TOPビジネスキャリア木暮太一の言語化ラジオ〜『言葉にできない』を言語化するヒント令和は窮屈か自由か11:44 2024年2月14日 576再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次令和時代の自由と窮屈さとは?平等観の強まりと自由の逆説結果の平等?機会の平等?どちらが理想?令和という時代の生き方とは?あなたの令和は自由?窮屈?AI文字起こし(β版) # はじめに こんにちは。小笛太一です。 今日は、Voicyさんからいただいたお題に関して話をしていきます。 # 令和は窮屈か自由か議論について Voicyさんから、令和は窮屈か自由かというお題が出されたので、これに関して話をしてみたいと思っておりますが、 令和という時代を僕が堪能しているかどうか、十分に体験しているかどうかはちょっとわからないんですけれども、 昔に比べて、より平等意識というか、みんな同じであるべき意識がちょっと強まっているんじゃないかなというのは感じています。 それは何でかというと、より自由になったからだというふうに僕は思うんですね。 これは非常に逆説的なんですが、自由になればなるほど些細な差が目についてしまう。そしてみんな同じであるはずなのにという意識が強くなってしまう。 こんな現象が起きているんじゃないかなと思うんです。 昔、トクビルという方が書いたアメリカのデモクラシーという本があってですね。 このアメリカのデモクラシーって何かというと、アメリカが民主化するにあたって、要は不都合が出てきたという話なんですね。 不都合というか窮屈になってきたという話なんですよね。 民主化されることによって窮屈になったという非常に逆説的な話なんですけど、これどういうことかというとですね、 もともと貴族社会で階級制度があった時には、できることが違っていて当たり前なんですよね。 不平等が当たり前だったから、あの人たちはああいうことができる。なぜなら貴族だから。 うちらがこういうことしかできない。なぜなら平民だから。みたいな、そういう感じの階級制度があった時には、それがみんな受け入れていたというか諦めていたので、 そもそも不平等があるのが当たり前なわけですよ。 なんですけれども、それが民主化されてみんな同じですというふうになった瞬間、些細な変化でも目についちゃうんですよね。 同じのはずなのに、なんであの人だけ。本当はみんな同じはずなのに、なんでうちはできないんだ。みたいな感じで、できないことが目についてしまうっていう、これが平等の弊害だと思うんですよ。 なんかそういう雰囲気が今の令和の時代にもあるんじゃないかなっていうふうに僕は思っていまして。 昔と比べると、あまりいい言い方じゃないかもしれないけれども、みんなが横並びでみんなが自由に平等にチャンスを得られるというような雰囲気が蔓延しているような感じがします。 でもね、実際に平等ってないんですよね。平等にすることって実質不可能だし、あとは仮に制度的に平等だったとしても、捉え方として平等だというふうにみんなが思うっていうのは正直ありえないと思うんですよ。 なので、平等な社会っていうのは僕はないんじゃないかなと。そして公平な社会っていうのもないんじゃないかなと思います。 ある人にとっては公平だけれども、別の人から見たら公平じゃないとかね、そういうことはよくあると思うんですよね。 ただそれが平等であるべきとかですね、みんながこういうふうにならなきゃいけないとか、もちろん差別とか上下を作ったり差を作ったりするってことはいけないと思うんですけれども、 ただそうあるべきというふうに思ったとしてもですね、やっぱり残ってしまうんですよね。 その残った小さいものに対しても過敏に反応しちゃうと、かえって自分たちを不幸にしてしまうので、一種の割り切りが必要なんじゃないかなというふうに僕は思っています。 # 結果の平等と機械の平等、どっちがいい? よく結果の平等とか機械の平等とかいう言葉があります。結果の平等ではなく機械の平等を目指しましょうっていう言われ方もありますよね。 これね一見正しいというかですね一見すごい聞こえはいいんですよ。 ただね冷静に考えてみるとこの結果の平等と機械の平等っていうのは全く同じことを指しているってことに気づくんですよね。 どういうことか。結果の平等というのは要はゴール地点、みんなこういう風にならなきゃいけないと。 みんなこういう結果を得て例えばみんな同じ給料、みんな同じ家です。 みんな同じような状態になる。それが結果の平等ですよと。 ある意味社会が同じになるので均一化して安定するかもしれないですよね。 ただ頑張りたい人にとってはこの結果の平等というのは非常に邪魔なものでもっとやりたいのに何で抑え付けられなきゃいけないんだと。 自分が頑張ってるのに頑張ってない人と同じような結果しか得られないってもらえないのは逆に不平等じゃないかという声があったりします。 なのでそれに対して機械の平等、結果の平等ではなく機械の平等を目指すべきだという風に言われたりするわけです。 ただ先ほども言ったようにこの結果の平等と機械の平等というのは全く同じことを指しているんですよね。 どういうことか。機械の平等というのはみんなに同じチャンスをということじゃないですか。 みんなに同じチャンスをというのはみんなが同じスタートラインに立てるということを意味していると思うんですよ。 みんなが同じ生まれがどうであろうとチャンスを同じようにもらえる。学歴がどうであろうとチャンスを同じようにもらえる。 それが機械の平等みたいな話になるわけですけど、これってスタートラインを揃えているというのと同時にゴールも設定しているんですよね。 要はスタートより前の結果は取りませんということですよね。 要はスタート地点は前のレースのゴール地点なわけですよ。前のレースでそこまで来てそこからスタートする。 人生第2章だとすると第1章みんなが頑張ってどこかに行きます。 だけどその結果どこまで進んだか各自どこまで進んだかは問わず第2章のスタートラインを揃えますという風になるわけですよね。 これって人生第1章の結果の平等になりますよね。 これ本当にいいのかなという話なんですよね。 もちろん生まれの違いによって差が出てしまうというのは好ましいことではないと思うんです。 ただ例えば学歴がどうであれ就職には影響しないようにしますと言ったとします。 最近の就活事例ちょっと僕はわかりませんけれどもかつてそういうことがありました。 学歴問わずみたいなね。学歴を問うてはいけないみたいなそんな感じがありました。 でもねこれって大学受験頑張っていい学校名を手に入れた人からするとこれ結果の平等になるんですよね。 それまでのレースはチャラになります。 同じところから再スタートになりますっていうことだからある意味不平等じゃないかなとも思うんですよね。 なんか哲学的な話に聞こえるかもしれないんですけども要は平等という風な言葉を使うとどっかで揃えなければいけないので 結果的に見方によっては機械の平等だけれども別の見方をすると結果の平等になるから同じことなんじゃないかなって僕は思うんです。 # どう考えればいいか?ぼくはこう思う どうすればいいのかという話なんですけど、 どうすればいいもこうすればいいもなくてですね、 最初に言ったように、受け入れるしかないんですよね。 些細なものなので、どっちにしろ捉え方というか、 自分の解釈次第だから、それを重大なものとして捉える人は 重大かもしれないけれども、そうでもないという風に思えば そうでもないと思うんです。 無くならないですからね。差というのは無くならないし、 不平等というのも無くならない。ある意味不平等というのは 自分で作り出している可能性も非常に高いので、 自分がこれでいいやと、こっちではマイナスだけど こっちプラスもらっているからいいや、トントンだろう、 それでプラマイゼロだろうみたいな感覚で入れた方が 僕はいいかなと思っています。 これは諦めなさいとかそういう話というよりかは、 そっちの方が自分がハッピーに生きれると思うんですよね。 そもそもイケメンに生まれた人、そうでもなく生まれた人、 足が長い人、スタイルが良い人、スタイルが良くない人、 それぞれ色々あるじゃないですか。 だけどそれを言ったってしょうがないですよね。 それにいつまでも固執していたら、本当はあるはずの ハッピーな要素を見ようとしてしまうというか、 気づかないで過ごしてしまうような気がするんですよね。 なので、自分でできることだけやればいい。 周りがどうだとか、チャンスを十分にもらえていないとか、 言ったってしょうがない。 親ガチャだとか、どこ親とか、それこそ言ったってしょうがないじゃないですか。 仮に親ガチャというのはあったとしても、 もうその親ガチャでも生まれちゃっているんだから、 今から言ったってしょうがないよねという話じゃないですか。 なので、それはそれでネタとして捉えればいいし、 先を見た方がいいんじゃないかなと思います。 ということで、テーマとして戻りますけれども、 令和は自由か窮屈か。 自由というふうになってきたがゆえに、 より窮屈さが目立つようになってきたんじゃないかなというのが 僕の結論です。 今いろいろ話しましたけど、結局自分次第なんで、 自分がどう捉えるかですからね。 自分次第で成功もできるし、 そうでもない人生を送ることもできるみたいな話というよりかは、 自分の捉え方だけの話なので、 あんまり気にしない方がいいんじゃないかなって僕は思います。 みなさんはいかがお考えでしょうか。 何かコメントとか感想とかあったらぜひ書いてください。 今日はそんなところです。 ご覧いただきありがとうございました。 もっと見る #令和 #令和は窮屈か自由か 木暮太一の言語化ラジオ〜『言葉にできない』を言語化するヒント木暮 太一 | 68冊197万部の言語化作家00:071.はじめに04:072.令和は窮屈か自由か議論について04:143.結果の平等と機械の平等、どっちがいい?03:174.どう考えればいいか?ぼくはこう思うコメント感想・質問・応援メッセージを書こう chieko2024年2月17日がんばっている人とそうでない人が同列なんてイヤですね。でもサウジみたいに教育や医療がタダになったらいいなあと思います。1返信 YK2024年2月15日捉え方時代で窮屈にもなるというのはその通りだなと思いました。過敏になりすぎることで自己を見失うのは本末転倒ですね。1返信
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でもサウジみたいに教育や医療がタダになったらいいなあと思います。
過敏になりすぎることで自己を見失うのは本末転倒ですね。