TOPライフスタイルメンタル・心理学僧侶邦元の「すわらない坐禅」再アップ初の対談【対談】ヨガセラピストHIROMIさんとヨガや仏教の話などなど色々しました。56:43 2025年5月26日 244再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次HIROMIさんとのヨガ談義、イベント告知ヨガ講師10年、HIROMIさんの歩みヨガとの出会い、そして指導へ子供と将来の夢、自由と責任のバランス座禅とヨガ、そして人生についてAI文字起こし(β版) # 再アップになります 僧侶方言の座らない座禅の時間です。 この番組は、救いのある仏教や座禅、教育、子育て、人育てなどについてお話ししている番組です。 私は遠通じ住職方言と申します。小学校の先生もしております。 さて、 今日も 再アップの 回です。 これはですね だいぶ前に撮ったものですけれども 撮った放送ですけれども 初めて対談をさせていただきました。 ヨガセラピストひろみさんとの 対談の 内容になります。 まだ 去年になるのかなぁと思いますけれども 放送 いたしましたので 12月だったかなぁちょっとは詳しく覚えてないんですけれども 12月なる前だったかな11月だったかな 昨年の冬に撮ったものになります。 一度ですねちょっとプレミアムの方に入れてしまいましたのでそれを復活させて今回 アップいたしますので よかったら聞いてみてください どうぞ # 初めのあいさつ 僧侶方言の座らない座禅、今日は対談ということで、ヨガセラピストヒロミさんをお迎えしてお話を伺いました。 今度ですね、12月の22日にキャンドルヨガイベントがございます。 そちらの告知もありますけれども、そのヨガイベントの前に、ヨガのことや子育てについて、様々な話をしましたので、もしよかったら聞いてみてください。 # 【対談】ヨガセラピストHIROMIさんとヨガの話やイベントの話をしました。 改めまして、こんばんは。 今日はヨガセラピストのひろみさんにお越しいただいて、対談ということでさせていただきたいと思います。 よろしくお願いします。 よろしくお願いいたします。 今度は12月22日にキャンドルヨガのイベントがあるという、先駆けての対談という形でさせてもらえたらいいのかなと思っていて、 今日は日頃からお世話になっているひろみさんに改めてヨガのことをいろいろ聞いてみたいなと思っております。 よろしくお願いします。 早速なんですが、自己紹介ということでしていただいてもいいでしょうか。 自己紹介。 自己紹介いいですか。 どの程度の時間。 簡単にでもいいですし、自分のこんな人ですみたいなのが伝わるようなのがあればお願いします。 心にそっと明かりを灯すともるヨガということで、ヨガの講師を10年ほどしております。 よろしくお願いします。ひろみと申します。小田原に住んでおります。 はい。ありがとうございます。 10年やられて知らなかったです。 そうですね。もうすぐ10年になります。 それとは、要するに練習というか、生徒さんとしてやってた頃から入れてるってことですか。 それを入れるともう20年。 そうなんですね。 指導者になるためにはそれなりに長く、年数とかが必要なんですか。期間はそんな関係ないんですか。 ヨガをどのくらいやってたかっていうのは実は関係なくて、一応学校というか、ヨガを見かけ取るための学びがあるので、 そこに通って勉強をして、試験を受けてっていう感じで。 それで講師には慣れてしまうんですが、実は大事なのはそこは本当に最初のスタートラインに立っただけで、その後の学びのほうが本当にエンドるという感じですね。 じゃあお坊さんと一緒かもしれないですね。教員もそうかもしれないですけど、お坊さんも。 お坊さんになる、得道するっていうのは、その儀式に出て出家出家をするっていうことで、得道式をやって、 お約束をするんですよ。こういう戒律を受けて、私は嘘をつきませんとか、 お酒飲みすぎて我を忘れたりしませんとか、女性の関係とか、悪いことしませんとか浮気とか、そういうのをお約束するんですよ。 それで得道って言うんですけど、それが僕の場合は中2の14歳の時にあったんで。 あ、そんなに早くするんですか? いや、決まってないです。若い子は、それこそ7、8歳とかでやるような子もいるし、もっと後の大人になってからやる人もいらっしゃいますし、全然決まってないんですよ。 そうなんですね。年齢によっては、自分が誓っていることの意味も理解するのも難しかったりしそうですよね。 多分何もわからないで、よく保つって返事をするんですけど、よく保つってとにかく言っとけとか言って言われて、儀式をやるんですけど、そうすると得道したって形だけになるんですよね。 だからその後の方がよっぽど大変ですよね。 そうですね。そうするとやはり、最低限のことを教えてもらうという感じなので、仏教もヨガもとても近しいものだとは思うんですけど、学ぶことが多すぎて。 本当ですよね。今伺ってて全然話しとれちゃいますけど、資格って全部そんな気しますね。資格って取るのが大変とか、いろいろあるんでしょうけど、資格持ってるからいいかっていうと、そんなことないですよね。 本当にそう思います。それをどう生かすのかって、その資格にあぐらをかかずに奢らず、その肩にはまらず、自分の個性というか持っている武器といったらあれですけど、インタラクターも一人一人、お坊さんも一人一人違いますから、 自分の個性をどう生かしてお伝えすることができるのかっていうのを学びと掛け合わせながら、自分が伝えたいことはどこなんだろうっていうのをどんどん具体的にしていくっていうような作業をずっとしているような、そんな感覚ですね。 ちょっと話、自己紹介の流れで、ヨガとの出会いっていうのを聞いてみたくて。普通に生活してたら、僕なんか本当にそれこそヨガっていうの何にも触れないで、つい最近まで来てて、ひろみさんとのご縁いただけてからのスタートだったので、全くなくて。 鶴太郎の、鶴ちゃんのヨガの。 どのヨガに触れるかで、本当にヨガのイメージって、生まれたてのひなが、最初に目にした人をお母さんだと思っちゃうみたいなのと同じで、最初に触れたヨガとか見た映像で、あ、ヨガってこういうものなんだって入ってしまいますからっていうのがありますよね。鶴太郎さんもなかなか真似できないような。 すごいですよね。 見てると、もしかしたらお釈迦さんがやってた苦行とか、そういう方向なのかなとかちょっと思っちゃったりするぐらい。 苦しくなければいいんですけど、辛そうにも見えてしまったりして。 分かんないですけど、本人じゃないと。 ひろみさん自身は、どんな出会いというか、ことをきっかけで。 まあ、特に面白いお話でもないんですけど、私は子供が3人いるんですね。 20代の頃に3人出産してまして、もともと体を動かすのがとても好きだったんですが、子供を子育てを3人している中で、なかなか自分の時間というのが取るのが難しくて、また特に外に出て、外に出て何か体を動かすっていうのは本当にできなくなってしまって、何か自分の中のバランスを取るのがすごく難しくなっちゃったんですよね。 ストレス発散ではないですけど、何かしたいなっていうのはずっとあって、そんな中で私はまだ若かったので、雑誌を読んだりとかして、このモデルさん素敵だなとか、モデルさんがいらっしゃったんですが、この方がヨガを始めて、本を出したりDVDを出したりしてたんですね。 それはずっと気になっていて、それを買ったのが初めかもしれないです。 しばらくは本当に自分でまた他のDVDを買ったり、ちょっとずつ本格的なDVDを買って、濁流というか、努力しながらやってという感じですね。 お仕事もしていたので、なかなか努力しながら流れていくっていうのが難しくてですね、また自分でできちゃうなっていうところもあったんですけど、今の私から思えば、自分でやるのと誰かに伝わるのは全然別物ではあるんですが、その時はそういう形でしばらくやってましたね。 そこから実際に誰かに教わろうという感じになっていったんですか? そうですね。何か大きいスタジオに通うとかではなくて、私が初めて教わったのはおじいさん先生だったんですよ。 まあといっても、私は今その方の歳に近づいてきてると思うんですが。 当時は30代前半とかだったので、その方が60くらいだったんですかね。 会社を知り続けて教えてらっしゃる方だったんですが、その雰囲気がすごく良かったので、そこにお世話になってました。 そこから自分で今度は指導していくっていう方向に。 そうですね。通ってた時は自分も指導者になりたいって思ってたわけではなくて、実は普通の生活の中で、娘とのひょんな会話からがわたくしなんですよね。 なんか、世がこう、インストラクターになりたいってずっと思ってたわけでは本当になくて。 40歳を手前に、10歳、8歳、9歳くらいの時に、その時当時小学生だった生徒が小学生だったんですが、お母さんの夢って何?って言われたんですよね。 大きくなったら何になりたい?みたいな感じで。 はっとして、自分個人の夢を持つっていうことを忘れてたというか、ちょっと置いてけぼりにして生きてきた。 もちろん子供を育てるっていうのは素晴らしいことですし、それがその時の自分の捧げるものであったんだけれども、 少し一段落ではないけれども、ちょっと子供も少し手がかからなくなってきて、自分も40歳で折り返しみたいなイメージとしては折り返しかなというところで、 今までいろんな人のお世話になってきて生きてきたけど、ここから先の人生で、今度自分が恩返しというか、自分のできることで何かできないかなっていうふうに考え始めたスイッチが入ったきっかけだったんですよね。 そうなった時に、自分の得意なこととか好きなことやりたいことって何かなってなった時に、ヨガいいかもっていうのがきっかけですね。 でもすごいラッキーというか、なかなかそういうのって見つからないですよね。多くの人は好きなことがそのまま仕事になるってあんまないんじゃないかなって思うんですけど。 思い返してみると、今もなんか実は昔から自分の未来のビジョンっていうのをなんとなく描いてて、こういう本が家に置いてあるんですけれども、そのヨガもパッと出てきたわけでは実はなくて、 例えば、ジョギング。ちょっと30代の頃に走り始めたりとかしてる中で、体が歪んでるなーとか。体のことが元々結構好きだったので、なんか歪んでるなーっていうことから足の裏を育てるっていうものを習ったんですね。 体育所で教えてる先生が教えてくれる足を育てるっていうのを書いて、即育、従業員のことっていうものを、東京まで実は通って、その足の裏の使い方っていうのを学んだんですよ。 正しく立つってどうなんだろうとか、人間の基本動作の歩くとか、そこから走るとか、それはやっぱり正しくできないと歪んでしまうなーって、体にいいことをやってるつもりが、その歪んだまま何か過度な運動をしてしまうと逆に痛めてしまうんじゃないかなっていうところから、こういうのを学んだりしてたんですね。 で、その場所にヨガの講師の方も一緒に習いに来てたりとか、そういう出会いもあったりとか、複線がいっぱいあったというか、自分の流れが。それが一本ずつ集まってきて、ひっきりが一本の線になったような、あ、ヨガだ!っていう。 すごいですね。そういうのあるんですよね。なんか動き出すと。一歩動き出すと周りの環境とかがどんどん変わっていくみたいな。そういうのありますよね。勇気出して一歩動き出すとっていうか。僕もそういうの感じるなと思ってたり。 今いる現在地から、そうやって今発表を振っていただいて、過去の記憶を辿って手繰り寄せていくと、そういえばその前に即行く足の裏を学んで、あれがなければなかったし、さらにその前に走ってなければ歪みにくかったしとか、どんどん手繰り寄せていくと、すごい過去までずっと何か繋がってるなっていう気はしますね。 面白いですね。今ちょっと話を伺ってて、子供って将来何になりたいって、僕も学校勤めてて、何人かの子供に聞かれたことありますね、やっぱり。将来って、もう将来あるのかとかって。 私はもう大人になっちゃってて、将来なんてないような気でいたけど、別にその先の夢なんて何も考えたこともなかったときに、やっぱりそういう質問が来たときに、詰まった覚えを思い出しました。何も出てこなくて。将来って、もう結婚もして子供もいて、どうだ、あと何があるのとか言って。 もう完全にハマってますね、二人。子供の視点が本当に自由で柔らかくて、刺激というか学びになりますよね。ご住職は日々子供さんたちと触れ合っていらっしゃるので、すごく刺激を受けて羨ましいですよ。 確かに、そういう面ではすごく学びは与えてくれますよね、本当に。 子供たちの好きな目を、今の子供の仕事という時間軸を一本見たときに、私が遡って思い出したのと同じように、やっぱりそこを辿っていくと、好きなこととか興味があるということにちゃんと行動を起こしたり、勝ちなかったり。 例えばその時はできる状況じゃなかったとしても、何かずっと心の中にそれを持ち続けていたりすると、私のヨガの講師になれたみたいに、何かそれが実るというか、来るんだなっていうのは大きくて。 私も子供に携わるときというか、自分の子供なんですけども、基本的には本当に好きなこと、自分が楽しむこと、喜びを感じられることにエネルギーが欲しいなっていうのは思いますね。 なんかちょっとヨガじゃない話で、今ちょっと子供の話聞いてきたんで、ちょっとふと思ったんですけど、僕最近子供たちが、子供たちがというか世の中が、好きなことをしようみたいな。 そういう方向で動いてて、好きなことだけできてたらいいんだけど、好きなことをやるためには、嫌なことってやっぱりくっついてきちゃって、自分の都合のいいことだけじゃなくて、やりたくないこともあるじゃないですか。 だけどなんとなく、やりたいかやりたくないかっていう物差しで全部測って、やりたいことだけやって、やりたくないことはやらなくていいみたいな、そういう教育っていうか、風潮というかわかんないんだけど、そういうのあるような感じしちゃってて。 お子さん3人育てられてることも含めて、その辺で感じてることってありますか? そうですね。私が思うのは、例えば、私あんまり子供の習い事をさせてないというかやってなかったんですけども、それは私の考えでは、子供が本当にこれがやりたいとか、興味持ったものに対しては全力で応援すると伝えておきました。 なので、やりたいって言ったものに対しては、インスタンスをとるけれども、例えば、私がこれやった方がいいんじゃないとか、みんなやってるよとか、そういうふうに本人が本当に望んでないことをやろうとした場合っていうのは、無理しさせないようにしなきゃいけない。 だから逆に、自分がこうやりたいって思った時は、自分で選ぶっていうことをいつも言ってた。人がどうじゃなくて、自分で考えて、自分で選ぶんだよ。でもその自分で選んだことには責任を持つんだよって、セットだっていうのは伝えてましたね。 自由と責任みたいなのはセットかなって僕も思っていて、やっぱり子供が自分で選択したことってやっぱり自分やる気があるし、続くと思っていて、だけどそこには責任がついてくるっていうのは教えているなって普段からそういう意識でお話ししてるなと思うんですけど。 大事ですよね、やっぱり。 子供だけじゃなくて、本当に自分自身も大人もね、みんなこの世界で生きているときには陰と陽じゃないですけど、陽極のものがセットになっているじゃないですか。 自由を手に入れた代わりにやっぱり寂しさだったり孤独だったりっていうことがあるし、必ず両方の側面があるっていうのを知っているというか、学び続けていればそこに繋がるのかな。 たとえばもっと大人になったときに、きっとすごくつらいこととかきっとあると思うから、そのときにでもこの側面だけじゃないんだっていうのを知っているかどうかってすごく刺さってなると思うし、そういうお話も結局お寺さんと関係してくるのかなとも思ったり。 結局そうなっちゃうんですよね。 引き継ぐところは結局仏教になっちゃうんですけど、僕なんかそうだなって思っちゃう。 好きか嫌いかっていうので物事を見ていくと、食べ物でもなんでも好きか嫌いは必ず出てきて、 だけど大事なことは、それをありがたくいただくことだったりするじゃないですか。食べ物だったら。 ありがたくいただけるかどうかのほうが大事で、好きか嫌いかっていうのはその人の好みの問題なんで、問題じゃないというか。 どう思ったっていいけど、ありがたくいただきなさいっていうか。 もちろんお腹いっぱいで食べれないとか別な話ですけど、そういう部分なのかななんて結構。 いつもご住職とお話ししてると終わらなくなっちゃって、引き継ぐところはだいたい同じような情報が出るんですけど、 結局自分が嫌いだと思っているものも誰かにとっては好きだったりするわけで、 自分の視点だけで嫌いというものを見ていけないっていうのがすごく大事かなと思っていて、 世界ってやっぱり大きく捉えると、国と国の問題でまた戦争だったりとか、 政治家だったら党と党の問題だったりとか、 何か一人一人と若いものとか、分断してしまうことによって優しい世界じゃなくなっていくっていうのは起こっているので。 自分以外の視点だとか存在だとかを認めることができるっていうのは、 やっぱりその大元になるベースっていうのは、自分が自分を大切に思えていて認められているっていうのが大前提。 その細かい部分がまずはまずだと思っているので、 ヨガではそこをお伝えして、まずは自分の呼吸に安心できるような心だとか。 っていうのが私はすごく大事かなと思っていて、 やっぱり自分に安らげるっていうことは、自分のハーって吐いた時に帰ってきたっていうかね、 自分とつながってるなっていう安心感っていうのは、それは結局その周りの家族であったりとか社会だとかとつながるすごくベースになると思うんですよね。 その安心感があるからこそ、自分を使える、ちゃんと自分を誰かの役に立てたり、 犠牲にしたりとか無理をしたりとかではなくて、 自分を安心にしながら、誰かや何かの役に立つことに喜びを感じられるような、 そういうサイクルというか、そういうのが来るんじゃないのかなっていうふうには思うんですよね。 なんか今伺ってて、自分を大事にっていうところで、 自己肯定感ってよく言うじゃないですか、最近っていうか、ずっと言ってるのかもしれないですけど、 自分を好きにならなきゃいけないとかって、それが僕はすごく極端な感じしちゃってて、 好きにならなくていいんじゃないって。肯定しなくてもいいんじゃないっていう。 大事なのは否定しなければいいんじゃないかなって。 なんていうか、それ極端すぎちゃって。 好きまでいっちゃうとちょっと違和感あるなって。 よく子どもたちにアンケートとかあるんですよ。 今そういう肯定感を調べるために、自分のことは好きですかとかアンケート取ったりするんですよ。 そういうのも、好きすぎではないなって、好きとは感じないなって正直に答える子もいるわけですよ。 そのとき、自己肯定感が低いっていうふうに取られちゃうんですよ。その数字だけ見ると。 だけど、その子は別にネガティブな感情じゃなくて、 自分で好きとは思わないけど、別に嫌いとも思ってないって。 すごくフラットな感じで。 なんかナチュラルですね。 ナチュラル。本当に。むしろそれのほうが自然なような感じしちゃってて。 自分を認めるというか、言葉選びというか表現が難しいなって今思ってて。 なんでそんなことを思ったかというと、 昨日でしたっけ。おとといで。昨日でしたっけ、下見に来ていただいたの。昨日か。 昨日来ていただいたときに、ヨガの裏側を見せてもらったっていうか、 普段そのままただ教えていただいてたところ、教え方じゃないですけど、 そのインストラクターの人たちがどうやって準備してるのかっていうようなところとか、 ちょっと見させてもらったなと思ってて。 そのときに言葉選び、こう言ったらどう伝わるかみたいなところ。 学校の授業とかもそうなんですけど、そういうのをすごく気にされてたじゃないですか、細かいところまで。 ああいうのって、結構皆さんやられてるんですか、インストラクターの方は。 そういう言葉とか、こういうふうに動きにした方が、流れにした方がやりやすいとか伝わりやすいとか、 一つ一つあえて細かく準備をされていくんですか。 そういうこと言ってると思いますよ。 逆に私10年やってると、だんだん自分の言い回しが決まってきてしまって、見直すチャンスがなかったりするので、 逆にああやってインストラクターになったばっかりのことをまたやったりすると、 なんか新鮮な表現があったりとか、またまた決まったりとか。 いいですね。そうすると刺激になるんですね、本当に。 そうだね。 言葉選びね。 なんか言葉の、話はどんどん逸れちゃうけど、言葉を持つイメージっていうか、 言葉自体は持ってないんだけど、その言葉によって相手に、 こっちが思っていることじゃないことが伝わっちゃうというか。 仏教とか言い言葉もそうなんですけど、宗教とか。 僕が思っているものと多分皆さんが捉えるものは違うだろうなとかって思っていながら使ったり。 無とか空とかって言葉もそうですし。 これは人が何かを誰かに伝えるときには全部言葉を使わなきゃいけないから、 難しいのかもしれないんですけど。 そういうのをすごく感じちゃいました。 言葉選びの難しさみたいなものもあるし。 私結構言語学のラジオを聞くことが好きなんですけど、 言葉っていうのはやっぱり情報伝達の手段だったりもするので、 その域を超えられるのかっていうテーマの時があったんですね。 ただの情報を超えられるのかっていう話だと思う。 そうなってくると、やっぱりこの一つの言葉を投げかけたときに、 その自分が思っているまんまを伝えることって絶対にできないじゃないですか。 その一つの言葉にはいろんな自分の経験も全部含まれていて、 いろんなものをまとってポンって出しているものだから、 それらの言葉の概念というか、一般的にこういう風に言われているよねっていうイメージ。 プラスその人の受け取り方を一人ひとりで受け取るものだから、 限界がどうしてもあって、 そうなってくるとやっぱり何が大事かってなると、 温度だと思うんですよ。 あ、言葉の。 実は電話がすごく苦手なんです。 今こんなの電話だからあれですね。 あんまり苦手ではないんですけど、 お顔を見て。 あ、分かる。 コロナの時にオンラインにあったんですよ、ヨガも。 はい。 すごく苦手で、 やっぱりリアクションを見ながら、 時には肌に触れて、 この声の温度というか、 呼吸の音を聞いてとか、 多少解釈、受け取り解釈が違いがあったとしても、 それをエフィナイル何かが温度にはあるんじゃないかなって思ってる。 目線であったりとか、 瞳の動きであったりとか、 だからやっぱり言葉っていうもの以外の、 私たちが授けられた語感、 っていうのをすごく大事にコミュニケーションとれると、 もっと深いコミュニケーションがとれるんじゃないかなと思うので、 そういった意味でも、ヨガとかね、 自分の呼吸を感じてとか、 今体どこ伸びてるとか、 呼吸が深いとか浅いとか、 そんな風に感覚がどんどん、 何ていうのかな、 順調を増していくっていうのがすごく私は心地が良くて、 こっちが繋がってるなーっていう気がするんですよね。 面白いですね。 そういうふうにヨガをやることによって、 いろんなところの感覚が潜りすまされていくっていうか、 それ以降言語の方まで意識したりとか、 そういうことも出てきたり、 副産物なのかもしれないですけど、 いろんなところまで出てくるってことですよね。 言葉のことでちょっと思ったのが、 この間谷川俊太郎さんが亡くなって、 そのことについてボイシーでもちょっと話したことあるんですけど、 あの方の詩で、 言葉を、なるべく言葉を使わないように詩を書いた、 みたいな最後の方の、最後に書かれた詩集。 そんなふうに書かれたっていうことを言われてて、 自分の詩を音楽を聴くような感じで読んでもらいたい、 とかっていうようなのが思いの中にあったらしいんですよね。 インタビューを見てたんですけど、動画を。 面白いなと思って。 言葉を自分が使ってるから、言葉で表現すると限界があるのはわかってるんだけど、 あえて言葉を使いながら語感に伝えていくというか、 音楽を聴いているかのような。 要するにすごくそこに僕は善みたいなものを感じたんですよ。 その話してる言葉に。 文字を使って、だから無理なことをやってるってわかってると。 自分でも谷川さんはわかってられるらしいんですよ。 わかってるんだけど、あえてそこにやって挑戦してるんだよねみたいな。 読んでみたいです。 その最後の手術。 今度ちょっと手に取ってみます。 言ってました。僕は見てないです。読んでもないです。 全然知らないんだけど、そのインタビューを見て、 そういうところに意識を向けて、そういう人生だったんだなって思うと、 僕が見てる世界が、思いだけの世界じゃなくて感覚を大事にされてるんだろうなっていうような。 やっぱりそんな感じしましたね。 それがどこまで自分の伝わんとすることが伝わってるんだろうかっていうのは、 表現する人にとっては付きまとうものだとは思うんですが、 そこももう最後のほうは超えてたんですかね。 本当ですね。 僕は谷川俊太郎さんというと、スイミーの翻訳をやった人ぐらいしか思ってなかった。 教科書にね。 そうそう。そのイメージばっかり。 まあ詩書いてるのも知ってましたけど、それよりもなんとなくそっちのスイミーのほうが。 でもそんな人だったんだと思って。 ちょっとそのインタビューを見てから、YouTubeに上がってたんですけど、 ちょっと見てから、なんか先に見ておいて、もうちょっと。 これからでも残されたものを読んでもいいんですけど、ちょっとそんなふうに思ったりして。 話がまたどんどん逸れてしまいますけど、 でもなんか本当にこういうものだなと思って。 なんて言うんだろう、人って生きる死ぬの話になっちゃうんですけど大丈夫ですか。 全然大丈夫です。 なんか例えば私は子供がいるので、自分が順番でいけば先にこの世界からいなくなるわけですけれども、 自分がいなくなった後にプレゼントしたいって思いがすごくあって、 ああいう人生もいいよねとか、すごく楽しそうに生きてたよねとか、 例えばその先にすごい辛いことがあっても、 お母さんの血が流れてるDNAがあるからきっと大丈夫とか、 そこに一緒に住んでるときは意外に、 例えば顔合わせてもたいてい喋りもしなかったのに、 その人がいなくなってからのほうがその人とのつながりを感じるってことってあると思う。 そうだと思います。 だからなんて言うんだろう、私って昨日も実は夜お散歩しながら考えてたんですけど、 どうやって死ぬかっていつも考えながら生きてるなって思って、 ちょっと変な人だと思うかもしれないですけど、 こういう風に生きたいなっていうのがあって、 なんかそこに向かって生きてるなって気がするんですよね。 もうシクエーションは決めてるんです。 そうなんですね。 木漏れ日が大好きなので、 カーテンごとに木漏れ日がキラキラキラって光ってるところで、 私はみんなにありがとうって言うんだとか、 そういうのを考えてしまう。 僕は多分ですね、 亡くなった後に身近に感じるっていうのは、 当たり前のことというか、そういうもんだと思うんですよ。 この間も実はお寺をお参りに来た方が、 ご両親亡くされてまだ1年も経ってないぐらいの方で、 ちょっと涙流されながらおっしゃってましたけど、 やっぱり亡くなった後のほうが、 いつもそばにいる感じがするって、やっぱりそういう風に言ってられてて。 たぶん命って、 僕は生命と大きな働きの命と、 2種類同じ言葉、それこそ言葉の表現ですけど、あると思ってて。 生命の命は終わるんだけど、 命の働きとしての自分っていうのは、 この体が自分だと思っちゃってるんですけど、 本当はそうじゃない。自分なんてものはもともとなかった。 新人脱落とか言うんですけど、 脱落してる体、自分っていうものはもともとなかったってことに、 悟りっていうのはそういうことなんですけど、 それで気づいて、 生かされている自分っていう存在に気づいていくと、 結局、生命としては終わってるんだけど、 活動としては、 生きていると言ったらちょっと違うけれども、 空気であったり、光であったり、 なんでもいいんですけど花が咲いたり、 よく土に帰るとか言うじゃないですか。 昔の人って死んだら土に帰るって言ったと思うんですけど、 それって要するに地球そのものになるというか。 そうですね。実際土層だったからそういう。 それもあると思うんですけど、 ただ土層だからっていうだけじゃなくて、 本当にそうだと思うんですよ。 理屈で言ってもたぶんそうだと思うんですけど。 原子とかってよく粒々でできてるって言うじゃないですか。 肉眼じゃ見えないけど。 自分の体もこの粒々で。 それが多分炭素とか、いろんな何素とか、 そういうのが固まってできてるだけで、 この粒々がちょっとどっかに移動してるだけみたいな。 理屈で言ってもそんな感じなのかな。 DNAもそうですし。 そのお参りされた方は、 自分の中にお父さんお母さんのDNAが流れている。 いただいた血が流れてるみたいな。 だからすごく暖かいというか、守られてるような感じがするみたいな。 そんな表現もされてましたけど。 だから残そうとしなくても、 自然と思い出も含めて残っていくんじゃないですかね。 そんな気がしますよね。 ご留職とお話ししてると、 お父さんが何か意図をしてこうしようとか、 こういうビジョンでとか、 そういうものも全部、 もうちょっと力抜きなって言われてるような気がして。 適当なんですよ、言い方が。 フワーと押しても、 こんなもんだよ、こんなもんだよって言ってもらってるような。 全部そんなに考えなくていいよって。 結局そうなんだろうなって感じがする。 結局、こんなこと言っちゃう。 否定してるみたいになっちゃうんですけど。 例えば僕なんかもそうなんですけど、 綿密に準備をしても、 結局このボイシーやる前にこんな話しようかなとか言って、 昨日お渡ししたメモとかもあったりするんですけど、 その通りに全然やってなくて、 違う話を全然しちゃってるじゃないですか。 結局そんなもんだなって思ってて。 いくら準備しても、目の前の環境とか時間も違うし、人も違うし、 何回目ですとか言って、 例えばわからないですけど、ヨガのレッスン何回目ですって言ったって、 生まれて初めての今日という日のこの瞬間の、 いつもと同じ生徒さんだとしても、 もう時間も経ってて年齢もその時と違ってとか、 いろいろあるわけじゃないですか。 その人の空気感が違ったりとか、その人の心境が違ったりとか、 こちらのも心境が違ったりとか、 そうするともう本当にぶつけ本番の繰り返しというか、 常に新しい今を生きてるし、 常にぶつけ本番をやってるっていう風に考えると、 そこまで準備してもある程度でいいんじゃないってなっちゃってるんですよ。 あとはどうにかなるかというか、 その環境さえちゃんと整ってたら、 どうにかなるんじゃないかって思ってるところはあって。 その通りだと思います。 なんかその準備した通りにやろうとすると、 何か予定調和になってしまって、 生まれないですよね。 生まれないんですよ。生まれないんですよ、何も。 僕やっぱ仏教とヨガがやっぱり同じルームで大元が、 そのヨガの最中でも、 今この瞬間を感じるわけじゃないですか。 今吸った息はもう過去の、もう次の拍目になるわけじゃないですか。 さっきこのポーズ取ったけど、 2回目のポーズは同じポーズ取るけど、 でもさっきのポーズと違うよねとか。 結局その無常というか、 常に追加してる。 常に今が今、瞬間が今っていう、 ここを生きてるっていうのを知るために、 確認するためというか、 そこに身を置いているっていう、 ヨガだとか禅だとかと思うんですけど、 それをもっと大きく見たときに、 ビジョンを持つことは例えばいいですよね。 例えばヨガ終わった後に、 スッキリするといいなとか、 こうなるといいなっていうビジョンは持っててもいいけれども、 そこに固執しないで、 変化を楽しめる。 予定通りにいかなかったものも楽しめる。 といいよねっていう、 気がしますね。 生物っていうか、 しょうがないっていうか、 子育てとかも、 教育も多分そうなのかなと思ってて、 どうせ準備してもその通りにならないし、 子供は思った通り動くわけでもないし、 環境を整えて、 そこに放り込んでみたら、 子供は良くなることを目指してるし、大人もですけど、 いい人になりたいし、みんな。 自然とそうなるんじゃないって思ってて、 そんなに作り事をしなくても、 レッスンとかそういうのが別にしても、 そんな感じしちゃってるんですよね。 気づいたらですね、 あと9分くらいで、 この録音が切れてしまうらしくて、 あっという間ですね。 もう1時間経ってそうです。 質問が来てまして、 僕とひろみさんと両方に1つずつ来てるんですけど、 ひろみさんに伺いたいのですが、 立位で座禅に向くポーズがあれば教えていただきたいです。 これ無茶振りですね。 立位で座禅に向くポーズって。 どういうことですかね、これ。 立位で座禅に向くポーズがあれば教えていただきたい。 ヨガのポーズでってことですよね。 そうだと思います。 立ポーズでですよね。 難しいこと言うじゃないですか、柳さんが。 すごいですね。 しかもボイシーでっていう。 無茶振りやってますけど。 困っちゃったな。 ないですね。これは実際に来てもらわないとわからない。 教えられないです。 立位で座禅に向くっていうのは、 足の組み方とかそういう方ですかね。 足が組みやすくなるような、柔らかくなるようなってことなんですかね。 そうですね。 口で説明するのが本当に難しいので。 打つ肩あさなっていう椅子のチェアポーズとかだったり。 股関節から折り曲げたりとか。 そこから片足を膝の上に乗せて足首90度にしてとか。 その関節に働きかけるポーズがちょっと負荷をかけるポーズだったり。 そういうポーズですね。 そのあたりかなとは思うんですが。 おそらく今聞いててもきっと来ないと思うので。 ぜひ今度一緒にヨガやりましょう。 柳さん。 無茶振り失礼しました。 今度お会いした時を楽しみにしていますということで。 ありました。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 ありました。 私のほうにはもうちょっと一個あります。 座禅について、欠下不座もしくは反下不座で座ることだけが座禅ではないと聞いたことがありますが、 消防現像の座禅に反すると思って危惧してしまうのです。 私みたいな在家のものが座るのなら、あまり気にしないでよいのでしょうか。 在家とか出家とか関係なく、 欠下不座、反下不座でなくても全然いいと思います。 座禅は心の状態、禅状というところが大事なので、 足の組み方というのは一番安定して、自分が疲れない形として紹介しているだけなので、そこは大丈夫です。 悟りの老子様もそのようにおっしゃってましたので、 足がない人がどうするんだと。足組めなかったら救われないのかと。 そういうわけじゃないと。その時代の表現で書いてるだけだから。 例えばその時代は右利きの人ばっかりだったから、 右が下とか左が上とかって表現で書いてあるんですけど、 それも逆でも構わないと。 時代だって言ってましたね。 というようなことで、納得していただけたでしょうか。 あと5分になってしまいました。すみません。 ちょっと告知。22日の。 どんな内容かというところで、 いろみさんのほうからお話ししていただいても大丈夫ですか。 はい、わかりました。 イベントの日時なんですが、10月22日、日曜日になります。 その前の21日が当時を迎えるということで、 当時の整いイベントっていうふうなテーマにして、 いろんなものが整うようにということで考えてみました。 まず一つ目がですね、 ヨガヨガっていう二人で行うヨガがあるんですが、 それが気軽に参加していただけるように組み込んでみたんですね。 パートナー同士、パートナーとかお友達とか、 親子もすごくいいと思うんですけど、 ちょっと肌を触って触れたりとか、 あと呼吸を感じたりとか、ちょっと協力し合ったりとかっていう、 どちらかと言うと楽しくキンシップを取りながらできるようなイベントだと思うので、 初心者の方でも、なんかちょっと仲良くなりたいなとか。 いいですね。 お勧めです。あと二組様ご案内できるので、そちらお勧めですね。 あとは15時半からキャンドルヨガっていうので、 これは毎年私が他の場所でやってたことなんですけれども、 キャンドルをたくさん灯してですね、 その明かりの中で、今年は遠藤さんのご本堂をお借りして、 非日常のスペースでインとヨを整えるということで、 ちょっと体を動かすヨガと静かに内観するような、 静かなヨガっていうのを組み合わせて、 自分の真ん中に戻っていくような、 静かな時間っていうのを一緒に過ごしていければなというふうに思っています。 こちらはヨガとあとヨガニドラといって、 私のガイドを聞きながら静かに横たわっていただくような、 本当にゆっくりとリラクゼーションできるヨガになっているので、 ぜひぜひ興味のある方は、あと2名様募集しているので、 ぜひぜひ興味のある方は申し込みをお願いします。 急いでください。 急いでください。 急いでください。2名なので。 主に発信がインスタグラムで発信しているので、 興味のある方はインスタのほうをチェックしてください。 後でリンクを貼っておきます。 出すときに。 よろしくお願いいたします。 なっていくところですね。 ありがとうございます。 それではあと2分ぐらい。 2分ぐらいです。もう終わりですね。 いつもお仕事とお話ししているとね、話が止まらなくなって2人で。 すみません。次から先へと思い出しちゃう。 いろいろひらめいちゃうもんね。 聞いていると、そういえばなんて言ってまた違う話しだしちゃったりして。 お互いそうなんですよね。 すみません。終わりがなくて。 とんでもありまして。 じゃあちょっとこの辺で。 またよかったらボイシーでも何でもお話ししていただけたらと思いますので。 よろしくお願いします。 8月22日よろしくお願いします。 今日はありがとうございました。 ありがとうございました。 すみません。失礼いたします。 失礼します。 ありがとうございました。 もっと見る #ヨガ #対談 #イベント #禅 #仏教 #ヨガインストラクター #お坊さん ##私のおすすめプレミアム放送 僧侶邦元の「すわらない坐禅」プレミアム放送配信中!01:301.再アップになります00:462.初めのあいさつ54:293.【対談】ヨガセラピストHIROMIさんとヨガの話やイベントの話をしました。https://www.instagram.com/tomoru_yoga1110?igsh=bDJ4ZnZlNnN4enFwコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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