#306【レポート】第10回 哲学スナック・本質観取「ふつうとは何か」
10:16
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■本質観取とは
本質観取は、哲学2500年の叡智が詰まった、思考と対話のアート。ドイツの哲学者フッサールが現象学の中でつくった手法で、教育とは何か、愛とはなにか何か、よいケアとは何かといった問いの本質を言葉にして編み上げていく営みです。
「◯◯とは何か」と問われて、すぐに答えられる人はほとんどいません。でも不思議なことに、対話を重ねると、その本質がじわじわと言葉になっていきます。説得や説明を目的にするのではなく、共通の了解をつくることで、さまざまな意思決定のプロセスを明確にし、短くすることができます。
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テーマは事前に決めておく回と、その日集まったメンバーでその場で決める回があります。今回はその場で決める回。
いろいろな案が出るなかで「ふつうとは何か」に決まりました。
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■目線あわせ
本質観取では最初に、その本質がわかるとどんないいことがあるのかを確かめます。これを「目線合わせ」と呼んでいます。
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今回のメンバーで確認したのは、ふつうとは何かがわかると、自分の立ち位置がわかり、相手の立ち位置もわかる。つまり、歩み寄り方がわかるようになるのではないか、ということでした。
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たとえば、親世代の当たり前が自分には当たり前ではないとか、夫に「これくらいしてくれて当たり前」と思うことがイライラの原因になってしまう。当たり前になると「ありがとう」が生まれなくなる。逆に、当たり前ではないとわかると、ありがたさがわかるのでは。
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日本に暮らす私たちの当たり前は、たとえばガザのように戦争が続く国の人から見るとまったく違うでしょう。ふつうがわかると、世界の中で自分がどこにいるのか、座標軸が分かるのではないか、という話も出ました。
自分にとってのふつうはあまりにふつうなので、ふだん語られることは意外とありません。だから「なんでこの人はこうなんだ」と怒り続けてしまう。お互いのふつうが開示されれば、歩み寄り方がわかるのではないか。これがこの日の目線合わせでした。
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■ふつうはどこで生まれ、誰が決めるのか
本質観取のグラウンドルールは、大きく分けて次の4つです。
1. 自分の体験をもとに話す。本に書いてあったことや偉い人の言葉は持ち出さず、知識の話にはしません。
2. 具体的で多様な、日常の体験をたくさん出します。
3. 他の人の話を否定しません。
4. 沈黙しても大丈夫。考えるスピードは一人ひとり違います。
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参加者それぞれの体験から、普通がどこで生まれて、誰が決めて、どんなときに人を苦しめるのかが、だんだんと見えてきました。
正社員として働き続けるのが、社会人としてふつうという感覚。人を評価する立場の人ほど、派遣やアルバイトを下に見てしまう。実際に働いている人は非正規のほうが多かったりするのに、力関係でふつうが決まる。
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新卒で入り、決まった年齢で昇進するのが会社のレール。1年早く昇進試験を受けようとするだけで「なんで?」と何度も聞かれ、ものすごくエネルギーがいったという話。でも上司が変わると、ふつうも変わる。ベンチャー企業なら、またふつうも違うのだろうね、と。
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進学校に通い、両親とも大学を出ていたという参加者は、かつて「大学に行くのがふつう」と口にしていたそうです。後になって友人から「あの発言が嫌いだった」と言われて、初めて自分がいた世界の外が見えていなかったことに気づいた。
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学校では、子ども一人ひとりのレベルに合わせて個別に対応しないことが「ふつう」になっていて、個別対応する先生のほうが「変わった先生」と見られる、という話もありました。
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同じ家庭や同じ大企業で育ったとしても、それ以外のカルチャー、外の世界を知り、理解することはできるはずです。それでも狭い世界から出られない人がいるのはなぜか。
それは「安心したいから」「摩擦を避けたいから」。摩擦を起こしてひどく叱られたり、嫌な目にあったりした経験から、子どもの頃に「摩擦は起こさない」と決めて、それを私たちはいまだに続けているのかもしれません。
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■私が「ふつう」になれた日
これは私の体験です。アーティストのヴィヴィアン佐藤さんと新宿・歌舞伎町を歩いたとき、ヴィヴィアンさんの隣にいると、誰も私を見ない。まるで電信柱になったような存在になれて、自分がふつうに感じられて、なんだかほっとしました。(目立ちたくてこのファッションをしているのではないのです)
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また、福岡の地下鉄に乗ると、私の両隣の席は必ず空きます。でも東京では、誰も気にせずバンバン隣に座ってくる。いろんな人がいる広いコミュニティでは、私はふつうになる、風景になれる。
つまり自分がふつうかどうかは固定的なものではなく、環境や周りの人によって変わる。この気づきが、次のキーワードにつながっていきました。
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■キーワードを拾い上げる
さまざまな事例の中から重なる言葉を拾い上げていきました。
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・狭いコミュニティ(家庭、学校、会社、世代、地域を含む)
・価値基準、評価基準
・前例や慣習
・力のある側、マジョリティ性とマイノリティ性
・安心、居心地のよさと悪さ、摩擦がないこと
・暴力性
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ふつうであることには、狭いコミュニティの中で摩擦を減らし、物事を滑らかに回してくれる機能があります。でも外にいる人にとっては、それはただの押しつけ、つまり暴力になる。この両面をどう一文に収めるかが、ここからの作業でした。
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暴力という言葉が入ったことで、場の空気が変わりました。悪意があれば反撃もできますが、ふつうの押しつけはたいてい、善意からなされます。だからつい、自分が劣っていて仕方がないのだと思い込んでしまうのです。
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■たどりついた本質
そうしてたどりついた本質が、こちらです。
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ふつうとは、狭いコミュニティの中だけで見えている価値基準である。
コミュニティ内では摩擦を避けられる一方、外側に押しつければ暴力にもなりうる。
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「あなたはそこを安全だと感じるかもしれないけれど、外にいる私たちから見れば、それは暴力なんです」。そう言えることに、参加者から「スッとした」という声があがりました。
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終了後にある参加者がおっしゃいました。
「自分はふつうでいたいと思うけれど、ふつうでいるということは、外の人に無自覚に暴力をふるっている可能性があるということですね」と。
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ふつうという言葉が暴力をはらんでいるのだとしたら、そのことに自覚的でありたい。そう思うと、ふつうという存在や言葉から、少し自分を解放できるように感じられます。
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Voicyの第283回では、苫野一徳先生のゼミと、臨床心理士の村中直人さんが主宰するニューロダイバーシティゼミの合同企画で行った本質観取「普通とは何か」をご紹介しました。
#283 本質観取「《普通》とは何か」 苫野一徳ゼミ×ニューロダイバーシティゼミ
https://voicy.jp/channel/821343/8203450
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そのとき私たちのグループでは「普通とは、マジョリティ性・マイノリティ性によって感じる居心地のよさ・悪さである」という言葉が編み出されました。同じテーマでも、集まるメンバーが変われば、たどりつく言葉も変わる。それも本質観取の面白さです。
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知識がネットやAIに外部化され、AIが世界中の情報の平均値を出してくれる時代になりました。
そのとき人間に残るのは、自分の体で体験してきた苦しみや悲しみや喜びといった、とても偏った情報から世界を見て、「私にはこう見える」ということではないでしょうか。
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マニュアル通りの仕事をAIが担うほど、この力はどんな仕事でも重要になっていきます。本を読むことも、人に会うことも、自分の体験に照らして初めて自分のものになります。それを言語化することで認知が深まる。
毎月の本質観取は、その力を鍛える場でもあります。
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■次回のお知らせ
次回は11月8日(日)10:30から。今回はテーマが決まっていて、「幸せとは何か」です。どなたでも、お子さんもご参加いただけます。
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終了後、昼スナに参加される方はチャージ代(1,000円)が無料になりますので、スナックタイム前の内省の時間としても使っていただければ幸いです。
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日時:2026年11月08日(日)10:30-12:30
場所:中洲昼スナ「役にたたなくてもいい場所」
福岡市博多区中洲2丁目7-5 第3タワービル2階 bar Day-Break
参加費:価格2000円(1ドリンク付き)
※昼スナに参加される方はチャージ代(1,000円)が無料
https://honshitsukanshu11.peatix.com
本質観取は、哲学2500年の叡智が詰まった、思考と対話のアート。ドイツの哲学者フッサールが現象学の中でつくった手法で、教育とは何か、愛とはなにか何か、よいケアとは何かといった問いの本質を言葉にして編み上げていく営みです。
「◯◯とは何か」と問われて、すぐに答えられる人はほとんどいません。でも不思議なことに、対話を重ねると、その本質がじわじわと言葉になっていきます。説得や説明を目的にするのではなく、共通の了解をつくることで、さまざまな意思決定のプロセスを明確にし、短くすることができます。
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テーマは事前に決めておく回と、その日集まったメンバーでその場で決める回があります。今回はその場で決める回。
いろいろな案が出るなかで「ふつうとは何か」に決まりました。
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■目線あわせ
本質観取では最初に、その本質がわかるとどんないいことがあるのかを確かめます。これを「目線合わせ」と呼んでいます。
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今回のメンバーで確認したのは、ふつうとは何かがわかると、自分の立ち位置がわかり、相手の立ち位置もわかる。つまり、歩み寄り方がわかるようになるのではないか、ということでした。
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たとえば、親世代の当たり前が自分には当たり前ではないとか、夫に「これくらいしてくれて当たり前」と思うことがイライラの原因になってしまう。当たり前になると「ありがとう」が生まれなくなる。逆に、当たり前ではないとわかると、ありがたさがわかるのでは。
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日本に暮らす私たちの当たり前は、たとえばガザのように戦争が続く国の人から見るとまったく違うでしょう。ふつうがわかると、世界の中で自分がどこにいるのか、座標軸が分かるのではないか、という話も出ました。
自分にとってのふつうはあまりにふつうなので、ふだん語られることは意外とありません。だから「なんでこの人はこうなんだ」と怒り続けてしまう。お互いのふつうが開示されれば、歩み寄り方がわかるのではないか。これがこの日の目線合わせでした。
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■ふつうはどこで生まれ、誰が決めるのか
本質観取のグラウンドルールは、大きく分けて次の4つです。
1. 自分の体験をもとに話す。本に書いてあったことや偉い人の言葉は持ち出さず、知識の話にはしません。
2. 具体的で多様な、日常の体験をたくさん出します。
3. 他の人の話を否定しません。
4. 沈黙しても大丈夫。考えるスピードは一人ひとり違います。
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参加者それぞれの体験から、普通がどこで生まれて、誰が決めて、どんなときに人を苦しめるのかが、だんだんと見えてきました。
正社員として働き続けるのが、社会人としてふつうという感覚。人を評価する立場の人ほど、派遣やアルバイトを下に見てしまう。実際に働いている人は非正規のほうが多かったりするのに、力関係でふつうが決まる。
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新卒で入り、決まった年齢で昇進するのが会社のレール。1年早く昇進試験を受けようとするだけで「なんで?」と何度も聞かれ、ものすごくエネルギーがいったという話。でも上司が変わると、ふつうも変わる。ベンチャー企業なら、またふつうも違うのだろうね、と。
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進学校に通い、両親とも大学を出ていたという参加者は、かつて「大学に行くのがふつう」と口にしていたそうです。後になって友人から「あの発言が嫌いだった」と言われて、初めて自分がいた世界の外が見えていなかったことに気づいた。
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学校では、子ども一人ひとりのレベルに合わせて個別に対応しないことが「ふつう」になっていて、個別対応する先生のほうが「変わった先生」と見られる、という話もありました。
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同じ家庭や同じ大企業で育ったとしても、それ以外のカルチャー、外の世界を知り、理解することはできるはずです。それでも狭い世界から出られない人がいるのはなぜか。
それは「安心したいから」「摩擦を避けたいから」。摩擦を起こしてひどく叱られたり、嫌な目にあったりした経験から、子どもの頃に「摩擦は起こさない」と決めて、それを私たちはいまだに続けているのかもしれません。
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■私が「ふつう」になれた日
これは私の体験です。アーティストのヴィヴィアン佐藤さんと新宿・歌舞伎町を歩いたとき、ヴィヴィアンさんの隣にいると、誰も私を見ない。まるで電信柱になったような存在になれて、自分がふつうに感じられて、なんだかほっとしました。(目立ちたくてこのファッションをしているのではないのです)
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また、福岡の地下鉄に乗ると、私の両隣の席は必ず空きます。でも東京では、誰も気にせずバンバン隣に座ってくる。いろんな人がいる広いコミュニティでは、私はふつうになる、風景になれる。
つまり自分がふつうかどうかは固定的なものではなく、環境や周りの人によって変わる。この気づきが、次のキーワードにつながっていきました。
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■キーワードを拾い上げる
さまざまな事例の中から重なる言葉を拾い上げていきました。
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・狭いコミュニティ(家庭、学校、会社、世代、地域を含む)
・価値基準、評価基準
・前例や慣習
・力のある側、マジョリティ性とマイノリティ性
・安心、居心地のよさと悪さ、摩擦がないこと
・暴力性
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ふつうであることには、狭いコミュニティの中で摩擦を減らし、物事を滑らかに回してくれる機能があります。でも外にいる人にとっては、それはただの押しつけ、つまり暴力になる。この両面をどう一文に収めるかが、ここからの作業でした。
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暴力という言葉が入ったことで、場の空気が変わりました。悪意があれば反撃もできますが、ふつうの押しつけはたいてい、善意からなされます。だからつい、自分が劣っていて仕方がないのだと思い込んでしまうのです。
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■たどりついた本質
そうしてたどりついた本質が、こちらです。
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ふつうとは、狭いコミュニティの中だけで見えている価値基準である。
コミュニティ内では摩擦を避けられる一方、外側に押しつければ暴力にもなりうる。
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終了後にある参加者がおっしゃいました。
「自分はふつうでいたいと思うけれど、ふつうでいるということは、外の人に無自覚に暴力をふるっている可能性があるということですね」と。
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ふつうという言葉が暴力をはらんでいるのだとしたら、そのことに自覚的でありたい。そう思うと、ふつうという存在や言葉から、少し自分を解放できるように感じられます。
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Voicyの第283回では、苫野一徳先生のゼミと、臨床心理士の村中直人さんが主宰するニューロダイバーシティゼミの合同企画で行った本質観取「普通とは何か」をご紹介しました。
#283 本質観取「《普通》とは何か」 苫野一徳ゼミ×ニューロダイバーシティゼミ
https://voicy.jp/channel/821343/8203450
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そのとき私たちのグループでは「普通とは、マジョリティ性・マイノリティ性によって感じる居心地のよさ・悪さである」という言葉が編み出されました。同じテーマでも、集まるメンバーが変われば、たどりつく言葉も変わる。それも本質観取の面白さです。
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知識がネットやAIに外部化され、AIが世界中の情報の平均値を出してくれる時代になりました。
そのとき人間に残るのは、自分の体で体験してきた苦しみや悲しみや喜びといった、とても偏った情報から世界を見て、「私にはこう見える」ということではないでしょうか。
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マニュアル通りの仕事をAIが担うほど、この力はどんな仕事でも重要になっていきます。本を読むことも、人に会うことも、自分の体験に照らして初めて自分のものになります。それを言語化することで認知が深まる。
毎月の本質観取は、その力を鍛える場でもあります。
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■次回のお知らせ
次回は11月8日(日)10:30から。今回はテーマが決まっていて、「幸せとは何か」です。どなたでも、お子さんもご参加いただけます。
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終了後、昼スナに参加される方はチャージ代(1,000円)が無料になりますので、スナックタイム前の内省の時間としても使っていただければ幸いです。
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日時:2026年11月08日(日)10:30-12:30
場所:中洲昼スナ「役にたたなくてもいい場所」
福岡市博多区中洲2丁目7-5 第3タワービル2階 bar Day-Break
参加費:価格2000円(1ドリンク付き)
※昼スナに参加される方はチャージ代(1,000円)が無料
https://honshitsukanshu11.peatix.com
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 10:012.
ふつうとは、狭いコミュニティの中だけで見えている価値基準である。コミュニティ内では摩擦を避けられる一方、外側に押しつければ暴力にもなりうる。
コメント

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「ふつう」は自分が作っている、と薄々気づいていましたが、それが環境(家庭・地域・職場・国…)によると視座を広げると、自分の偏りだけでないと少し肩の力が抜ける気がします。
そして、このことに気づいておくことが大切と思いました。「ふつう」という言葉が浮かんだらまず思い出すことにします。
「普通」って無意識に使ってしまいがちな言葉ですが、実は怖い言葉だなと、そこに隠された自分のバイアスを感じて、私もとても学びになった本質観取でした。