#283 本質観取「《普通》とは何か」 苫野一徳ゼミ×ニューロダイバーシティゼミ
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教育哲学者の苫野一徳先生のゼミと、臨床心理士の村中直人さんが主宰するニューロダイバーシティゼミで行った本質観取「普通とは何か」のレポートです。
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村中さんは、臨床心理士・公認心理師として、公的機関での心理相談員やスクールカウンセラーなど教育分野を中心に、発達障害や聴覚障害、不登校といった特別なニーズを持つ子どもたちや保護者さんへの支援に長く関わってこられた方です。脳や神経由来の多様性(ニューロダイバーシティ)に着目し、働き方や学び方の多様性が尊重される社会の実現を目指して活動しています。
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本質観取は哲学2500年の英知が詰まった、思考対話のアート。良い教育とは何か、幸せとは何か、学びとは何か、いい先生とは何か。そして、普通とは何か。こういう問いの本質を言葉にして編み上げていく営みです。
「…とは何か」と問われてすぐに答えられる人はほとんどいません。でも、不思議なことに対話を重ねると、その本質がじわじわと言葉になっていく。この過程が、本当に面白いのです。何かの本質がわかれば、それにまつわる問題を根本から解くことができる。これが哲学対話、あるいは哲学そのものの意義なんだと思います。
本質観取でいう「本質」は、辞書的な定義とは違います。たとえば「恋」を辞書で引くと「異性に愛情を寄せること」と出てきますが、これは本質をえぐっているわけではなく、ある言葉を別の言葉に言い換えているだけ。実際には、相手に愛情を寄せていても恋ではないこともあれば、恋でなくても愛情を寄せることもあります。
そこで「これがなければ恋とは言えない」という、意味の本質を取り出していく。苫野先生がよく引用されるのは、かつて学生さんたちと考えた、自己が失われるような感覚とロマン、つまりあちら側への憧れや理想、この2つが揃ったときに、それは恋と呼べるのではないか、という定義でした。
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今回のテーマである「普通とは何か」も同じです。辞書には「特に変わっていないこと、ごくありふれたもの」と書いてありますが、それはあくまで一般的で外形的な説明にすぎません。本質観取をやると、私たちが「普通」という言葉に込めている、もっと深いところが見えてくる。それを今回、2つのコミュニティで取り組んでみた、というわけです。
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対話の前に、3つのグランドルールが共有されました。
①対等の立場で話しやすい、安心できる場を作ること
②人それぞれで終わらせずに、共通了解を見いだそうとすること
③そして、沈黙を尊重すること。
進め方はシンプルで、まず具体例を共有し、そこから浮かび上がるキーワードを出し、キーワードを組み合わせて本質定義に至る、というステップです。
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私はグループのひとつでファシリテーションを担当しました。そこで出てきた具体例が、どれも面白かった!
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・ある方はカルチャーの異なる会社から出向してきた人たちが一緒に働く環境におり、稟議の通し方や経費精算の方法まで「普通」が違っていて、一定期間でスタッフが入れ替わるたびに衝突が起きる、という話。
・何かと「これくらい普通にできるでしょう」「普通聞くよね」と言ってくる同僚がいる、という話。
・洗濯物を干すときに、洗濯ばさみで1か所留めるか2か所留めるかで揉める話も出ました。自分は2か所留める派なのに、相手は1か所で十分と言う。でも畳むときのことまで考えると2か所のほうがきちんと乾くから、という理由があって、単に「面倒か面倒じゃないか」ではなく、そもそもの目的が違うのかもしれない、という気づきがありました。
・教員の方からは、生徒が忘れ物や遅刻の理由を「普通に忘れました」と説明する、独特の言い回しの話。
・映画『おくりびと』では、納棺師になると決めた主人公に、奥様が「普通の仕事をしてよ」と言うシーンがありますが、あのセリフには、偏見としての「普通」がにじんでいます。
・私からは、昼スナにいらっしゃる発達障害の方たちが「普通になりたい」とおっしゃる方が多い、という話をしました。何かをするたびに、人との関係性のなかで、いつも摩擦を感じているからその辛さを「普通になりたい」と表現される方が多いのではと。
・一方で、こういう対話の場にわざわざ参加する人たちは、むしろマイノリティ意識の高い、つまり「普通になりたくない」という気持ちを持つ人が多いんじゃないか、と問いかけてみたところ、確かに、と心当たりのある顔をされる方が結構いらっしゃいました。
・有機農法は今の日本では特殊とされていますが、江戸時代までは主流でした。人口比で見れば、世界的にはまだ有機のほうがマジョリティなんじゃないか、という話も出ました。
・マジョリティとマイノリティは、人数ではなく権力・パワーによって決まるのではないか、という指摘。教室では子どもの数のほうが多くても、パワーを持っているのは先生だから、マジョリティは先生になってしまう。そんなふうに何かを決める力を持つ人がマジョリティだとすると、子どもはいつもマイノリティということになります。
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こうした具体例から浮かび上がってきたキーワードは、
マジョリティ、パワー(権力)、摩擦がない、居心地の良さ、違和感を感じないこと、中央値・平均値、押しつけ、偏見、正しさの尺度、社会的常識、そして「主語」。誰にとっての普通か、など。
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普通というのはやっぱり摩擦を生まないものだよね、普通は個人ではなく社会や集団によって作られるものではないか、普通という言葉は多くの場合マジョリティ側からではなくマイノリティ側の視点から語られるのではないか、といった指摘が交わされました。
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全体シェアの場では、普通とは正しい・間違っているとか、優れている・劣っているといった価値判断の尺度そのものであって、その尺度は明確な境界線というよりも幅を持った帯のようなものではないか、という見方も出て、「価値尺度の概念」という言葉に、強い手応えを感じました。
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私たちのグループは、25分のセッションを2回行った末に、こう定義しました。
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普通とは、マジョリティ性・マイノリティ性によって感じる、居心地の良さ・悪さである。
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個人的にマジョリティ側とマイノリティ側、どちらの視点も入っているところが、自分でも気に入っています。
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最後に、村中さんからは、大人が2時間にわたって「普通とは何か」を語り合えたこと自体に、非常に感慨がある、という感想がありました。思春期の村中さんは「普通じゃない」自分を演じようとしても、うまくいかず空回りし、しかたなく普通の少年であることを引き受けた。すると今度は、かえって「それは普通じゃないよね」と言われるようになった、というエピソードをシェアしてくださいました。
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苫野先生からは、幼少期にお母様から「普通のことだけは絶対にするな」と言われ続けたことが、ある種の呪いになっていたけれど、大学時代に自分らしくあることの心地よさに気づき、人とのつながり方が変わっていった、という経験が語られました。
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本質観取の面白いところは、集まるメンバーによって、まったく違う言葉が立ち上がってくること。その人の興味関心や人生経験が、そのまま生かされていくからだと思います
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村中さんは、臨床心理士・公認心理師として、公的機関での心理相談員やスクールカウンセラーなど教育分野を中心に、発達障害や聴覚障害、不登校といった特別なニーズを持つ子どもたちや保護者さんへの支援に長く関わってこられた方です。脳や神経由来の多様性(ニューロダイバーシティ)に着目し、働き方や学び方の多様性が尊重される社会の実現を目指して活動しています。
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本質観取は哲学2500年の英知が詰まった、思考対話のアート。良い教育とは何か、幸せとは何か、学びとは何か、いい先生とは何か。そして、普通とは何か。こういう問いの本質を言葉にして編み上げていく営みです。
「…とは何か」と問われてすぐに答えられる人はほとんどいません。でも、不思議なことに対話を重ねると、その本質がじわじわと言葉になっていく。この過程が、本当に面白いのです。何かの本質がわかれば、それにまつわる問題を根本から解くことができる。これが哲学対話、あるいは哲学そのものの意義なんだと思います。
本質観取でいう「本質」は、辞書的な定義とは違います。たとえば「恋」を辞書で引くと「異性に愛情を寄せること」と出てきますが、これは本質をえぐっているわけではなく、ある言葉を別の言葉に言い換えているだけ。実際には、相手に愛情を寄せていても恋ではないこともあれば、恋でなくても愛情を寄せることもあります。
そこで「これがなければ恋とは言えない」という、意味の本質を取り出していく。苫野先生がよく引用されるのは、かつて学生さんたちと考えた、自己が失われるような感覚とロマン、つまりあちら側への憧れや理想、この2つが揃ったときに、それは恋と呼べるのではないか、という定義でした。
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今回のテーマである「普通とは何か」も同じです。辞書には「特に変わっていないこと、ごくありふれたもの」と書いてありますが、それはあくまで一般的で外形的な説明にすぎません。本質観取をやると、私たちが「普通」という言葉に込めている、もっと深いところが見えてくる。それを今回、2つのコミュニティで取り組んでみた、というわけです。
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対話の前に、3つのグランドルールが共有されました。
①対等の立場で話しやすい、安心できる場を作ること
②人それぞれで終わらせずに、共通了解を見いだそうとすること
③そして、沈黙を尊重すること。
進め方はシンプルで、まず具体例を共有し、そこから浮かび上がるキーワードを出し、キーワードを組み合わせて本質定義に至る、というステップです。
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私はグループのひとつでファシリテーションを担当しました。そこで出てきた具体例が、どれも面白かった!
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・ある方はカルチャーの異なる会社から出向してきた人たちが一緒に働く環境におり、稟議の通し方や経費精算の方法まで「普通」が違っていて、一定期間でスタッフが入れ替わるたびに衝突が起きる、という話。
・何かと「これくらい普通にできるでしょう」「普通聞くよね」と言ってくる同僚がいる、という話。
・洗濯物を干すときに、洗濯ばさみで1か所留めるか2か所留めるかで揉める話も出ました。自分は2か所留める派なのに、相手は1か所で十分と言う。でも畳むときのことまで考えると2か所のほうがきちんと乾くから、という理由があって、単に「面倒か面倒じゃないか」ではなく、そもそもの目的が違うのかもしれない、という気づきがありました。
・教員の方からは、生徒が忘れ物や遅刻の理由を「普通に忘れました」と説明する、独特の言い回しの話。
・映画『おくりびと』では、納棺師になると決めた主人公に、奥様が「普通の仕事をしてよ」と言うシーンがありますが、あのセリフには、偏見としての「普通」がにじんでいます。
・私からは、昼スナにいらっしゃる発達障害の方たちが「普通になりたい」とおっしゃる方が多い、という話をしました。何かをするたびに、人との関係性のなかで、いつも摩擦を感じているからその辛さを「普通になりたい」と表現される方が多いのではと。
・一方で、こういう対話の場にわざわざ参加する人たちは、むしろマイノリティ意識の高い、つまり「普通になりたくない」という気持ちを持つ人が多いんじゃないか、と問いかけてみたところ、確かに、と心当たりのある顔をされる方が結構いらっしゃいました。
・有機農法は今の日本では特殊とされていますが、江戸時代までは主流でした。人口比で見れば、世界的にはまだ有機のほうがマジョリティなんじゃないか、という話も出ました。
・マジョリティとマイノリティは、人数ではなく権力・パワーによって決まるのではないか、という指摘。教室では子どもの数のほうが多くても、パワーを持っているのは先生だから、マジョリティは先生になってしまう。そんなふうに何かを決める力を持つ人がマジョリティだとすると、子どもはいつもマイノリティということになります。
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こうした具体例から浮かび上がってきたキーワードは、
マジョリティ、パワー(権力)、摩擦がない、居心地の良さ、違和感を感じないこと、中央値・平均値、押しつけ、偏見、正しさの尺度、社会的常識、そして「主語」。誰にとっての普通か、など。
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普通というのはやっぱり摩擦を生まないものだよね、普通は個人ではなく社会や集団によって作られるものではないか、普通という言葉は多くの場合マジョリティ側からではなくマイノリティ側の視点から語られるのではないか、といった指摘が交わされました。
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全体シェアの場では、普通とは正しい・間違っているとか、優れている・劣っているといった価値判断の尺度そのものであって、その尺度は明確な境界線というよりも幅を持った帯のようなものではないか、という見方も出て、「価値尺度の概念」という言葉に、強い手応えを感じました。
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私たちのグループは、25分のセッションを2回行った末に、こう定義しました。
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普通とは、マジョリティ性・マイノリティ性によって感じる、居心地の良さ・悪さである。
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個人的にマジョリティ側とマイノリティ側、どちらの視点も入っているところが、自分でも気に入っています。
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最後に、村中さんからは、大人が2時間にわたって「普通とは何か」を語り合えたこと自体に、非常に感慨がある、という感想がありました。思春期の村中さんは「普通じゃない」自分を演じようとしても、うまくいかず空回りし、しかたなく普通の少年であることを引き受けた。すると今度は、かえって「それは普通じゃないよね」と言われるようになった、というエピソードをシェアしてくださいました。
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苫野先生からは、幼少期にお母様から「普通のことだけは絶対にするな」と言われ続けたことが、ある種の呪いになっていたけれど、大学時代に自分らしくあることの心地よさに気づき、人とのつながり方が変わっていった、という経験が語られました。
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本質観取の面白いところは、集まるメンバーによって、まったく違う言葉が立ち上がってくること。その人の興味関心や人生経験が、そのまま生かされていくからだと思います
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フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 09:502.
普通とは「マジョリティ性/マイノリティ性によって感じる居心地の良さ/悪さ」
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