TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」責任感の強い人へ07:40 2024年4月13日 265再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次責任の重圧から解放される方法とは?仏教的視点から責任を考える花が散る責任はどこにあるのか?事実と責任の真実に迫る悩めるあなたへの慈悲のメッセージAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ 僧侶方言の座らない座禅。私は円通寺副住職方言と申します。この番組は身近な生活と仏教・禅についてお話しする番組です。 # 責任ってどこにある? 今日は責任についてお話ししようと思います。 責任という言葉はありますけれども、責任があるとか、責任がないとか、 まあそういうふうに普段使うと思います。 責任というのは一体何なんでしょうかね。 言葉はあるけれども、そういう形のあるものではない。 じゃあ重いかっていうと、 なんか重いじゃないような気もして、何かどこかに責任というものが あるような 気がする っていうことなんですけれども 一応ね、決まり状というか生活する上でどこかに責任ということを 置いとかないと解決しない。 そういうことがあるんでしょうね。 誰が社長かとか、誰がオーナーかとか、そういうことなんでしょうね。 その代表は一体誰なのか。 そういうのを決めておくと解決しやすいとか、問題が起きにくいとか なんかあるんでしょうね。そういうことで決まり状、そういう責任っていうところで、どこに責任があるのかっていうのを 生活する上での道具ですよね。道具として便宜上そういうものを決めていくんでしょうね。 ですけど実際その仏教的なね、この心理っていう部分で見ると、責任というものがどっかに あるのかっていうと まあないんですよね。どこにもね。 例えば 花が散りました。 花が散った責任はどこにあるのか っていうことですよね。 わからないですよね。風が吹いたからかなぁとか。いやもうそろそろ花は散る時期に あったからじゃないかとかね。 いろいろ考えられると思うんですよね。 なぜ花が散ったのか。誰かがぶつかったからかとかね。 理由を考えればいくつかあるんでしょうけど、それ責任というものがそこに本当に存在しているか、その花が散っている様子の中で責任というものがあるかどうかですね。 それを六根と言われている目、耳、鼻、舌、体、心 そういったものを通して見てみると、 目の機能を使ってその花の散っている様子を見ても 責任がここにあるなんていう見え方はないし、 耳で音を聞いていても責任がどこにあるかわからないし 触れてみてもそれはわからない。 どうしてもですね、香りを嗅いでもですね 何をしようとも、そこに責任というような見え方とか感じ方はしないんですよね。 ですからその事実がそこにあった後に、思いの上で 人によって、いやこれは あの花にぶつかったあの人の責任だっていうかもしれないし、いやこれはもう責任、 花がもうそういう散る時期にあったんだっていう人もいるかもしれないし、いや風が吹いたから その時風が吹いたからそうなんだ。 もっと言ったら 重力があるからっていう人もいるかもしれない。 そういう風に考えていくと、あってないようなものですよね。 理屈の問題というか考え方の問題であって、 真理とはちょっと違うところにあるのかなというふうに思うんですね。 ですからあの仏教はその真理というものを大事にするわけですから、それが全てですから 責任っていう風に言葉があるから そういう風なもので押しつぶされそうになる人もいるじゃないですか。 実際生活していて自分の責任だ自分の責任だって言って自分を責めたり もしくはこれは相手の責任だって言ってその相手の人を責めたり、 まあそういうことで人ってこう揉め事が起きるわけですよね。 ですから いやこれ誰も悪くないというわけじゃない。どこかそういう原因があるってことはあると思うんですけど その出来事、その事、事実そのものには責任というものはないというふうに考えると 結構な割合でですね、その責任問題で悩んでいる人は解決できるんじゃないかなというふうに思うんです。 その捉え方一つでですね、その何ていうか見る視点がどこにあるか、物事の捉える視点がどこにあるかっていうことで解決することもあるんじゃないかなというふうに思います。 つまりいつでもですね、仏教は真理、事実、そういった 思いが起きる前の ところを大事にしているわけですから そこを宝物として 生活するかどうかっていうところで まあ多くのことは解決できるんじゃないかなというふうに思います。どうでしょうか いやそうは言ってもねこれは責任があるでしょっていうことあるかもしれません そういうふうに思う人もいるかもしれません だからそうだとしてもその事実そのものには責任はないっていうところ そうすると許すってこともあるかもしれないし 働き方、関わり方が変わってくるっていうことがあると思います 慈悲の心でですね 物事に接して対応していけるかどうか、そういうのもあると思います ちょっとその言葉があるからその事実としてそれがあるように感じてしまうということはたくさんあると思いますけれども 実際ね自分の生活をそういう視点で 見つめてみる。見つめるってだって本当に実際に眺めててもしょうがないんですけど 思い返してみてですね 実際にちょっと観察してみる時間があってもいいかもしれないですね 木が揺れている様子、花が散る様子 車が通る様子 何でもいいんですけど目の前で起きていることを そういうふうに見てみると どこにもそういうものってないんだなっていうことが 分かるんじゃないかなと思います ぜひやってみてください # 終わりのあいさつ それでは今日はここまでにします。 いいね、フォロー、コメントぜひお寄せください。 感想などもあればぜひどうぞ。 それでは今日はここまでにします。 また次回お会いしましょう。さよなら。 もっと見る #禅 #仏教 #お寺 #責任感 #お坊さん #円通寺 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!00:131.初めのあいさつ07:132.責任ってどこにある?00:163.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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