246.作者の生活という前書きのない俳句はない〜種田山頭火のポリシー〜
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火曜日にも種田山頭火について話しました! まだ聞いていない方は、リンクから合わせてお楽しみください。
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すぐれた俳句は(中略)その作者の境涯を知らないでは十分に味はへないと思ふ。前書きなしの句といふものはないともいへる、その前書きとはその作者の生活である、生活といふ前書きのない俳句はあり得ない。
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明日はフリートークです! 画像は定期的に出講している小平の「古典を読む会」の活動ポスターです。
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山頭火さんのエピソードや歌を、楽しく拝聴しました。
「さてどちらへ行こう風が吹く」は、私がフィールドワークをしていたときに、よく感じていた気持ちを、山頭火さんが、そのまま詠んでくださって、裕子さんの声色を通じて、すぅ〜っと、心に沁み入りました。
裕子さん、今日も、新鮮な講義をありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。
大変な人生でもがいていたからこそ、その時々に目に映るものを心情の赴くままに作っていったのでしょうか。
前書きは賛否はあるのでしょうが、古典に疎い私は裕子先生に誘われての古典、とても面白いです。
先日古墳を見に行きました。
解説員の説明が無ければ
分け入っても分け入っても青い山,状態な場所も説明のおかげで雄大な歴史に触れることが出来ました。
私も字数を尽くして述べたい事がたくさんありますが、より説得力のある奥野陽子先生の、式子内親王の和歌を鑑賞するうえでの注意点を述べられた文章を引くにとどめます。
(以下引用)
式子の和歌に生身の人生を読み取るような解釈はすでに過去のものになった。
(略)
歌を実人生と結びつけてそこから現実の式子像だと想像されていた式子像は、
実は、式子が虚構した詠歌主体であると考えられる。
(略)
一回的な人生の道のりの中で、その「身」において、数ある創造の可能性の中からその時、選ばれたものである。
それは、
その人の避けがたく引き受けた人生を問いとする選ばれた応え
としてあるはずである。
(略)
知的に作っただけではない、奥底に内発的、生命的なものがあってこそ、詩は詩であろう。
『式子内親王――たえだえかかる雪の玉水』
(いつも長いコメントになってしまってすみません。引用にとどめたのに、長い……)
今日もとても楽しいお話でした。
俳句への態度というか、お話の内容、なるほどと思いお聴きしました。山頭火は前書き的ワタクシがあっての句ととらえますが、例えば、山頭火のことなど何も知らない人が、「何を求める風の中行く」を読み聞きして、キャッチコピーのように、いいなと思ったら、一句独立?でしょうか。
こんなこと思いました。
本日もありがとうございました。