TOPトーク専門家横山瑞法のお寺の縁側ラジオカルトとそうで無いもの【#0471】12:47 2024年9月16日 991再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次カルトか否か?その違いとは?絶対的権威と信者の依存性幸せの尺度:内と外からの視点カルト的要素を見抜く方法現代社会に潜むカルトの脅威AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。横山です。 今日は3連休最終日ということで、皆様いかがお過ごしでしょうか。 今日はですね、軽くとそうでないものというちょっと重めのテーマで話してみようと思います。 統一協会の話題も記憶に新しく、僕ら世代、僕ら以上世代だと、 オウム真理教の事件なんかも高らな時期に見聞きしたわけで、 そういう中でですね、僕も坊さんになってこの間ですね、 もう17、18年、僧侶としてやってきて、カルトということについて考えるわけで、 そういう中でカルトとそうでないものを分けるものは何なのかということを話してみようかなというふうに思います。 これもまだですね、自分の中でこれだというものがない中で、 今日はお話をさせていただきます。 その辺だけご承知いただければというふうに思います。 では、チャプターを分けていきたいと思います。 # カルトとそうでないものの違いは はい、ということでカルトとそうでないものの違いということで チャットGPTにも一応聞いてみたんですが、カルトとそれ以外のそうでないものの違いというのは何かというと カルトはリーダーシップと権威というような文脈で言うと 強力なリーダーや教祖が絶対的な権威を持ち、メンバーの行動や思考を厳しく管理、支配する 批判や疑問が許されないのがカルトであると 一般的な宗教はリーダーや指導者は存在しますが、絶対的な権威を持つことは少なくメンバーの自主性や自由な解釈が尊重されますと 2.競技と批判への対応。カルトの競技は絶対的、疑問を持つことや外部の情報に接することが制限される場合がありますと 一般的な宗教、競技をある者の解釈の自由度があり、批判や異なる意見にもある程度の寛容さがあります 3.メンバーへのコントロール。カルトメンバーの生活、交友関係情報アクセスを厳しく制限することがあります。離脱が困難で心理的、経済的な依存が強くなる 一般的な宗教、個人の自由が尊重され、生活や人間関係に介入することが少ないと、離脱も基本的には個人の自由 4.メンバーへの金銭的な要求。カルト、高額な寄付や財産の差し出しが要求されることが多く、経済的な負担がメンバーにかかる 一般的な宗教、寄付や献金はあるが、強制ではなく、個人の意思による 5.外部との関係。カルト、外部の人々や社会との接触を避けるように指導されることが多い。他の宗教や世俗の考えを適当にみなす。一般的な宗教、外部との交流はむしろ奨励され、社会的な活動や多宗教との対話も積極的 6.心理的・身体的な搾取や虐待。カルト、メンバーへの心理的な圧力、場合によっては身体的な虐待が行われることもある。感情的な操作や恐怖を使ってメンバーを支配する。マインドコントロールですね 7.一般的な宗教、メンバーの福祉や幸福を重視し、搾取や虐待は行われない。というようなことがチャットGPTに聞いてみたカルトとそうでない宗教の違い。これ結構ですね、僕の認識にかなり近いですね カルトとは何かというとですね、罪深いものでありますよね。これは言い過ぎと言われるかもしれないけど、いわゆるキラキラポエムで養分にするというのも、これは一種の僕の中ではカルトに見えているわけで 嘘、虚飾の言葉で飾り立てて、実際そうでないように戦って人を騙すというようなことは、これは罪深いという話は以前もしましたけども、勝手に言ってろという風に、罪深いことだけど勝手に言ってろと言えますけども、それを信じてですね、実際に養分になってしまう人がいるというのは問題であるという風に思うわけですよね 引っかかる方もですね、きちんと物事を正しく見れていないという点で愚かではあるんですけども、だからといってですね、そういった養分と言われるようなものになっていいということではなくてですね、キラキラなポエムで人から搾取するというのは、構造的にはカルトと同じであるという風に僕なんかでは見えるわけですね で、どの宗教やどの教えの中にもカルト性につながるものがあるという風に僕は思っています カルトというのは、その教えだとか教義とか思想とか、そういったものの運用の問題、運用の仕方の問題ではないかなというのが思っているところで、これがカルトになる運用はどういうことかというと、先ほどチャットGPTの解釈の話もしましたけども 心身ですね、心と体、そしてそれからつながっていくんですけども、生命とですね、そして財産を脅かすような運用をすること、宗教ですね、宗教や教え、思想やいろんな主義、主張ですね、そういったものを、そういった運用をすることがカルトであるということが一つ、そうかなという風に思うわけですね で、その中で出てきた、先ほどもちょっと出てきましたけども、ただ一つの依存先になろうとする、他の依存先とかを排除して、この心身、生命、財産を奪い取るためというか脅かすことになるために、その人の他のこういう関係とか、よくあるんですよね、家族とか友人関係を引き剥がして囲い込むとか そういった、ただ一つ、これだけがですね、これだけがですね、あなたを救うみたいな、他は正しくないみたいな話をするっていうのも、これはもうカルトであるという風に思うわけなんですね で、まあそういう、カルトとはね、心身、生命、財産を脅かすと、あとはただ一つの依存先になる、他の関係、社会的な関係だとか、心理的な関係だとか、そういうのを除外して、自分のとこだけが正しい、この教えだけがただ一つの唯一の真実であるといって、他のですね、まあそういうね、この教えだけが真実であるというのは まあどの宗教も言うところであるんですけども、ただそれによって、その人の社会的な関係性とか、そういった心理的に依存させるとかっていうのはまた全然別の話なので、まあそういった運用を取るということがカルトであるという風に言えると思うんですね で、ですから、まあいろんな教え、思想、主義主張っていうのは、運用として、こういう運用をできる可能性っていうのをその中に、何というか内在しているわけで、僕がやっているですね、お寺の信仰、仏教の信仰、日蓮宗の信仰なんかもですね、まあちょっとね、これはもう本当は有料の囲われた中で話をしたいけども、まあ日蓮宗系というのは、大変カルトな宗教を生んでいる。 源泉にもなっている、仏教宗派の中では一つであるという風にも言えるわけなんですよね。ですから、それはまあ教えの解釈とか、教えの運用の仕方の中でカルトになっていくので、まあこれも何というか、先日話した空の思想の話に近いですけども、やっぱりそういう使い方というか、どのように使うか、本当にですね、いろんな人が救われるというか、 救いのために、心の拠り所のために、信教の自由の中で運用されている中においては、いいんだけど、幸福のために使われている分にはいいんだけども、まあそうではない。 幸福を育やすために使う場合もあるけども、あまりに専用的に専用的になりすぎて、心身や生命財産を脅かすような運用をしてしまうという場合もあって、カルト化していくというようなことなので、まあ大変ですね。 まあ教え、こういう教えだからカルトではないとかということは一概に言えなくてですね、ましてや宗教だけじゃなくて、この人間社会の中にはカルト的なものが他にもいっぱいあるというふうに思うわけなんですね。 もうここにそういった主義がはびこっていて、人々を苦しめていたり、昔はそうじゃなかったけど、時代が変わって、だんだんそういう人々を苦しめるものですね、になってしまっているものとか、そういったカルトがいっぱいあるわけなんですね。 ただ宗教の1000倍特許じゃないということですね。これはキラキラなポエムなんかもね、そうですよね。なので自分の身の回りにあるカルト的なもの、これは当然ね、100%カルトというものもあるけども、グラデーションが当然あるので程度の差はありますけども、私たちの身の回りにはいろんなカルトがあるわけで、もしかしたら家族みたいなこともカルトかもしれないし、 地方の難しい仕切りみたいな、結婚しないのかみたいなね、そういうことを独身の人に迫るような田舎のおじさんおばさんもこれはもうカルトかもしれないし、と言える部分もあるだろうし、そういったいろんなカルト的なものが私たちの生活にはあるので、 そういったものですね、私たちの心と体や、時には命や、そして財産を脅かす、そしてその価値観だけが正しくて、そうでないものが全く違うというようなことで、私たちを社会的、心理的に描こうとするようなものというようなものに敏感にアンテナを張ってね、すごく生きていくというのは、 こういった情報の多い時代には本当に大事なリテラシーかなというふうに思っております。 # 幸せは個々人の心の中の問題だけど、それだけを唯一の尺度にするのは危険。外側にも参照するものを持つべき。 はいということでまぁちょっとカルトとそうでないものの違いとまぁ カルト的なものがね宗教だけの1000倍特許じゃないよというようなことをまあ 話をしましたけどもねやっぱりなんかこういうのって なんか本人がね良ければいいんだというような 本人が幸福ならね幸せっていうのは個人のものだから本人が良ければいいんじゃないか みたいな話もあると思うんですけどもやはりね なんというかのめり込んでしまうとわからない ものでやっぱりなんていうかねその個人の幸せっていうのはまあそれは当然そうだけども それを外側から見てある程度測れるような尺度みたいなものっていうのは 必要でそれがないと本当に危ないと思うんですねだから外からも 当然個人的な個人の心の中にその人の幸せというのはあるというのは当然だけども やっぱりそればかりに偏るんじゃなくてある程度参照されるよう 幸福の基準というのをやはり外側に私たちというのは持たなきゃいかんなというふうに思う わけで その中の一つの基準になるのが真心生命財産の 脅かすものではないということと あとなんだあそうそうあの一つだけのね依存先になろうとしないか 他の社会的な関係を排除したり心理的に囲ったり するようなものではないかということがですね一つ一つ二つですね その外部で参照する基準になるんじゃないかなというふうに まあ思っているわけでございますということで 今日の私はこんな感じで終わりにしたいと思います 三陸最終日皆さん良い 休日をお過ごしくださいではまた明日 もっと見る #宗教 #カルト #キラポエ 横山瑞法のお寺の縁側ラジオプレミアム放送配信中!01:091.初めのあいさつ09:562.カルトとそうでないものの違いは01:423.幸せは個々人の心の中の問題だけど、それだけを唯一の尺度にするのは危険。外側にも参照するものを持つべき。コメント感想・質問・応援メッセージを書こう 市場性と逆算思考2024年9月16日本当に、情報過多の時代に自分で判断することの難しさを感じます。情報がない時代は、それはそれで目の前にある情報が正しいのかの検証が難しかったのかもしれませんが。11返信 横山瑞法(Yokoyama Zuiho)2024年9月16日難しいですよね。受け取る側の立場としての難しさ、も感じますが、宗教者としての、発信する立場の危うさについても自覚的でいたいと思っています。7
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情報がない時代は、それはそれで目の前にある情報が正しいのかの検証が難しかったのかもしれませんが。
受け取る側の立場としての難しさ、も感じますが、宗教者としての、発信する立場の危うさについても自覚的でいたいと思っています。