#39 探究とは、究極の娯楽である。
18:47
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図解
https://x.com/yukianzai/status/1788324362749124931?s=46&t=BL6HXfeQaLypQ2RO0Xxiag
これまで探究型のキャリアデザイン論について発信を重ねてきましたが、そもそもなんで探究したほうが良いんだっけ?そもそも"探究"って何をすることなんだっけ?という暗黙に置いていた前提について、最近は考えています。
この素朴な問いにはいくつかの答えかたがあるように思いますが、まっさきに思いつくのは、"10年後のキャリア目標"なんてものを立てるのが無理ゲーなので、そんな嘘くさいキャリア戦略論から脱却して、手触りのある関心に基づいてキャリア形成するしかないっしょ〜、という説明。
このロジックは気に入ってはいますが、いささか消極的すぎる気もします。
もう少し踏み込んで"探究"の意味するところを紐解くと、「自分」についての探究と、「世界」についての探究の両方を含んでいて、その「往復運動」によって探究が進んでいくところがミソだと思っています。
大前提、我々は「自分」のことも「世界」のこともあまりよくわかっていなくて、少なくとも僕は、数年後に何に関心を持っているのかも予測がつかないし、専門であるはずの問いや組織についてもわからないことだらけだと感じる。
それでも探究を続けていると、少しだけわかることが増えて、「なるほど、おもしろ!」と脳汁が溢れるほど興奮することもあれば、「は?めちゃくちゃ気に入らねえ!」と感じる事象にも出会う。自分はどんな角度と抽象度で世界を捉えると、最も好奇心が湧くのか。世界について理解を深めているようで、自分について理解を深めているような、でもそんな自分だからこそ読み取れる世界の見え方があって…と、思考の対象が曖昧に混じりあいながら、自分と世界の"新しいつながりかた"が見出せることがある。これが探究の本質ではないかと考えています。
言い換えれば、この世界で、自分は何に喜怒哀楽を感じるのか、"自分の喜ばせかた"を探ることであり、それは自分の"よりよい才能の発揮のしかた"の探索でもあるし、この未知なる世界の遊びかたを探る行為でもある。
だから、自分と世界とのつながり方の仮説(=探究テーマ)を「レンズ」と「対象」の掛け合わせて記述して、自分の探究の方向性をコンセプトや問いとして暫定的に記述しておくことは、自分や世界を楽しむために有用なんだろうと思う。
ゆえに探究とは、究極の娯楽であり、自分と世界のわからなさによって抑圧された自分へのケアでもあるのではないか。
…ということについて話しています!
https://x.com/yukianzai/status/1788324362749124931?s=46&t=BL6HXfeQaLypQ2RO0Xxiag
これまで探究型のキャリアデザイン論について発信を重ねてきましたが、そもそもなんで探究したほうが良いんだっけ?そもそも"探究"って何をすることなんだっけ?という暗黙に置いていた前提について、最近は考えています。
この素朴な問いにはいくつかの答えかたがあるように思いますが、まっさきに思いつくのは、"10年後のキャリア目標"なんてものを立てるのが無理ゲーなので、そんな嘘くさいキャリア戦略論から脱却して、手触りのある関心に基づいてキャリア形成するしかないっしょ〜、という説明。
このロジックは気に入ってはいますが、いささか消極的すぎる気もします。
もう少し踏み込んで"探究"の意味するところを紐解くと、「自分」についての探究と、「世界」についての探究の両方を含んでいて、その「往復運動」によって探究が進んでいくところがミソだと思っています。
大前提、我々は「自分」のことも「世界」のこともあまりよくわかっていなくて、少なくとも僕は、数年後に何に関心を持っているのかも予測がつかないし、専門であるはずの問いや組織についてもわからないことだらけだと感じる。
それでも探究を続けていると、少しだけわかることが増えて、「なるほど、おもしろ!」と脳汁が溢れるほど興奮することもあれば、「は?めちゃくちゃ気に入らねえ!」と感じる事象にも出会う。自分はどんな角度と抽象度で世界を捉えると、最も好奇心が湧くのか。世界について理解を深めているようで、自分について理解を深めているような、でもそんな自分だからこそ読み取れる世界の見え方があって…と、思考の対象が曖昧に混じりあいながら、自分と世界の"新しいつながりかた"が見出せることがある。これが探究の本質ではないかと考えています。
言い換えれば、この世界で、自分は何に喜怒哀楽を感じるのか、"自分の喜ばせかた"を探ることであり、それは自分の"よりよい才能の発揮のしかた"の探索でもあるし、この未知なる世界の遊びかたを探る行為でもある。
だから、自分と世界とのつながり方の仮説(=探究テーマ)を「レンズ」と「対象」の掛け合わせて記述して、自分の探究の方向性をコンセプトや問いとして暫定的に記述しておくことは、自分や世界を楽しむために有用なんだろうと思う。
ゆえに探究とは、究極の娯楽であり、自分と世界のわからなさによって抑圧された自分へのケアでもあるのではないか。
…ということについて話しています!
安斎勇樹の冒険のヒント
プレミアム放送配信中!
- 01:461.
本日もXの図解を見ながら聴いてください!
- 07:052.
人は自分のことも世界のこともほとんどわかっていない
- 09:573.
自分と世界を往復的に理解することで、自分と世界のよりよいつながりかた(=自分の才能)の解像度を上げる。
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
仕事の中でやっていたことは実は探求で、娯楽だった。
数値目標や周りからの期待に翻弄されがちです。
まずは無自覚の探求テーマを自覚するところから始めたいなと思います!
軍事的世界観が強いと「いや、楽しいだけじゃダメだから。ちゃんと成果を定量で出せる目標じゃないと。」と言われてしまいがちです。
個人の衝動があっての仕事、チーム、そして組織だと思うので、社内でいかに探究の市民権を得ていくかが難しいところだな...と感じました!