871.「光る君へ」のまひろと紫式部 作家としての資質の違い(ネタバレが嫌な人、大河ドラマを素直に満喫している人は聞かないでください!)
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タイトルコール ※紫式部に関してはこちらの放送も「452.10分 de 紫式部日記〜日本の名作古典文学を学ぶ22〜」
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大河ドラマを見たり、この先のあらすじを見たりしながら思うこと。 ※関連放送「313.紫式部が書き留めた、酔っ払った道長と家族のやり取り『紫式部日記』」
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紫式部に関しての2時間の有料講座(単品500円)もあります! 紫式部集という和歌集から。
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明日は季節の和歌俳句です。紫式部の作家としての眼差しを感じられる、先日開催した三鷹源氏物語を読む会のアーカイブはこちらから。
コメント

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吉田先生のご意見ごもっとも!です。紫式部の才能の矮小化に他ならないと思います。
昔、情熱大陸の密着取材を受けていた角田光代さんが、「作家にとってもっとも嫌なことは、『この人のこういう経験がこの物語になった』と思われること」といった趣旨のコメントをされていたのを思い出しました。
少年漫画ではそんなこと思われないのに…誰がコナンの作者は謎の組織に追われた経験がある、とか、フリーレンの作者は自分が長生きしすぎて仲間と死に別れたんだろうと想像するというのでしょう!
近代の私小説もそうですし、私が好きになれない近現代短歌の「我(われ)の文学」という扱いも同じです。
もともと和歌の世界では、自分にその体験や感覚があろうがなかろうが本意(ほい)に沿って歌を詠むし、
男性が女性に、女性が男性に、姉が妹に、人間か物語の登場人物に成り代わり歌を詠んできました。
現代人が式子内親王の男歌を読み「恋愛を禁じられた皇女様がこんな激しい恋をしたのか」と読むことにも、(中世からあった誤読ですが)大変近代的なものを感じます。
「確かに題で詠んだかもしれないが、題詠というテイで、題詠だからこそ本心を忍ばせることもできたはず。私にもそういうことがある」
のようなコメントをしていた現代短歌の歌人先生など、
「あなたがそうであることは否定しないしそのスタンスで大いに創作なさってください。しかし、自分の体験しか詠めないあなた自身を基準に式子内親王や他の和歌作者を判断したり共感したりしないでください 」
と思ってしまいました。初学のころのものなので、どなたの言葉が忘れましたが。
オオイシさんが私小説的なものの見方、創作の仕方をすることはご自由にどうぞ、
しかしそれはいろいろある創作方法のなかのひとつであり、あなたがその見方しかできないことを他の、特に偉大な作家に対して当てはめないでほしい、
と強く思います。
……今年の大河、視聴しなくて本当によかったです。
アーカイブで受講した源氏物語を読む会#46「朝顔」。
いつもながら裕子先生のお話に引き込まれて、紫式部のパワーも伝わって充実のひとときでした❣️
あ〜それなのに
ドラマを見たらモヤモヤ...
予告を見てさらにモヤモヤ...
😖
そのモヤモヤが
今朝のお話を聞いて
思いきり共感できて
すっきりしました✨
これからも
「作家 紫式部」を
いっぱい語ってくださいね😊
裕子先生が言語化してくださりスッキリ〜✨✨