#293 ヴィヴィアン佐藤さんと新宿まちあるき
09:56
34再生
新宿在住のアーティスト、ヴィヴィアン佐藤さんに新宿を案内していただいた、まちあるきのレポートです。
ㅤ
【大恩人・ヴィヴィアン佐藤さん】
ヴィヴィアンさんは建築のバックグラウンドを持ち、美術家、ドラァグクイーンと、いくつもの顔を持つ方です。Voicyの第133回でもご紹介しましたが、ヴィヴィアンさんは私にとって、何十年も抱えてきたモヤモヤをすっかり吹き飛ばしてくれた大恩人です。
#133 お化粧するほど裸になる<ヴィヴィアン佐藤さん>つけまつ毛は受信機
https://voicy.jp/channel/821343/7189484
ㅤ
福岡で開かれたヴィヴィアンさんの展示に伺ったとき、震災後に福島で子どもたちを対象に行ったワークショップの報告書を読む機会がありました。そこには、おおよそこんなことが書かれていました。
ㅤ
『お化粧や着飾ることは、何か別のものに変身したり、違う自分になったりすることではない。お化粧はすればするほどそぎ落としていくことで、どんどん裸に近づいていくこと。そして最終的には、自分の皮膚を完全に裏返しにすること。本来の自分に戻ることなのだ』
ㅤ
私はメイクや服装が特徴的だと言われることが多いですが、20歳ぐらいからずっとこのスタイルです。ただ以前は「OLっぽい恰好」とか「ケアワーカーっぽい恰好」でいる時間も長くありました。
つけまつ毛のようなメイクや洋服は自分を隠す行為なのかな、と考えたこともあります。
ㅤ
けれども、ヴィヴィアンさんの展示で、福島で被災した子どもたちとヘッドドレスをつくるワークショップの報告書を読んだ時に、上記の言葉に出会いました。
これを読んだとき、押し込めてきた感情の扉がパッと開くような解放感を覚えました。知っていたはずなのにずっと思い出せず、あれは何だったっけと何十年もイライラしていた言葉を、ようやく思い出せたような爽快感がありました。
ㅤ
御礼をメッセンジャーでお伝えすると、とても丁寧なお返事をくださいました。最後には、こんな言葉が添えられていました。
ㅤ
「私たちは、外側よりも内側のほうがはるかに激しく荒れ狂っているのだから、どんなメイクだって衣装だって、それを表すことはできませんよね」
ㅤ
好き勝手にやっているようで、実は苦しかったし、理解したかったのだと思います。ようやく自分を自分として受け入れられたような、満ち足りた、安心した気持ちになりました。今でも思い出すと涙が出るほど、私にとって大切な体験です。
ㅤ
ㅤ
【魔界・新宿を、ヴィヴィアンさんと歩く】
新宿は魔界です。新宿駅ではいつも迷いますし、待ち合わせが新宿と聞けば、一度下見に行っておこうと思うくらい苦手意識のある場所です。けれども、ヴィヴィアンさんと歩く新宿は、本当に特別な場所でした。
ㅤ
最初に向かったのは、太宗寺というお寺です。
江戸時代、甲州街道で日本橋を出た最初の宿場は高井戸だったそうです。ところが、日本橋から高井戸までは遠く、旅人には不便でした。そこで、その間に新しい宿場がつくられます。この「新しい宿」が、新宿という名前の由来。
ㅤ
このあたりには内藤家の屋敷があったことから、「内藤新宿」と呼ばれていました。今の新宿御苑はその屋敷の跡で、かつては植物の栽培や農業の研究を行う場でもあった。
ㅤ
太宗寺の境内には、大きな閻魔像があります。ほかにも、高尾山へ運ばれる途中にここで動かなくなり、そのままこの地にまつられたという言い伝えのある三日月不動尊があります。願いがかなった人がお礼に塩をかけるため、長い年月ですっかり塩に覆われた塩かけ地蔵もありました。
こんな都会でも、信仰がたくさん残っていることに感動しました。
ㅤ
ㅤ
【街の下を流れる、見えない川】
新宿二丁目のあたりに着くと「ここは昔、川だったんですよ」と教えていただきました。今でも地下を流れていて、その影響で地面や空気が湿りやすいのだそうです。
ㅤ
言われて足元に意識を向けると、確かに空気が重たく、しっとりしています。街の下に見えない川が流れている。そう考えるだけで、街が違って見えるような気がしました。
ㅤ
次に訪れた成覚寺は、かつて「投げ込み寺」と呼ばれていました。内藤新宿の旅籠、つまり宿場町で旅人に食事や宿を提供していた宿屋で、遊女として働き、亡くなった女性たちがまつられている寺。
境内には、遊女たちの共同のお墓や、子どもたちを供養する供養塔が残っています。江戸時代の戯作者・浮世絵師である恋川春町のお墓もありました。
ㅤ
にぎわう宿場町の裏側で生き、亡くなっていった女性たちがいた事実が、今も街の片隅に刻み込まれています。境内は本当に重たい雰囲気で、とても湿度の高い場所でした。境内を回ったあと、ヴィヴィアンさんが私たちを清めるために塩を振ってくださいました。
ㅤ
次に、新宿五丁目へ。ここには「三番街」と呼ばれる一角があります。ところが、一番街や二番街はありません。
ㅤ
この名前は、かつてこの場所が、三つの光と書く「三光町」と「番衆町」のあいだにあったことから、それぞれの頭の字を取ってつけられたのだそうです。今はゲイバーやレズビアンバーなど、お店がたくさん並ぶエリアです。
ㅤ
新宿に長くお住まいのヴィヴィアンさんのおかげで歴史だけでなく、この街に暮らす人ならではの距離感やユーモアがあって、街の表情が本当に変わって見えました。
ㅤ
この日は、お友達数人と一緒に歩きました。同じ場所で立ち止まり、同じ話を聞いているのに、それぞれ見えているものや関心を持つところが違う。それがまた面白くて、とても長い旅をしたような気持ちになりました。
ㅤ
私にとって新宿は、華やかで、忙しくて、うるさくて、いろいろなワクワクがある街というイメージでしたが、その華やかさと、裏側にある影の部分を見せてもらえたことで、はじめて新宿という街に出会えたような気がします。
ㅤ
ㅤ
【名店・上海小吃、そして…】
まちあるきのあとは、上海小吃という中華の名店に連れて行っていただきました。貝料理が有名で、そのスープにパンをつけて食べるのが名物。
ㅤ
実はこのあと歌舞伎町のホストクラブにホストクラブに連れて行っていただいたのです。
でも、この話はまた次回に。
ㅤ
【大恩人・ヴィヴィアン佐藤さん】
ヴィヴィアンさんは建築のバックグラウンドを持ち、美術家、ドラァグクイーンと、いくつもの顔を持つ方です。Voicyの第133回でもご紹介しましたが、ヴィヴィアンさんは私にとって、何十年も抱えてきたモヤモヤをすっかり吹き飛ばしてくれた大恩人です。
#133 お化粧するほど裸になる<ヴィヴィアン佐藤さん>つけまつ毛は受信機
https://voicy.jp/channel/821343/7189484
ㅤ
福岡で開かれたヴィヴィアンさんの展示に伺ったとき、震災後に福島で子どもたちを対象に行ったワークショップの報告書を読む機会がありました。そこには、おおよそこんなことが書かれていました。
ㅤ
『お化粧や着飾ることは、何か別のものに変身したり、違う自分になったりすることではない。お化粧はすればするほどそぎ落としていくことで、どんどん裸に近づいていくこと。そして最終的には、自分の皮膚を完全に裏返しにすること。本来の自分に戻ることなのだ』
ㅤ
私はメイクや服装が特徴的だと言われることが多いですが、20歳ぐらいからずっとこのスタイルです。ただ以前は「OLっぽい恰好」とか「ケアワーカーっぽい恰好」でいる時間も長くありました。
つけまつ毛のようなメイクや洋服は自分を隠す行為なのかな、と考えたこともあります。
ㅤ
けれども、ヴィヴィアンさんの展示で、福島で被災した子どもたちとヘッドドレスをつくるワークショップの報告書を読んだ時に、上記の言葉に出会いました。
これを読んだとき、押し込めてきた感情の扉がパッと開くような解放感を覚えました。知っていたはずなのにずっと思い出せず、あれは何だったっけと何十年もイライラしていた言葉を、ようやく思い出せたような爽快感がありました。
ㅤ
御礼をメッセンジャーでお伝えすると、とても丁寧なお返事をくださいました。最後には、こんな言葉が添えられていました。
ㅤ
「私たちは、外側よりも内側のほうがはるかに激しく荒れ狂っているのだから、どんなメイクだって衣装だって、それを表すことはできませんよね」
ㅤ
好き勝手にやっているようで、実は苦しかったし、理解したかったのだと思います。ようやく自分を自分として受け入れられたような、満ち足りた、安心した気持ちになりました。今でも思い出すと涙が出るほど、私にとって大切な体験です。
ㅤ
ㅤ
【魔界・新宿を、ヴィヴィアンさんと歩く】
新宿は魔界です。新宿駅ではいつも迷いますし、待ち合わせが新宿と聞けば、一度下見に行っておこうと思うくらい苦手意識のある場所です。けれども、ヴィヴィアンさんと歩く新宿は、本当に特別な場所でした。
ㅤ
最初に向かったのは、太宗寺というお寺です。
江戸時代、甲州街道で日本橋を出た最初の宿場は高井戸だったそうです。ところが、日本橋から高井戸までは遠く、旅人には不便でした。そこで、その間に新しい宿場がつくられます。この「新しい宿」が、新宿という名前の由来。
ㅤ
このあたりには内藤家の屋敷があったことから、「内藤新宿」と呼ばれていました。今の新宿御苑はその屋敷の跡で、かつては植物の栽培や農業の研究を行う場でもあった。
ㅤ
太宗寺の境内には、大きな閻魔像があります。ほかにも、高尾山へ運ばれる途中にここで動かなくなり、そのままこの地にまつられたという言い伝えのある三日月不動尊があります。願いがかなった人がお礼に塩をかけるため、長い年月ですっかり塩に覆われた塩かけ地蔵もありました。
こんな都会でも、信仰がたくさん残っていることに感動しました。
ㅤ
ㅤ
【街の下を流れる、見えない川】
新宿二丁目のあたりに着くと「ここは昔、川だったんですよ」と教えていただきました。今でも地下を流れていて、その影響で地面や空気が湿りやすいのだそうです。
ㅤ
言われて足元に意識を向けると、確かに空気が重たく、しっとりしています。街の下に見えない川が流れている。そう考えるだけで、街が違って見えるような気がしました。
ㅤ
次に訪れた成覚寺は、かつて「投げ込み寺」と呼ばれていました。内藤新宿の旅籠、つまり宿場町で旅人に食事や宿を提供していた宿屋で、遊女として働き、亡くなった女性たちがまつられている寺。
境内には、遊女たちの共同のお墓や、子どもたちを供養する供養塔が残っています。江戸時代の戯作者・浮世絵師である恋川春町のお墓もありました。
ㅤ
にぎわう宿場町の裏側で生き、亡くなっていった女性たちがいた事実が、今も街の片隅に刻み込まれています。境内は本当に重たい雰囲気で、とても湿度の高い場所でした。境内を回ったあと、ヴィヴィアンさんが私たちを清めるために塩を振ってくださいました。
ㅤ
次に、新宿五丁目へ。ここには「三番街」と呼ばれる一角があります。ところが、一番街や二番街はありません。
ㅤ
この名前は、かつてこの場所が、三つの光と書く「三光町」と「番衆町」のあいだにあったことから、それぞれの頭の字を取ってつけられたのだそうです。今はゲイバーやレズビアンバーなど、お店がたくさん並ぶエリアです。
ㅤ
新宿に長くお住まいのヴィヴィアンさんのおかげで歴史だけでなく、この街に暮らす人ならではの距離感やユーモアがあって、街の表情が本当に変わって見えました。
ㅤ
この日は、お友達数人と一緒に歩きました。同じ場所で立ち止まり、同じ話を聞いているのに、それぞれ見えているものや関心を持つところが違う。それがまた面白くて、とても長い旅をしたような気持ちになりました。
ㅤ
私にとって新宿は、華やかで、忙しくて、うるさくて、いろいろなワクワクがある街というイメージでしたが、その華やかさと、裏側にある影の部分を見せてもらえたことで、はじめて新宿という街に出会えたような気がします。
ㅤ
ㅤ
【名店・上海小吃、そして…】
まちあるきのあとは、上海小吃という中華の名店に連れて行っていただきました。貝料理が有名で、そのスープにパンをつけて食べるのが名物。
ㅤ
実はこのあと歌舞伎町のホストクラブにホストクラブに連れて行っていただいたのです。
でも、この話はまた次回に。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 09:402.
大恩人のヴィヴィアンさんと「新宿」との出会い直し
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう