TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」#470 子供の幸せ、生きること死ぬこと16:15 2025年2月15日 411再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次子供の自殺増加という現実と向き合う生きづらさの原因と、社会の在り方点数主義からの脱却、真の幸せとは?子供たちの未来へ寄り添う大人たちの役割幸せな生き方、そして死生観についてAI文字起こし(β版) # はじめに おはようございます。僧侶方言の座らない座禅の時間です。 私は縁通寺住職方言と申します。 この番組は救いのある仏教や禅、教育、子育て、人育てなどについてお話ししている番組です。 今日は土曜日、 プレミアム配信も してみましたけれども ぜひ興味ある方は購入の方よろしくお願い致します。 今日は土曜日ということで、お寺の方ではイベントが行われます。 今日は大曲県のイベントが午前中あります。10時半からかな。 1時間。 明日はですね ヨガの イベント10時からというような形で、土曜日と健康な 体づくりという形で イベントがありますので興味ある方はぜひ ご参加ください。 予約していただければ、何かDMでも 構いませんので何かご連絡いただければ参加可能だと思います。 よろしくお願いします。 # 生きること死ぬことについて さあ、今日はですね、ちょっと考えていることを少し話させてもらおうかなと思うんですけど、考えているといって、いつもまあいろいろ考えることがあるんですけれども、 ここのところですね、このVoicyの中でもそうなんですけれども、子どもの自殺者数増加についての話題があちこちであるなというふうに思っていて、 そういうのを聞いていって、やはりこう、全体の数としては減っていると言いつつも、中高生が自殺してしまうということで、その数がですね、増えているということなんですよね。 これ、本当に悲しいことだなと思いつつ、やっぱりここなんでかなというのは、やっぱり考えなきゃいけないですよね。みんなが考えなきゃいけないところなんだろうなというふうに思うんです。 こういうのって数字で出てくると増えた減ったってことで、冷静な判断としてはそういうところはあるんですけど、感情論でいけば、やっぱり一人でもいるとね、やっぱり寂しいことですよね。 そういう道を選ばなきゃいけないということに至ってしまうということはやっぱり寂しいなというふうに思うし、どうにかできないものかなというふうに考えさせられちゃうなというふうに思っています。 自殺をしてしまう、そういう道を選んでしまうということなんですけれども、その裏にはやっぱりこの生きづらさというのがあるわけじゃないですか。 死にたくて死ぬんじゃなくて、生きたくて、だけど生きれないから、生きる道がないと思ってしまうから、その道を選ぶということに至るわけですよね。 周りからね、すれば、どうにかすれば、誰かに相談したら道が開けると。何か違う道が開けるかもしれない。とにかく自分の中だけでもがくんじゃなくて、周りに助けを求めてほしいというふうに思うんですよね。 本当にそうだと思うんです。それができたらいいなというふうに思うんですよね。 自分のいろんな価値観に振り回されていくんだろうなというのは思うんですよね。こういうふうな生き方をしなければいけないという枠があるような気がしちゃうんですよね。やっぱりこれってすごく生きづらい状況にあるんでしょうね。 本当にこれってそう思うんですけど、例えば、知識がたくさんないといけないとか、見た目はこうじゃなきゃいけないとか、何だろうな、そういう縛られの中で生きていると、 やっぱりつらくなるのは当たり前じゃないですか。そういうものを感じるような生活をしちゃってるんですよね。させちゃってる大人たちとか社会の雰囲気があるんでしょうね。 本当に仏教っていうね、私は坊さんなんでそういう視点でいくと、本当はそんなことないよっていうところを伝えていかなきゃいけないなっていうのをつくづく感じますね。 私のこのボイシーのチャンネルはほとんど若い子は聞いていないので、直接は伝えることはできないんですけど、私教員もやってるんで、そういうことを子どもたちに伝えていく必要があるなというふうには思っているんですよね。 やっぱりこういうのを考えていると、そういうムーブメントっていうのが起きつつあるのかなと思っていて。 最近ネットとかテレビとかもそうですけど、見てると、ラッパーのシャンミナのプロデュースの花とかってね、女の子のグループがデビューしたのかな、なんか曲を出してましたけど。 ああいうのを見てても、オーディションの時からチラッチラと見てはいたんですけど、自分に自信がないとか脳を突きつけられた子たちが表に出ていくみたいなところで。 そういうところに寄り添うシャンミナの姿とかが、YouTubeとかでオーディションの様子の中で描かれてましたけど。 まあそれってすごい大事なんだろうなぁなんてちょっと思いましたね。 そういうふうに言われてしまって傷ついて自信がなくなっている子たちに寄り添う存在が誰かいれば輝ける。生きていける。 あえて表に出てみんなにっていうのは稀な話ですけど、そうじゃなくても、別に表に出てこなくても自信持って普通に生きていける。 人と違ったって当たり前って思える。 だからそういう寄り添える存在、大人、社会っていうのがあるといいんだろうなって思うんですね。 特に子供にとって一番身近な社会っていうと、やっぱり学校になるんだろうなって思うんですよね。 だからこの学校がそういう居心地のいい場所、そして認められる場所じゃないといけないし、 昔ながらの学校の良さもあるんだけれども、そういう中でこうあるべきとかこうじゃなきゃいけないが、あまりにも強い時代がずっと続いていたので、 それが当たり前になっている大人たち、やっぱりこれへんの価値観というか感覚を変えていかなきゃいけないというのは、そういう難しさもあるんだろうなって思いましたね。 だから今まで当たり前だと思っていたことを一回疑ってみるっていうこと。これが楽だとかなんだとかっていうことじゃなくて、 身心地がいいかどうかとか、子供たちを主語にしてそういうふうに考えていく必要があるなというのは、つくづくこのニュースを聞いて、最近よく考える話だなというふうに思っています。 皆さんどういうふうに考えていますかね。聞いていらっしゃる方は大人の方ばかりなので、そういう社会をつくったりとか子供を育てたりとかという中で、やっぱりいろいろ押しつけちゃうところってないかなって思うんですよね。 社会の仕組みがどうしても受験とか勉強しなければいけないみたいな雰囲気ってあるじゃないですか。点数主義みたいなのが、今でもまだまだ残っているのかなというふうに思うと、そういうのを押しつけてしまうことの怖さ、もうちょっと感じています。 # 続き この受験も含めて点数主義みたいな、テストの点数を取れていることが全てみたいな感覚というのは今でも残っているような気がするんですけど、 これってやっぱり社会が変わらないと難しいところでもあるけれども、個々のレベルでもそのへんの価値観が変わっていかないと、塾も含めてずっと在り方は変わらないんだろうなと思うんですね。 やっぱり塾はビジネスでやっているわけですから、そこで収益を上げなきゃいけない、点数を上げるということを売りにして、人を集めてお金を落としていただかなきゃいけないというところでやっているわけで、 実際そこの成果が仮に出なかったとしてもいいわけじゃないですか。出ないとその後続かないというのはあるかもしれないですけど、極端なこと言えばそういうところもある。その子その子の一人一人の人生とか、そこに寄り添うような塾であればいいですけど、 そういうところの在り方も考えなきゃいけないし、もっと広く見れば知識なんて覚えたところで忘れていくものじゃないですか。 本を読んだって僕なんかもどんどん忘れちゃうし、いつまでも覚えていられるわけじゃないじゃないですか。これいい言葉だなと思ってたってすぐ忘れちゃうし、もう一回確認しないとわからないし、そういうものだと思うんですよね。知識とか記憶なんてものは。 だからそういうのは多分これからはずっと機械に頼っていくんだと思うんですよね。スマホ的なこういうコンピューターに頼っていくんだと思うんですけど、そうすると本当に人間が幸せに生きていくってどういうことなのかなって思うと、やっぱりさわやかに前を向いて生きていけるっていうことだと思うんですよね。 そのことだけでいいんじゃないかなとかね。生きていられたらいいんじゃないかなとかね。こういうときやっぱり思うのは、私は自分の娘のこととか思うんですけど、生涯のある娘のこととか思っちゃうんですけど、 何ができるようにならなきゃいけないとかっていう価値観の中で娘を見たら、何もできないですから、何かができるようになるってことはまずないわけで、だからそうすると人間としてダメなのかっていうことになっちゃうんじゃないですか。 だけど、その娘に生きていてくれるっていうことだけで私はもう十分感謝してるので、何かこれができるようになるとかあれができるようになるとか、こういう力を身につけるとか、もちろんそういうことができる人はいいですけど、じゃあできない人はダメなのって言ったら、 まあそういうことじゃないんだろうなと思うんですよね。 だからそこで障害者っていう名前をつけると、なんとなくこう、その人は別だから特別枠ですみたいな。 そういうことじゃないと思ってて、健常者と言われる人であろうと、障害者と言われる人であろうと、やっぱりみんなそれぞれ、まあ大きく見れば生きてるだけでいいし、 じゃあ死んだらダメなのかって言ったら、死んだって別にいいし、死んだっていいっていうか、みんな死にますからね、生きてる限りは、いつかは。 それをわざわざ自分で選択する必要はないし、どうせだったら生きたいと願っているんだから、堂々と生きれる、そういう社会だとか、環境が整うといいなあなんていうことは、答えは出ないまでも思ってしまいますよね。 いやー、ちょっといろいろね、考えさせられてしまいました。 というちょっとね、ひとりごとの会でございます。 いいね、フォロー、コメント、ぜひお寄せください。 今日はこんなところにしたいと思います。 それでは、良い週末をお過ごしください。さよならー。 もっと見る #禅 #仏教 #生きる #自殺 #死ぬ #お坊さん 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!01:351.はじめに09:282.生きること死ぬことについて05:133.続きコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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