうのも正直あるし、 自分がやっぱり徐々に父親になったというか、生まれてすぐは父親じゃなかったんだと思うんですよね。 感覚としては。子供に育てられたみたいなところもあって。 そういったところからも、さっきも前半でも話してたんですけど、 子供は仏とかって言ってたと思うんですけど、子供から学ばせていただくみたいな、 そういう感覚、自分の中でずっとありますね。 本当にそうなんです。それこそ無知というか、頭のお花畑みたいな妊婦だったんだと思うんですけど、自分が。 生まれたらこういう服着せたいなとか、そんなことばっかりというかそれでいいと思うんですけど、 そういうことで頭いっぱいだったんですね。 元気に生まれる前提で出産、妊娠してたというか、もちろんそういうリスクがあることもわかってたけれど、 まさか自分がそうなると思ってなかったというか、自分と娘がそうなるって思いながら、 すごいリスクを考えて出産を迎えたわけではなく、何着せようとか、そういうことを考えながら過ごしてたのに、 まさかっていう、本当に肯定さと言いますか、それも相まって、本当に当たり前に生まれることの尊さというか、 そして本当に抱っこできた時に、抱っこできるのが別に当たり前じゃないんだみたいな。 それってありがたいことなんだっていう。 本当そうですよね。 本当は頭では別にそうだよねってわかってたんだけれども、実体験を伴って初めて真の意味で理解したというか、 そこの尊さをいろんな感情とともに実感して初めて、やっぱり子供を尊重しなきゃいけないでしょみたいな、 そういう感情が高まったところはありますよね。 自分の話しちゃうとあれなんですけど、僕もちょっと娘事情なんですけど、障害がありまして、NICU入ってたっていう、 重度障害なんですけど、やっぱりその障害があるっていうところで、そこでいろんな葛藤はだいぶあったんですけど、 本当に生きていてくれてるだけで十分みたいな感覚になって、そうするとオールオッケーになっちゃったっていうのもあるんですよね。 他の子たちのことを見てても、何が悪いのかわからなくなっちゃったっていうか、ある意味ではそれでほったらかしにもなってしまうかもしれないんですけど、 それぐらい生きててくれればいいじゃんって、健康で帰ってくれればいいじゃんとか、多少文字書くの苦手でもいいんじゃないとか思っちゃっていくと、どんどんどんどんそれって何ていうか、 全部オッケーになっていって、一方で社会で求められてるものもあったり、学習指導要領みたいなものがあったり、その辺の、あけいさんも言われてると思うんですけど、 寄り添うと甘やかすの違いみたいなところの話もされてるかなと思うんですけど、僕なんかは極端に甘やかし入ってるなと思ってるところもあるんですけど、 だけどここをどう、なんていうか、線引きじゃないんですけど、できるところじゃないのかもしれないんですけど、ここの感覚ってすごい難しいなと思ってる。 おっしゃる通りですよね。 なんか、お子さんによっても違いますしね。なんかこう、社会、なんか結構日本の教育で、わーとか言っちゃうとすごく主語が大きいと思うんですけど、 一般的によく耳にする目にする後継として、その子に条件や線引きをどこにするかのポイントをずらすのではなく、一律にみんな同じみたいなのを好む傾向である。 それが真の公平性だみたいな。 そうではなく、例えば私とかすごく目悪いんですけど、目悪い人がコンタクトつけるなりメガネをつけるなりして、目がいい人と同じようなことができるようにするのと同じように、この子にはここまでの寄り添いが必要で、 でもここの子はそっかそっかって気持ちは受け止めながら、でもこれはやれるよってちょっとエンパワーするとか励ましてとか、これはちょっともうできないよとか逆に線引きするとか、そうやってやってあげることがよりこの子にはいいとかってやっぱりその子にちょっと違うじゃないですか。 実力も能力も発達段階も。 なので同じ家庭でも同じクラスでもやっぱり、家庭であればもう圧倒的に年齢によってできることを、兄弟姉妹でも違いますし、クラスの中でもやっぱりその生まれ月とかももちろん関係してますし、その子の経験とか発達のペースによってやっぱりできることできないこととか、どれぐらい寄り添いが必要かとかはすごくばらつきがあるので、 そこの何でも一律にっていうのはすごく難しいなって思いますし、ただ一方で、自分とか人とかものとかに危害を加えるとかって、どの場所でどの条件だろうと許されないことも絶対あるじゃないですか。 そういうのはもうどんな状況でどんな理由があろうとて、絶対できないっていうふうに言うべきだとは思うんですけども、 でも何か人にも迷惑かけてない、別に社会的マナーとしてもダメなことではないとかっていう場合は、本当に今その子にとってどれぐらいの鮮明が発達にとってポジティブなのかみたいなのをその都度考えながら、 やっぱりあまりにも親の機嫌でとか大人の都合でブレブレだと子どもも毎回そこを模索していく必要が出てきちゃうので、どうしてこうなのかっていうルールは大人の機嫌とか都合抜きにして、そこに対する基準の一定性みたいなのは必要だと思うんですよね。 どうしてそこの基準になるのかみたいなのは、その基準はあくまでも大人都合じゃない中で基準を持つ必要があると思うんですけど、でもそこでどれぐらい鮮明を広げるのかどうかとかっていうのはやっぱり個人によって変わってくるのかなっていうのは思います。 甘えたいって思ったときに甘えていいんだよって受け入れてもらえる経験って絶対的に重要じゃないですか。 思います。自分の娘見てるとありますもん。本当は靴下履けるくせにちょっと履かしてみたいな日があったりとか、でもできるって言って自分でできるっていう日もあったりとかあるんですよね。 しかも今新年度で4月だからより多くの家庭でそういう姿になれるんじゃない? そうなんでしょうね。 だから本当に甘えを受け入れてもらうっていう経験は、人間生きていく中で何必要な経験を受け入れてもらえたっていうのは必要ですよね。 そうですよね。甘えることが悪いことでもないっていう。 そうですね。直下できないこととか、もうコンディション崩れてる時に手伝ってもらう経験とか、助けを求めたら受け止めてもらえたとか、そういうのはやっぱり人間社会的な生き物なのですごく重要なのかなって。 結構みんな自立を急ぐので、やらせなきゃっていう思考がそうなんですよね。働く方が多いんですけど。もちろんできることを奪う必要はないんですが。 でもやっぱり甘えた時には、助けてあげるというのか、受け入れることはすごく人生の初期に重要なのかなっていうのは。 なるほど。そういうところも何となく、ゼロ100で物事を考えちゃいがちだと柔軟に対応できなくなっちゃうんですかね。大人の方も。 そうだと思います。 自立自立って頭がもう自立でいっちゃってると、そればっかりになっちゃって。何でも子供に任せるっていう。極端なこと言えばちょっとネグレクトみたいなことになってしまうみたいなところもあるのかなって思って。 あると思いますし、方言さんはたくさんのお子さんを見ていらっしゃるし、私も我が子以外を集団で見ているっていう経験が、この時はこれぐらいでも仕方ないよみたいな、その全体感みたいな平均値なんですけど、それが肌感覚的にわかるのってやつじゃないですか。 もし自分がそういう肌感覚がない中で、子供の発達を中長期でその結果を見たこともなくて、それが一切自分の知識というか経験値になかった中で、ほとんど子供とも関わらずにポンって我が子が生まれて、発達段階とかも知らなくて、 じゃあ育児やってって言われたら、正解くださいみたいな、マニュアルくださいみたいな。結構不安になるのかなってよく思うんですよね、皆さんのお話聞いて。どうしたらいいんですかっていうご質問をいただくことが多いんですけど、そうだよね、それはそう思うよね、不安だよねっていうのはいつも思うんですよね。 なるほどって今思いました。だから皆さん答えを探して、しかもそれが極端に、ネットで調べたらこうやって書いてあるからこの通りみたいな、極端なことになって目の前の子を見てるんじゃなくて、ネットの情報を見てるみたいなことになっちゃうことですよね。 そうなんです。しかも今世の中的にも、良いとされている正解が日々変わるスピードも早いじゃないですか。だからその中でより確かな何かを握っていたいみたいな感覚は、育てをしている我々に強く掻き立ててくるんじゃないかなというのはすごく思いますし、 でももし自分がそういう教育関係者じゃない中で、こんな子供の毎日イヤイヤだったりとか感触だったりだとか、聞いてるのに話さないとかね、そういうグズグズしてみたいなのを目の当たりにして、どう対応したらいいか分からないところからスタートする中で、 結構今、孤立化するじゃないですか。いろんな家族が一緒になってとかっていう機会ってすごく少ないから、そういうところで、ネットで出てる同じぐらいの子の投稿をたまたま見ちゃって、 同じ3歳、こんなことできるの焦るみたいなことは起きてるのかなっていうのは、皆さんからいただくお声からすごく感じているところですね。コロナ禍で加速した感じもしますけどね、すごく。 ネット見てってことですかね。 そうですそうです。情報量が圧倒的に増えたし、見てる時間も増えたしっていうところなんですかね。今もしかしたらまたその時間は変わってきてるかもしれないですけど。 お寺の相談なんかもやっぱり同じですね。皆さん不安になるとネットで検索するので。それでも育児以外の相談も? 人生相談ですね。例えばパートナー見つけたいんだけど見つからない。どうしたら見つかるかってネットで検索するわけですよね。 別に自分のこととかを仮に見ることはなく、答えをネットで探すから。 こうやって物を見る目、仏教で言うと正見とかって言うんです。正しい見るって書くんですけど、物事をありのままに正しく見るという。 フィルター越しじゃなくて、子供を見るときも歪んで見るんじゃなくて、その物を観察っていう言葉とはちょっと違うのかもしれないですけど、思いをつけずにただ見るというところで真実が見えてくるっていうか。 そういうところが大事なんだろうなと思ってはいるんですけど。 いいですね。正見っていう考え方があるんですね。物事の本質を見ていくみたいな感じ。正しくありのまま見るみたいな。フィルターかけずに。 どうしても自分の知らない間にいろんな見方っていうか、この子はこういう顔してるからこういうことを考えてるんでしょうとか、決めつけってあるじゃないですか。 ありますよね。バイアスもあります。 ごめんなさい、私がすごい無知なのでぜひ教えてもらいたいんですけど。 お寺にご相談に来られる方って地域の方なんですか? あんまり関係ないですね。 そうですか。 神奈川県なんですけど、あんまり神奈川つっても西の方で静岡寄りなんで、近隣かなと思いつつ、どちらかというと横浜とか東京とかちょっと離れたところから来る方の方が多いですね。 やっぱり知らない土地に来た方が安心なんですかね。 確かにそれはありますよね。 ごめんなさい。どうぞ。 近くにそういうお寺がないとは言ってるんですけど、多分そうじゃないとは思ってます。 ありますよね。 多分あると思うんですけど。 それこそ調べれば出てくると思うんですけど。 多分そうなんだろうなと思うんですけど。 そうやってご相談に来られる方の層と言いますか、例えば女性が多いとか、大体30代から50代が多いなとか、もしくはもうバラバラとかあるんですか。 バラバラですね。相談の内容によりますかね。子供のことだとやっぱりお母さんの世代で。 なるほど、なるほど、なるほど。 それこそ高校生くらいの若い子もいたり、親との関係とか。 そうなんですね。 なんかうまくいかないとか。 すごいですね。 家族の中でとか、そういう子もいたりしますし。 お父さんとかで息子とかお子さんのことをうまく育たないみたいな結構そういう方もいらっしゃったりとか。 本当様々ですね。 そういうご相談受けるときの。ごめんなさい、私が興味が気になってるんですけど。 傾向とかってあるんですか。 相談の中身の傾向とか。 中身とか、結局悩みの根室はそのどういう条件だとかっていうよりは事故に向き合うことだよねとか。 共通しているのはやっぱり自分の、なんていうか、それこそこうあるべきに縛られている人は多いかなと思いますね。 こうすべき思考だと思いますね。 やっぱりそういうそこ、なんですかね。 本当はその問題が例えば子供にあると思って親が来たりするんですよ。 だけど本当は自分ですよって、そのべきって思ってるあなたに問題があるんですけど、 なんで子供を問題にしてるんですかっていうようなところがありますよね。 なるほど。それってお話ししてる中で気づいていかれるように導くんですか。 どうにかそういう方向にしようとはするんですけど、別にできるっていう保証はないですね。 僕は聞くの専門で。聞かないと入手がないんで。 最初はとにかく聞くに徹してですね。 なるほど。 何時間か話を聞いて。 で、その後に最後にちょっと方向づけをこういうふうにしようという話をすると、ある程度入るというか、 余裕ができるんだと思うんですけど。話すことで。 そうですよね。整理もされますしね。 そうみたいです。難しいです。でもそんな簡単にはいかないです。 守られることもあるし、期待した答えが生えてこなくて怒られるってこともあります。 でもやっぱりノンストップで皆さん話されるんですか? いろんな方にいます。それこそ何にも喋らない方もいますね。 そうですか。 子供もいるじゃないですか。何かわからないけどずっと喋らないで黙ってる子とか。 なんか悩んでるのはわかるんだけど、何分経っても喋らないみたいな子。困りますよね。 どうしたらいいんですかね。5本聞きたいぐらいですよ。 大人が喋らないっていうのは私あまり経験したことがないので。 私も元々多動なのでそうそうそうしたと思うんですけど。 一人喋ってたりとかします。僕は勝手に。喋らないなら僕喋りますねって勝手にやってますけど。 いろんな世界があるんですよね。 子供ってあんまり問題ないんじゃないかなって思っていて。 教育みたいな。僕自分でいろいろ質問用意してたのに全然用意した質問じゃないことになってきて。 興味が違うところに向いてきちゃったんですけど。 教育ってどう思いますかって変な話ですけど。教育ってどういう方向、何をすることが教育だと。 私は育つ力はやっぱりそれぞれが持ってるので、それはその子のらしさもあればペースもあるので。 同じ自ら育っていく力だとしても、どう表出されていくかとか、どのタイミングでどの姿が見られるかっていうのは絶対お子さんそれぞれですけれども。 どの子も必ず自ら育っていく力っていうのを持っていて。 教育っていうのはその自ら育っていく力が子どもがしっかり発達の方向に向かわせることができるように、その子に必要な環境を整えてあげて。 子どもはどうこうするのではなくて、環境を整えていって。 時に必要があれば助けながら。 世界に少しだけ先に生まれている私たちなので、知っていることも多いからこそちょっと必要な導きをするというか、 それは先ほどお話ししたような、それはできるできないとか危ない危なくないとか、そういう意味の導きですけれども。 この社会で、世界で人として幸せに生きていくことが自立をしていくことだと思うんですけれども、 自立が成し遂げられるその子らしい、その子のペースでその子らしい自立が成し遂げられるように助け導いていくことなのかなというふうには思っているんです。 やっぱり基本、子どもは極端なことを言っちゃえば放っておいても育つみたいな感じですかね。 環境を整えれば放っておいてもちゃんと育つから、道を外さないようにだけしてあげたらみたいな感じですかね。 そうですね。そもそも育っていく力があると思えるか思えないかで、そもそもスタートラインがかなり変わると思うんですね。 空っぽのバケツだと思っているのか、子どものことを。そうではなく、自ら育っていく力を持っているって思っているのかではやっぱり、 子どもに必要ないものまで与えてしまうなんてことが起きるじゃないですか。 そうではなくて、やっぱりその力を持っているから、必要な環境を整えてあげて、 それは何でもいかんでもやらせるとかっていうわけではなくて、本当にその子が安心して力を発揮できるような環境を用意してあげながら、 でもまあ主人公は子どもですもんね。本当にクロコに接する感じなのかな。 本当に歌舞伎のクロコみたいな感じで、本当に自分はクロコであくまでもスポットライトを浴びる存在ではなくて、 先生も親も、本当にそうやってクロコで安心して子どもが自分の人生を歩んでいくことができるように、 時にサポートをし、時に導きみたいなサポーターなのかなと思って。 モテフリ教育では先生とかって言うより、やっぱりガイドって言うんですよね。 ガイド。 そうなんです。教師のことをガイドって。 いいですね、ガイド。 ガイドなんですよね。導く人みたいな。そういう見合いで考えるので、 だから本当にその育ちを助け導くっていうのが。 僕もなんかそう思うな。やっぱり教育とかって言っちゃうと、 なんかその言葉が硬いのか、教えるっていう感じが無知で人を叩いてるっていう、 象形文字から来てるっていう話を聞いたことがあって、 それちょっとなんか嫌だなって。 まあそれこそ習慣なんですけど私の。 嫌だなって叩いて無理やり教え込むみたいな。 それ教育なのかって、僕が小さい頃から感じてきた教育とちょっと違うなみたいな。 大人の方がよっぽど硬くて育たなくなっちゃってるから、子供からもっと学んだらって思っちゃいますけど。 そうなんですよね。モンテソリ教育でもやっぱり子供から学ぶというのか、 本当にその子が今求めていることとか、その子に必要なことの答えって子供の中にあるというか、 子供が持ってるって考えるんですよね。 もちろんそれを助けていったりとか、見極めるためには一定の知識も我々には必要ではあるんですけどもちろん。 ただやっぱりこうあるべきだとか、こうさせなきゃとか、こうなはずなのにっていう、 こちらの描いてるものに子供をはめようとした瞬間、もうやっぱり崩れちゃうんだよね。ミスマッチが起きますし。 やっぱり本当に先ほどの仏教の正見、正しく見るっていうのと通ずる部分があるんですけど、 やっぱり子供が何を今求めているのかとか、子供が今楽しんでいることは何だろうとか、興味を持っていることは何だろうって、 本当に子供を守護にして観察というか正しく見ていくことが結局スタートラインなのかなって。 じゃないと環境も整えられないですし、どういう助けが必要なのかもわからないじゃないですか。 本当そうですよね。 だからそこを無くして子供の育ちを助けるとは、もうすごい難しくなっちゃう。逆に。 逆にそこを抜かしたら難しくなるぐらい、絶対に抜かすことのできないステップなのかなとは思ってます、私も。 そうですよね。 はい。 やっぱり今の学校現場はまだまだ法あるべき、ねばならないに縛られている部分って、だいぶ抜けてきてますけど、変わってきてはいるんですけど、まだまだあるなって思ってて。 一斉指導やってる時点で。 まあそうですね。 まあそれはちょっとその枠の中から出てきてないんだろうなとは思うんですけど。 ええええ。 なんかこの、まあ多分あけさんご自身も多分ちょっと現場はちょっときついなっていうことで、違う角度からっていうことにされたのか、まあこれはわからないんですけど。 ただ僕はまだ現役なんで、なんかこの教師の立場でどうしたらこれを僕ら思ってるような教育の方向に持っていけるかなって相談です。 いや私はなんか、これから保育園を立ち上げていきたいと思ってるんですね。 そうなので、なんかその現場が嫌とかではなく、私の性格上というかもう本当に特性上を内部から変えるのがすごい合ってないタイプだと自分で認識してるんですね。 なんかそのかすごい協調性が本当にないので、いろんなところと調和を保ちながらやるみたいなのが本当に苦手なんです。 なんかそういう自分の特性を考えると、内部から改革を起こすというよりは、外部から改革を起こす方が自分にとってはすごく心地がいいなと自分の強みに合ってるなっていうまあ自己認識の結果なんですね。 なので現場が恋しいというのか、やっぱり入りたい。入りたいというか、本当に私は実践者でありたいという気持ちがすごい強いわけではないんですけれども、やっぱり子どもと関わりたいという気持ちは常に常にあるんですよね。 子どもが一番教えてくれるから本当にそれは日々思っていて、でもやっぱり内部から変えていく方もいれば外部から変えていく人もいて、どっちも私は必要だと思うんですけれども、小学校って正直なんかもう単に先生が誰になるのかでよってその学校の印象が変わるぐらい、やっぱりその1人1人の先生が持ってる影響力ってすごく大きいなって思うんですよね。 ハズレみたいなこと聞きますもん。保護者から。当たったとかハズレたとか。 そうでしょ。本当に。やっぱり娘の姿、今小学校3年生になったんですけど見てて、それこそ今回担任の先生のことではなくて教科担任の先生で、お一人ものすごい厳しい先生が当たったとかになったらしいんですよね。著者と同徳かな。 すごい厳しい先生らしいんですけど、食卓で晩ご飯食べて、いろいろその日の話とか教えてくれるとき、もう終わった。本当終わった。すごい怖すぎてびっくりしてるんだけど終わったとかって言ってるんです。 もう何々どんな感じって聞いたら、なんかもう本当にその授業が始まるのちょっとお手洗いから戻ってくるのが遅くて遅れちゃった集団がいたみたいで、それを前に全員一列で立たせて、反省を述べさせられて、泣いてるのにずっと立ってたとか。 あとは、著者で署名のセットを忘れちゃったとか言って、それもなぜ忘れたのかをすごい大きい声で怒ってたんだよとか言って。それからまた反省の言葉を述べさせて。 で、なんかちょっとでも、えーとかちーみたいなことをやるとすごい大きい声で、なんですかそれはとかって。終わってるんだよとか。びっくりしてるし終わってるわとかって言ってたんですけど。それね、3人の先生じゃないから笑ってるんですけど、毎日だったらものすごいストレスだろうなって。きついだろうなって思って。だから教科3人なのかもしれないんですけど。 でもなんか、それぐらい一人一人の先生が持つ影響力って、子どもの日々の生活、メンタルヘルスにダイレクトに影響を与えてると、一保護者としてはすごく感じてるんですよね。だからなんか全体組織全体が変わらなかったとしても、やっぱり子どもへの眼差しとか、子どもにどう関わってくれるのかとか。 それは、やっぱり子どものメンタルヘルスと大人に対する、大人っていうものへの信頼感の育みがもう運命の定だなっていうことをすごく感じるので、それの積み重ねで必ず子どもから指示が絶対得られるでしょうし。 でも徐々に、そういった志の先生って現場に前よりは増えてるのかなって思うんですけど、そんなことないですか? だいぶでも、現場の先生変わってきてはいますよね。 逆に、そういう昭和っぽい先生の方が悪目立ちしちゃうというか、なんていうんでしょう。居心地悪くはなってくのかなと。 それはありますね。やっぱりいまだに減ってきてるかもしれない。 でもその先生にダイレクトで教育の仕方とかっていうのもまた違うじゃないですか。 そうですよね。 そういう新しい研修を導入するとかもそんなやる暇ないよみたいなのもあるし。 でも自分と暮らすだけでもやっぱり常に子どもたちが平和で、ベッディングな状態をキープするっていうことももはや私はすごく大事な改革というのか、実行なのかなって思っていて。 それに救われている子どもたちで本当に幸せだなっていうのを一応親としても感じているので。 子ども主役でべきとか、ねばならないよう押し付けている親って結局自分がすごい悩んじゃってるじゃないですか。 そういう大人たちが。 おっしゃる通り。 それが行き着き先が結局うつとかになっちゃって、それこそ私のところに人生相談が来るような方はみなさんこれで苦しんでるんで。 子どもをそっちの方向に行かないでほしいなって。 将来子どもも同じ道をたどってべきで、べきねばならないで、自分を苦しめてしまわないような、そういう種まきができたらいいなって思ってるんですけど、いつも。 子どもたち。 そういう枠じゃない幸せあるよみたいなところが感じられるようなことができたらいいのかもしれないですね。 ほうげんさんが先生団だけでもクリアじゃないですか。僧侶でもあるんだよっていうそのアイデンティティが多角的にあるというのか、 それでこういう考えもあればこういう考えもあるし、それでいいんだよっていうことをきっと体現されてるでしょうし、 それに日々接していく中で子どもたちもぜーんとインストールされていくんじゃないかなと思うんだよね。 そう思います。 ぜひあきやさんのその保育園、いいですね。 頑張ります。 みんな幸せになっちゃいますよ、そしたら。それこそ本当にいい意味です。 大事ですよね。やっぱ現場で起きてるから。 もちろん教員でいらっしゃるけれども、住職さんでもいらっしゃって、そういうふうに二足のわらじがあるっていうことが、 先生はこうあるべきっていうべきを、もはやそこに立ててくれてると思うんですよ、もう存在自体が。 ちょっとあの、どっぷりじゃないのかもしれないです。半分なんか外に出てるみたいな。 でももはやそのあり方自体が子どもに、え、いいのそれ?っていう問いを生まさせるじゃないですか。 え、いいんだよ別にっていう。 年齢によってはこうあるべきだとか、こうしなきゃいけないっていう善悪から来る、あるじゃないですか、子どもが描く。 でも、え、それいいの?って思わせたらこっちのものというか。 それをもはや存在で起こしてるでしょうから、なんかもう素敵だなーって思います。 すみません。ありがとうございます。時間過ぎちゃった。ごめんなさい。 いや、もう当たり前にごめんなさい。 一個だけちょっと聞いていいですか。木登りってどう思いますか? え、木登りどういう意味ですか?子どもが木を登る?それとも大人が木を登る? 大人でも子どもでもいいんですけど、木登りって今禁止じゃないですか、どこでも。 学校も、どこ行っても、公園でも木登り禁止。多分禁止で。 私結構子どもが登ってても止めないですし、この木登っていいと思う?って聞かれるんです。 それはマナー的にいいかどうかじゃなくて木が折れないか折れるかで聞かれてるんですけど、 それはもうなんか、え、この木?ちょっと木かわいそうだなっていう。 ちょっとこれに登ったら木かわいそうかなっていうことぐらいしか言わないので、 で、あっちの木ならいいと思う?みたいな。いいと思えばやってみればって。 折れるか折れないかはやってみればっていう感じで言って、 私は木登りを止めたことは一回もないので、逆に周りの子が、え、登っていいの?木?みたいな。 ダメなんじゃない?とかって言うので、え、いいよ、全然いいって、ここの木みたいな。 私は推奨派なので、むしろなんでダメなの?木って登っちゃダメなの?みたいな感じで、 本当にそうなんですよね。 子供に聞きますね。 なんでダメなのかって、なんなんですかね、保護者に怒られるからなのかなと思ってるんですけど、 なんなんですかね。 なるほど。 なんか止める雰囲気あって、僕は別にいいんじゃないかなっていつも思っちゃうんですけど。 いや登ればいいですよね。 うーん。ありがとうございます。 いや結構あれは、自分の体のその身体地としてどこにどの足がどの、なんかこう、か、 バランスだけじゃなくて、やっぱ自分の体を思い通りに動かせるっていう能力にも直結しますし、 一定リスクを回避する能力にもね、つながりますし。 2歳の子が登ってたらね、またわけが違いますけれども、一定身体能力が発達してる子が自分で登りたくて登ってるんだったら、 折れちゃう木じゃなければ、うーん、私はいいんじゃないか。問題ないし、なんかね、それでなんかちょっとトゲが刺さったとかもいい経験じゃないですか。 はい、そうですよね。 そうそうそうそう。 いやなんか、私すごいトゲ刺さってたんです。 なんか、でトゲを取ってもらうとかしょっちゅうあったんですけど、なんか私我が子のトゲ取ったことないんですよね、1回も。 なかなかトゲが刺さるぐらい、そういう木とか、そんなに触れてないのかもしれない、自分の経験の時と比べると。 そうそうそう。だからなんか、そんなを、なんていうんでしょう、日々転んだりとかはしますけど、なんかもっといいんだよ、ちっちゃい失敗してって、我が子にも思うので。 いやだ、ほんとにダイナミックにね、体使って、いろいろやるのが一番いいですよね。 あー、そうですよね。最後の質問がそれになってしまったんですけど、たくさん聞きたいことあったのに、全然一つも聞いてないんですけど、ごめんなさい。 事前に送ってくださった人がいなかった。 全然違うとこに興味持っちゃって、ごめんなさい、なんか。 いやもう最高です。それがやっぱり生放送なんですよ。 すみませんでした。 ありがとうございます。 でも楽しかったです。ありがとうございます。 いやー楽しかったです。まだまだ話せちゃうんですけど。 ちょっと話し足りないぐらい。 本当に皆様も聞いてくださってありがとうございます。 ありがとうございます。本当にすみません。 お便りもいただいてますか? お便り、ありがとうございます。仕切っていただいて。 ちょうど今映ってたの。 実際三井さんが前半拝聴してました。 ありがとうございます。 福岡さんが見ついてくださってます。 主観を取り除くのは難しいです。 いやおっしゃる通りですね。簡単ではないですよね。 方言さんのような考えんの大人が小学校にいてくれるのはありがたいです。 いやー共感です。私もそう思います。 また、子供は本質を見抜きますよね。 実績しても子供はやる気になるのか。 実績だけでは難しいですよね。 どうなんですかね。これ起こるとって。 それこそ命とか怪我とかに繋がらなければそんなに大きい声出す必要ないかなみたいな気はします。 そうですね。いや思います。 木登りの話。これ以上登れないと思ったら子供は登るのをやめます。 自然とやめるもの。 そうそう。自分の実力って子供を私たちが思ってるより分かってますからね。 そうですよね。 そこをやっぱり信じた方がいいし、信じたいなと私も思いますね。 ありがとうございました。 いやーとっても楽しかったです。 ありがとうございました。 お忙しい日の中でお時間くださってありがとうございます。 むしろアキレさん来週のあれが来週でしたっけ? ファンフェスタ。 あ、ボーシューファンフェスタ。もう来週? 来週じゃないですか。 いやいや来週ですよ。 来週ですか。 来週です。4月26日。 皆さんたくさん生放送されて。 そうですね。ダイナラブであと3枚だったかな? あ、すごい。 すごいそこまでいったんだ。 30%くらいしか売れてなかった3月末からですね。 すごいですね。 いつも楽しく配置をさせていただいて、皆さんのチケット買ってください。 ランバンで営業放送。 残念ながら私行けないっていう寂しいですね。 会場でほうげんさんの分も喋ってきますので。 ありがとうございます。 教育について話してくれるので。 はい、ありがとうございます。 ありがとうございました。 特にありがとうございました。 とっても楽しかったです。 皆さんもありがとうございました。 失礼します。 # 終わりのあいさつ 皆さんいかがだったでしょうか。 対談をお送りさせていただきました。 とても楽しい時間を過ごさせていただきました。 事前に私の質問したい内容を あけいさんの方にお送りさせていただいてまして こんな感じで質問しますなんて言ってたんですけど 多分一つも質問できなかったんですよね。 話の流れで気になることが出てきちゃって そっちを聞いてしまったもんで いろいろ聞いてみたかったんですけど それはそれでいいかなと思ってます。 事前で良かったかなと思ってますけど またちょっと話足りない部分もあるので どっかまた機会いただけたらぜひお願いしたいなと思っております。 皆さんどんな感想を持たれたでしょうか。 木登りの話、なんとなく私木登りで例えたんですけど 皆さん前にもちょっと話したことありますね。 木登りの話は。 よしよしあると思うんですけど 皆さんだったらどんな教育するのかな。 木登りだけじゃなくてですね。 子育てについてとか共感する部分とか 違うんじゃないとかいろいろあると思うんですけど 様々ご意見いただけたら面白いかなと思います。 聞いていただきましてありがとうございました。 いいね、フォロー、コメント、シェア そして気になる人はプレミアム登録も含めてよろしくお願いいたします。 それではまた次回お会いしましょう。さようなら。 もっと見る #教育 #禅 #仏教 #教師 #モンテッソーリ教師 #お坊さん 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!01:241.前半はこちらからhttps://r.voicy.jp/RY91vb81VqG44:552.【対談】モンテッソーリ教師あきえさん 自己選択 べき思考など01:553.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう たなべ2025年4月19日Hi 邦元さん✨コラボ放送、おたのしみ様のありがと様ですあきえさんの教師は『ガイド』いいですねーー♪教えてください!と言われてないのに教えないといけない先生進めば進むほど、何かがズレていくように思いました子どもたちは何故、何を学びたいのか答えられるようになるのがいい勉学は多様な視点を持てるようになるためにある標準化が必要ならすればいいよねが今の社会に必要な思考だと思う中、幼児教育の改革ではなく幼児育ちガイド✨たのしそう子どもたちの瞳が輝き続けながら成長しますように2返信 emipy🌎well-being artist🍀2025年4月18日Hi 邦元さん😎快活なお人柄のあきえさんとのコラボ、お楽しみさまでした😍最後に予想もしてなかった質問で思わず笑っちゃいました😆教師を【ガイド】っていう表現、素敵ですね🧡あきえさんが創る保育園は、子どもも大人も笑顔溢れる場所になるイメージがポンっと浮かびました🤭🍀心から応援しています📣1返信 でぃらいら2025年4月18日おはようございます邦元様 皆様。 木登り❤️が話題になるとは思いませんでした😂 本人がやりたがればホント良い体験ですよね😊2返信
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嫌われたくないと思う 17分・9月11日・ 218再生AI目次なぜ人は嫌われたくないと感じるのか一人で生きられない人間の本能とは嫌われる覚悟で伝えるべき真実固定観念に縛られない自由な生き方僧侶が語る「耳が痛い話」の真意
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コラボ放送、おたのしみ様のありがと様です
あきえさんの教師は『ガイド』
いいですねーー♪
教えてください!
と言われてないのに教えないといけない先生
進めば進むほど、何かがズレていくように思いました
子どもたちは何故、何を学びたいのか答えられるようになるのがいい
勉学は多様な視点を持てるようになるためにある
標準化が必要ならすればいいよね
が今の社会に必要な思考だと思う中、幼児教育の改革ではなく
幼児育ちガイド✨たのしそう
子どもたちの瞳が輝き続けながら成長しますように
快活なお人柄のあきえさんとのコラボ、お楽しみさまでした😍
最後に予想もしてなかった質問で思わず笑っちゃいました😆
教師を【ガイド】っていう表現、素敵ですね🧡あきえさんが創る保育園は、子どもも大人も笑顔溢れる場所になるイメージがポンっと浮かびました🤭🍀心から応援しています📣
本人がやりたがればホント良い体験ですよね😊