TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」#587 死ぬまで雑談ラジオしんたろーたりーの【#ろりラジ】しんたろーたりーさんの作り方と題してお話しました。コラボ【後半】45:59 2025年5月20日 623再生 問題を報告する 再生する シェアする 死ぬまで雑談ラジオ しんたろーたりーの【#ろりラジ】はこちらからhttps://r.voicy.jp/dLMKx2rN9yoAI目次しんたろーたりーさん、素顔に迫る仏教的視点から人生を紐解く思いやりと人の心の機微を探る俯瞰する生き方から解放される方法新たな視点で人生を再考するAI文字起こし(β版) # しんたろータリーさんのチャンネルはこちらから【前半】 皆さんおはようございます。僧侶方言の座らない座禅の時間です。 この番組は救いのある仏教や座禅、 教育子育て、人育てなどについてお話ししている番組です。 私は遠通じ住職方言と申します。 今日は火曜日ですね。小曜日の朝。 皆さん、今日暑くなるという風に 天気予報で聞いております。30度近くなるという予報だそうです。 くれぐれも熱中症等にならないように水分補給してください。 今日は ロリラジの新太郎タリーさんと コラボ、昨日の夜いたしまして そのアーカイブをですね、放送したいと思います。 前半が新太郎タリーさんの チャンネルで、後半が私の方のチャンネルになっております。 前半でですね、新太郎タリーさんの 人生を振り返っていただいて、 新太郎タリーさんのチャンネルでですね、そういう話を たくさん 伺って、後半の私の方で 今後の 生き方ってわけじゃないですけど、ちょっと仏教的な要素を含めたお話をさせてもらったというような感じの 流れになっておりますので まあできたらですね、新太郎タリーさんの方のチャンネルから順に 聞いてもらえると まあその雰囲気が 伝わるんじゃないかなというふうに思っております それでは聞いてみてください どうぞ 後半です # 【#ろりラジ】コラボ後半 しんたろーたりーさんの作り方 それでは皆さん、こんばんは。 急にちょっと鼻が詰まってきちゃいました。すみません。風邪ひいたのかもしれない。 後半戦、しんたろうたりーさんをスペシャルゲストにお迎えしまして、引き続きお話をしていきたいと思います。 はい、どうもよろしくお願いします。 前半ですね、たりーさんのほうのチャンネルで、いろいろ人生の人となりをですね、お話を伺いまして。 この配信に関しては、どうしても申し訳ないですけど、セットで聞いてもらわないと訳がわからないと思いますので。 僕も別に何も用意してなくて、正直。たりーさんといろいろお話したいなって、単純に思っておりまして。 ついてるついてるついてる。たりーさんの闇に触れた。ほうげんさんの怪盗編。 怪盗とか別にないんですけれども、たりーさんに聞きたいこと。 かわいい生き物。 すまのことですね。 元気ですか。 元気です。 なんですかかわいい生き物。 すまのことです。 そうなんですね。かわいい生き物って言ってます。元気ですよ。 前半で僕のヒアリングをむちゃくちゃ行っていただいて、僕の人生の奥深くっていうのをほうげんさんにお話をしたので。 それでほうげんさんの印象も、僕の印象が変わってきたというところで、 この人、こういう生き物は何が原因でこうなってしまったのか。 もちろんそれで救われるとは限らないが、今後どうしていったらいいのかみたいなところですよね。 今後ですよね。 これちょっと坊さんとして、僕は一リスナーとしてファンみたいな感じでもあったので、ちょっと複雑な感じですけど。 別に何もこうしたらいいとか、そういうのは全然。 私の言えることは何もないっていう感じですけど。 なるほどな、そういう人生だから、こう過ごされてきて、今こうされて、しかもそこの奥にある思いやり的なところとか。 だから感じるんだなと話されてる内容とかから。 やっぱり当たり前なんですけど、この人生が僕を作った感じですかね。 いやいや、間違いないですよ。そう思いました。 だからだなって、そのとっかかりの第一印象っていうか、僕はその点と点を線で結んで勝手なイメージを作っていたところから、 そういうことかって、だからあったかい感じがするんだな、声からとか喋ってる内容からみたいな。 その辺がわかりましたよね。 どうしてもデータとかで分析をしてしまいがちな僕なので聞きたいんですけど、 あったかみを感じる、つまり思いやりを感じるわけじゃないですか。 僕がこの40年間で人を思いやるようになったのって、でかいのは何が原因ですかね。いじめとかですかね。 いやー、そこじゃないんじゃないですか。 そこじゃない。 わかんないですけど、それはなんかだって恨んじゃいそうじゃないですか。 決めたくなっちゃいそうです。人なんて嫌いとか。 人は嫌いですけど。 嫌いとかになっちゃいそうじゃないですか。 むしろ僕は聞きたい感じですけど、何か原因があったんですかね、そういう出来事が。 ずっとそういう、仏教的なおじいちゃんでしたっけ。そういう影響からですか。根っこからあったのか。 別に説法を聞いたみたいなのは、そんなに人生の中ででかくはない。 もちろんそういうことをずっと習っていたりもあるんですけど、でかくはないですね。 人に思いやりということはあれとしても、とにかく人に価値を提供しなければいけないのは昔からですね。 とにかく子供のときから。 価値を感じさせられなかったらもう生きてる意味がないみたいなことはずっと思ってましたね。 無条件に人を喜ばせるとか、人が笑顔になるのって嬉しいですもんね。 別に理屈抜きで、小さい頃からやっぱりそういうのって備わってるなって僕は思ってて、いつも。 食べ物とか僕よく例えるんですけど、小さい頃、うち5歳の娘がいるんですけど、 パパこれ食べたいなって言うと、自分の好きなクッキーとかなのに、残りないのに僕の口の中に突っ込んできたりとかするんですよ。 言い上げるとか言ってて。僕は顔が見たいからそうするんですけど、 そんとく抜きでそういうのをやって喜ぶのって多分本能であるのかなって思ってて。 それでも僕ちょっと嫌な話をすると、 僕は人の顔色をめちゃめちゃうかがって生きてきたんですよ。 顔色を見るっていう感じか。 だから自分の取り分を誰かにあげることによって、むっちゃ極端な話をすると、攻撃しないでねっていうふうにしてました。 ああ。 親とかにも怒られたりすることを少し減らしたいから、 そういうことをすることによって、恩を与えることによって罰とかそういうものが減るっていう打算を幼稚園ぐらいから持ってたような気がしますね。 実際怒られたりしてたんですか? めちゃめちゃしてました。結構うち親もまあまあ厳しかったんで。 それに友達からもいじめられてたのがあって、結構ね、人からは攻撃されるものみたいな思いはめっちゃ強いですね。 ああ、そうなんですね。 ちょっとお互いにもそれで映ってますけど、兄弟で差がつけられましたかって。 僕はそれで病弱だったけど、妹や弟はそうでもなかったので、逆に言うと妹や弟は運動会でもバリバリエースだったりとか。 そういう感じで、僕だけが劣等種だったんですね。兄弟の中では。 実際に比較されたりしてたんですか? いやでもそれはなかったですよ。 ただネタにはされてましたけどね。 お母さんがよく言うんですけど、 ごめんね、新太郎は最初だったけん産み方がわからんかけんごめんねって言われました。 それは全然悪意ではないんですよ。面白いからやってるだけで。 たとえば妹は美術で賞を取ってるんですよね。弟は書道で取ってるんですよ。 うちのお母さんは音題でで、歌めっちゃ上手いんですよね。 なんで芸術の才能がひとつもなかったんじゃろうかって言われて。 それはあなたがやらせなかったからでしょ。 でも喋るのね、才能が。 そうですよね。 それを誰かに譲りというか、お父さんに。 お父さんが遊ぶ前に。 タリさん、母真似をするときとかわいい生き物を真似するときに似てる。 大体そうですね。 同じっぽいね。 これとあとおばあちゃんも同じ。 おばあちゃんも同じ。面白い。 よくわかってるんですよ、みなさん。 やっぱりそうか。思いやりって。 だからホウゲさんが感じてる思いやりみたいなものが。 騙されてるんですか、なんか。 本当かどうかわかんないですから。 ちなみに僕がむちゃ汚いこと言うんですけど、 人に幸せになってほしいのもやっぱり自分のためなんですよね。 価値を出したいからです。 でも人が喜ぶと自分も喜ぶっていうぐるっと回ってる感じなんじゃないですか。 それは違うんですか。 自他がないっていう。 我々の仏教の世界でいうと自他不利とかって言うんですけど。 人が喜ぶ。僕のおかげで変わった。人生が楽になった。 徳をしたっていうことが自分の罪の償いだと思ってるので。 人が喜んでよかったっていう。 よかったが僕は自分であんま好きじゃないですよね。 汚いんですよ、自分の中で言うとちょっと。 そうなんですね。 そういうのが自動的に働いちゃうというか。 勝ちづけが自動的にされていくみたいな。 そうですそうです。 実際の動きとしては、そういう意識なくやってることとかもあるわけじゃないですか。 良いことしたりとかって無意識にやることって。 でも無意識は意識づけてる気がします。 あとから。 例えばですけど、バスとかでおばあちゃんが席を取った時に席を譲るみたいなのあるじゃないですか。 あれも決めてる気がします。譲る。 だから無意識かというと無意識なんじゃなくて、意識づけてるんじゃないかなって思うんですよね。 誰かが道に迷っていたらすぐ声かけるとかは、どっちかっていうと声かけるの能力があるので、 じゃあ僕がやりましょうみたいなとか。 そっか。そうなんですね。 僕らは、五感に生きろとかってよく言うんですけど、 そういう価値評価というか、自分で価値をつける前の様子で生活しましょうとか、 実際そうなってるっていうふうに捉えているんですけど、 あとから考えるとそういうのをつけ足してる。 多分瞬時なんで分かんないんですけど、触れた瞬間はそんなのついてないんだけど、 あとからそういう価値観をつけているっていう、 0点何秒とかっていう世界だと思うんですけど、 そういうふうになってるんじゃないかって、お寺とか坊さんたちはみんな言うんですね。 そういうふうに修行していくんですよね。 それでも修行でそうなってるのって意識づけてるとは言わないんですかね。 意識づけ。 つまり修行でそういう考え方に、 こういう言い方が正しいかわからないけど、 強制していくってことじゃない。 強制ではないのかな。 教えでもってそういうふうに意識をつけていくので、 できあがった人間が反自動的にそれを行えるんじゃないですかね。 心の部分で言うと、 なんていうかもう全部手放してるって感じで、 どんどん思ったり考えたりしてるものっていうのを一切取り扱わないっていう方向に持っていくんですよね。 強制とかっていうよりも、 一切何もしない。頭で考えない。 触れたままみたいなところに持っていくんですけど。 それ僕めっちゃ似てますわ。それです。 それでいいことをすることによってあなたには価値が生まれるのだから、 例えばなんですけど、 よくいるんですよ。駅前で。 500円とかくださいっていうおじいちゃんみたいな。 ノータイムで渡すことにしてるんですね。 それも決めてるんですよね。 そうやって自分が少し損をすることによって、 自分が救われると思ってるんです。 ある意味脅迫関連みたいなので。 でもそれは子供の時からそうだったわけではなくて、 そういうのを一個一個成長していって年を取っていくにつれて、 これをやったほうがいいな、これをやったほうがいいなって思うことを、 ノータイムでやるようにしていっているっていう感じなので。 おそらくそれは意識づけ。 結局は脳みそで考えた理屈で、 それを習慣づけちゃったっていうことになるから、 やっぱり自分の中でやっている良い行為っていうのは、 決して綺麗なものではない気がしますね。 言えば言うほど自分がすごい汚い人間に見えちゃうというね。 でもちょっと深いですね、それ。 もしかするとそういう可能性もありますよね。 自分がやっている行為。 涙を流すとかってどうですか? 涙を流すことってありますか? あります、あります。 これって結構、我々の世界って結構お葬式の場とかよくあるので、 供養とかって言ったりもするんですけど、涙を流すとか。 そういうのだとあまり。 そこにもなんか良し悪しない? いや、あるんですよ。 あるんですか。そこにもあるんですか。 泣いたほうがいいなっていうときに泣こうって思っちゃいます。 今は泣いたほうがいいんだっていうところで、 そもそも自分が感情っていうのが出しちゃいけないものだと思ってて、 っていうのを脅迫観念でまた自分を抑えてるんですよ。 とにかく感情っていうのは出すとろくなことにならない。 怒ったり泣いたりって。 泣き喚いたりとかって人に迷いがかかるじゃないですか。 だから今はこの感情を出すのが適切であるとなってから出しますみたいな感じです。 だからすっごい怖いのが、 親とかが死んだときに多分ちゃんと泣けないかもしれないと思ってます。 ちゃんと一点置いて、親が死んだのだから泣いたほうが適切であるってなってから泣く気がします。 ちょっと僕、学校勤めてるんで、卒業式とかってよく泣くじゃないですか。 特に担任とかしてたら、先生泣くんでしょうみたいな。 そういうのあるんですよ。 子供とか保護者からの、先生泣いてほしいなみたいな。 ビデオも蹴られたりみたいな。 でもすごい嫌だよそれが。 だから絶対泣かないって決めてたんです。 絶対卒業式から泣かないって。 今まで泣かないで来てたんですけど、 僕今は担任持ってないんですけど、 担任最後に持ったときの6年生の卒業式のときの歌ってあるじゃないですか。 ありますあります。 そこで指揮者をやらなきゃいけなかったんですけど、 そのときに来ちゃったんですよね。 一切計算なしで、絶対泣かないって決めてたのに泣いちゃったみたいな。 それは決めて、要はダメだったってことですよね。 決めてたけどダメだった。 それが結構新鮮。それが新鮮ですね。聞いてると。 そうか。決めててもダメなときがあるんだって。 じゃあタリーさんの場合は決めたとおりに。 それが最近ちょっと怖いなと思ってるのが、 民主が死んだときにそういうふうになっちゃってるんですよ、自分が。 とにかく今は泣いたほうがいい。 全部人なんですよ。人に見せるために泣いたり笑ったりするみたいなのがあって、 自分が本当に親とかが死んだときに、心の底からというか反射で泣くのかっていうことが結構心配だったりするんですけど、 今では多分それはないかなって思って。 でもその代わり、逆に簡単に泣けるんですよ。 でもそれは別に演技とかじゃなくて、泣いたほうがデトックスになるみたいな。 思ってるから、例えばアニメとかでも感動の映画とか見るとすぐ泣きます。 でもそれは泣いていいとしてるからっていう。 逆にこの映画を流すから泣かないでねって言われて、泣くと人に迷惑かかるからって言われたら絶対泣かないですよ。 同じ作品を見ても絶対泣かない。 じゃあ常に俯瞰してるもう一人がいるみたいな。 そんな感じですか? めちゃいます。 それめっちゃそうかもしれない。必ずジャッジしてる人がいます。 我々の仏教の修行だと、その俯瞰してる自分というのをなくしていくみたいな。 そうなんですか? そうなんですよ。 逆かと思って、それができるようになりなさいかと思ってて。 要は感情とかを出さない。ちゃんと常に冷静でいましょうというために、ちょっと自分が上からというか、見て。 それでコントローラーみたいなイメージを持って動かしていくっていうイメージが、 悟りを開くじゃないけどそっちに近いのかなって思ってて。 僕は仏教をやったことがないのであれなんですけど、そういうイメージで生きてきたんですけど、そうじゃない。 そうじゃないですね。そこの眺める自分みたいなのを、そこを相手にしなくしていくというか。 そっちに行きない。もう本当に完全にこの五感、目の働き、耳の働き。 でもそれって結構大変だったんですよ。 だって努力がいる動作じゃないですか。五感をして、自分を見下ろすようにして操作していくっていうのは、たぶん難しいことだと思うんですよね。 そうかもしれないですね。 やっぱりですよね。そうなんだ。でも逆に仏教ではそれをしない。 頑張らないみたいな感じかもしれないですね。どんどん手放していって、どんどんもっと楽にしちゃっていいよっていう。 ってことは、怒りたかったら怒るって感じですか。 そういう時もあります。怒る時は怒ります。ただ怒る必要はなくなってくることの方が多いと思います。だんだん怒らなくなる。 怒る必要がなくなっていくっていうのは何を手放しているからですか。 例えば人に対する諦めみたいな、期待を手放しているからですか。 期待もそうですし、自分の都合を手放しているんですよね。だから楽ちになっていくと。やっぱりどうしても自分の都合で物事を見るからイライラするじゃないですか。 だからそこは手放されるから、ただあの人がそうやってるだけだなで済んじゃうというかね。 これ多分わかったな。まだもう一個あるんだ。先が多分。僕はおそらくなんですけど、俯瞰して見てるから何かあった時に怒るとかっていうこともないんですよ。 人に期待をしてないので。でもそのためにはやっぱりワンステップあって、まあまあまあまあ人間ってそういうもんだからね。 分かる分かる。人間って本当だ。そりゃそうよ。人間なもの。愚かだからってやるんですけど。これがつまり、俯瞰して見てるからそうなるんですけど。 だから完全に手放せてないかもしれない。それは手放してないというよりは、浮かんだから浮かんだものを捨ててる感じではいると思うんですよ。 ちゃんと手放せれば、もうだからノータイムでそうなるってことだよね。多分。 そうそうそう。 いかぬ必要がなくなるというか。 はいはい。 わー。 怒る時は怒ると思いますけど、ただ。 わかったなあ。なんかね、すごいお坊さんに私は近づいた気がするみたいな感じでめっちゃ言ってましたけど。 本当ですか? いや本当に本当に。感情はなかなか操作で出せるようになったしみたいなこと思ってましたけど。 全然ちょっとダメだ、そういうことかみたいな。今ちょっとかなり目から鱗が落ちてしまった。 本当ですか。なかなか伝わりにくくていつもこういう話したいんですけど。 いやめっちゃわかりますよ。手放すってそう。えーでも、その俯瞰のやつって、ほうげさんわかります? 俯瞰してる自分ですか? そう。それってなったことあります?その領域というか。 俯瞰してる自分がいるっていうときですよね。 僕基本人の目を気にしてずっと生きてきてたので。 あ、一緒だ一緒だ。 だからすごくわかります。こうやったらかっこ悪いよな、こうやったほうが人によく思われるだろうなとか。 基本そういう生き方ばっかりしてたので。 ってことはよかった。これは生き方を間違って戻らなきゃいけないんじゃなくて、先にやる感じですね。 先なのかな。 違う。 わかんないですね。もともとできてたんじゃないかなって私は思ってます。 どっちがいいですか、その俯瞰の能力ってことですか。 俯瞰しないで生きるってことがもともとできてたから、そっちに戻っていくというか。 戻るか。 赤ちゃんみたいな感覚かなって思ってます。 赤ちゃんとは違うんですけど、こっちなんじゃないかと。 いやほらお便りでも来てるから。これ多分ね、結構みんなそう思ってたんじゃないかなって思うんですよね。 やっぱ俯瞰してるから起こるイメージがない。 そうそうそうそう。だから自分心ここにあらずなわけですよ。上から見下ろしてるので、自分は上にいるんですよ。 だからどうとでもなるんですね。さっき言ったみたいに泣くのも操作ができるというか。 だけどそれが、つまり悟りを開いた状態と勘違いをしていたので、そうじゃないんだってことになった時にみんな結構びっくりなわけですよ。多分ね。 なるほど。 俯瞰してみるんじゃないって。すごいな。 そうですよね。確かに。 だってその延長線上にあるならわかるんですけど、そうじゃなかったらむずいですよね。だからきっかけも全然ないみたいな。 そうですね。行き先の違う電車に乗っちゃって。 そうそうそういうことです。 それって生きる上ではどうなんでしょう。困る。でも方言さんはそうだったんですよね。俯瞰して見てたりとかしたわけでしょ。 知ってました。つらかったです、すごく。 ずっとつらかったんで、僕は。 これちょっとあるな。ってことはそれってなくなったってことですか。 そうですね。なくなりました、だいぶ。つらいときはつらさはありますけど、本当につらいときの感じじゃないですね。 俺仏能に入るか、これ。 絶対楽にはなるはずなんですけどね。 これ、ものすごい勘違いをしていたということですよね。 大人になるというのはそういうことかと思ってて。 大人も仏教用語ですね。大人って言うんですけど、悟りの人のことを言うんです。大人。 そういう意味です。 この考え方として、いろんな感情があって、その感情で経験したりすること、何度も何度もやったことっていうのが、子供か大人かってなったときに、有経験者が大人、未経験者が子供みたいなイメージを僕は持っていて、事柄が幾千とあるんですよね。 だから、ただ年を取っただけじゃ大人になれなくて、いろんなことを経験。 例えば、親の死を経験しているから親の死に寄り添える。そこの部分に関しては大人なんだと。 いろんな幾千の経験があって、それが大人になるってことだと思ってたんですね。 で、この大人をぶわーって集めたら、俯瞰して物事が見れると思ってたわけですよ。 つまり、ぶわーって全部経験してるから、一歩引いて見れる。これが上から見るのと同義ですよね。一歩引いて見れるっていうのが大人である。 だから、たくさん経験しようって思ってたんですけど、お便りの通りで、これが俯瞰だとしたら、経験すればいいですよ。いろんなことを経験して、そうすることで他者にも思いやりが持てるようになりました。一歩引いて見れるからね。 だけど、じゃあ、俯瞰じゃなくて、その方言さんの境地っていうのは、このやり方ではないよねって話になるじゃないですか。 そうなんですよ。 うひょー。 そうなんです。それを気づいて、それこそ目から鱗で。 同じですよ。今、僕は目から鱗で。 そうだったんだって。それで、すごい楽になりましたね。 これ、だから、本当に僕のリスナーが結構聞きに来てるから、全員が。僕のリスナーというのは、僕がこういうことを喋ってるわけなんで。 これ、こうなるわけですよ。お便りで同じ戸惑いをしてるじゃないですか。 今、僕たちは戸惑ってる。もう戸惑ってませんって。そっち、電車が違ったってなってる。 そうですよね。 俯瞰ではなくその境地に達するのですか。どのように俯瞰ではなくその境地に達する。 そう。 俯瞰ではなくその境地に達する。どのように。 例えばつまり、めちゃめちゃ経験をしていたらそうなる。ということなんだったら、一緒だけどそれより極まった感じだよねってことなんですけど。 でもそうじゃないですよね、たぶん。 それこそ子供でも大人になれる。大人になれるってことですね。 もちろん経験して、そういう知識っていうかその経験値が身につくので、いろいろわかるってことはあると思うんですけど、それとはまた違うところになりきるっていうことがあると思うんですけど。 何ですかね。それこそ映画とか見てるときって自分いないんじゃないかなと思うんですけど。 わかります。 感じてる自分がいなくなる。 そうです。もう完全に物語に入るからでしょ。 そうですよね。 もう完全に、だから映画終わって電気がパンと点いたときにハッてなることですね。そこで魂が自分に戻ってくるみたいなイメージ。 わかります。めっちゃわかりますよね。 テレビの画面も一切見えなくなる。 そうそうそうそう。 そういう様子だと思ってもらえるとわかりやすいかな。 それはそうなんですよ。だからその状態になってるときは泣けるわけですよ。 それはさっき言ったみたいに、泣いていいよっていう自分に許可を出したときはそうなるんですよね。 そういうときは俯瞰してる自分はいない。 いないです。いないです。 だからそういうことですよね。そっちが大事っていうふうに思って生活してもらえると、だんだん大事にしていく方向が見えてくるんじゃないかなと思うんですけど。 なるほど。やってみよう。読書とかでめっちゃなるやつですよ。 ああ、読書。 読書のときに本を読んでたりすると、周り全くわかんないですよ。暑いとか寒いとか一切わかんない。 その頭の中が完全にこの本の中にバーンって入ってるから、その状態が全部手放してるという状態ってことですね。 日々目の前の物事、関わってる人に対して同じように集中というか入っていくとそうなるのかな。 そうですね。集中。 これはでもやったことがない感覚だからむずいな。 でも一日の中で多分何分かというか何回かあるんじゃないですか。そういう瞬間って。 もちろんありますあります。ありますあります。はってなって戻ってきたらそういうことだからあるんですよ。 そういうことですね。 でも人じゃないものでなってることが多いかもな。やっぱ物を読んでるときとか、頭が働いてるときっていうのかな。 かもしれない。もちろん映画とか見るときもそうですよね。 そうですよね。我々で言ったら社教とか、読経読んだり読経してるときとか座禅したりとか、そういうことだと。 座禅も同じようになります。 あーそうですか。 瞑想とかをすると完全にそういう。 だからめっちゃいろんなこと考えてて、いろんなこと考えたときに集中力が切れるというか、パッと戻ってきたときにはってなるから女のことが起こるんですよ。 ゾーンに入ってる。ゾーンとも言うのかもしれないですね。スポーツ選手とか多分そんな感じなんじゃないかなって。 なんとなくわかります、それは。 運動しないからわかんないけど、多分そうかなって思ってます。マラソン選手とか。 これもそう。授業中の中、頭が入ってこなくて、ふと我に返って、自分今何してたってとき。 それが今考えてることに対して、全部手放して向き合ってったっていうことなんだと思うんですよね。 いやー面白い。なるほどなあ。その感覚か。でもそれを人に対して。 人に対して。 会話とかしてて。 会話してるときは会話してますよね。 でもそれって会話してて、笑ったり怒ったり泣いたりっていうことが、つまり感じたままできる。 できるけど、基本的には怒ったりとかない。それは期待してないから。手放してるからですよね。 自分の都合がないからですよね。相手のことしかなくなってるわけですもんね。 相手の困ってる雰囲気とか、訴えてる雰囲気になってるから。自分っていうものがそこに出てきてないから。 あとここだけなんだよな。両方感覚がわかって。 映画を見てるときに入り込んでしまう感覚というものをそこに持ってくると、そっちになれるっていうところがやっぱりまだ。 本と映画ならやったことがあるからわかるんですけど。 人と話していて、じゃあ怒りを感じたときに感じないよ。なんでかって言うと、もう手放してるからね。相手の都合、自分の都合がなくなってるからね。 というこの感覚がまだないので。しかもそれをやっていったら自分が楽になると思うと。 なんかこれ、すげーなんか俺現金だな。今までだって、それは辛さ苦しみを感じてこそ、俺なんだ。 だってそれは罪を償ってるからねって思ってたけど、いざ、え、待って待ってその上の難解があって、そうなれるんだったらってなって、そのやり方が気になってくると、これは好奇心だな。 なんだこれ面白いな。いやめちゃめちゃ好奇心が出ちゃった。 その状況ってそういう感覚になれるんだみたいな感じで、めちゃめちゃ今テンションが上がってしまったので。 宗教とかって言葉とか、マイナスに使われがちですけど、僕は一切色も匂いもない人間そのものっていう感じ。それが宗教の宗の字。根っこっていう意味があるから。 本当はそうなんじゃないかなって、わかってもらいたいなっていろんな人にいつも言うんですけど。 あれめっちゃ好きなんですよ。無の状態っていうのが、お堂とか入ったりして畳があるじゃないですか。めっちゃ広い畳とかのとき、特に夏とかなんですけど、そこにただ座って目をつむるんですよね。 で、そこで目をつむって、感覚なくすってわかります?今こうやって座っていると畳と触れてるじゃないですか。その感覚を曖昧にするんですよ。 今触れてるという感覚すら曖昧にして、音は鳴ってるんですけど、音に対して意識を向けないみたいなことにやっていくと、五感が一個ずつ遮断されるんですよね。やっていくと無に触れられるんですよ。 で、ただその無に触れる特にめっちゃ難しいのが、脳みそが動いちゃうんですよね。今感覚がなくなってきたみたいなことが最後にシャットアウトされたら、これ死ぬってことなんじゃないかなって思うことがあるんですけど、それができないんですよ。 だけど、耳と目と肌を感じている。一番簡単にやるのは座っている畳の感覚との境界性を曖昧にするみたいなやつなんですけど、それをやってるときがめっちゃ気持ちいいっていう。 無っていうのは、その感覚のままにいるのを無って言うんですけど、シャットアウトとかも別にしないんですよ。 これがまた面白いな。だからそういうのを勝手に考えるとダメなんですよね、きっと。 そうですね。たぶん方向性が少しずれていっちゃうんですよね。 目から鱗が…… そうなんですよ。座って、お尻の感覚とか膝の感覚とか。 一個一個切っていくみたいな。 ああ、そうなんですね。僕らは感じたら感じたまま、痺れたら痺れたまま、目もつぶないんですよ、座禅のときって。 開けてて、その景色をそのまま受け入れるっていうか、そういうふうにしていくんですけど。 ちょっと瞑想とかだと、目をつぶって思考をしていくと思うんですけど、そっちじゃないんですよね。 いやー、絶対仏教に入ったほうがいい。ちゃんとやったほうがいいと思う。 いやー、すいません。 いや、もうめちゃくちゃ面白かったなー。 ありがとうございます。 やっぱりお坊さんと喋るに限るなと思う。 あ、そうですか。 うん。日々発見がある。 興味持ってもらえないと思ってたんで、嬉しいです。 バリバリ興味ありますよ。 いや、バリバリ興味ありますし、お坊さんと話すと毎回こんな感じになりますよ。 あ、そうですか。いやー、嬉しいです。 いやいや、本当に。 僕も慎太郎大さんから影響を受けて、前にラーメンの話、全然違う話していいですか? どうぞどうぞ。 ラーメンの、ラーメンってカップラーメンの話されてた。 あ、ローソンがめっちゃうまい。 ローソンのカップラーメン。あの話聞いてすぐ買いに行ってしまいました、僕は。 どうでした? いや、美味しかったです。 うまいですよ、あれ。 豚骨の、豚骨とちょっと酸っぱいやつ。 そう、酸っぱいやつです。 豚なんだっけな。 あの、サラタンの、タラタンです。 タラタン。 そうそう。 いや、両方美味しかったです。 あれ、うまいっすよね。なんであんなにうまいかわからんけど。 いや、そういうの話をされてて聞いてて、いやもうちょっと、あの、なんか、なんだろうな。 影響、すぐ影響されちゃって。 はいはいはいはい。 ちゃっかりなんか買ってて。 いや、面白いね。 面白かったです。 そしたらお坊さんの心を動かしてるわけですからね、私。 いやいや、ほんとですよ。お坊さんってか、はい、そうですね、お坊さんですね、確かに。 すごいな、なんかめちゃめちゃ勉強になったな。 いや、すみません、ありがとうございました。時間過ぎちゃったけど。 いや、ほんとに長々ごめんなさい、ほんとに。 いやいや、申し訳ないです。 ちょっといろいろ持ち帰るものが多かったな。 ほんとですか。 ただちょっと深すぎて、明日が許せないんだよな。だって今からすぐ生き方変えるわけにいかないんで。 そうですね。 でもちょっとちょっと何回も聞かないといけないな、これは。 ありがとうございます。また聞いてください。 いやいや、お坊さんの話は基本的に聞いてますよ。だって本田さんの配信も聞いてますし、基本的には。 ほんとですか。 ほんとにほんとに。だってそもそも聞いてるから、家族の話とか。 そうですよね。ありがとうございます。 そうなんですよ。 だからその辺ちょっと、もっと、もしいけたら何回か次とか次の配信で気づいたことがあったらまた、 僕に向けてとかじゃないんですけど、こういうことの人はこうしていくとみたいなのをまた語っていただけると助かるから。 特にロリラジリスナーは結構今迷子になっちゃったと思う。 それがよしじゃなかったんかいってなってると思うから。 わかりました。 ありがとうございました。 すいません。 お疲れ様でした。 ありがとうございました。すいません、皆さんもありがとうございました。 # 終わりのあいさつ さあ皆さんいかがだったでしょうか 私の印象としてはですね いや本当に新太郎タリーさんの イメージ ちょっと最初ですよ今回話す前の 状況では ちょっとこう パリピみたいな チャラチャラした感じで ちょっと私話せるのかな話しにくそうな人だな がイメージでした第一印象 で その後ですね まあこのボイシーファンフェスタがありましたけれども その前からの1ヶ月近いこの様々な皆さんの動き の中で 生配信しょっちゅう聞かせていただいていて ちょっと印象が少しずつ変わっていってですね いやなんかすごく実は真面目で 思いやりのある方なんじゃないか っていうふうにイメージ変わってきまして なんかお話ししてくれるかな一緒にお話ししてくれる人なのかなみたいな ふうなことを思いながらですね今回 対談という形で させてもらいました さらにですね実際に 人生 を直接聞いてみるとですねうかがってみると なんかやっぱ放送で聞いていたものと違う 感覚を感じました まあこれね本当に不思議ですねボイシーってこの音声を 何というか音声で聞いていつも聞いているんだけれども 多分同じような話も何度も聞いてるんですよ 新太郎サッタリーさんの チャンネルで だけどもやっぱ実際に自分とこう たい私で1対1で お話を伺うと いろいろこうやっぱりこう なんていうか この声を伝って伝わる 感覚みたいのがあって あんまり私多分しゃべれてないんですよ こういろいろ思っちゃって だからこう後半もですねどううまく話せてたのか前半もなんですけど全然話はできて ないと思うんですね私 まあなんか うまくやろうとは思ってないんですけど なんか 皆さんにリスナーさんたちに なんかこう伝わるものがあるといいなぁと思っております またですね 放送聞いた後にご感想ご質問ご意見と お寄せいただけると嬉しいなぁと思います ぜひですねいいねフォローコメント シェアぜひ宜しくお願い致します それではまた次回お会いしましょう ありがとうございました さよなら と言いつつですね一つ言い忘れてしまったのは新太郎たりさん実は 手を怪我されていたっぽいんですよ なんか骨折れてるかもとかっていうのを放送収録前にで 録音する前に言ってられたんで いやそんな状況の中で 対談しかも ちょっと私に 合わせてくれてたのかもしれないですけど 明るく話してくださってですね 申し訳なかったなぁってちょっと思っちゃうぐらいでした すいません まあそれでもですねこうやってお付き合いいただきまして本当に私にはとってはですね感謝しか ないというところでした ありがとうございました それでは失礼いたします もっと見る #禅 #仏教 #コラボ #しんたろーたりー #ろりラジ 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!01:571.しんたろータリーさんのチャンネルはこちらから【前半】https://r.voicy.jp/wWK8OQqGVB739:562.【#ろりラジ】コラボ後半 しんたろーたりーさんの作り方04:073.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 伊達彰智2025年5月20日気づきをいただきありがとうございます。邦元さん流石です。宗派によって違うんだなと感じました。2返信
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おはようございます✋😌👌太極拳の朝 17分・一昨日・ 71再生AI目次太極拳と禅の心:続ける意味「自分のものになる」とは何かヨガ・座禅にも通じる心のあり方集中力と無言の深い関係性「喋らない」がもたらす成長とは
嫌われたくないと思う 17分・9月11日・ 213再生AI目次なぜ人は嫌われたくないと感じるのか一人で生きられない人間の本能とは嫌われる覚悟で伝えるべき真実固定観念に縛られない自由な生き方僧侶が語る「耳が痛い話」の真意
9月9日重陽の節句の生放送🌰 48分・9月10日・ 126再生AI目次9月9日 重陽の節句 不老長寿の願い慈悲の行を実践『窓下の会』の理念プロの教え:法要準備と心の鍛錬29代目住職、数字「9」への新たな解釈栗味は苦手?リスナーと語るおすすめお菓子
わかるとか、わからないの話 14分・9月10日・ 177再生AI目次「わかる」「わからない」という枠組み「知っている」の定義:子どもと大人の違い言語化の限界とAI時代の「わかる」仏教の視点:知識ではない「そのまんま」本当の「わかる」がもたらす変化とは?
#1212 嫌な人という存在を有難くいただく✋😌👌 18分・9月8日・ 239再生AI目次嫌な人の正体とは?ご都合フィルターの存在五感で受け止める世界と二次的な感情「嫌な人」を修行の場と捉える視点握らずに流す実践と距離を取れない対処法そもそも嫌な人とは?仏性の働きに委ねる
#1211 マイナスの言葉をプラスに変える力って 1時間3分・9月7日・ 93再生AI目次マイナスの言葉、本当に無意味なのか人を動かす言葉と、心の傷「気合」だけでは足りない言葉の力「まどかの会」が示す、新しい人の繋がり90点でも足りない?子どもの存在価値
ありがとうございます。
邦元さん流石です。
宗派によって違うんだなと
感じました。