TOPライフスタイル子育て対話の本棚(旧:特別支援の本棚)#1270 私も私をケアする必要があった話し16:06 7月1日 454再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次カウンセリングは日常と地続きであるケアする人が陥る自己ケアの盲点娘の障害診断で直面した葛藤ケアする側が忘れた"ケアされる私"大切な人を守るための自己ケアとはAI文字起こし(β版) # カウンセリングとはなにか? おはようございます、沙織です。このチャンネルは日々の暮らしや子育て、障害児育児やシングルマザーの経験を通して私が感じたことをお話をしています。 今日はですね、自分をケアできなければ誰かをケアすることもできないっていうお話をしていきたいと思います。 今年の春あたりに一冊の本を読んだんですよね。それは何かというと、 戸畑海斗さんが書かれた、「カウンセリングとは何か?変化するということ?」っていう本なんですね。 まずこの著者の戸畑さんというのは臨床心理学者であり、臨床心理師であり、公認心理師であり、とにかく臨床心理にすごく詳しい方なんですね。 これからこれまでもたくさんの著書を書かれていて、 それが臨床心理を学ぶ人以外、私みたいな一般的な人にもすごく心に刺さる心のお話なので、 私はこれまで結構戸畑さんの本は好きで、何冊も読んできました。 今回ですね、戸畑さんがカウンセリングの集大成みたいなものを書きましたということで、 そのカウンセリングとは何か?っていう本を書かれたんですけども、大体大ベストセラーになっております。 戸畑さんの本ってとにかく字がちっちゃいんですよ。ちっちゃくて、ギュッと一冊の中にたくさんの情報が詰め込まれているので、 読むのに結構力がいりますね。 年々本が読めなくなってきている私なんですけれども、この春頑張って読みました。 その中でやっぱり一番印象的だった言葉っていうのがですね、結構冒頭にあった言葉なんですよ。 ちょっとそれをそのままというか、わかりやすいように要約して用いますけれども、それを読みますね。 それは、カウンセリングは普通の生活や人生と地続きにある。 もう一回繰り返します。カウンセリングは普通の生活や人生と地続きにある。 すごい言葉ですよね。カウンセリングは普通の生活や人生と地続きにあるんですよね。 他にもこんな表現もありました。それは非日常的な痛み並みではなく、カウンセリングは非日常的な痛み並みではなく、日常の延長にあるという表現もありました。 私これを読んで、この言葉がずっと引っかかっていたし、ずっとすごく貴重な重たい言葉だと思ったし、 春に読んだんだけど、今でもしょっちゅう思い浮かびます。 これは何かというと、私なりの噛み砕き方で言うと、カウンセリングという特別な部屋に入るじゃないですか。 それもカウンセリングなんだけれども、カウンセリングというのは、特別な部屋に入らなくても、もしくは専門の人と向き合わなくても、ケアにつながる何かは、 もう私たちの日常の中で起こっている、そういう意味だと私は捉えました。 ちょっと別の視点なんですけれども、遠畑さんは別の書籍で、よくカウンセリングというのを二つに分けて考えられています。 これは一つは何かというと、ケアですね。もう一つ何かというと、セラピーなんですよ。 このケアとセラピーの違いって、私みたいな凡人はよくわからないんですけど、それをすごくわかりやすく言葉巧みに表現されていて、 遠畑さん流に言うと、ケアというのは相手を傷つけないこと、そのままその人を受け止めることなんですよね。 セラピーというのは何かというと、あえて相手に対して一歩踏み込んで、相手に変化を促すこと。 だから足を運んだ利用者側としてはちょっと辛い作業がそこで行われるわけですよね。 カウンセリングというのは何かというと、ケアとセラピー、この二つを行き来しながらに立っているというのを結構いろんなところで話されています。 私が今日お話ししたいのは、この中でもケアの部分についてです。 ケアというのは、さっきも言ったように誰かを傷つけないこと、そのままその人を受け止めること。 そう思うと、ケアというのは、資格がなくても、もしくは特別な場所じゃなくても、カウンセリングルームとかいった特別な場所じゃなくても、日常の至るところで起きていると思いませんか。 例えばですけれども、お母さんとかお父さんが子供を見るときもそうでしょうし、先生が子供たちの話を聞くときもそうでしょうし、上司が部下の話を聞くときもそうだと思います。 だから私たちは知らないうちに、誰かにとってのケアをする人になっているんですよね。 はい、でもね、このお話というか、その藤畑さんの言われたカウンセリングは、日常の生活の延長にあるという言葉を思い出すたびに、私はふと自分のこれまでを思い出すんですけれども、 日常がケアと地続きなら、日常の中で誰かを世話している人、誰かをケアしている人もケアされるべき存在、ケアされていいはずなんですよね。 けれども多くの場合、ケアをする人っていうのは、いつの間にかケアされる側から外れてしまっていることが多い、なんかね、そんな気がしています。 例えばですけれども、赤ちゃんを育てるお母さん達っていうのは、ひたすら赤ちゃんのケアをしていますよね。 でも自分たちもまたケアされる存在なのにも、かかわらずそのことを自分自身も忘れがちだし、周囲もね、忘れがちになってしまうことが結構あります。 あと、クラスの中でたくさんの生徒を見なければいけない先生たちっていうのは、生徒たちのことをいつもケアしていると思うんですよ。 ケアとセラピー、行き来されているかもしれないですし、教えるっていう立場でリーダーとケアとセラピー、行き来されているかもしれないですし、すごい大変ですよ。 だけど、そんな中で自分がいつもその与える側で、自分がケアされるべき対象だってことはね、つい置き去りになったりしていませんか。 なんかそういうことってすっごい多いんじゃないかなって思います。 なのでここからは私自身の話をしますけれども、 あげればね、私、離婚した時だとか、シングルマダー時代のことだとか、障害児、育児、絶賛、フィーバー中みたいな期間だとかね、いろいろあげたいトピックはたくさんあるんですけれども、 今日はその我が子の障害がわかった日のことをお話ししようかなって思います。 ちょっとチャプター変えますね。 # ケアする人とされる人の二項対立ではない 私にとっての第一志というのは娘なんですけれども、 その娘は2歳になったぐらいで、 自閉症という診断をもらって、 そこから幼稚園はインクルーシブ教育を 推奨している、当時は珍しい幼稚園に行って、 小学校からは、今高校2年生なんですけれども、 ずっと特別支援学校に通わせていただいております。 本当に多くの支援者の方々の力をお借りして、 個別配慮をたっぷり受けて、 今立派に成長している最中なんですけれども、 私の娘が、 この子は明らかに自閉傾向がありますと言われた時のこと。 私はこの時、 お医者さんとカウンセラーの方々と、 複数人の大人がいて、 娘が遊具で遊ぶ姿を見て、 そんな中で、私は赤ちゃんだった息子を抱っこして、 正座しながら、 明らかに障害がありますねと言われて、 泣きそうだったんですけど、 その後どうすればいいかというのを、 涙をぐっとくらえて、 喉元が熱くなるのを感じながら、 そうですかと聞いていたんですよね。 その帰り道、午後から診断みたいなのが始まって、 帰り道も子供たちクサクサですよね。 車を運転する中で、 私が生まれた場所でもない、 そして私が育った場所でもない、 たった数年間だけ住んでいる、 知らない街のとある並木道で運転しながら、 子供を連れて帰って、 後部座席で娘も息子も食ったりして、 お昼寝始めたんですよね。 寝る姿をバックミラーで見て、 数時間前と何も変わらないのになぁと思って、 運転できなくなってしまって、 めちゃくちゃ泣きました。 車を止めてめちゃくちゃ泣いたんですよね。 この時のエピソードは、 私の初めての正直、 私ももっと手を抜きたいと記載してありますので、 興味あり方が面白かったらお手に取ってみてください。 その日大阪に、 私は人生で会うはずじゃなかった人に たくさん会っていくんですよね。 それはカウンセラーの方だとか、 市役所の障害福祉の方だとか、 セラピストの方々だとか、 たくさんの、 彼女が自閉症診断をされなかったら会わなかった人たちに、 どんどんこの日から会っていくんですよ。 会うんですけども、 そこで会った人たちからかけられる言葉のほとんどが、 これからどうするかでした。 これからどうするかっていうのは、 私自身の心の処理をこれからどうするか ではなくて、 娘の人生をこれからどうするかっていうことだったんですよね。 例えば、こういう支援の方法がありますよだとか、 こうしたらいいですよとか、 時に困ったことないですかって聞いてくださるんですけども、 それは私の困り感じゃなくて、 娘の成長に対しての困り感への質問なんですよね。 でも、いずれにしても誰もが、 私が母親として何をすればいいのかを教えてくれました。 そこには、私自身が今どう感じているかとか、 お母さんは何に困っていますかとか、 そういうのを聞いてくれる人はほとんどいなかったですね。 さっき言ったんですけど、 私は診断を受けた日、車を止めて大号泣をしたわけですけれども、 その後はほとんど泣かなかったんですよね。 ある時に一回気づいたことがあるんですよ。 私は診断の後に一回も泣いていないなというのを、 子どもを寝かしつけながら思った瞬間がありました。 それをすごく覚えているんですけども、 決して泣きたくなかったわけではないし、 泣く時間がなかったわけでもありません。 じゃあ、なんでつらいのに泣きそうなのに泣かなかったのかなというと、 自分自身が泣いてもいい立場だと思っていなかったと思うんですよね。 私はケアする側の立場で、ケアしてもらう側だということは忘れている。 だから自分の泣きそうな感情というのも、 どうにかこうにか置き去りにしていたような気がしています。 そんな事実があって、でもその後もそういうことがいっぱい起こるんですよ。 例えばシングルマザーとして過ごした日々も、 同じようなことの繰り返しでした。 私自身もシングルマザーという日々が大変な時もいっぱいあったし、 しんどいなって言いたいこともたくさんあったんですけども、 でも子どもたちをケアする側に自ら立ち続けていました。 誰かにね、あなたはケアする立場なんだから、 ケアされようなんて思っちゃいけないのよなんて言われたわけでもないのに、 自分がケアする方が当然だと自分で思い込んでいたし、 周りがむしろそんな風に思い込んでいないかと思って、 それ以外にも自業自得説みたいなのがやっぱりSNS上で流れてきたりするから、 それをひどいと思いながらも、それが正論なんじゃないか、 世論なんじゃないかって思いながら、 自分をケアするなんていう視点を忘れたかのように過ごしていました。 何が言いたいのかっていうと、 ケアっていう言葉を使うとき、 私だけなのか皆さんもなのか分からないんですけども、 無意識に二人の人物を思い浮かべますよね。 それは世話をする人と世話をされる人。 その矢印の一方通行を思い浮かべるんですけれども、 過去の自分を今例に挙げた、 子どもが障害診断された時の自分だとか、 シングルマザーですごく苦しかった時のことを遠目に見ると、 私から子どもたちへの矢印の一方通行じゃなくて、 私もまたケアされるべき存在だったんじゃないかなってすごく強く思います。 だから今日の本題なんですけども、 遠波さんの言うカウンセリングは持続きっていう意味が、 カウンセリングがケアとセラピーに分かれていて、 ケアの部分が特別な部屋に入らなくても、 専門家の人たちに見てもらわなくても、 ケアは日常の中で起きているって意味であれば、 障害診断を受けた時の私も、 シングルマザーでつらかった時の私も、 その持続きの中にあったはずなんですよね。 ケアする立場でありながら、ケアされる立場であったんです。 なのに私は自らそこを外していました。 自分はケアされる立場ではない。 勝手に思い込んでいた部分があるんじゃないかなって思います。 でもね、もうたくさんの方が言われているので当たり前のことなんですけれども、 自分をケアできない人間に、 誰かをケアすることはやっぱりできないんだと思います。 短時間ならできるかもしれないんですけれども、 やっぱり持続可能じゃないですよね。 だから当時の自分を振り返ると、 なんとなく子どもたちをサポートはできていたんですけれども、 ケアはできていたんですけれども、 ずっと大変な子どもたちの生活を支える、人生を支える一人であるためには、 自分自身を支えられる側のポジションに座ってよかったんですよね。 過去の私に言うなら、あなたもケアが必要なんだよって、 はっきりと強く言いたいなって思います。 今の自分自身にもそういうところがあるので、 自分自身にも聞かせるんですけれども、 もし今これを聞いている皆さんが、 誰かをケアしながら、時々限界だなとかって思うことがあったら、 自分自身のことを見ないままにしていませんか?って言いたいなって思います。 そんな強い言葉でありながら、 あなたはケアされる必要があるんだよって、ケアされてほしい。 むしろあなたがケアされて、 あなたの大事な人を守れるあなたになってくださいって、 私は大声で叫びたいと思います。 とはいえ、私はカウンセラーでもなんでもないので、 今日の意見が正しい意見なのか、言っていい意見なのか、 ネット上に落としていい意見なのか、全然わからないんですけれども、 私の過去の経験談からそんな風に思いました。 今日も最後までお聞きいただきありがとうございました。 それでは今日から7月、 誰かの力になるために自分のこともケアしながら、 残り後半戦も頑張っていきましょう。 それでは、今日も皆様にとっていい一日となりますように。 さようなら。 もっと見る対話の本棚(旧:特別支援の本棚)プレミアム放送配信中!06:461.カウンセリングとはなにか?09:212.ケアする人とされる人の二項対立ではないコメント感想・質問・応援メッセージを書こう みぃ7月10日合ってないかもしれませんが、極小人数の学校で過ごした我が子のことと重なりました。みんな違ってみんないい、を学習するとき、発達の凸凹のある子は困ってるよ理解しようね、という取り上げ方をされる場面が多かったです。でも、その子と日々過ごしてる子どもたちはわかっていても対応に困ったり我慢してることがあるのにそこへのフォローは学習ではあまり取り上げられてないなと当時感じていました。今日のさおりさんの放送からそのことを思い出してしまいました。1返信 こむぎ7月1日まさしく、子育て中のお母さんは子供達のケアをしていても自分がケアされることないですね😔私は発達凸凹の息子を育てる中で自分でなんとか対処しよう、と色々勉強しながら頑張ってきました。シングルではないので夫や自分の母親も頼れるので弱音を吐いてはダメだと思っていました。なので本当に辛いと思った時、一度だけ車の中で声を出して号泣したことがあります。今はvoicy聴いたり、不登校の息子とも毎日笑顔で過ごせているし、頼れるものは頼って自分が話せる場をたくさん作って人との繋がりを楽しめています✨3返信 土屋綾乃7月1日✅カウンセリングは普通の生活や人生と地続きにある✅カウンセリングは非日常的な営みではなく日常の延長にあるすごく大事な言葉たちですね‼︎ケアの対象の1番最初は「自分」ですねシャンパンタワーの1番上が自分で、そこが満たされないと他のグラスを満たすことはできない、という例えを聞いたことがあります。シングルのお母さんたちは、つい自分を忘れてしまいますから…そこにケアに入れるような人になりたいです。3返信 AZ7月1日📕🧑🤝🧑🎶🏃💓2返信 AZ7月3日東畑さんの本「雨の日の心理学」を1年前くらいに読んでケアしている人もケアしてもらう必要がある、という当然のことなのにその発想が自分の中になかったことにプチショックを受けました😵そして長男の通っていたカウンセリングに自分も時々話を聞いていただいています。さおりさんの放送を聞いて積ん読になっていた東畑さんの「居るのはつらいよ」を読み始めることにしました📗2
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今日のさおりさんの放送からそのことを思い出してしまいました。
私は発達凸凹の息子を育てる中で自分でなんとか対処しよう、と色々勉強しながら頑張ってきました。
シングルではないので夫や自分の母親も頼れるので弱音を吐いてはダメだと思っていました。なので本当に辛いと思った時、一度だけ車の中で声を出して号泣したことがあります。
今はvoicy聴いたり、不登校の息子とも毎日笑顔で過ごせているし、頼れるものは頼って自分が話せる場をたくさん作って人との繋がりを楽しめています✨
✅カウンセリングは非日常的な営みではなく日常の延長にある
すごく大事な言葉たちですね‼︎
ケアの対象の1番最初は「自分」ですね
シャンパンタワーの1番上が自分で、そこが満たされないと他のグラスを満たすことはできない、という例えを聞いたことがあります。
シングルのお母さんたちは、つい自分を忘れてしまいますから…そこにケアに入れるような人になりたいです。
ケアしている人もケアしてもらう必要がある、という
当然のことなのにその発想が自分の中になかったことにプチショックを受けました😵
そして長男の通っていたカウンセリングに
自分も時々話を聞いていただいています。
さおりさんの放送を聞いて
積ん読になっていた
東畑さんの「居るのはつらいよ」
を読み始めることにしました📗