TOPトーク専門家存在感は、話し方で作れる。【ゲスト】40歳、未経験で司会者に!高山の母にキャリアの話を深掘りしてみた35:36 2025年1月2日 1,967再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次40歳からのキャリア転換、その秘訣未経験から司会者へ、挑戦の軌跡ラジオパーソナリティ7年、その舞台裏独立プロデュース、新たな挑戦の始まり70歳現役、仕事人生の真髄とはAI文字起こし(β版) # オープニング おはようございます。高山ゆかりです。 2025年1月2日です。 今日はですね、ちょっといつもと違うと言いますか、 今年初のゲストトークをお届けします。 というのもお正月なので、私は実家に帰省しておりまして、 そして実家にいる母に、このボイシーに登場してもらいました。 私はですね、自分の人生で大きな影響を受けた人の一人が母でして、 特に母の生き方とか働き方に大きなポジティブな影響を受けているんですね。 なので今回は母に直接、どんな社会人としての道を歩んできたのかとか、 どんなふうにチャレンジをしてきたのか、そんなお話を伺っていきます。 今日はですね、もしかしたら夕方頃通常放送もアップするかもしれないんですけれど、 まずは母との対談をお聞きください。どうぞ。 # 高山の母にキャリアの話を聞く! では、今日のゲストをお迎えします。私の母、えんちゃんです。 みなさん、こんばんは。ごめんなさい、こんな娘のところに私がお邪魔しちゃって。 いいんですかね。よろしくお願いします。 今日はですね、私が実はVoicyを始めてからずっとこの人をゲストに呼ぼうかなと思っていた人の一人が母だったということで、 今日はお正月に帰省して、今日いきなり帰って、お母さんVoicy出てって言って、 突然言われてどう思った? いやいやいや、冗談だと思った。しかも今が生なのに信じられない。 リスナーのみなさん、早速聞いてくださっているのでありがとうございます。 すみません、ごめんなさい。本物の登場してきちゃって。 お便りも送っていただけると嬉しいです。 今日ですね、ただ私の母をゲストに呼んだだけではなくて、聞きたいことがあって呼びました。 それは何かっていうと、一言で言うとキャリアについてなんですけれども、 まずお母さんがどういうふうに仕事してきたかをざっくりまずこの仕事をして、次はこの仕事をしてというのを教えてください。 そうですね、声は結構若いって言われるんですけど、結構年齢はオーバー70なんです。 私は今日は誕生日で。 おめでとうございます。 ありがとうございます。すみません。 私はずっと小さい頃からピアノをやっていて、特に何かやりたいってこともなくて、ピアノをずっとやっていたから、 ピアノの音楽の学校に行って、それは短大だったんですけどね。 それで20歳くらいからピアノの先生をなんとなく始めちゃって。 でもその当時っていうのは今から本当に考えられないんだけど、あそこに音大そろそろ卒業する人がいるなっていうのを楽器店さんがどっかから情報を仕入れてる。 例えばそれが私。 そうすると来年からヤマハの講師になってくださいとか、今ここに生徒が何人いるんで教えてもらえますかとか。 とにかくこっちが動かなくても向こうからやってきてくれるなんてそんな素晴らしい時代があったんですよね。 昔はそう、もしかしたらご存知の方もいるかもしれないけど、4歳になって5歳になって幼稚園に入ると、その幼稚園にヤマハ音楽教室が出られられていて、ほとんどの人が自動的にそこに入ってきて。 なんで私たち、講師になった者がね、何にも苦労しなくて、あなたはいついつからなんとか幼稚園に行ってくださいって言われて、はいって言っていくと、そこで子供たちが1クラス10人くらいで、お母さんも一緒なんですけど、待っててくれて、 そこで3クラスとか4クラス教えて、それが毎日やっていくっていう、そんな私の最初の仕事なんですけどね。もちろんそのためにはヤマハの昔あったネムの里だとか、いろいろ勉強に行って、 幼児科さんっていうところの講師の資格をもらったんですけどね。そこで何年かやっているうちに、結婚したり出産したりとかっていうこともあって、その音楽教室は次第に辞めて、個人でピアノを取るっていうお仕事だけにしたんですけどね。 その時は一番最初うちの父親が、大きな音楽教室にしちゃえなんて言って、ちっちゃなボロ屋を少し大きくして、そこにエレクトロンを10台入れたんですよ。 もちろん私はエレクトロンを教えられないから、ヤマハの音楽教室の先生をうちに来てもらって、そこでヤマハの音楽教室をうちで始めた。 それで当時は本当にそういう時代だったんで、とにかく生徒がどんどん来ちゃって、もう入れませんよって言ってもまだ来ちゃうみたいな、もう一週間ずっと稼働していたんですけどね。 だんだん音楽は下火になったというよりも、音楽、ピアノとか音楽教室以外に子どもたちがもっと楽しめるもの、他にも、例えば水泳であったりとか、今で言えばサッカーとかね、いろんなことに楽しみを広げる時代がやってきた。 だからヤマハ音楽教室だけが子どもの習い事じゃなくなってきたっていうのが、それはもちろん自然反省的にそうなったんだけどね、それでいいと思うんだけど、そういう時代がやってきて、だんだん子どもも少なくなってきたっていうのもあって、 なんかピアノにちょっとピアノブームが去って、人気が下火になってきたかなっていうのが、そうですね、私が40歳くらいかな。 40歳くらいですね。 そうそう。 じゃあここまでを振り返ると、 長くなっちゃったね。 全然長くない。とにかくピアノの先生になったと、それもどこかの教室、最初はヤマハだったけれども、今はそこから独立をしたと。 で、ちょっとピアノブームが下火になってきたのが40歳。 その前からだけどね。 リスナーの皆さん実はですね、ここからが私の母のキャリアがですね、大きくというか変わっていくんですけど、40歳からの話をお願いします。 いいんですか?このまま言っちゃって。 続けて? いやいやいや。それで、子供も3人恵まれて、 私末っ子。 そうそうそうそう。 破天荒。 本当に破天荒でね、大変な子供だったんだけど、それを置いといて、またやがてそういう話もできたらいいなと思うけれど、 私結婚式の司会を始めたんですね。 そうなんですよ。40歳で結婚式の司会を始めた。 なんでかっていうと、ピアノの発表会の時にいつも私司会を担当させてもらってて、 私の妹が、えんちゃんは弾くことより喋ることのほうがいいって。 向いてるかもしれないって言われたもんで、 私も本当に音楽の世界しか知らなかったし、狭い狭い世界で人を教えるっていうことをやってきてるからね、 この辺でちょっとまた違う世界も見てみたいっていうのもあったし、 このまま行っても音楽の子供たちを集めていくっていうのも厳しいなっていうのもあったんで、 じゃあちょっと一歩飛び出してみようかなと思って始めてみました。 妹はたまたまその時もすでにブライダルの仕事をしていたので演奏を。 ブライダルのピアノを結婚式で弾くっていう人だよね。 そうです。なので彼女の知り合いの先生に、 こういう姉がいるんだけども、ちょっと勉強を見てほしいって頼んでもらって。 司会の勉強を。 私はその先生のところに行って1年間くらい勉強させてもらって、 そこでその先生からの伝えでいろんな結婚式場に行き始めて。 40歳の時でね、今までやっていなかった仕事を一から勉強するっていうのはどういう感じだったの? お便り来てるよ。高山さんのお母様の誕生日おめでとうございます。 ありがとうございます。 何歳になったの? いやいやいや言ってもいいのかな。 やめとこう。話を戻すと。 とにかくですね、実は私は母と同業で声の仕事を母もしていて私もしていた。 一応途中から聞いてくださっている方がいるから説明すると、 最初ピアノの先生、40歳で未経験で司会者の勉強を始めるっていう。 実際に迷い始めたのは40歳ぐらいで、実際に仕事を入ったのは43歳ぐらいです。 43歳で新しいことを始めるってどういう感じ? やっぱり迷いもあったと思いますけど、今までやったことないところに飛び込んでいくっていう面白さとか、 好奇心とかっていうのがいっぱいあったのと、 やっぱり思ったら何グズグズしてんの、やがて50になっちゃうわよなんてみんなお尻叩いてくれたっていうのもあるし、 教えてくださった先生とか周りの仲間ですね。 私はやっぱり40越えて新しいことに入るっていうのはちょっとした躊躇もあったけれど、 でも面白いだろうなっていう気持ちが強く始めました。 私も結婚式の司会をやっていて、お母さんとやっていた時期は違うけれど、 結婚式の現場って私よりも年上の人もいれば、もっと若い20代のスタッフの方もいて、 その時のお母さんも多分年下のスタッフさんが多かったんじゃないかと思うんで、 そういう新しく仕事を始めて、ポンと現場に出てみて新しい経験をしたとか発見があったとか。 面白かったですね。それはすごい面白くて。 昔からそんなに人の垣根を作ったりできなかったから、 年下でも先輩であれば自然に素直に後輩になれるし、 一番嫌だったのは古い結婚式場さんのちょっと古いスタッフさんとかがガンガン言ってくるじゃないですか。 ガンガン言ってくるのに耐えるっていうのもやっぱ辛かった。 それが嫌で辞めちゃう人もいっぱいいましたね。 でもお母さんはそこに抵抗がなかったみたいな。 抵抗ないというか、それはでも自然にできちゃったんですよね。 本当にそうだと思う。言われること本当にそうだなと思う。 一番覚えてるのは、あなたってとっても上手な素人さんみたいですねって言われたの。 そんなこと言われたの?現場に出てから? そう、もちろん。一回か二回か三回目がね。 それはもちろんちゃんと原稿があって、原稿を何度も読んで、 テップレコーダーで聴いて、先生に聴いてもらって、それでOKもらって言ってるんだけど、 全然その会場の中のその場の雰囲気に自分が馴染んでなかったってね。 後ですごく思う。原稿から目が離せなかったとかね。 今日の二人はどうかなっていうところまで思いが至らないとか、 そういうのを後で考えれば本当にそうだなと思って。 ただね、そういう風に言われたことはやっぱり自分にとって良かったなと思いますね。 ちなみに今またメッセージが届いていて、 高山さんのお母様、誕生日おめでとうございます。 昨日から生放送が聞けて年始めから嬉しいです。 ありがとうございます。 皆さん応援していただいているようでありがとうございます。 よかったね。 ありがとう。 でも私が覚えているのは、お母さんが台所に立って、 右手に菜箸を持って料理をして、テープレコーダーを聴きながら発声練習をしているみたいな。 それすごい覚えている。 なるほどね。 うい料理とかよくやってたからね。 節節の練習ね。 そうですね。やっぱり本日はおめでとうございますっていろんなトーンで言ってたと思うし。 本日はおめでとうございますみたいな、すごい高い声だった。 昔猫を飼ってたんですけどね。 その猫がそれを始めると私のところにピタッと来て。 それも思い出で。 仕事できなくさせるってことでしょ。 なんだろう。でもね、そこでじっとしてるの。 いい声だったね。 そうかな。 聞きたいこといっぱいあるんだけど、 その時私末っ子で子供が3人いて、それこそご飯を作りながら練習をして土日現場に出てっていう。 時間のやりくりとかってどうやってやったんですか。 ピアノの先生っていう仕事は辞めてないからね。 続けててね。 平日はそっちをやってて。 もちろん生徒は全然少なくなってるけど、辞めたいとは思わなかったんです。 土日はお父さんの協力もあったでしょ。 そうさんがご飯の支度してくれたりとか。 最初はお父さんも抵抗があったかもしれないけど、 でもだんだんいろいろやってくれて。 あなたお父さんに浴衣着せてもらったこともあるじゃない。 あるよ。中1の時に船の中でディナー食べるみたいなちょっといいイベントがあって。 私は仕事だからお父さんにこうやってやるっていうのを教えておいて、 それとお父さんが浴衣着せてくれたんでしょ。 懐かしい。 懐かしいね。 一緒に出かけた。 やっぱり家族みんなの力がなければね、私は続けていかれなかったからね。 それは良かったなと思ってますよ。 いい話してるね。 でね、リスターの皆さんの実はですね、母のキャリア。 今までピアノの先生をやって40歳を過ぎてから司会を始めてっていうところまで来ましたが、 まだ先があってですね、声の仕事が結婚式の司会だけじゃなかったんだよね。 この話聞きたい。 ラジオのこと? 実はラジオパーソナリティもやってたんですよ。 皆さんボイシーのスタンプください。 ラジオパーソナリティですけど、コミュニティFMですから。 でもラジオなの。 そんなに。 ほらほら、ボイシーのスタンプ届いてるよ。 これすごいとかおめでとうとかわーとかの時に僕、私が今送ってくださいって言ったから。 すみません、サービスしてもらえてありがとうございます。 それでラジオの仕事始めたっていうのも、それどういうきっかけで声がかかるの? 声かかるもんじゃないんだよ。 最初に私が結婚式の司会で出会った先輩の人が最初にやってて、 もうちょっとパーソナリティが欲しいからやってみないかって言われたのが最初です。 でもその声をかけた人からしたら、多分司会者の仲間とかはいっぱいいたはずで、 その中から声がお母さんにかかるっていうのは理由があるはずなんだけど、 聞いたことある?どうして私にラジオパーソナリティになりませんかって言ってくれたんですかとか。 あとはこういうところがあるからえんちゃんにあなたにお願いしましたとかある? そういうことは聞いたことない。 今度電話して聞いてみて。 でも自分で分析してある?これかなみたいな。 あの時は私だけじゃなくてもう何人かいたし、 それこそさっきの話じゃないけど、そんなに台本以外のこと言えないから、 そこまでに期待されてなかったんだと思うんだけど、 結果7,8年続いたんですね。 ラジオパーソナリティ7,8年続いたんですね。 その時に入ったグループの誰よりも長かった。 そうなんだ。またボイシーのマイク届け。 すごいすごいすごい。 みなさん本当にありがとうございます。こんな話に。 それで7,8年続いて、どんな番組やったんだっけ?言える範囲で。 それはちょうどその当時の流行りみたいなもので、一番最初の流行りというか何だろう。 いろいろな外国のポップス。 つまり私たちの世代が小さい頃あるいは青春時代に聞いたアメリカのポップスとかイギリスのポップス、 ビートルズをはじめ、もっともっと古い、ビング・クロスビーから始まって、 サッチモとかそういったところからのポップスを、 私は小さい頃から父親の影響でよくラジオを聴いてたんですよ。 もちろんそういったレコードはなかったけれど、そういったものが好きだったのね。 それでいっぱい自分の持っているCDをかけて、そこに書いてあることなんかをおしゃべりしたりしながら、 リスナーの方がファクスとか、昔なのでファクスとかくれてね。 で、45分とか。 番組はいくつかあって、45分もあったし1時間もあったしと思うんだけど、 いろんな番組があって、フローリッシュ・タイムっていうサイバーの番組でやってて、 コアな不安の方はいましたよ。 そういう音楽が大好きって人がいて。 でも音楽が大好きっていうのもあるかもしれないけど、 お母さんのファンがいたと思う。 そういうの届いた? 今日母のことをえんちゃんって呼んでるんですけれども、 えんちゃんの声が好きですとか、えんちゃんのしゃべりが好きですとか、 そういうファンレター的なもの届いたことある? そんなことは一度もなかった。 でも多分あったと思うんだな。 でもね、とにかく音楽が大好き。だから私が書ける音楽が好き。 で、その音楽の中のリクエストをくれたりとか、 時にはこういう人がいた。自分もいっぱい音楽を持っているから、 MDに取ってくれて、いっぱい持ってきてくれたって人がいましたね。 定期的にそれをくれて、それはなくせないから今も宝物に持ってるんだけどね。 そういえばMDなんてね、もう本当に昔の産物ですけど、 でもそういう不安の方もいましたね。 それでね、一、二度ね、私のゲストとして来てもらったことがある。 来てもらったらやっぱりものすごく詳しくて、昔の芸能界のことも詳しくて、 J-POPSの話ね。J-POPSって本当に昔ですよ。グループサウンズとかね。 そんな話をしてくれたりとか、そういう方もいましたね。 面白かった。すごくそれは面白かった。 またそれも、振り返るとまずピアノ先生をやって、 で、45歳を過ぎて、全くの未経験から結婚式の司会者になって、 ラジオの仕事はだいたい50代くらいの時に? 40、中頃かな? 40、後半だったかな。後半だったから。 私は大学卒業してラジオ局に就職してっていう、 そういうキャリアでいうと20代からラジオの仕事をしているけど、 40代後半からラジオのパーソナリティをやるってすごくこう、 なんていうか珍しいことだったと思うの。どうでしょう? どうでしょうね。でもそのラジオ局は割と年配の人もいたから、 ラジオ局は全然なくて、自然にやれたと思うし、 特別なことはなかったかもしれない。 ここまで途中から入ってきてくださった皆さん、こんばんは。 今日はお正月の特別ゲストで、今日誕生日の母を迎えています。 何歳になったのかはごまかしておこうかな。 でもさっきちょっと言ったかもしれない。 最初から聞いている人はホニャホニャホニャホニャだなって。 あれ、そうそうそう。 今まで振り返るとピアノの先生やって、 結婚式の司会やって、ラジオパーソナリティやって、 その結婚式の司会っていうのも、 ただ司会者をやっていたっていうところからまたちょっと一歩飛び出したっていう。 その話を言える範囲で。 小規模なんですけど、プロデュースって仕事も始めて、 それはレストランメニューを中心になんですけどね。 自分が司会をして、いろんなことを、 司会をやりながら学んだことを自分でやってみたいなと思って。 私は音楽が専門なのでね。 音楽をやる人、私はブライアではしなかったけども、 やる人をいっぱい集めて、 例えば結婚式の入場をバイオリンとピアノでアンサムするとか、 トランペットを入れるとか、そんなことを提案しながらやったりとか。 あと知っているお花屋さんもいたので、 お花屋さんにもっともっと素敵なお花がいける人知ってますよなんて言って、 レストランさんで使ってもらったりとか、いろんなことをやりました。 ものすごい楽しかった。 楽しかった? ものすごく苦しいことがあったんだけど、 今振り返れば、やってよかったなって思う。 それって、そもそもね、結婚式の司会からプロデュースをやろうとか、 自分で独立しようって思い立ったのって、 なんかもっと挑戦したいみたいな気持ちがあったからとか。 なんかやってるうちにだんだんだんだんゆとりが生まれてくるじゃない? そうすると、やっぱりなんかしてみたいなと思ったりするじゃないですか。 いや、それがすごいと思う。 でもね、もしかしたら年齢もあるかもしれない。 例えばその司会を、若ければもっともっといっぱい司会の仕事やるかもしれないけど、 やっぱり50歳に近くなると、そこまで司会だけでやっていくのにはしんどいなみたいなね。 そういうのも、つまり土日、ほぼほぼ土日だけだからっていうのもあって、 それでいろんなご縁があって、自然体でそういうことをやったっていう感じですね。 あと妹もいたじゃない?妹が音楽やってたっていうのもあって、 もちろん妹にも手伝ってもらって、 ブライダルの衣装関係の人と知り合いになって、レストランに入ってもらったりとかね、やりましたね。 営業したの? いや、だからそんなに大規模にはやってない。 そうか。 いや、でもこれはね、ちょっとこういう場で具体的な名前は出せないけれど、 私からしたらすごく大きな契約を取っていると思うの。 そうかもしれない。 まあまあそうね、かもしれないけど、素晴らしい出会いでしたね、それは。 すごいね。またお便りが来てます。 ありがとうございます。 お母様お誕生日おめでとうございます。 ゆかりさんの上手なトークは、お母様ゆかりなんですね。 ちょっと。 高山親子、とても素敵です。 いや、すいません。本当にありがとうございます。 ゆかちゃんの。 もうなんかこんなところに出させられて、本当皆さんごめんなさい。 違う、今日は本当に私がお母さん出てくださいって何度も今日言ってありがとうございます。 いやいやいや、すいません。 ここまで独立したっていうのを聞いて、 で、司会は何歳くらいまで続けた? それはね、私はね、ちょっと負けはしみもあって、 よく友達に言ってたのは、私は実年齢マイナス20歳だからって言って。 OK、わかった。28歳ね、今。 そう、だから43歳で始めたのも、私は23なんでってみんなに言って。 それで? だから、なんかそういう風に考えると、何でもできちゃってね。 それで何でもできちゃって。 さっきの司会が年齢がどうとか言ってしまったけども、 でも、あんまりなんとかだからできないかなっていうのはやめようなって今も思ってるけど。 そうか、多分このボイスを聞いてくださっている方も、 なんか新しい挑戦をしたいけど、やっぱり年齢的にどうかなとか、 今までのキャリアからすると未経験だからどうかなって思って一歩踏み出しにくい人もいると思う。 お母さんが一歩踏み出したっていうのは、いつも自分をマイナス20歳だと思ってるっていうこと? そうそう。 本当は違うんですよ。 本当は違うんだけど。 でもそうやって自分をね、奮い立たせるの。 奮い立たせる。 そう、人にも言って。 人にも言う。 そうすると、っていうのはね、やっぱり若い時はわからなかったんだけれども、 年を取っていくとだんだん先がないっていうことが、先がないっていうのも変ですけどね。 でも今逃したら、いつやるのっていう言葉が流行ったけど、 今でしょ。 まさにそれ、まさにそれ。 だからもうくよくよ悩んだり躊躇してる暇はないっていつも思ってた。 それ、司会の仕事を始める前から思ってた? いや、そうじゃないかもしれない。 割と、割となんかのんびりしてて、それからこう引っ込み事案だったりとか。 えー。 割と、えー。 割と引っ込み事案だったりとか。 かもしれない。 だけど、でもそうやって出てみると、一歩飛び出してみると、 自分の力でなんとかなっていくんだなっていうのが一つずつ自信につながってってね。 もちろん失敗もいっぱいありますよ。 でも、それの失敗も自分でやってれば、自分でなんとかしていくしかないでしょ。 誰もなんとかしてくれないから。 だから、自分でいろんなことを考えたりしながら解決して次に進むっていうのが慣れてったっていうかな。 若い頃にはなかったその経験が、今はあれをやってよかったなって本当に思ってます。 例えば今、じゃあ、私もうすぐ40歳ね。 40歳で、なんかちょっと一歩踏み出したい。 新しいこと始めたい。 でも、40歳できること限られてるかもって思ってるリスナーさんがいたら。 バカバカしい。 ちょっと。そんな独立する。 いやいやいや。 そんな急に独立する。 本性が出てきた。本性が出てきた。 悩んでることがバカバカしててよ。 40歳は若すぎる。 40歳は若すぎる。 若すぎる。 はい。なので40歳で年を取ってるなんて思うこと自体がもうナンセンス。 ありえない。 だから40歳は若すぎる。 若すぎる。 はい。 じゃあ、若すぎるからもうやれやれと。 もちろんです。だから年齢じゃないんです。年齢は関係ないと思った方がいいと思う。やりたいことがあれば。 もっと言っちゃえば私は、ごめんなさい。 いいよ。何? 本当にね、いくつになっても私仕事をした方がいいような気がするの。仕事を。 それはもちろん趣味もいっぱいあっていいし、楽しいことがいっぱいあっていいし、ボランティアもやったらいいと思います。 そういうことは否定しないんだけど、でも仕事があるっていう人生がいいなと思います。 仕事がある人生。 うん。 仕事がある人生。確かに今、今実は私の母はブライダルはもうやっていないですけれど、今も実はすごく忙しくしていると聞きました。 今何をやっているんですか? ちょっと時間長くなっちゃった。本当に申し訳ない。 いいよ。じゃあ最後その話だけして終わりにしよう。 私は65歳ぐらいでブライダルの仕事に区切りをつけました。 それはもちろん体力的なこともあるので、そろそろかなと思ってきたのもあるし、ちょうどコロナがあったんですね。 そうだったね。 その後ちょっとコロナがあって、それでどうしようかなと思っているところにそのコロナのことが来て、 そうするともうブライダル業界はもうほとんどできなかった時代がありましたね。この3年ぐらいかな。 で、ちょうどそこにあたって自分の思ってきたことが、この辺が使用できなのかなっていうところもあってね。 割と自分の中ではすんなりと受け入れられたっていう、やめていくことをね。 どこで定年しようかなっていうのはずっと思ってたからね。 言っても、いくら年齢は関係ないんだよって言っても、それはまあね、その仕事仕事で、いつかはきっと終わりが来る。 その終わりはいつにしようかなと思っていたこともあって、そこで一つの区切りを自分でつけましたね。 そして、今は? そして、私は今はピアノの先生をやっています。 それは、もう自分のその仕事のシフトはほとんどブライダルの方にかけてきてしまったので、 ずっと補足はやってきたけど、ピアノの仕事がちょっと自分の中で中途半端だなっていうのもあったのと、 私が住んでいる地域でね、 ちょっと自治体が習い事を支援するキャンペーンがあったのね、そこに参加したのね。 それでそしたら、たまたま生徒さんがいっぱい来てくださった。 もう一回、自分でもここをちゃんとしておかないと後悔するなっていう思いもあったし、 まだまだ自分の限界はまだ先だと思っていたので、 かっこいい! かっこいい? かっこいいよ! そんなにかっこいいじゃない。 とにかく始めて、それが今から4年くらい前かな。 再開をしたという、ずっとやってたけどね、気持ちの上でそこに重力を注いでいるというか、 いろんな、もちろん私が習ってきたことも昔のことなので、 例えば演奏の仕方でもあったり、それから教え方であったり、 もう古いこともいっぱいあって、今新しいことを学びにいっています。 学びつつ教えています。 ピアノの先生もやっているし、実はお母さんも学んでいるっていうことだよね。 なので、ずっと現役でいるということですが、またお便りが届いていて、質問。 高山さんのお母さんの言葉に勇気をもらえます。 そんな、ありがとうございます。 人との関わりの中で大切にされていることを教えてほしいです。 これ仕事でかな、どうでしょう、最後にこれを。 はい、それはね、いつも笑顔で迎えてあげることです。 その人が言っているその言葉の一つ一つが、本当にその言葉を言っているだけなのか、 その言葉の裏に何か思いがあるんじゃないかなって、いつも私は思っています。 だから、じっと聞いてあげるということ、その人を迎えてあげる心の中にね、 そういうことを割と大事にしているかなと思います。 偉そうかな、ちょっと。 そんなことないよ。ありがとうございます。 ありがとうございます。 今日は母にキャリアについてお聞きしました。 お誕生日おめでとうございます。 本当にありがとうございました。 さよなら。 # エンディング 母をゲストにお迎えしたトークを聞いていただきましてありがとうございます。 もしかしたら今回の配信は何日か経った後、下書き保存に戻すかもしれないんですけれども、 ぜひ聞いていただける間に、もしご縁あってこの配信を聞かれたら、 何かご感想のコメントもいただけると嬉しいです。 では、今日はこれで終わります。高山でした。 もっと見る存在感は、話し方で作れる。プレミアム放送配信中!01:001.オープニング34:092.高山の母にキャリアの話を聞く!00:273.エンディングコメント感想・質問・応援メッセージを書こう かりん2025年1月8日あまりに勇気をいただく放送で2回聴かせていただきました。年齢を重ねていく事に不安を感じるこの頃でしたが、「-20歳と思って挑戦する」「40歳は若過ぎる」ときっぱり年齢を言い訳にしないマインドのえんちゃんに励まされました。そしてご自身のお母様の素晴らしさを感じてVoicyに出演して貰った高山さんもとても素晴らしいと思いました。お母様のインタビュー放送をお聞かせいただき、本当にありがとうございます。1返信 kinokonokonko2025年1月7日素敵なお母様ですね。うちの母とは大違い。何だかじーんと来ました😭1返信 なっつ2025年1月6日いつもは毎朝視聴しているのですが、帰省していて、数日分まとめて聴きました。お母様の話、心に刺さることが多かったです。40歳でできることが限られてるかもという考え→ばかばかしい(即答)に、笑えてしまいました。またゲストに来ていただきたいです。お母様、お誕生日おめでとうございます。1返信 高木宏一2025年1月5日素敵な放送、ありがとうございました。お母さまの人生を楽しまれているご様子が伝わり、素晴らしいなと思いました。おふたりのお話も、お互いを気遣い、優しさにあふれていて微笑ましく想いました。新年、新しいことを始めようというこの時期に、背中を押していただいた気がしました。1返信 かな2025年1月4日高山ゆかりさん、あけましておめでとうございます。そして、お母様のお誕生日おめでとうございます。今回の会を拝聴し、大変感銘を受けました。私(57歳)は遅咲きながらも転職や副業に挑戦し、働くことに喜びを感じています。「もう50歳だから」と諦めず、人生100年時代に自分らしく生きる大切さを伝えたいと思っています。お母様のお話には深く共感し、57歳になって体力や能力の衰えを感じ落ち込むこともありますが、「まだまだ頑張れる!」と勇気をいただきました。素敵なお話をありがとうございました。3返信 もっと見る
話し方のお悩み相談室:原稿は用意すべき? 18分・昨日・ 858再生AI目次話す時の原稿、用意するべきかの疑問読むスイッチをオフに!原稿活用で磨く表現原稿が「お守り」に?整理と安心のメリット棒読み?アドリブ?原稿作成の落とし穴原稿なしの自由とリスク、あなたに合う選択
挑戦、安心、自由。ぜんぶ、毎日の中で味わえるものかもしれない 8分・一昨日・ 321再生AI目次「自由・安心・挑戦」コラボでの気づき日常の15分「自由・安心・挑戦」実現のヒント新レシピ挑戦がもたらす日々の充足感幸せは気づくもの 大切な価値観の捉え方自分軸を見つける「今」と「後から気づく」力
自分軸手帳の開発者、一番ケ瀬瑶子さんとコラボ! 36分・10月3日・ 1,043再生AI目次一番ケ瀬瑶子、自分軸発見の道手帳が変えた私の人生観とは気づかぬうちに「他人軸」の選択1日15分で育む自分軸習慣言葉にできない「思い」の鍛え方
【高山図書室 地下1階(映像ブース)】あの映画が、バトル系リアリティ番組に!? 15分・10月2日・ 869再生AI目次あの名作がバトル系に?Netflix新作市場合わせ陽子氏とのコラボ放送黄金切符で大人たちが挑む心理戦過酷なサバイバル!人の心の複雑さ勝者は一体誰?予想を裏切る展開
話し方のお悩み相談室:人前で緊張してしまう 14分・10月1日・ 1,022再生AI目次人前での緊張、あなたの悩みも解決へ?緊張は悪じゃない!受け入れる思考法パフォーマンス維持へ!事前準備の極意イレギュラーを減らすリハーサル活用術あなたに効く!最適な緊張対策の探し方
【雑談回】日々のちょっとしたことに、目標達成のヒントがあった 8分・9月30日・ 818再生AI目次PCタブの多さに潜む集中力阻害の罠増え続けるタブが引き起こす意外な影響集中力を高めるタブ管理の極意目標達成へ導く日々の「小さな気づき」あなたのPCタブ、本当に必要ですか?
年齢を重ねていく事に不安を感じるこの頃でしたが、「-20歳と思って挑戦する」「40歳は若過ぎる」ときっぱり年齢を言い訳にしないマインドのえんちゃんに励まされました。
そしてご自身のお母様の素晴らしさを感じてVoicyに出演して貰った高山さんもとても素晴らしいと思いました。
お母様のインタビュー放送をお聞かせいただき、本当にありがとうございます。
お母様の話、心に刺さることが多かったです。
40歳でできることが限られてるかもという考え→ばかばかしい(即答)
に、笑えてしまいました。
またゲストに来ていただきたいです。
お母様、お誕生日おめでとうございます。
お母さまの人生を楽しまれているご様子が伝わり、素晴らしいなと思いました。
おふたりのお話も、お互いを気遣い、優しさにあふれていて微笑ましく想いました。
新年、新しいことを始めようというこの時期に、背中を押していただいた気がしました。