TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」出家とは?お坊さんとは?14:26 2024年5月27日 203再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次出家とは何か?その本質に迫るお坊さんとは?役割と誤解動物供養の意義とは?供養の本質:残された人の救済仏教と法:心の平穏への道AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ 僧侶方言の座らない座禅。私は遠通寺副住職方言と申します。この番組は身近な生活と仏教、禅についてお話ししている番組です。 # 出家ってなに? 最近ですね、ここ1週間ぐらいはですね、 更新が止まっておりました。 ちょっと体調を崩しておりまして、 ちょっと更新できずにいたんですけれども、 すっかり元気になりましたので、 久々に放送していきたいなというふうに思います。 今日はですね、 インターネットを見ておりましたら、 ニュースになっておりました、 ニュースというか話題に出ておりました、 ある芸能人の方の出家についてということで、 そのニュースを見て、 自分なりに感じたこと、 その方のというよりも出家について、 出家とは一体何なのかというところについて 話してみようかなというふうに思います。 その方が話されているのを見ていたんですけれども、 出家されて、 でもその方が言われていたのは、 私は動物専門なんです、みたいなことを言われていたんですね。 ちょっとそこの動物専門のお坊さんなんです、みたいな、 出家したと言ってもそうなんです、みたいな説明があったんですね。 その時にちょっと違和感がありまして、 そもそも出家に動物専門も人間とかそんなようなことはない。 そもそもお坊さんとは一体何なんだというところ、 どういうふうに皆さん考えているのかなというふうに感じておりまして、 やっぱり一般的にはお坊さんというと供養する人、みたいなことを思うんですかね。 供養する資格を取るみたいな、そういうふうに思うんですかね。 出家というのはそういうことじゃないですね。 もちろん供養も大事な修行の一つではあるし、 出家をすればお経を挙げられるというわけでもない。 出家をしなくてもお経を挙げられる。 誰でもできる。 教法があってそれを読みなれれば読むことは誰だってできること。 だけど、 お坊さんとしての席があるかないか、 この辺もぶっちゃけ言っちゃえば、 周りの人に認められているか認められていないかというだけの話であって、 どうでもいい。 一番大事なのは出家ということの本質、本当のところ。 どういうことなのかなというふうに思うんですね。 で、 私なんかの場合は出家と言っても寺に生まれちゃってましたので、 出家しましたって言ったって、 家にいる。 家出ではないんですよね。 出る家ですよね。 どういうことなのかということなんですけど、 まあ、仏道に生きるっていうことですよね。 自分は仏道に生きますっていう誓いを立てるんですよね、出家って。 で、店住まいがどこだとか、頭を丸めてる丸めてないとか、 席があるとかないとか、そんなことじゃなくて、 自分は法に従って、 坊さんという生き方、僧侶という生き方をしていきますっていうお誓いを立てるんですよね。 それが出家っていうことだと思うんですけど、 その時にいろいろな約束ごとをするわけですよね。 人のものを盗まないとか、 無駄な摂取はしませんとか、 お酒を飲んだりしませんとか、 なんだろうな、 まあそういう、 ジャインっていうか、 男性であれば女性、 女遊びとかね、 お酒を飲んだりとか、そうしませんとか、 まあそういうことですよね、とか。 そういう表明的な約束、表明的なんていうか、 誰かと仏さんと約束ってことなんですけど、 ご本尊様とか師匠とかね、そういうお人様について お約束をするわけです。仏門に入るということはそういうこと。 で、シャバの一般の生活から離れるって言うんですけど、 結局は生活しているところはシャバですから、 周りの人と何ら変わらないところで生活していて、 ただ、自分の中で何に従って生きていくのかっていうと、 法に従うんです。法っていうのは法律ではなくて仏法。 だから、例えば、相手を傷つけてはいけませんとか、 嘘をついてはいけませんとか、 道徳的なルールってあるんだけれども、 人ってなんかこう、そういう道徳的なルールが分かっていても、 ついついやってしまうってことがあるんじゃないかと思うんですね。 人を傷つけてはいけないってことは分かってるんだけど、 ついつい汚い言葉を使って人を傷つけてしまうとか、 嘘をついてはいけないってことは知ってるけど嘘をついてしまうとか、 そうなんじゃないかなって思うんですね。 子供の頃からずっとそういう話は聞いてるし、 それは頭の中では理解できてるけれども、 実際の行動はそれが守れないまま大人になっていくっていうことだと思うんですね。 僧侶として生きていくとか出家をするとかってことは法に従うので、 例えば嘘をついたとき、もやっと心の中がするじゃないですか。 誰でも。経験あるでしょ。 そのもやっとした心があると思うんですけど、 周りの人に気づかれてないから、周りの人はもやっとするわけじゃないですから、 じゃあ黙ってそのまま過ぎていくわけです。 だけれど本当にそれでいいのかっていうところですね。 法に従うってことはそこで思えるっていう働きが起きるわけじゃないですか。 言語化されてない何か。 それってやっぱり良くないよねっていうところに行ってほしいんですよね。 そうならないためにいいことしようよってことですよね。 そのいいことだと思ったことが相手にとって悪いってこともある。 そういったときは、それは違ったってことでごめんなさいっていうこともあると思います。 だけど基本生き方としては、相手にとって良さそうなこと、自分がいいだろうなと思うようなことをしていけば、 気持ちもいいし相手も喜ぶっていういい循環が生まれるわけじゃないですか。 そこでありがとうとか言われた日にはもう最高ですよね。 お互い気持ちがいい。 そこで見返りがなかったとしても、清々しい気持ちになれる。 もやじゃなくて清々しい気持ちになれる。 あの人困ってるなと思いながらそれを見逃して黙って見てみるふりをしたときのもやとか、 思い切って声をかけて助けたときの爽やかさとか。 そういったところだと思うんですね。 本当に他愛もないことなんだけれども、私はそちらの道で行きますよっていうことが一番大事なんですね。 ちょっと次のチャプターに行きます。 # 仏教とは?供養とは? それでまた 供養というところにお話に 戻っていくと 供養っていうのは誰のためにするのかっていうところなんですね 動物の供養、動物のためのお坊さん っていうのがあるのか、いなかってとこですよね もともとはあんまりお坊さんの多くの方が 動物に対してお気をあげるってことはあまりなかったと思うんです でも現在は 結構そういうのは多い なぜかっていうと 結局 その動物を飼っている飼い主さんたちが悲しむから その悲しんでいる気持ちをどうにかするために 供養するわけじゃないですか つまり供養っていうのは残された人の気持ちをどうするかってことが一番大事なんですよね ですから お坊さんが動物専門とかって言ったとしても動物じゃないんですよ相手は 人間なんですよ 残された人 人間を対象にした お坊さん だとしても 亡くなった人のためにお気をあげているようでいて残された人の救いになる 奉養を 営んでいく行事でいく 修行していく それがお坊さんじゃないですか 供養もそうした修行の一つなんですね残された人の 修行 それを導くためのお坊さん そういうふうになっているわけです ですから決して幽霊みたいなものを相手にしてやってるわけではなくて目に見えないね そういうものを相手にしているっていうよりも 目に見えない働き 法という働き 悲しい とか 怒りとか 苦しみとかそういったものいろんな 感情思いというものがあったり考えとかあったりするわけじゃないですか 握るものがあったりそうしたものを手放して楽に なれる道があるよっていうのを指し示していくのが坊さんの務めなんだと思うんですね ですから 犬や猫や その他動物た抜きやイノシシシカ様々動物もいるし そして動物も人間も同じ命 そしてそれによって悲しむ人がいたり苦しむ人がいたり いろいろいる そこから離れられない 掴んじゃって離れられない人もいる悲しくて そういうのを取り憑かれたとかっていうことを言うわけじゃないですか離れられないこと 握ってしまったことをそういったことを手放していく そうすると 楽になる ですからお経っていうものを通して 残された人がそれを供養することでスッキリする で供養するのは誰の仕事かというとお坊さんがするわけじゃないんです お坊さんが同志として 導き役として 取り仕切るんだけれども 共に修行するわけですですから手を合わせたり頭を下げたり お商工したりお経と一緒に読んだり 度胸をするじゃないですかを声を出している そういうの共に修行するわけです 導き役のお坊さんと共に残された人たちが共に修行するんです ですから救われるんですね そうした時にちょっと難しいお経の本だったりすると何言ってるか分からなかったりする から ちょっと お坊さんいいお坊さんだったらそこで法話とかをしてくださってきちっとその救いの内容を解いてくださる ですからその言葉をヒントにしてまた 次からの今日からの人生を いい方向に 進めるために そういうヒントにして生きていきましょうってまあそういう区切り区切りのものが法事っていうものなんですよね 今日はですね まあそのある芸能人の方の出家のニュースから なんか出家って言って何なんだってちょっとね 思ったところそれからお坊さんって一体何なんだろうというようなところ そんなところが まあ一般的にあまり皆さんうまく伝わってないんじゃないかなと思いまして まあ今日このような放送してみました 久々の放送になりましたけれどもまた今後ともよろしくお願い致しますいいねフォロー コメントもぜひお願いいたします それではまた次回お会いしましょうさようなら もっと見る #禅 #仏教 #お寺 #僧侶 #お坊さん #円通寺 #出家したい 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!00:141.初めのあいさつ08:532.出家ってなに?05:213.仏教とは?供養とは?コメント感想・質問・応援メッセージを書こう 矢内正和2024年5月27日体調を悪くされていたんですね。大丈夫ですか??お大事になさってください。次の放送も楽しみにしております。1返信 邦元2024年5月27日もう大丈夫です^_^ありがとうございます1
勉強は寄り添い型がよいのではないか 17分・19時間前・ 132再生AI目次「勉強しろ」が逆効果な理由自主性を育む勉強習慣の秘訣スマホ時代の子育てにおける課題親ができる「伴奏者」としてのサポート受験制度が奪う本当の学びとは
太極拳の振り返りから雑談 1時間17分・9月13日・ 126再生AI目次太極拳の呼吸と護身術の奥深さ雨が呼ぶキノコと蚊の意外な生態焦らず事態を受け入れる心のあり方リスナーとの交流が織りなすVoicyの魅力大爆笑!まさかの視力検査の珍解答
おはようございます✋😌👌太極拳の朝 17分・9月12日・ 72再生AI目次太極拳と禅の心:続ける意味「自分のものになる」とは何かヨガ・座禅にも通じる心のあり方集中力と無言の深い関係性「喋らない」がもたらす成長とは
嫌われたくないと思う 17分・9月11日・ 218再生AI目次なぜ人は嫌われたくないと感じるのか一人で生きられない人間の本能とは嫌われる覚悟で伝えるべき真実固定観念に縛られない自由な生き方僧侶が語る「耳が痛い話」の真意
9月9日重陽の節句の生放送🌰 48分・9月10日・ 131再生AI目次9月9日 重陽の節句 不老長寿の願い慈悲の行を実践『窓下の会』の理念プロの教え:法要準備と心の鍛錬29代目住職、数字「9」への新たな解釈栗味は苦手?リスナーと語るおすすめお菓子
わかるとか、わからないの話 14分・9月10日・ 180再生AI目次「わかる」「わからない」という枠組み「知っている」の定義:子どもと大人の違い言語化の限界とAI時代の「わかる」仏教の視点:知識ではない「そのまんま」本当の「わかる」がもたらす変化とは?
#1212 嫌な人という存在を有難くいただく✋😌👌 18分・9月8日・ 243再生AI目次嫌な人の正体とは?ご都合フィルターの存在五感で受け止める世界と二次的な感情「嫌な人」を修行の場と捉える視点握らずに流す実践と距離を取れない対処法そもそも嫌な人とは?仏性の働きに委ねる
#1211 マイナスの言葉をプラスに変える力って 1時間3分・9月7日・ 94再生AI目次マイナスの言葉、本当に無意味なのか人を動かす言葉と、心の傷「気合」だけでは足りない言葉の力「まどかの会」が示す、新しい人の繋がり90点でも足りない?子どもの存在価値
お大事になさってください。次の放送も楽しみにしております。